ささやかな日々

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2022年02月24日(木) 
祝日が挟まったせいで曜日感覚が完全にズレてしまった。木曜日なのに今日は月曜日な気分。何度も間違えてしまう。今日はごみの日、いや違う、とか、今日はアートセラピー講師の日、いやいや違う、といった具合。そして何より今日は臨時の通院日。
カウンセリングを終えて待合室に行くとやけに混雑していて一瞬たじろいでしまう。つい今しがたカウンセラーと話してきた、境界線が薄い私は、慌てて群衆と距離を置こうと試みる。気を吸ってしまうからだ。
よく言えばそれは共感性が強いということらしいが、そんなものできればないにこしたことはない。他人のネガティブな気を試験紙みたいにしゅうしゅう吸い取ってしまって、結果、他人の分まで具合が悪くなってしまう。ろくなことは、ない。
壁を背中にして、一番端っこの席に横を向いて座る。こういう時は音にも過敏になってしまうから、予めウォークマンをボリュームをあげたままかけっぱなしにする。でも順番が来て名前が呼ばれた時気づけるように片耳だけ。
カウンセラーと話してきたことをあれこれできるだけ思い出そうとするのだけれど、神経が高ぶってしまい思い出せない。子どもの頃父母の機嫌を損ねないようにと全神経を欹てて四六時中過ごしていた自分が蘇ってくる。弟が母の財布からお金を抜き取った時、両成敗だと布団叩きで私も弟も殴られ続けた。どちらかしかいないんだ、やったことを白状するまでずっと叩くからな!と父は宣言し、実際そうした。弟は多分、あまりのその剣幕に押されて、いまさら言い出せなくなってしまったんだと思う。父がとうとう叩き疲れて手を止め、投げ捨てるように暴言を吐いたその後、こっそり私の部屋に来て「ごめん姉貴、巻き添えにして」とそう言った。一事が万事、そんな具合で、殴られる時はいつだって、巻き添えだった。そうならないよう全神経を集中させてひとの気の行き来を見て取ろうと毎日毎瞬必死だった。そんな、子どもの頃だった。
共感性が高いことは時に武器にもなるんだろうけれど、でも先にも言ったようにろくなことはあまりない。不安や恐れ、しんどさが増えるばかりだ。何事も「適度」が、いい。私はそう思う。
話を戻して。待合室は時間が経つごとにひとでごった返すようになり、私は気が気じゃなかった。早く名前を呼んでもらえないものだろうか、とひたすら祈って過ごした。
ようやっと順番が来て先生の部屋に入った途端気力が切れてしまった。どっと疲労に襲われた。何やってんだ自分、と突っ込みを入れたくなった。

帰宅後は帰宅後で、家人と息子が喧々囂々やっている。確かに息子の行儀は悪い。肘をついたり面倒臭そうに食べてみたりするからこれでもかってほどマズそうだし、その様子ははっきりいって褒められたものじゃぁない。だから家人がしつこいくらい注意するのも分からないでは、ない。
でも同時に思うのだ。これじゃ、食事は楽しくないよな、と。何処まで行ってもおいしくなんかないよな、と。そう思うのだ。
どうするべきなんだろう。行儀の悪さを何処まで叱っていいんだろう。楽しくない食事なんて味も分からないに違いない。私もそうだった。だから思うのだ、何処まで家人のようにしつこく叱っていいものなんだろうか、と。確かに行儀を教えるのは親しかいない。しかし。食事がそもそも楽しくなければ、マズそうにもなるんじゃなかろうか。どうなんだろう。一体どっちが大事なんだろう。
ワンコの散歩から帰って来ると、さらにふたりの状態は険悪になっており。息子が舌打ちしただとか父ちゃんが勝手に怒ってるだとか、ふたりの言い分は完全にちぐはぐで。結局家人に八つ当たりされる始末。いや、私関係ないでしょ、と言いたかったが、言い返すのも馬鹿らしく思えて黙った。

ロシアのウクライナ侵攻が現実になった今日。ウクライナの街に鳴り響いているという空襲警報が、聴こえてなんていないはずなのに耳鳴りとなって私の左耳に巣食っている。


浅岡忍 HOMEMAIL

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