DiaryINDEX|過去の日記
「極真は背中を見せるな!君たち!喧嘩を売って来たら買え!そんぐらいの覇気がなければね、空手やめちゃえ!そんな空手やってもしょうがない!」と大山倍達総裁は言いました。この言葉の前後に言葉は続いていますし、この言葉をどう捉えるかは、その人その人次第なのだと思います。喧嘩をする事は良くないと言いながら、戦争は無くならないし、お金も地位も名誉も権力も権利も全て奪い合いです。黙っていたら、自分の周りにいる人達が自分の住んでいる場所に自分の領域の中に自分の考えに自分のプライバシーに自分のプライドに、どんどん踏み込んで来て、自分の大切な物を奪おうとして来ます。殴り合いの喧嘩だけが喧嘩ではなく、いろんな事で喧嘩は起こります。喧嘩と言うと野蛮に聞こえますが、ようは戦いです。いま現在は知識がなければ戦いに負けてしまうので、戦うためには法律などの知識も必要です。人生は戦いです。背中を見せたら終わりです。喧嘩できないとバレた瞬間に相手は自分をナメて来ます。だから戦いを挑まれたら、勝ち負けは別としても、戦える覚悟があることを相手に見せるべきです。もともと喧嘩は勝ち負けでやるものではないと私は思っています。戦わなければいけない理由があるから負けてでもやるものです。そして強い人は戦わないという事や、途中で止めてあげることや、相手と痛み分けにして話し合うという事を選択する事が出来ます。だから私は強くなりたいと思いました。何歳になっても自分の顔にツバを吐きかけられたら吐き返す、殴られたら殴り返す、そんな覇気を持っていたいと思っています。人生は戦いです。最後は自分を守れるのは自分だけです。私は大山倍達総裁の言葉からそんな事を思っています。
出来るからやる、出来ないからやらない、その選択をしっかりして行く事も大切なのかもしれませんが、意外に自分の力は自分が思っている以上の物を持っていたりします。なので自分が出来ると思う事にしか挑戦しなければ、自分の力が大きく飛躍する事はなく、自分を大きく変える事も出来ないと思います。出来るか出来ないかではなく、やれと言われた事は全力でやる。必死でやったら出来てしまうと言う事があります。そんな時に自分の力が大きく飛躍します。だから昔の理不尽とも言える指導は間違っていなかったと思います。もちろん今の方が確実に良くなっている事もたくさんあります。今の指導の仕方から極真空手ももっともっとたくさんの人が残る事が出来たのだろうと思います。
私が初めてウエイトトレーニングを教えて頂いたのは、巍桜流拳法菊地塾の菊地信弘先生でした。ベンチプレス、スクワット、ショルダープレス、アームカールなどをやった記憶があります。組手もいろんなルールで行いました。硬式空手ルールスーパーセーフと胴当てを着け(ポイント制顔面アリ、下段回し蹴りなし)、新空手ルール(キックボクシング、試合時間内に蹴り技を八本以上出さないと反則負けになる)、テコンドールール(蹴り技のみポイント制)、フルコンタクト空手ルール(極真ルール)、北斗旗ルール(スーパーセーフをして顔面アリ、投げあり)あとは下段回し蹴り禁止のキックボクシングルールなどや胴当てがないとか、スーパーセーフではなくヘッドギアを付けるとか、サポーターの種類が違うなどなど、細かく違いのあるルールの試合にたくさん出ました。当時は、その中でもやはり極真ルールが1番喧嘩に近いと思い魅力を感じました。
私が1番最初に空手を始めた道場は巍桜流拳法菊地塾で塾長は菊地信弘先生でした。当時、私は15歳で菊地先生は30歳でした。菊地先生はバリバリの現役でとても強かったし怖かったです。私は15歳で1番悪い時期だったので、悪さをしては菊地先生にぶっ飛ばされていました。無断で稽古をサボったら組手で半殺しにされましたし、遅刻して行った時は殴られて失神しました。私はそれに対し恨みがないどころか感謝しています。私にはとても適切な指導だったと思っています。菊地先生はシュートボクシングの創始者のシーザー武志会長と異種格闘技戦で戦ったり、いろんな流派の試合に出る、いわゆる他流派荒しと言われる選手でした。