てくてくミーハー道場

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2016年01月31日(日) 『元禄港歌−千年の恋の森−』(Bunkamura シアターコクーン)

That's NINAGAWA!

( ̄∧ ̄ノノ"パチパチパチ!!←バカにしてない? 大丈夫?



大丈夫でござる。



なにしろ幕開けは、美空ひばりの1000%エモーショナルな歌声に乗せて、辻村ジュサブロー師の妖艶な人形が舞い、それが終わると突如としての大モブシーン(昔ほど人数多くなかったところが、ニッポンの「失われた25年」を思わせて、若干寂しかったが)

そして、終始、椿の花が、コクーン名物の高い天井からぼたり、ぼたり。



蜷川だなあ( ̄∧ ̄)←だから、バカにしてない?





だから、してないって。

むしろ、予想以上に感動した。

ちなみに、ストーリーは予習ゼロで行きました。

チラシに写っている役者陣も、どの人がどんな役なのか、それぞれどういう関係なのか、全く先入観なしで行きました。


それが良かったのかも。



実際観始めて、「ええっ?! この人とこの人がこういう関係なの?!」と立て続けにびっくり。

亀ちゃん(猿之助)が女役だってことはチラシで判ってたからそれはいいんだけど、年齢的飛躍がすごくて。

だけど、やっぱ亀ちゃんだからこそできた糸栄だったのだと思うし。

なんだろあの安心感。

安心感しかない感じ。


安心感と言えば、猿弥さんの安心感もすごかった(こっちも年齢的飛躍)

最初、金田龍之介さんかと思ったよ(←あのお・・・亡くなってます)

わかっとる(怒)

そんぐらい似てたってことだよ。

ていうか、この役(筑前屋平兵衛)を初演では金田さんが演じていたことをぼくは知らなかったんだから、決して先入観ではない。



(宮沢)りえちゃんは、このところのりえちゃんにしてはずいぶん清らかな(どういう意味だ?!)役。むしろ、実年齢を考えれば(こらこら!)逆に難しい役だったのではないだろうか。

久しぶりに“アイドル女優”みたいな役だったな。

逆に、年若だけれど演じがいがあるというか、“若手実力派”らしい役だったのが(鈴木)杏ちゃん。

『近松心中物語』でいうお亀ちゃんみたいな役どころ(でも、こっちの歌春の方が悲劇的かも)

歌春と恋仲になる万次郎はこれまた実力派の高橋一生くんで、段田安則さん(正直、段田さんも年齢的飛躍がすごすぎた・・・一番かもしれない)の信助と“立場が微妙な兄弟”で、こういう役って実は歌舞伎ではおなじみなんだけど、秋元松代先生のホンには、歌舞伎のそれとはまた違った深謀遠慮があり、兄には兄の、弟には弟の苦しみがあり、さらには、父には父の、母には母の、苦しみと子への愛があるのだった。

そのあたりがすばらしく良く描かれていたので、単なる「母子もの」以上の悲しみと感動が、今作にはあったと感じる。




特に、ぼくは、信助の(ここ以下完全ネタばれ)実の母である糸栄よりも、筑前屋の女房であり万次郎の母であるお浜の苦しみ、悲しみの方に泣けて泣けて。

おとぎ話だったら、単純に実子を盲目的に可愛がり(確かにそういう風にも描かれている)、継子をないがしろにする愚かな女として描かれたであろうお浜だが、そもそも、元は立場がずっと下(自分の生まれ育った大店の使用人)だった夫が、これまた身分的にずっと下(だからこそ、気安く浮気した結果だったのかもしれないし、自分の妻が、元は立場がうんと上の“勤務先のお嬢様”だったという劣等感からくる鬱屈だったのかもしれない)の女との間に子供をつくって、しかもそれを自分に育てさせるとかいう許し難い屈辱を受けて、それを黙って受け入れてちゃんと育ててきたんだから、現代の日本女性には理解しがたい忍耐力だと存ずる。

このお芝居には、即見た目でわかる差別(念仏信徒たちが町の人たちからあからさまに避けられるシーンとか、冒頭の、大店のボンボンである万次郎と細工職人の和吉が、おそらく日常的にやってるんであろう小競り合いをするシーンとか)もあれば、お浜がそういう屈辱に耐えなければならなかった差別(男尊女卑)など、あらゆる差別が描かれている。

まるでアイドルのように町の人たちから歓迎されて登場する瞽女たちにしても、当時の人たちの、彼女たちへの表と裏の態度の違いが、ぬかりなく散りばめられている。

お浜が、歌春の髪を“自分の”櫛で梳いた後、汚らしいもののように櫛についた毛を抜き取る仕草とか、見てて「ありゃ〜」と思わせられた。

だけど、上に書いたように、秋元先生はお浜を単純な「意地悪な継母」にしてない(信助が顔に大けがした時や、歌春が死んだ時の態度は、まことに人間的であった)ので、この話は薄っぺらい大映ドラマ(こ、こら/汗)にならずに済んでいるわけだ。






ただ、唯一、ちょっとだけダメ出しをしたいのは、最初からちょっとアレだなー、と思っていたことが、最後まで観て、やっぱりアレだなー(具体的に書け!)と思ったのが、


段田さん、ミスキャストじゃなかった?


という点である(隠すくらいなら、書かなきゃいいのに)

初音との大恋愛キャラとしても、母さま恋しやのしんとく丸キャラとしても、分別盛りのお年映えの段田さんが演じるのは、かなーりムリがあったような。むしろ段田さんなら平兵衛の方が適役だったような(今更)

信助はやっぱ(藤原)竜也くんとかの方が(世間が飽き飽き(おいっ!/慌)するだろっ?)

そうなのかしら?やっぱり?(←)

ま、確かに、竜也くんではありきたりすぎる気は(こらこら)








しかしこの話、信助があんな風になって(今頃ボカしても遅いぞ)瞬間思ったのは、

「何というすさまじいハッピーエンドなんだ!」

ということ。

これってハッピーエンドですよね。信助にとっては。

こんなハッピーエンドがあっていいのかよもう(号泣)←この「うわああああ」な感じは、それこそ『身毒丸』や、石田昌也の傑作『殉情』(原作『春琴抄』)の観劇後感に似ていた


あと、歌春を救ったのが、劇中で最も下の立場に置かれていた念仏信徒たちだったってところも、現代人の心が鷲掴みにされたところです。

世界中に「差別」はあるんだけど、日本の歴史の中で蠢いてきた差別はとりわけ陰湿じゃないだろうかと思うんですが、それが時と状況によっては大逆転(根本的には解決してないんだが)したりするところも、なんだか日本的だなあと思う。

だけど、差別は差別。ケースバイケースで肯定したりしちゃいけないと思います。






みたいなことを考えさせられた、そういうところもやっぱり「That's NINAGAWA」だったな。


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