ささやかな日々

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2022年02月08日(火) 
来月の加害者プログラムのテーマについての打ち合わせに出掛ける。S先生といつものように雑談。今日は信田・上間本と小松原本についての感想などをあれこれやりとりする。そうしているうちにB社の編集の方がいらして、その方も交えてあれこれおしゃべり。とても聡明で静かな女性だなという印象を覚えつつ、私とS先生は遠慮なくおしゃべり。まぁいつものこと。そして直前に考えていたテーマを言ってみる。じゃぁそれにしましょう、ということで打ち合わせは終了。
帰り道、商店街に寄りたい気持ちでいっぱいだったのだが、息子の帰宅時間に間に合わせるにはぎりぎりの時間で。私は小走りで駅へ向かう。

*

私は権威が怖いのだ、と改めて思った今日。一冊の本に付箋をつけながら二度読み終える。読み終え、本を閉じて思うのは、自分がどこで間違い、どこで迷子になっていたのか。また、どこから自分の意思で選択して行為してきたのか、ということ。
少し前、家人から言われたこともたぶん、心に引っ掛かっていて、それもこの気づきに影響していると思う。それは、「あなたはもっと自分の才能でお金を稼いだりできるひとだと思う。才能があるひとだと僕は思ってる」「かつて、それができないという烙印を押されたりして、自分はできないと思い込んでいるところがあるんじゃないか」という言葉だった。
思い当たることがありすぎて、何を挙げたらいいのか分からないほどだ。父母から受けた言葉の呪縛、支配は、いまだ健在なのだ私の裡で、と、そのことをいやというほど痛感した。参った、私はいまだ、そういうところにいるのか。
被害に遭った時もそうだった。上司から被害を受けた、その上司を「加害者」として名指しすることは、恐ろしい以外の何ものでもなかった。いや、加害者被害者という言葉はその当時まだなかった気がする。私は当時、レイプされた、という認識はあっても相手を加害者呼ばわりはしなかった。私を凌辱したひと、として加害者を当時認識していた覚えがある。
ということを思い出したのは、1995年というのは被害者元年だということを知ったことによる。被害者という言い方が為され始めたのが1995年だと。確かに私はあの当時、自分を「被害者」などという仰々し言葉で表しはしなかった。むしろ、穢れた、どうしようもない存在、消えるべき存在、消されるべき存在、いてはいけない存在、とそのように思って、ひたすら自分を責めていた。
そして思うのは、被害者が、私は被害者ですと起立した時、加害者が生まれるということだ。いや、違う、加害者がいるから被害者が生まれるのだ、本当は。順序として、加害者がいて、だからこそ被害者が生まれてしまう。なのに、加害者は自分を加害者と認識してはいないから、被害者が自分の被害を訴えるまで、自分を被害者と認識し声を上げるまで、「加害者不在」の時間がある。この加害者不在のありようが、まるで被害者が声を上げさえしなければ加害者は隠れていられた、かのような、錯覚を見せる。
そして私は声を上げ、加害者が祭り上げられた。その加害者は、君が僕を名指しするんなんて思ってもみなかった、予想外だ、という言葉ともうひとつ、僕と結婚しよう、そうすればすべてなかったことになる、という言葉を私にその後放ってきた。いまなら驚愕するが、当時は目の前が真っ白になって、茫然としたのを思い出す。これもひとつの、搾取の形なのかもしれないが、当時はそれさえ気づけず、何が起こっているのか認識することができないまま、真っ白の宙に宙づりにされているかのような、そんな感じだった。

私は自助グループが恐ろしい。自助グループのパワーはすごい、と小松原織香著「当事者は嘘をつく」でも信田さよ子・上間陽子著「言葉を失ったあとで」でも出てくる。が。
私は自助グループなんて恐ろしくて恐ろしくて、とてもじゃないが出たくない。
被害体験を経、そのことで声を上げ、なのに、何もなかったかのように勤務し労働を続けてくる中で、私は夥しい二次被害を受けてきた。その二次被害のおかげで、私にとって恐怖の対象は人間全体であって、男性に限ってでも女性に限ってでもなかった。人間全体が私の恐怖だった。脅威だった。だから、自助グループなんて場に座ること、そのこと自体が私の恐怖だった。
唯一、自分の主治医だけをよすがに、長いこと長いこと歩んできた。JM先生、TK先生、YK先生。そして今のYN先生になって、ようやっと、私はカウンセリングをまともに受けられるようになった。主治医以外でも、何とか信じられるようになった。それまでは、主治医以外は脅威であって、それ以外の何者でもなかった。脅威、そして敵だった。
確かに私は、性犯罪被害者たちを被写体にして写真を撮っていた時期、彼女らと語り合う場を何度か設けたことがある。楽しかった時間もあったはずだ。でも、その後のいろんな経験からその楽しかったかもしれない時間は恐ろしいものに変わってしまった。余計に、人間はいずれ裏切るもの、私を踏みつけるもの、と、そう認識するようになってしまった。だから、私にとって自助グループめいたものは、恐ろしいものとしかいまだ思えない。

話をもとに戻す。
新入社員、ぺいぺいの新入社員だった私は、どこまでいっても一番最底辺の人間だった。被害に遭ってなおさら、しかもそれについて訴え出てなおさら、厄介者にされてしまった。少なくとも私には、そうなってしまったと思えた。余計に私は縮こまっていった。
もともと、父母からの抑圧経験があった私には、その構造は住み慣れた環境ではあった。だから、あまり不思議に感じることさえできず、ずっとそういうものなのだ、私の人生はそういうものなのだと思い込んで過ごしてきた。が。
もうそういうものから私は、解放されたろう、と、どこかで高を括っていた気がする。もう大丈夫なんじゃないか、と。
否。
全然大丈夫なんかじゃあなかった。そのことに、今日改めて躓いた。
私は自分に肩書がつくことが怖いと同時にあり得ないと思っているところがある。自分にはそんな資格も能力もないと自分自身見做してしまっているし、肩書がつくことでかつて私に二次加害を及ぼしたひとたちと同じになってしまうのが怖い。
とことん小心者である。


浅岡忍 HOMEMAIL

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