私も先生にくっついていろんなルールの試合に出させて頂きました。菊地先生にはとても可愛がって頂きましたし、菊地先生の知り合いの空手家の方々にもとても良くして頂きました。菊地先生なおかげでいろいろな経験をさせて頂きました。菊地塾に行き見学させて頂き、最後に菊地先生と立ち会わせて頂き、菊地先生のハイキック1発で失神させられた、あの時から私の空手人生は始まったと思っています。私の空手人生の始まりは、本当にマンガの世界の話のような空手人生の始まり方でした。菊地先生には本当に感謝しています。今でも菊地先生を尊敬しています。
夕食の時にご飯が美味しく感じて、寝る時に疲れてぐっすりと眠る事が出来たならば、その日はいい1日だったのだと思います。そして正しい生き方が出来ているのではないか?と思います。私もそんな1日になるように毎日を頑張って過ごしています。そして何かに向かって頑張りたいと思っています。
長男は中学校の時のお友達の家族と福島へ行きました。偶然ですがお友達のお母さんの実家が福島市で私の実家と一緒です。そしてさらに偶然なのですが、お友達のお母さんのおねえさは妻の高校の先輩で一緒にチアガールをしたそうです。本当に世間は狭いなと思います。長男はお友達のご家族に気にいって頂いているようで、お友達のお母さんの実家に泊まらせて頂くのは2回目です。意外に家の外ではしっかりとやっているみたいです。
久しぶりに妻とマクドナルドで食事をしました。2人で話をしながら食事をするのも久しぶりだったので、とても幸せな気持になりました。
私が一緒に稽古をした先輩や後同輩や後輩で天才だなと思った人がたくさんいます。身体の強さや身体能力や筋力や柔軟性などいろいろありますが、技を出す感覚と言うか組手の上手さと言う点で、天才だと感じたのは、八巻先輩、数見先輩、塚本先輩、高久先輩、岩��先輩、佐伯先輩、川原先輩、竹石先輩、ギャリー・オニール、鈴木先輩、小井先輩、木浪先輩、志田さん、でした。当時の城南は本当に天才だらけでした。みんな一発で倒せる技を持っていました。その天才がみんな努力をするのだからたまった物ではありません。これは結果論なのですが、今名前を挙げた方々はみんな今でも空手の世界で生きているので、やはり天才だったのだろうと思います。
黒澤浩樹先生の事を思い出しました。稽古の前やトレーニングの前は黒澤先生はいつもピリピリしていて一言も口をききません。黒澤先生と道場の黒帯の先輩方スパーリングをするクラスが週に3回ありましたが、その稽古に参加する人は、黒澤先生と同じように誰も一言も口をききませんでした。今考えると本当に異様な緊張感で異様な光景でした。自分はそれをしようとは思いませんが、そう言う緊張感やそう言う異様な光景を体験出来た事は、自分の大きな財産です。あれを体験したら、どんな状況にもビビらないようになると思います。黒澤先生とウエイトトレーニングするのもとても緊張しました。黒澤先生はベンチプレスを200キロ、スクワット300キロと私がどうもならない重量でトレーニングするので、もし先生が潰れたらどうしよう!と考えると毎回が冷や汗が出る思いでした。あんな緊張感を味わう事も今は全くありません。黒澤先生のおかげで心が太くなったと思います。
晴れの日も雨の日も雪の日も、変わらぬ気持で毎日を過ごせるような人になりたいと思います。家を出る時に雨が降っていたので「ヨッシ!今日はウォーキング日和だ!」と気持を切替えて駅まで歩いて行きました。雨が降っていたおかげで、たくさん歩く事が出来ました。歩くのは健康にはとても良いので得した気分です。でもこれも時間ギリギリに行動していたら、そんなゆとりのある気持ちにはなれません。ギリギリに行動していたら、自転車で行く所を歩いて行ったら遅刻してしまうのでイライラして急いで行動しなくては行けなくなってしまいます。時間にゆとりを持って行動すれば心にもゆとりが出るものです。
kanno
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