ヒロの日記

生き辛さ・・・個性だと思って、

2002年06月19日(水) もの作りと戦争

『プロジェクトX』を観ていたら、いいところで、
親父が帰ってきて、サッカーに変えられてしまった。

今日は新幹線を開発した三人の技術者のはなし。
あの時代に、いろいろ作り上げた人達の実話が好きです。

戦時中、まだ若い有能なエンジニアが、国家総動員体勢の元、
兵器の開発、試作、量産化に携わっていました。
良いも悪いも無いのです。国全体が勝つために必死でした。

潜水艦による徹底的な商船破壊によって、
日本はギリギリでした。瀕死でした。
そんな中、軍部のお役所的な要領の悪い指示、
熟練工の不足、資材不足と戦いながら、日夜図面を引きなおし、
油まみれで試作開発に打ちこんでいた、名も無い人達がいた。
工場に直接爆撃を受けながら、逃げるわけにもいかない。

都市への無差別爆撃、そして原爆投下。
終戦。。。

膝が崩れるような虚脱感と、それに相反する安堵感。
GHQにより職を奪われる彼ら。
やがて国内の産業規制が解かれる。
自動車、航空機、鉄道、他の平和産業に明るい未来を託す彼ら。

そんな中、
一つの国家プロジェクトとして新幹線構想が持ちあがった。

と、歴史の流れの中で見つめなおすと、
ひとつの弾丸特急の背景に、様々なドラマが見えてきます。
これに似た話が、航空機、自動車などにもありました。

おいら、常々考えていました。
学校で習う歴史(その8割が戦争に関わる)って、
どうしても政治中心で、リアリズムに欠けているなあと…
つまり、戦場の血なまぐさいエピソード、若しくは外交問題として、
捕らえすぎていて、今の日常の生活と地続きに思えなくなっています。
突然、狂信的な指導者が現れて、強引に戦争に持っていくような、
錯覚を与えてしまいます。本当はもっと身近な問題なのにね。

そりゃ、イージス艦を買うなとか、核を持つ持たないだとか、
国産戦闘機をどうするかとか、天文学的予算の話ばかりですから、
なんとなく遠いことに思えます。
偉い人が決めちゃうんだろって諦めるか、
プラカード持って行進するか、という選択肢しかないような気がします。

ところで、
「平和産業」というのはある意味で詭弁です。
どんな技術も諸刃の剣。
非常食の缶詰だって、震災の備えにもなれば、兵站にもなります。
ていうか兵站のために考えられた物らしい。
海外旅行に連れていってくれるボーイング社のジャンボジェットは、
もともとは重爆撃機でした。積んでいるものが違うだけです。

なにを言いたいのかってーとですね、
軍隊と政治家だけが戦争を起こしているんではなくて、
気づかないとこで、片足突っ込んじゃているんですみんな。
「アレは兵器だ殺人マシンだ」とか、「あの人が軍事開発に関わっている」とか、
簡単により分けられないんですよ。
全て人間のやっていることなんだから、日常と地続きなのです。
隣りのサラリーマン、お向かいの職人さん・・・あるいはあなた自身が、
もう片足突っ込んでいるんです。戦争に。

今は兵器でもなんでもない人型ロボット、
モバイル、ゲーム、デジカメとかだって、
いざとなればあっちに転用がきくのです。
ってことはその企業で働く人が、兵器の開発に携わることになるわけです。
その逆に、もともと軍事技術だったものが、
戦争が終わったから民間に転用されたりたりします。
やっぱりはっきりとした区切り目なんて無い気がします。

なにを言いたいのかまるで解からない文章ですね(汗)
自分でもイライラします。

えーーと、
だから学校でもっと「エンジニア的視点の戦争、歴史観」を教えてよーー
ってことです。日常と戦争の境目なんて薄っすらしたグラデーションなのです。







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