幕夕(まくゆう)の海外旅行日記
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2011年02月26日(土) 45歳 ヌメア→横浜

 今朝のビュッフェでは昨日の教訓を生かして、食べすぎないように心がけた。
 ホテルを出発するまでロビーでおしゃべりしたヌメア在住のおじさんはいい色に焼けていて、とてもすてきな人だった。



2011年02月25日(金) 45歳 ヌメア(日帰りでテニア島へ)

 今日は日本人の大学生のグループ2組といっしょだった。昨日のグループよりは旅行に満足しているようだった。片方は大学のスキューバ・ダイビングのサークルだった。
 ボートに乗っているときは爽快だったが、いるかは見られなかった。残念。
 シュノーケリングは顔に合うマスクが見つからず、どれをつけても中に水が入って来た。シュノーケルで呼吸するのはあきらめて、マスクとフィンだけつけて息つぎすることにした。今度来るまでにマスクとシュノーケルだけ買おうか。
 昼食とおやつを作ってくれたおじさんはおもしろい人だったが、フランス人と英語で話すのはどうもなじめない。
 ビュッフェはどうしても食べすぎてしまう。値段がわからない状態で飲み物を注文するのにもなじめない。



2011年02月24日(木) 45歳 ヌメア(日帰りでラ・リビエール・ブルー州立公園へ)

 晴れてよかった。
 ラ・リビエール・ブルー州立公園のツアーの参加者は日本人ばかり9人のグループだったが、ほかの8人の旅程を聞いて考えさせられた。関空発着で、2月22日に着いて、25日に帰国。ヌメアに2泊、機内1泊で、離島に行かずに帰国。
 ラ・リビエール・ブルーしか印象に残らない旅になってしまう。買い物をする時間もないらしく、帰り道にスーパーでお土産を買っていた。こんな旅行を販売していたのか。
 カグーが見られてよかった。
 昼食は前菜の量が多すぎた。パンと肉だけでちょうどよかったと思う。



2011年02月23日(水) 45歳 ヌメア

 クイック(ファスト・フード店)は値段が高めで、ポテトと飲み物の量が多い。
 午前中は雨が降ったので、カナール島に行くのはやめ、早めに中心街に行くことにした。
 ヌメア市博物館はフランスによる植民地建設から第二次世界大戦までの歴史を展示していた。大東亜戦争が始まったとき、ヌメア在住の日本人がオーストラリアに強制移住させられたそうだ。
 トリコ・レイエのTシャツが買えたのはよかった。
 帰りのバス停の位置がお散歩マップと違っていた。
 クルール・ド・プロバンス・エ・パシフィック(土産物屋)の店員は感じが悪い。アクアとは大違い。
 結局テニア島に行けることになった。
 ル・ロシェ(レストラン)はなかなか場所がわからなかった。
 オ・パン・ダンタン(パン屋)の店員は感じがよくて、パンを2個もサービスしてくれた。



2011年02月22日(火) 45歳 ウベア島→ヌメア

 今日もいい天気で、レストランから見える海の美しさといったらない。午前中はテラスで読書した。
 ムリの橋の下のビーチはまぶしくて目をあけていられないほど。
 ウベア島からいっしょにヌメアに戻って来た人は、ニューカレドニア3回目ということで、話が合いそう。
 テニア島のツアーは申し込みがまだ1名だそうだ。今回は行けないかも。



2011年02月21日(月) 45歳 ウベア島

 ウベア島の海はリフー島のロンガニ・ビーチそっくり。ほんとに気持ちいい海だった。紫外線が強く、今日1日で日焼けしてしまった。
 サイクリングで頑張りすぎて、尻が痛くなった。
 スナック・ファシーの犬と猫は客が食事を始めると、食べ物をねだり始める。特に猫のほうは大胆で、食べ終わった鳥肉の骨を、テーブルに上がってくわえて行ってしまった。
 夕暮れ時は雲が出て、日が沈むところは見られなかったが、海を見ていると、ずっとこうしていたいと思った。
 バーテンダーはあのカクテルを作るのはおそらく初めてだったのだろう。素人っぽさがよかったが、ジュースの比率が低すぎたようだ。



2011年02月20日(日) 45歳 飛行機→ウベア島

 思っていたとおり、ニューカレドニアは暑い。でも、涼しい季節よりは今ぐらいのほうがいいと思う。
 水族館は前よりずっと水族館らしくなった。でも、11時からビデオ上映と書いてあるのに、何の説明もなく、上映されなかった。
 昼食のとき、サラダがついているものと思ったら、追加注文ということになってしまった。
 今回は今まで行けなかったオプショナル・ツアーに参加したい。
 パラディ・ド・ウベアは広くてくつろげるが、部屋のにおいが気になる。古い大学の教室を思い出させるにおいと言おうか。




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