ささやかな日々

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2022年05月01日(日) 
何か、夢を見たのを覚えている。いや、夢の内容は全く思い出せないのだけれど、夢を見た、ということをくっきりと覚えている。乾いた空気の、さらさらと流れてゆくような感触の夢だった。

「母ちゃん雨降るのに水やりするの?」。息子に言われながら、私はせっせと水やりする。「だって奥にあるプランターには雨はほとんどかからないからさ。お水、やらないと」。息子が不思議そうな顔をしたまま手伝いに来る。彼の担当は朝顔。朝顔はもう、これでもかというほどプランターの中混雑している。でも彼は、絶対一本も抜かないんだ、と頑張っている。私は喉から手が出そうなほど間引きしたい欲に溢れているのだけれど、ここは我慢、と自分を制している。朝顔は、彼に任せたのだ。だから私は口出しをしないのだ。懸命に自分を制している。
薔薇の蕾が大きく大きく膨らんできた。挿し木して増やした子らの蕾。でもまだ樹が細いから、こんなに蕾が大きくなると樹の負担が増え過ぎて心配。もうすでに枝が撓ってしまっている。ほんのちょっとでも綻んでくれば、切り花にするのだけれど。そう思いながらじっと待っている。東側のベランダに移動したクリサンセマムとブルーデイジーは変わらず元気。こちらのビオラはまだ蕾が付く様子さえないのだけれど、もさもさと茂ってきている。種を蒔いたのが12月だったか11月だったかだから、花も遅いのは当然か。信じて待つ。

久しぶりに娘と孫娘と合流。息子と孫娘が大道芸に興じている最中、娘に「ねぇ、ちょっと、私が髪の毛切ったの、気づかないの? 色も変えたんだよ!」と怒られる。そういうところが私は鈍い。いつもそうだ。頭ちっちゃくなったね、と言ったら「頭は小さくならない! 髪の毛梳いたの!」とさらに怒られる。はい、ゴメンナサイ。
四人で外食するも、孫娘と息子のあまりののんびりした食べっぷりに、私も娘も苛々しっ放し。ついでに息子の行儀が悪すぎて娘のこめかみがぴりぴりしているのが私にも手に取るように伝わって来る。私がいくら注意しても息子は何処吹く風で、ちっとも気にしてない。娘一言「こんな行儀悪かったら私はもう食べさせないよ」と言い放つ。息子、聞き流してもぐもぐしている。私、はらはらして、もう何も考えたくなくなっている。一事が万事そんな具合。孫娘はチャーハンを口に入れたままぽけーっとしている。娘が歯軋りしているのがこれもまた手に取るように伝わってくるので、私が手で「もぐもぐ、もぐもぐ」と彼女の目の前で示す。思い出したように噛み噛みするのだけれど、すぐまたぽけーっとなる。このふたりののんびりさは、誰に似たのだろう、と私は心の片隅でぼんやり思う。
雨はいつの間にか降り出しており。すれ違うひとたちが濡れた傘をぶらさげている。映画館はひとで溢れ返っており、トイレに行くにも飲み物を買うにも行列。ああ、休日なのだなぁと今更だが実感する。不思議な気がする。ここまでの人混みの中に出てくるのは一体どのくらいぶりだろう。私はちょっともう、頭がぽーっとしている。こういう時は何も考えないのが一番だ。
映画を観ながら、ぼんやり顧みる。私の父母は「こんな下品なアニメーション絶対だめ!」とした代物を今、私たちは見ている。娘も息子も孫娘も、目を輝かせ、笑ったり泣いたりしている。父母はこの様子を見てもきっと、こんな下品な、と言うに違いない。父母はそういう人だった。自分たちの基準を絶対に譲らないひとたちだった。それは80を越えた今でも変わらない。それがもはや、私の父と母。

強まって来た雨の中自転車に乗る。大きな自転車用雨合羽を着込んで、後ろに息子を乗せて走る。息子は私の雨合羽の裾を広げそこに入り込んでいる。「前見えないねー!」なんて楽しそうに言いながら。私は私で「大丈夫? 濡れてない?」と何度も訊き返しながら雨の中走る。合羽から出ている顔にぱしぱし雨粒が当たる。でも、冷たすぎもせず、かといって温いわけでもなく。ちょうどよい具合の雨の感触。
ふと思い出す。パリでしばらく過ごした時、パリの女性たちは雨でも傘をささず、でも上等の毛皮コートを颯爽と着て歩いていた。かっこいいなあ、と、傘をさしながら、私は彼女らの歩き去る姿を見送ったものだった。雨が降ると頭の片隅で思い出す、あの、颯爽と街中を闊歩する女性たちの後ろ姿。

何だか今日は、思い出すことが多すぎる。ちょっと胸のあたりが飽和状態になっている。家族も寝静まった今、私は自分の為だけに濃いめの珈琲を淹れてみる。さあ、ほんの少しでもいい、自分の為だけの時間を過ごそう。

夜闇が、深い。


浅岡忍 HOMEMAIL

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