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2004年03月09日(火)
昨夜に書いた日記が何時間経っても反映されなかったようだ。 たまにあることだが、必死に書いた文章が消えてしまったのかと思い 非常に心臓に良くない。 まぁ、無料のサーバーを借りてやっているので、あまり文句は言えないが ちゃんとすぐに反映してくれないと困るな。 今朝、見たときも反映されていなかったので、ほんとに消えたかと思った。 いったい、いつ反映したのだろう…。
さて我が母校でもある「拓殖大学第一高等学校」の広告が西武線の中に貼ってあった。 今年の4月より今までの小平市花小金井駅前にあった校舎から 西武拝島線と多摩モノレールが通る玉川上水駅の方に移転するという。 自分が通学していた当時から花小金井駅前の土地は近くの寺の借地のために 近年中に移転するのでは?という噂はあった。 移転先は大学のある八王子市高尾が最有力だったはず。 拓殖大学高尾校舎は広大な土地の中にあり、まだ全然手を付けていない場所も多く有る。 自分が通っている時にはなかったが工学部煉や図書館なども建設された。 それでもまだ学校のひとつやふたつ移転してきても全く問題ない土地の広さ。 大学に在学しているとき、車で学内を探索したことがあるが 敷地の奥のほうに馬術部の馬小屋があり、さらに奥に行くと沢が流れていて サワガニが生息していて驚いた。 それほど広く、そして辺鄙な場所にある大学の敷地に移転するものだと思っていたが やはり、あの場所じゃ生徒が集まりづらいだろう。 はっきり言って田舎。高尾駅からバスを使わなければならないし、 当時、校舎から駅まで歩いて行くことを学生たちは「下山」と呼んでいた。
ただでさえ少子化、今後の私立高校の経営は厳しくなってくる。 そのため、少しでも生徒を集めるために制服を今風に変更したり、 厳しかった校則を緩めたりと学校側は大変だ。 今までの拓大一高は花小金井駅前という最高の立地にあったので 他校に比べ生徒も集めやすかったと思う。 プラネタリウムや天文台、柔道場、剣道場もあり設備にも恵まれていたが 借地というハンデがあった…。
新校舎の玉川上水駅はモノレールも通っているので縦のラインからの通学も便利。 新校舎のイラストが広告に描かれていたが、なんかものすごく近代的かつ未来的。 自分が通っていた頃の木造校舎や汲み取り式便所が懐かしい…。 あんな校舎や便所だったら、今時の若い子なんて絶対に選ばないんだろうな。 いまや、だいぶ偏差値も上がり、共学らしく女子生徒も増えたらしい。 自分の時は共学とは名ばかりで女子は男子の1/4位しかいなかった。 そのため1年の時、9クラスあっても4組までが共学で残りは男子クラス…。 自分は8組のため男子クラス。( ̄◇ ̄;) 2年になり退学者が多く出たためクラスは1クラス減り、8組までになった。 ちょうど自分が1年の時は、はっきり言って荒れた学校だった。 自分のクラスにも年上の留年生が3人いたし、かなり喧嘩も多かった。 後で知ったことだが自分が2年に上がる時に学校側が問題児を一掃したそうだ。 なので1クラス分も退学者が出てしまったらしい。 2年になってからは、それまでがウソのように平穏な学校になっていた。 だけど共学は一年の時と同じく4組までだったが自分は7組…。( ̄◇ ̄;) 2年の時に北海道へ修学旅行があったが、3班に分かれての旅行だった。 1、2、3組が1班。4、5、6組が2班。自分のいる7組と8組が3班。 そう、修学旅行さえ女子は一人もいない男子のみの班だった。( ̄◇ ̄;) さらに1、2年と夏は暑く冬は寒い、汲み取り便所の木造校舎だった。 3年になったら、やっと鉄筋校舎に移れたが、クラスは6組。また男子クラス。 そう、共学校に通いながら3年間男子クラスだった。(T_T) まぁ、でも同年の女子なんてブスばかりだったから、いいんだけどね。 男子クラスにしか味わえないような楽しいこともあったしね。
さて新校舎に移った拓大一高だが、東京都春季野球大会でも 第3シード校として名を連ねていた。 後輩たちには文武両道を貫き、近代的な新校舎で 二度とない青春時代を謳歌してもらいたい。 そのうち、見学にでも行ってみようかな。 北さんやアベコーはまだいるのかな? まぁ同窓生が2名、先生をやっているし入れてくれるはずだろう。
さぁ、すべて書き終わった。登録ボタンを押すのが怖い。 また反映されなかったりしたら…。 とりあえずコピーを残しておこう。 今日はちゃんとすぐに反映されることを祈りながら登録ボタンを押そう。
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