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2006年11月23日(木)
これほど「自殺」という記事が乱舞するのは、ちょっと記憶がないほどだ。 1986年にアイドルの岡田有希子が四谷にある 所属事務所のサンミュージックで飛び降り自殺をした後、 彼女のファンを中心に後追う自殺が頻発したが、 当然、今の状況とは死を選択する事情が違う。 というか、あの時は同情などできないとさえ思っていたしね。 いじめを原因とする自殺者の続出は、そこに至るまでに 何とかできたのでは?という思いが常に脳裏をよぎるために、 どうしてもやりきれないものがある。
10月に初めて明るみになった滝川市の小学6年生が 昨年、教室で命を絶っていた件以降、 もう連日どこかで誰かがこの世に別れを告げているような状況だ。 しかも、11月に入ってからは文部科学省に自殺を予告する 手紙が送りつけられるという新たな展開を招き、 その対応で関係者が大慌てになっている一方で、 いじめ根絶に向けた施策がなんら提示されないという現実が 死を望む者に対してどんどんその敷居を低くしているような印象。 さらには、いじめでクラスメイトを自殺に追込んだ者が、 その後もまた別のクラスメイトにいじめを仕掛けていることも明らかになり、 死んでもなお変わらないという思いを 多くの人に抱かせる事態まで引き起こしている。 この絶望感が、今後さらに多くの自殺者を出すのでは?と心配してしまう。
とにかく事態は深刻化の一途を辿っている。 11月13日に開かれた日本記者クラブ主催の記者会見で、 伊吹文部科学大臣は「連鎖的なものが来ることは覚悟していた」と切り出し、 自殺予告の手紙が途絶えない現状についてコメントを出した。 文科省では11月7日に最初の予告状公開を行ったが、 これについても「自殺の後押しをする措置ではなかったか」という 批判が起きている。 つまり、同じことを考えている人が他にもいる。ということで 自殺への一歩を踏み出すきっかけにしてしまったのではないか?というわけ。 同省では各都道府県の教育委員会に対して、 いじめの実態把握と情報公開を求めているため、 自分達が情報を隠すことはできないというジレンマも抱えていたようで、 伊吹文科相は「(公表してもしなくても)どちらになっても 必ず非難を受ける。非難は私が受けるんだと毅然とした姿勢を 示さないと教委、校長がついてこない」と語り、 この問題に真剣に取り組んでいる現われだということを強調しているが、 おそらくこんな形で何かを言われても、 子供たちの胸には届かないだろうな…という印象が強い。 彼らは大きな枠組みの改変を求めているのではなく、 明日、学校にいった時、いじめが終わっていることだけを 願っているからである。 目に見える形で成果が出なければ、いくら努力したところで それが報われることはないと思われる。
そして公表した影響は悲しいことに悪い形となって すぐに文部科学省を苦しめることになる。 予告状がどんどん舞い込むようになってしまった。 慌てる官僚や関係者を横目に11月12日には大阪と埼玉で それぞれ自殺が起きてしまい、もう、いじめが存在する現場では 待ったなしの事態に入っていることを強く感じさせている。 同省では安倍政権の柱とも言える教育基本法の改正問題も抱え、 さらにはタウンミーティングでのやらせが発覚するなど、 いじめ対策を抜きにしても、あちこちから火の手があがっている状況である。 ここ数年、ずっと数々の指摘を受けながら、 やったことは「ゆとり教育」程度という 体たらくのツケが回ってきたとも言える。 しかも、その「ゆとり教育」が、さらにいじめを助長する 原因になっているという声すらある。 過労死する職員が出ても、おそらく自殺者は止まらず、 責任を追及されて追い詰められた学校関係者が、 その後を追う事態も減らないと思われる。 人の死がどんどん意味を失っていく様は、 まるで戦場にいるような印象を受けるほどだが、 それでも何も新たな解決策が出てこない同省は、 もう脳死状態に陥っているという感じである。
いじめの問題がこれほどまでに凄惨なものになってしまった理由を 考えていく中で、常におかしいと思うのは、 学校がそれを「いじめかどうか」判断する、という部分だ。 確かに子供を管理するのは彼らの仕事ではあるが、 その中にいじめの判定というフローは本来含まれないもののように思うのだ。 彼らはいじめ対策の専門家ではない。 この一点だけでも任せるには荷が重いことは誰にでも分かる話だろう。
そして、いじめであると認めない体質が更に動きを鈍らせる。 いじめの発生は彼らにとって死活問題だということが、 既に広く知れ渡っているが、それであっても時には 書かれている文章を歪曲して解釈するような姑息な手段を使い、 彼らはそれが「いじめではない」と結論づけようとする。 例えば最近の500円で2万の利息。という狂った理屈を平気で振りかざし、 加えて暴力行為でそれを果たそうとする者の狼藉を 学校側は「金銭トラブル」と称し、被害者の訴えを聞きながら、 加害者に調査の手を入れず自殺を招いたなど、もはや末期的状況だ。
ならば、第三者に判定を任せればいい。 それは学校の身内で頭の作りがもっと固い教育委員会ではダメだ。 まず、いじめはどの学校でも起きうるものと概念を変える。 そして、いじめの有無を教員それぞれの評価には加えないと明文化する。 そして傷害や恐喝といった一般的に犯罪だと見られる事象については、 警察への通報を義務づける。 もう、こういったものは教育問題ではなく刑事事件と 捉えるところまで来てしまっているのだ。 併せて、少年法の改正も行ってもらいたい。 もう実名報道不可の縛りを取ってしまえ。 いじめを行った者が未成年である以上、刑事責任を問うことは免除するが、 生きにくい環境へ放り出してしまうことも必要だ。 過去にいじめをやっていた者の情報は、 必ず進学先にもリレーすることを義務づける。 一度手を染めたら、ずっと学校関係者からマークされる。という運用。
なぜ、このように思うのかと言えば、いじめをやる者が やったところで自分の将来には影響がないとナメ切っていることへの対策だ。 人に不快な思いをさせれば、その落とし前は学校側が必ずつける。 そういう姿勢が欠如しているからこそ、敢えて見える形で それを提示してやる必要があると思うのだ。
とにかく、守られていることを知っている。 どこまでやっても自分に危機が訪れることがない。 その甘えた意識が全ての元凶ではないのだろうか。 我々の世代であれば常識で「それはやってはダメだ」と分かっていたが、 今の子供たちがそれを持ち得ていないことは忌々しき事態であり、 これにもメスを入れる必要はある。 もう、一刻の猶予もないので真剣に改革してもらいたいと願う。
だが、そんなことに手をつけている間にも、 どんどん自殺者が出てしまうのが現代の空気であることは悲しい限りだ。 抜本的な改革よりも明日からできる運用、求められているのは、 これなのではないだろうか。
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