幕夕(まくゆう)の海外旅行日記
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2004年03月24日(水) 38歳 タシケント→横浜

 朝が早いので、朝食は食べられないかと思ったが、きちんと出してくれた。



2004年03月23日(火) 38歳 サマルカンド→タシケント

 朝食に20分ぐらい待たされた。
 ホテル・マリカ・タシケントは今まででいちばん快適なホテルだ。だが、地下鉄の駅から意外に遠い。
 タシケントは街が広いので、博物館には行けなかった。公衆便所が少ないのも歩きにくいところ。
 お土産にはさみを買いたかったが、売っている所を見つけられなかった。だが、かえってよかったかもしれない。警官に尋問されたとき、刃物を持っていたら、面倒なことになっていただろう。
 暗い道を歩いてホテルに帰るときは心細かった。



2004年03月22日(月) 38歳 サマルカンド

 ブハラのホテルで会ったフランス人とサマルカンドでも同じホテルに泊まることになった。
 やはりレギスタン広場のメドレセは美しい。中が土産物屋で、どこも同じことを言うのが興ざめだが。民芸品の小箱も意外に高かった。
 ビビハニム・モスクで入場料を取られたのは運が悪かったという感じ。
 シャブ・バザールのスパイス・コーナーのおじさんとの会話はおもしろかったが、自分のセクシュアリティは言えなかった。ここはイスラム教国だという意識のためだろうか。
 アフラシャブの丘で羊や牛が草をはんでいるのを見ると、心が休まった。



2004年03月21日(日) 38歳 ブハラ→サマルカンド

 今日の運転手との会話はさらに楽しかった。ソ連時代と今との比較なども聞けた。
 サマルカンドはウズベキスタン第2の都市だそうで、都会の中に大規模な遺跡が残っていて、ブハラよりも楽しい。レギスタン広場のメドレセもビビハニム・モスクも模様がとにかく美しい。
 シャブ・バザールは広くて食材が豊かだ。
 アフラシャブの丘に行ったが、どこからどこまでなのかよくわからなかった。
 ホテルの部屋が寒くて停電があったことだけが残念だった。



2004年03月20日(土) 38歳 ブハラ

 アルク城にはガイドがいた。ガイドなどいないほうがゆっくり見て回れる。
 カラーン・ミナレットはイスラーム・フッジャのミナレットより中が広かった。
 昼食を食べたラビハウズのチャイハナの人は感じがよかった。晩もここで食べればよかった。
 新市街はソビエト的な街並みでおもしろくはないが、物売りがしつこくないので、意外に落ち着けた。
 昨日の人の家に行ったが、初めからぎこちない雰囲気だった。日本製の薬をただでもらいたかったらしい。辞去するとき、街のレストランの値段を考慮して、妥当だと思われる金額を渡したが、これでは少ないと言われた。



2004年03月19日(金) 38歳 ヒバ→ブハラ

 ヒバからブハラまでの道はだんだん人家などがなくなり、砂漠の中をひたすら進んで行った。
 昼食時に、なぜこんな所に食堂があるのかと思ったが、ドライブ・インみたいなものだろうか。
 同じ飛行機で日本からウズベキスタンに来た人とよく会う。ホテルも移動手段も決めない自由旅行でもうまくいっているみたいだ。
 ブハラの見所も狭い範囲に固まっている。
 街を歩いているときに現地の人にうちに夕食を食べに来ないかと言われ、あした行くことにした。



2004年03月18日(木) 38歳 飛行機→ヒバ

 タシケント空港の国内線のターミナルは国際線と離れていて、わかりにくい。
 ロリタ・ホテルは最低限の設備しかなくて質素。
 チャイハナで出される食事は素朴で洗練されていないが、おいしい。
 イチャン・カラの見所は狭いエリアに集中しているので、短時間でひととおり見て回れた。
 子供にいちいち「こんにちは。」とか「Hello.」とか声をかけられるのはうざい。
 あしたがナウルーズのようで、民族舞踊のリハーサルが行われていておもしろかった。




幕の内弁当の夕食 [MAIL]

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