てくてくミーハー道場

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2012年03月17日(土) 『9時から5時まで』(天王洲 銀河劇場)

単刀直入に書きます。



上演する価値を見出せません。←最近怖いもの知らずだな





原作になった映画は、ぼくが人生の中で一番映画を観ていた時期に封切られたので、ちゃんと観させていただいております。

コメディが好きなぼくは、面白く観た記憶があります。

でも、細かい部分、正直覚えてないんだよね。

セクシーすぎる秘書ドラリーを演じたドリー・パートンが手がけた音楽がステキだった、ぐらいしか覚えてない。

ストーリーは、当時(70年代後半)のアメリカでも女性たちの鬱屈のもとになっていた男尊女卑なビジネス社会を、3人の個性豊かな女性たちが改革していく、といういかにもジェーン・フォンダ(ジュディ役)好みの(おいっ)ものだった。

当時まだ前途有望な(だから自分で言うなよ)大学生だったわたくしは、「男女雇用機会均等法」の改正を目前にした日本に、甘い希望を抱いておりました。だからこの映画も楽しく観ることができたんでしょうねぇ(あ、あの・・・なぜそんなにお怒りなんですか?

確かに、この作品に出てくるハート社長ぐらいあからさまに男尊女卑でイヤなボスは、表面的には全滅した(当時は、いかねなかった)ように見える。

セクハラ、パワハラという言葉ができて、それらが法律的に取り締まられるようになり、女性社員が男性社員同様に仕事に打ち込めるように、大会社では社員専用の保育所を運営したり、産休・育休の制度を充実させたり、能率を上げるための「ワークシェアリング」が一般的になったりと、この作品で“なんて画期的なんでしょう!”と賞された数々のイノベーションは、(大きな会社では)今や普通に行われるようになった。

女性役員なんかも、増えてきた。


だけど、どうでしょうかね。

あれから30年以上も経ってるけど、ある角度から見たら、アメリカだろうが日本だろうが“男女平等”なんて幻想じゃないか、と思い知らされる気がするんですが。

“女性CEO”、今世界に何人います? ねぇ?

別に数のことだけ言ってんじゃないの、ぼくは。

それが“適正”な状態なのかってことを言ってんの。←こ、怖いよう・・・



・・・すみません、凄みすぎました。



ただね、そんな憤懣の中で観てたからつまらなかった(あっ、はっきり書いたなお前/慌)わけじゃないんです。

脚本(翻訳)および一部の出演者のスキルが低クオリティすぎました。←今日はぐいぐい行くね〜。どうしたの?

カズ(石井一孝)以外、ほとんどがミスキャストみたいな感じ。

むしろカズは、この役を演るはずだった古谷一行が病気で降板したので、元来キャスティングされていなかったわけで、なんでだろうな? という感じ。

もっとも、カズの場合、別に本人がこの役のイメージに合ってたわけじゃなく、ひたすら実力のみでハート役をモノにしていた。プロである。



で、主役の3人の女性たちにしても、なんか、どうにもミスマッチングというか。

友近の歌、リカ(紫吹淳)の“板についた感じ”、草刈(民代)さんのダンスあたりは、お金出してもやぶさかでないと思ったのだが、それ以外がもう「勘弁してください」な感じ。


草刈さん・・・歌もセリフもちょっと、やばいです。

この人、悪声なんだね。初めて知った。映画(名作『Shall we ダンス?』)やドラマは言うに及ばず、舞台(ストレートプレイでした)も拝見したことあるんだけど、気づきませんでした。今回歌があったからかな?


友近は、まず見た目が(これ以降はさすがに略)

隣にいるお二人のスタイルが良すぎて気の毒だった。

ちょっとぐらい痩せただけじゃ太刀打ちできないもんな。

しゃべり方も、キャサリン色が濃すぎて、まじめに演じてるように見えない。


リカも、やけにぶりっこ色強く。

ジェーン・フォンダが演った役なのに・・・何か読み違いしてるんだろうか?

ジュディーがハートをやっつける妄想シーンでのダンスだけのためにチケット代払わされた気分だ(・・・はい、もう、思ってること存分におっしゃってくださいね


コメディリリーフとしてロズ役の花山佳子さんが期待されたが、役づくりはともかく、なんか、声が衰えてない? 花山さん・・・。思ったような歌声じゃなかった。

安心できたのが、二役の安崎求さんと、ジョー役の石井一彰くんのイケメンぶり。

特に一彰くんのイケボ(イケメンボイス)は耳福でした(^^)


アンサンブルの皆さんは手堅く、なんか、メインキャストの体たらく(あっ/汗)がお気の毒で。



それより、まずとにかく脚本がひどかったな。

あんなドタバタに30年前のぼくは喜んでたのかな?

30年前だからこそ笑えたのかな・・・?



『ハウ・トゥー・サクシード』は笑えるのにこれは笑えない、というところに、何か重大な問題が隠されているような気がするのは、ぼくのフェミニズム的思考のせいなんだろうか?

・・・いや、もうこれ以上深く考えるのはよそう。

人は皆“前”に進んではいるが、“前”が明るいとは限らないってことなんだろう、たぶん。


な、なぜこんな暗い〆に? コメディなのに・・・。


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