ささやかな日々

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2021年09月26日(日) 
土曜、加害者プログラムの日。被害者として参加してきた。そして。珍しく声を荒げる場面があった日でもあった。

あなたはおおらかだから。そう言われた時、正直ぽかんとした。何言ってんだこのひと、と思った。だから彼の続く言葉に耳を傾けた。
自分が被害者になったら到底加害者のことなんて許せません、冗談じゃない。
彼はそう言う。私は彼の言葉から、彼の内では彼自身の犯した加害行為と自分が被害者となったらという部分とが完全に乖離しているのだなと感じた。
あなたはおおらかだから、こんなふうに(被害者なのに)プログラムに出てくることもできる、とは、いったいどういう意味なんだろう。いや、頭では分かる。が。
ふざけるな、と思った。
�爐�おらかな�畛笋浪坦下圓鯀缶姪�に赦してるとでも思っているのか?そんなふざけた気持ちで君たちと対峙しているわけじゃないよ、君たちのところに対話しにきてるわけじゃないよ、覚悟をもってここにいるんだ。それが何故分からない? 
心の中、私は轟々と自分の怒りが滾るのを感じた。でも同時に。これが「現実」だ、とも感じた。
恐らく、彼だけではない、多くのひとたち、第三者も含め多くのひとたちが、酔狂なひとだなと私のことを思っているに違いない。「どうして加害者と対話なんてしたいんだ?」「加害者と対話したいというからにはもう加害者を赦せているのだろうな、その程度のものなのか?」等々。実際、私に「加害者と対話したいなら、自分の加害者と対話すりゃいいじゃん」と嘲笑ったひともかつていた。
そのたび私は正直、傷ついてもいる。それでも加害者との対話を続けているのは何故か。
理由は簡単だ。私は、彼らの闇を知りたいのだ。知らなければ、私は、私に起こった諸々の出来事を容易には受け容れられない。とてもじゃないが受け容れてその先に進むなんてできない。
もちろん、これ以上彼らに被害者を生んでほしくないから、という気持ちがある。でもそれ以上に。
私は、知りたい。そして、私なりに納得できるものを見つけたい。
「自分が被害者になったら到底加害者のことなんて許せません、冗談じゃない。」真剣な表情でそう言ってのけるかつて加害者になったそのひとは、自分が犯した問題行動=加害行為によって生まれた被害者のことを自分事として受け止めていないのだ。それはそれ、これはこれ、としてしまっている。だが。それは違う。
その、自分の問題行動と、自分が被害者になってしまったらとの想像との間に横たわる部分をきちんと見据え、それらすべてを受け止めて受け容れてはじめて、彼は、自分の問題行動を「自分事」として認めることができるんだと私は思っている。
とここまで書いてきたが、まだうまく表現しきれない、言語化しきれていない自分に私はイライラしている。もっとこう、ストレートに、簡素な言葉で言い切りたいのに。まだ、そこまで至らない自分が、いる。もどかしくて仕方がない。
まだまだこのことについては、考え続けていかなければいけないと思う。今この瞬間も。
自分の内の加害性と被害性とを、切り離して考えている限り、それらは別物のまま、だ。が、果たしてそれらは別物なのか?本当にそうなのか?
表裏一体、いや、ひとつづきの代物だと、私には思える。繋がっている、と。決して別個でも、ただ対立してあるものなどではなく。
ひとつづきのものだ、と。
それにしても。怒りというのは疲れる。エネルギーを消費する。体力気力を消耗する。できるなら怒らずに過ごしたい。本当にそう思う。
でも。
あの時怒らずに私がへらへら笑ってやり過ごしたら、それは絶対許されないと思ってる。それこそ、私の背後にいる夥しい被害者というひとたちへの冒涜だと、そう思う。もしそんなふうになったら、それこそ私は、私自身を赦せなくなる。ただでさえ自分が一番嫌いなのに、もっともっと、最高に私は自分を嫌悪するようになってしまう。
だから。
これからも、時々は、まっすぐに怒ろう。まっとうに怒ろう。怒るべき時に。まっすぐに。

帰り道、電車はそれなりに混んでいて。すべてのひとたちがマスクをつけ、黙々と手元のスマホを覗き込んでいる傍らで。私は窓の外流れゆく夜闇のその暗さに、ぼんやり見惚れていた。人間が内に秘めている闇に比べたら、全然明るい夜闇だよな、と。そんなことを思いながら。


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