**In my heart of hearts**
daily life ver.


2012年05月17日(木) 寝起きは危機感

眠たくて横になって、気持ちのよさにまどろんでいた。もう本格的にベットへ入って、寝る事にした。今日はネットもそこそこに、パッチワークは少しだけ、これといって、何も考えずに、時間を見送るけれど、なんだかもったいない事をしたような後悔を感じるのは自分でおかしいな・・。電話が鳴ったので、宅配からだと思って、眠気を必死で払って起き上がる。勧誘の若い女の人の声でがっかり。 眠りの夢を破ってもらえてラッキーといえそうだけどね。東京を一人見物しているというリアルな夢の中で、時間がないことへの不安とか焦りであまり良い夢ではなかった。 それで今この疲れた感じ、困ったもんだ・・。

外をみたら、かろうじての青い空色が出ている。ちょっと風は吹いているようだ。 パソコンから離れて部屋で過ごすと、いつもと違う感じで、また考えが過去へ迷い込んだり、これまで抱えてきた孤独感を思い出したりして、時間が重たい。 まさか弟はこんな気持ちを休日で感じたりしてないだろうかと想像したりする。

仕事を成功させて、人の信頼をうけ、仕事上の付き合いも多いという人なので、こんな私とは正反対。 男には仕事の世界がしっかいあるわけで、その中で人と繋がっていてくれているはずだ。 部屋に帰ればたった一人であること、それを案じる気持ちはある。弟とはいえ、実家という言葉が出れば、そこに私の存在はない。壁があるのを改めて感じたくは無かったけど、現実はそうである。

実家の両親と心の温まる繋がりが今、弟は持つ事を自分で拒否している。
本来ならば、もっと、若いときにそんな試練とぶつかり、乗り越えてしかるべきなのに、まだ80過ぎても元気な父が少しも折れようとせずに、嘘で固める自分の世界をあくまでも押し付けては人の心を傷つけることをくりかえす。

いつまでも続く人生ではない。 どうにかしたい、でもどうにもしようがない。 そんなもどかしさを抱えて、弟を思いやること。なんでこんな事になるんだろうね。 堂々巡りで過ぎていく。

今月ははりきって、外へお出かけできた。有田の陶器文化館もよかったし、湯布院の泊まりの旅もよかったし、大満足。そのあとの休日は休養だとして
部屋でうつろぐばかり、2日間の連休はのんびりを許すだけに始終した。

なんか胸騒ぎ・・。金環食まであと、3日だ。 神戸の震災のときの胸騒ぎは明らかだったなあ。今もちょっと似ている。 実際の話が、今のタイミングで何が起きたって何の不思議もないことであると誰もが心の中では思っているのではないかな。それをどうとらえて、願うかは人によって違うけど。

イギリスへ滞在中の両陛下。高齢であるにもかかわらず、公務を全うしようとしておられる。 世代の交代も誰の目にも明らかに迫っていることと、歴史上定期的に訪れてきた富士山の噴火や、東海地方の大地震のことが寄り添うようにして、目の前にあるように思える。



2012年05月13日(日) 静かに休日

日曜の休日 もう部屋でじっとしてもいいかな このごろはしっかりと外出を続けた。なんたって、5月連休の真っ只中だったから。取り残されてはいられない。 

きょうは図書館から続く庭園のバラがきっときれいだろうな。
空はなんとあいにくの薄曇か。 なんの責任もなく こうしてのんびりしていられる事を当たり前に思っていられる事の幸せには気づかされる。

職場に新しいスタッフとしてきた人はきちんとした若いお母さん。子供の学費を貯めようと働くらしい。10年OLをして、10年主婦をして、3人の娘を見ながらの共稼ぎ生活をスタートさせたという。 下の子は1歳過ぎで朝からミルクを飲ませて 家族の食事を作って、支度して車に乗り仕事へ出てくる。 

私とは正反対の人がそばに来た。めぐり合わせの不思議さ、有り難さ、面白さ。現実は楽しいドラマだ。守ってくれている力には感謝を忘れてはいけないな。

左の手は少しずつ悪化しているようだ。もうわずかな湾曲が定まってしまった。うまくつきあっていくことを考えるしかないと思っている。左手に愛情を込めて接していきたい。



2012年04月30日(月) いつものパターン

晴れの天気でじっとしていられない、そんな朝ではない。でも世間が休日モードだと遅れとりたくないぞと、心は落ち着かない。

誰とでかけられるわけでもないけれどね。人ごみに紛れれみたくもある。来週は連休があるし、まだ無駄遣いは我慢のしどころ? 料理らしいものをこの頃したがらないのはなんでかな。

不安があると外のものへ気持ちが向く。そこからエネルギーを欲しがる自分がいる。 どこへ行こうかな〜〜〜! まだ決まらないの!

