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2006年05月05日(金)
今日の日記は4月末に書く予定だった内容なので 多少、鮮度が古く感じてしまうかも…。
4月26日、忘れもしない20年前、チェルノブイリの事故が起きた日である。 もう、だいぶ風化しているので若い人たちにとっては すでに「歴史の中の出来事」って感覚なんだろうな。 各局でチェルノブイリの「現在」を伝える番組が 頻繁に放送されたが、当時のことを詳しく報じてる番組は意外と少なかった。
この事故、風向きもあって原発の北側の地域が 大きな被害を被ったわけだが、日本に全く影響が無かったわけではない。 事故直後に「黒い雨」だから危険だなんて、 冗談まじりで話題になった記憶もあるが、当時の新聞を見ると 実際、日本各地で微量の放射能が検出されたことが報じられていた。 極端な例では、母乳から放射能が検出されたなんて記事もあった。 もちろん、ごく微量で日本に住む人に影響は無かったということになっているが…。
自分は子供の頃、オイルショックというものをリアルタイムに経験はしている。 小学生だったが、家にトイレットペーパーやカップラーメンが 箱ごと買って置いてあったのを微かに覚えている。 今でいう「エコ」のように、「省エネ」という言葉を頻繁に耳にし、 学校でも「石油はあと何十年でなくなる」などとも教えられた。
現在、大まかに言うと日本の発電は、 火力6割、原子力3割、水力1割といった割合だそうだ。 原子力の割合は年々増え続けているという訳でもなく、 1998年度36.8%だった割合が、2002年度31.2%に減っていたりする。 しかし実際には、全体の発電量が年々増えているので、 火力も、原子力も、水力も年々増えているという表現が正しいかも。 例えば、事故のあった20年前と比較すると、日本の発電量は約2倍となっている。
火力発電というと石油を燃やしているイメージかもしれないが、 それは昔の話で、火力発電57.4%(2002年度)の内訳は、 天然ガス26.6%、石炭22.2%、石油8.6%なんだそうだ。 昔は、ほぼ100%石油による火力発電だったものが、 ここ20年の間に石油の代わりとなるものと逆転したという。 天然ガスはまだしも、今どき「石炭」ってのは意外だったが…。 火力発電は二酸化炭素を出し、原子力発電は核廃棄物を出し危険性も高い。 かといって、他の発電では安定した電力を賄えない「現実」は変わっていない。
70〜80年代叫ばれた「省エネ」は「枯渇する資源への心配」だったように思うが、 現在叫ばれている「エコ」は「地球環境へ及ぼす影響への心配」ばかりに 焦点が当たっているように感じる。 それは石油代替エネルギーの開発・導入などの影響だけだろうか?
例えば地球資源のことを考えるなら、 無駄な電化製品を「買わない」「使わない」が一番ではないのか? しかし「無駄なものは買わない」なんて言葉は、資本主義社会ではタブーだろう。 そこで「環境に優しい製品」「リサイクル」といった 「製品のその後」ばかりに焦点をズラしてしまったのではないだろうか? もちろん、消費電力の少ない製品の開発なども行われているが 社会全体で見た時、果たして「省エネ」という概念が残ってるかと言われると 電力消費1つ取っても、忘れられてしまっているように思う。
じゃあ、このブログは電力を使うだけ有意義なのか? テレビや携帯や車は必要か?建物のライトアップは必要か?と言われると、 人それぞれの価値観であって、必要か不必要かは断言出来ない。 例えば、40年前は1割以下の普及率だった乗用車やエアコンが、 現在では約9割近くになっている現状。 ビデオや、DVD、携帯電話にパソコンのような、当時は無くても生活出来ていた製品も 今では「なくてはならない」物になっている。
電車・バス・自転車より乗用車は快適だろうし、 1家に1台だった電話が、1人1台の携帯電話になったことも快適だ。 たまたま原子力発電所の大事故が、この20年間発生しなかったが もし何かあった時「快適な生活」の代償として、 我々は「それ」を受け止めることが出来るのだろうか? 結局は航空機事故や鉄道事故のように「何かのせい」にして、 「地球に優しくない現実」から目を逸らし、 資源が枯渇するまで、より快適な生活を求めていくのだろうか…。
まずは「あって当たり前」という認識から脱却して、 「快適な製品」が何の代償の上に成り立っているのかを知ること、 想像することが第一歩のように思う。
そういえば20年前はというと、ポスト松田聖子と呼ばれたアイドルの 岡田有希子さんの自殺もこの年の4月だった。 この事件に関しても触れたかったが、またの機会に。
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