『プロジェクトX』を観ていたら、いいところで、 親父が帰ってきて、サッカーに変えられてしまった。
今日は新幹線を開発した三人の技術者のはなし。 あの時代に、いろいろ作り上げた人達の実話が好きです。
戦時中、まだ若い有能なエンジニアが、国家総動員体勢の元、 兵器の開発、試作、量産化に携わっていました。 良いも悪いも無いのです。国全体が勝つために必死でした。
潜水艦による徹底的な商船破壊によって、 日本はギリギリでした。瀕死でした。 そんな中、軍部のお役所的な要領の悪い指示、 熟練工の不足、資材不足と戦いながら、日夜図面を引きなおし、 油まみれで試作開発に打ちこんでいた、名も無い人達がいた。 工場に直接爆撃を受けながら、逃げるわけにもいかない。
都市への無差別爆撃、そして原爆投下。 終戦。。。
膝が崩れるような虚脱感と、それに相反する安堵感。 GHQにより職を奪われる彼ら。 やがて国内の産業規制が解かれる。 自動車、航空機、鉄道、他の平和産業に明るい未来を託す彼ら。
そんな中、 一つの国家プロジェクトとして新幹線構想が持ちあがった。
と、歴史の流れの中で見つめなおすと、 ひとつの弾丸特急の背景に、様々なドラマが見えてきます。 これに似た話が、航空機、自動車などにもありました。
おいら、常々考えていました。 学校で習う歴史(その8割が戦争に関わる)って、 どうしても政治中心で、リアリズムに欠けているなあと… つまり、戦場の血なまぐさいエピソード、若しくは外交問題として、 捕らえすぎていて、今の日常の生活と地続きに思えなくなっています。 突然、狂信的な指導者が現れて、強引に戦争に持っていくような、 錯覚を与えてしまいます。本当はもっと身近な問題なのにね。
そりゃ、イージス艦を買うなとか、核を持つ持たないだとか、 国産戦闘機をどうするかとか、天文学的予算の話ばかりですから、 なんとなく遠いことに思えます。 偉い人が決めちゃうんだろって諦めるか、 プラカード持って行進するか、という選択肢しかないような気がします。
ところで、 「平和産業」というのはある意味で詭弁です。 どんな技術も諸刃の剣。 非常食の缶詰だって、震災の備えにもなれば、兵站にもなります。 ていうか兵站のために考えられた物らしい。 海外旅行に連れていってくれるボーイング社のジャンボジェットは、 もともとは重爆撃機でした。積んでいるものが違うだけです。
なにを言いたいのかってーとですね、 軍隊と政治家だけが戦争を起こしているんではなくて、 気づかないとこで、片足突っ込んじゃているんですみんな。 「アレは兵器だ殺人マシンだ」とか、「あの人が軍事開発に関わっている」とか、 簡単により分けられないんですよ。 全て人間のやっていることなんだから、日常と地続きなのです。 隣りのサラリーマン、お向かいの職人さん・・・あるいはあなた自身が、 もう片足突っ込んでいるんです。戦争に。
今は兵器でもなんでもない人型ロボット、 モバイル、ゲーム、デジカメとかだって、 いざとなればあっちに転用がきくのです。 ってことはその企業で働く人が、兵器の開発に携わることになるわけです。 その逆に、もともと軍事技術だったものが、 戦争が終わったから民間に転用されたりたりします。 やっぱりはっきりとした区切り目なんて無い気がします。
なにを言いたいのかまるで解からない文章ですね(汗) 自分でもイライラします。
えーーと、 だから学校でもっと「エンジニア的視点の戦争、歴史観」を教えてよーー ってことです。日常と戦争の境目なんて薄っすらしたグラデーションなのです。
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