都会・田舎・気取るところ・のんびりするところ・お金かかるところ・安いところ・ どうする、どうする、どうしたい。



2012年04月25日(水) また人を嫌ってしまう

どうにか、夜勤につけるようになれたと喜ぶのもつかの間だった。
人の命を預かる大変さへの理解が薄いようなこと、安心して仕事を一緒にできないとか、そういう否定の言葉を師長は私へ告げるために離れた所へ私を呼んだ。 辞めてもらってもいいという通告とも受け取れることだな。馬鹿げている。金銭面でもマイナスになる、夜勤からの排除だ。
私にいけないところがあって、それに自分で気づけなければ、受け入れられない、大きな意味で厳しいくて、正しいことのように思えたりはする。 それが大人としての社会の冷徹さというわけね。 

普段から人にうまく関われないこと そこがいけないと言うに言われないところなのかもしれない。 人格の問題だから。しかも欠陥的なレベルだから。 怖くていえないから、遠まわしにぼかした排除のやり方。 根は深いのかもしれない。師長の言葉は軽いものではない事。 あー・・、またか、ここでも同じ。



2012年04月24日(火) だんしゃりストへ変身を

今日もいいお天気 風が肌にとても心地よい。そんなことにかこつけて外へ出たいきもする。 断業、捨業、離業、か。自分と物との関係を問い直すという思考を始めることによって、自分と向き合わざるを得ない状況を作り、自分を啓発し改善が痛みを伴いながら、行われていくといった、これほど現実に則した、真実はほかにどこにもないのかもしれない。そしてまたこれがいとも簡単に無意識になおざりにもできるという恐さ。 精神世界で現実から少し離れたような次元でものを見ることが何か導きの醍醐味であるかのように本の世界へ没頭してばかりきた自分。そんなところへ清い水をざぶ〜っとかけてくれたのがこの思想を伴う行動、行動が主体の思想だなと思った。

この提唱者のやましたひでこさんの噛んで含んでくれるような、やさしい時には強い話言葉を夜中になってPCから聞いている私。 分かっているようで分かってこなかった自分を心の奥でもどかしくことが気持ちを少し噛んで痛む。

できない自分を責めないこと。いきなりのエベレスト山を誰も登れはしない。フルマラソンを走るのに、誰もいきなり望む事はできない。 そういう励ましの切り口からがまず この断捨離のすばらしさだな、なんて思った。
そしてこれは終わりはない、一生続くものだととう忘れがちな大事なことまで付け加えてくれる。



2012年04月23日(月) ニュートラルな休日

若かりし頃の証明写真が出てきて、3つを並べて見比べると、みごとに顔の老化具合が手に取るようにしてわかるものだった。たるんでくる顔の皮膚は正直だ。  引き出しのかたづけがおっくうなのは、昔の記憶が雑音のように心に蘇るのを恐れるところがあるからなのかなと、変な納得をしてみたり。眠りの中の夢で、いつもは見ないようなわけの分からない雑然としたものを追っていたりするのに気がつくときそう、思った。

気候が優しくなってきたから、外へ出かけたい気分も盛り上がりがちなところ。満喫してもよさそうなのに、引き止めているものは、何だろう。ひとりぽっちで、街中をうろうろするのも、楽しむストーリーが見つからないような、想像力のなさというか。過去をなぞって感慨に浸るようなことにも、もう飽き飽きしている。 

新しい何かを始めたい。自分の心の汚れ、垢落しね。自分を建て直したい。
後ろの事はもうどうでもよくなった。 これまでは過去の自分を影のように引きずりながらもきちんと、向き合う事もできなくて、心の闇に押されていた。それを証明するかのような部屋の隅ずみに固まる重いほこりをかぶったモノたち。そして蓄積したほこり、ごみそのものたち・・。

ようやく そんな自分に別れを告げられるときはやってきたと思える。
そんなことを考えていたら、ここへ住むようになった日までちょうど一週間であることに気がついた。その日がくると丸22年か。無事にここまで生きてこられたことを感謝!



2012年04月21日(土) 淀んではいけなかった

机の引き出しを全部取り出して、中身をぶちまけて広げている。その真ん中に座ってものたちを一々手に取りどうするかを頭が考えるという作業、簡単な事、そこから派生してくる想像や想念が結構なエネルギーを消費するという事も分かっている。

だからいつも何気に躊躇しているんだということに気がつく。片づけをすることは深いこと。そういう意味で自分と向き合うエネルギーが生じる。断捨離が説くのはこの自分啓発メソッドであるということなのだと、そこでまた気がつく。

やり始めてそういう概念を心の片隅においておくとこれまでは片付けの苦痛面だけを記憶に残していたものが ちょっと楽しみや希望に変わろうとしているようでうれしくなった。 

