ささやかな日々

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2022年03月07日(月) 
あっという間に3月になり、それももう1週間過ぎようとしている。そうしている間に宿根菫の紫式部が次々咲き出し、何を蒔いたんだか忘れてしまって誰だか分からない芽があちこちから吹き出し、なんだかベランダがとても賑やかになってきている。薔薇も次々新芽を吹き出させる時期で、赤緑色の葉もあれば最初から深い緑色の子もいる。本当にその種類によって姿かたちがひとつずつ違う。ラベンダーはこの秋から液肥をこまめに与えていたおかげなのか、これまでになく落ち着いた様子。ちょっと嬉しい。そして息子の植えた春菊はふさふさと育っており、この間息子が先っちょを食べて「春菊の味ちゃんとする!」と歓声を上げた。そりゃ味するだろと思ったけれど、そういうことさえもが今はまだ彼にとっては新鮮なんだと気づき、何だか羨ましいなと少し思った。

ふと思い出す。そういえば私は3月の8日だったか10日だったかに実家を飛び出したんだった、と。大学卒業式直前だった。懐かしい。あの頃親との仲は最悪で、私は親に引っ越し日時も告げず、その留守中を狙って家を出たんだった。なんて不義理な子どもだ、ときっと周りに思われたに違いないのだけれど、でも、当時の私はそれがもう精一杯だった。これ以上親とぶつかりあいたくなかった。今思い出すともはや苦笑いしか浮かばない。親子関係ってほんと、難しいなぁと思う。
実家を飛び出して独り暮らしをし始めた頃、どれほど自分が親に怯えてこれまで生活していたかを思い知った。そのくらい酷い機能不全家族だった。そして自分が受けて来た精神的虐待が私をどれほど蝕んでいたのかも知った。虐待の世代間連鎖が謂れはじめた時代でもあり、私は怯えた。自分が将来虐待するのではないかと。実際に自分が赤子を産み落とした瞬間「一個の別個の宇宙が現れ出た」そのことに、畏怖を覚えずにはいられなかった。圧倒的な宇宙だった。ああ、思い出し始めるときりがない。
家というのは、密室で、その内側で何が起こっても「家族」の名のもとに許容されてしまうような空気があった。殴られようといたぶられようと、誰も何も言えない。家は、そういう恐ろしい代物だった。なのに、子どもはその場所がなければ生きていけない。
今子供を育てる立場になって。時々思い出す、子どもの居場所は限られているのだということ。学校と家。この場所がなければ子どもが子どもであるほどにまだ生きていく術がない。その中で虐待が行なわれれば、もうそれは命取りだったりする。
居場所って、大事だ。居場所を奪ってはいけない。
というよりも。親ができることって、子どもの居場所を作ることくらいなんだろうな、と。子どもがそこに居られる場所を確保してやることくらいなんだろうな、と。そのことを、思うのだ。
子育て、という言葉の意味はきっと、親育て、なんだろうな、と。そう思う。

朝は、今日一日をどう無事に越えようかと考えている。でも、その一日も、過ぎてみればあっという間なのだ。一日はなんて長くて短いのだろう。今窓の外は闇色に沈んでいる。静かな夜だ。


浅岡忍 HOMEMAIL

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