夜中になってもごみに仕分けする作業を厭わずにやって満足するという、人生で初めてに近いようなことやっている私。

そのせいもあってのことかな、眠っているときの夢は昔のことが出てきて、おたおたしているあの頃の仕事が思い出されていた。洋服を売りつける仕事だ。 心の中のごみも吐き出しているようだ。

そうしながら、知恵をつけていかないと。思考を鍛えていかないと。元をただせば、こんな片付けの作業ができないということが脳の働きの衰えと直に繋がっているようだ。 

私の今現在の姿。 物事の理解力、判断力がどれだけ劣って、お粗末であるのかということを毎日、自分で嫌というほど、些細な出来事から見せ付けられているというのに、これ以上、もう誤魔化す事はできないと本気での自覚が迫られているといえる。 恐ろしい事だ。

早く、素直になっていくべきだった。 自分から目をそらす事ばかりに長けていた。そんな行動ばかりしてきた。 その付けを払う時か・・。

全ての事に感謝。 それは決して忘れたくない。



2012年04月16日(月) 断捨離をはじめます

春にも慣れて来た。季節が進むのを見ている。時間は過ぎるのに心だけはどこかへ置き去りだ。

体が動きを鈍くし始めた中に甘んじていれば待っているのは退化。熟していく老化ならまだいい。そうではなく、働きを封じ込めて衰えていく神経なのだ。 

まして、リューマチの鈍い痛みと腫れを持つ私にとって、リハビリのような手先の作業は人一倍必要だ。 なにか、どこかがおかしい。意地悪な人もそんなことを言ってきた。 

確かにどこかが狂っているんだろうと思う。 過去に遡って自分のことを見つめてみたいと色んな節目で思うのだけど、すぐに嫌になる。 何度もどこででも同じことを繰り返しているのは 自分のことを良く分かろうとしていないからなんだということまでは分かる。

思うだけで実行しなければ何もならないということがここでも証明されるだけのことか。 父のことを見限るしかないと少し思い始めたりして、むなしい。親が子を愛するのは当たり前ではないらしい。

知りたくなかった現実を知るという恨みを心のどこかに隠して、すねてしまう癖。こころが人とは、繋がれない次元がある。そのことを低い次元のこととして、見下げて 突っ張って、気取ることで自分を慰める癖。 

それでも何か社会の中で自分の基盤を持てたのなら、いいのだけれど、幻想だけで実際はあまりにも幼稚で無能ぶりに人はあきれて離れていく。

そして嫌われて、疎まれて、仕事から追い出される。そんなことを何度繰り返してきたことか。 どこか何かがおかしい私の生き方。



2012年02月26日(日) 休日の午後

お昼過ぎには外へ出かけた。家事はしたくないし、運動と気晴らしとしておきたい日曜だから人の気配も違う。

風がまだ妙に冷たく感じられて活動的なときではないことを教えているけれど気分が良ければそれでいい。文化センターの梅も遅くてほとんどが咲いていなかった。

梅ガイドをやってくれて、話を聞いて時間つぶしをした。文化ホールで演奏会があって入ってみようかと思っていたのだけど合唱が主だった事に気がついたらパスした。

それから、自転車をこいで3号線へ出る。もう一ヶ所の文化施設の読書スペースへ座るためだ。そこで小腹もすいて、トーストセットを食べた。朝もしっかりトースト食べたけどね・・。 入

り口の梅の木はしっかりと梅の赤い花を見せてくれていた。思わずじっと見とれる。 日曜だったから閉館は思っていたのより早く来てしまう。

今度はアーケードの方へ移動だ。店が並んだあの場所も少しずつの様変わりを見せて新しい建物があったりして昔の記憶を消していく。

探していたうどん屋さんを見つけたのを思い出して今度はそこで腹ごしらえ。老舗の雰囲気を漂わせた広くて上品ないい店だった。



2012年02月24日(金) 古くて霧が包む国

夜勤明け、昼間はまた外食 ストレスのがれだな。そのあと久しぶりに良く立ち寄っていたビルの5階にある図書館分館へ。

そこで睡魔に引きすられる合間にかろうじての読書。そして夕方まで過ごしていい休養にする。何度も読んでいる大和成立頃の日本の真相のストーリー、どうしてもすんなりと頭の中に収まってくれる事は無い。

名まえが分かりにくい、覚えにくいイメージが作りにくい。いつの年代のことかごっちゃにすぐなってしまって、ぴんとこない、あ〜・・。頭が良ければやれるのかしら。

日本の古代史はどうしてこんな風にわかりにくくなっているのか、確かな証拠が繫がっていないのか、邪馬台国論争などで煙にまくばかりの現実感の薄さに気軽に入り込めない感じがする。

そんなファジィーさというのがまさに日本なのかな。


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