プラチナブルー ///目次前話続話

駆け引きのタイミング
April,24 2045

14:40 ローゼンバーグ総合大学 試合会場

南2局 一本場 南家 ブラッド ドラ8筒
東家 眼鏡の男 28,900点
南家 ブラッド 32,900点
西家 狐目の男 20,400点
北家 アンジェラ 16,800点
供託 1,000点


南2局が流局し、アンジェラの出したリーチ棒の1,000点差で、両チームの順位は逆転していた。

(このまま、トップを獲れれば、ボーナスの10,000点加算で勝てるけど・・・
微妙な点差だから、中途半端にアンジェラに差し込むのも危険か・・・)
 


思わず失望の溜息が出てきそうな配牌に、ブラッドは一抹の不安を抱えていた。

南1局 一本場 配牌 ブラッド


『南場に入ったら、オーラスを見据えて点棒のやり取りを考えること』

マンガンツモで移動する点棒は10,000点。トップ目が親なら、12,000点が移動する。
トップが狙える順位にいる時には、南4局までに10,000点差内に追いつくこと。
また、自分がトップ目なら、10,000点以上の差を開けられるような手作りを南場ではすること。

円香の講義で点差を考えた時の手作りの練習を幾度も練習したブラッドは、2位との点差4,000点の状況で
仕掛けても、せいぜい2,000点しかイメージできない配牌に、今、自分が何をすべきかを必死に考えていた。

4順目までの全員の河には、ピンズの上は一枚も切られていない。
ブラッドの手の中に、ドラの8ピンが無い以上、誰かのところに面子になっていると考えたほうが自然だ。

南1局 一本場 4順目 ブラッド


引いてくる牌は縦に七萬・4ピン、そして外側に広がる9ソウと、
配牌時の不安は、やがて失望に変わっていく。

チャンタのふりをして字牌を切りにくくするか
染めているふりをして親に神経を使わせるか・・・

ブラッドはあれこれと考えてはみるものの、どれもこれも効果的では無い気がして
ひとまずは、受け優先で、字牌を止め親の現物を集めることにした。

「リーチ」

突如、対面のアンジェラからリーチが入る。
前局アガリを逃してたアンジェラからの聴牌宣言にブラッドは顔を上げ、河を見つめた。

南1局 一本場 6順目 アンジェラの捨牌


早いリーチだけに、どこで待っているかは全くわからない。
状態が余り良くなさそうだから、愚形のリーチで追っかけられなきゃいいけど・・・
アンジェラのリーチに対して、親の眼鏡の男も、下家の男も、一発目から無筋を切ってくる。

初牌を切って、敵を楽にするようなことはしちゃいけないな。






こんな形からの四萬なら、八九萬よりも先に切るよな・・・
とりあえず、ブラッドは、マンズ待ちは無いだろうと一萬、三萬と落としていく。

10順目までの状況は、親は真っ直ぐに不要牌だけを切っているようだ。
上家の男は、3ソウや3ピンが固まっているのか、2ソウ、2ピンと続けてトイツ落しをしている。

ブラッドはマンズの1-3を落とした後、南、西をツモ切りした。

「リーチ」

11順目に親から、追っかけのリーチが入る。

11順目 親の捨牌


まずいな・・・じっとしていると、ツモられるかアンジェラがロン牌を掴みそうだ。
役は無いが、7ソウを鳴いてズラしてみるか・・・

ブラッドが、親のリーチ宣言のところで動きが止まると、下家の男がそれを察知したのか、

「ポン」

と、7ソウを仕掛けてきた。
吉と出るか、凶と出るかはわからない下家の動きに、上家の親は不満そうな顔で、狐目の男を睨んだ。

(なるほど・・・一発ツモの自信でもあったのだろうか、連携エラーなわけだ)

親に差し込むつもりなのか、下家の切り出したのは無筋の4ピン。
しかし、親からもアンジェラからも声はかからない。
むしろ、4ピンのトイツ落としの猶予を与えられたブラッドに有利な展開になった。

ブラッドの目の前に積まれている山に、対面のアンジェラは前屈みに手を差し出した。
親指が牌の裏側に触れた瞬間に、手を伸ばしたまま、上目遣いでこちらへ微笑んだように見えた。

アンジェラは、積もった牌を右にそっと置くと、その牌はドラの8ピンだった。

「ツモ」

「おお・・・」
「ちっ!」

思わず声の出たブラッドの左耳に、親の眼鏡の男の舌打ちが心地良く聴こえてきた。
アンジェラは、手元の13枚の牌の両端を持ち、ゆっくりと倒した。


アンジェラの手牌


決着のその後
April,24 2045

20:00 トッティの店

「乾杯〜!」

幾つものジョッキがぶつかり合い、泡の飛沫が波打ちながら宙に舞う。

「お疲れ様〜」
「お疲れ〜」

カウンターには3つの笑顔が並んでいる。

「頑張ったわね、2人とも」

ヴァレンがブラッドとアンジェラの頭を交互に撫でる。

「えへへ・・・」

体調もすっかり元に戻ったアンジェラが嬉しそうに笑っている。

「終わってみればアンジェラの3連続トップだもんな。俺は眺めてただけだったよ」
「あはは、でもブラッドは場外で活躍してたじゃない」

「そうそう、聞いてくださいよヴァレンティーネ様」
「なになに?」

「俺の隣の眼鏡の男、3回戦もあの怪しいドリンクを飲んで・・・」
「うんうん」
「アンジェラに・・・
『ほほう・・・黒い下着ですか・・・これは色っぽい・・・
おや?左胸にキスマークが2つ・・・濃密な夜をお過ごしのようで・・・』
・・・とか言ってるんですよ。」
「ぷぷぷ・・・あははは・・・」

ヴァレンが思わず噴出しそうになり、体を前屈みにカウンターを手で叩いた。

「私、黒い下着なんてつけてないもん・・・はぁ?って言ってやったわよ」
「俺なんて可笑しすぎて、思わず、アイツの肩を叩きそうになったよ」
「結局、あのドリンクは効いてなかったってこと?」

「どうなんだろう・・・確かに手牌はピタリと言い当てられてたけど・・・」
「うん、でもその割には、当り牌も切ってたけどね」
「そうなんだよ〜不思議な奴だったな・・・」

ヴァレンが、微笑みながら2人の会話に頷いている。

「それで、心配してた停電は起きなかったの?」
「いえいえ、心配って云うか・・・予想通り来ましたよ。停電タイム!」
「そうそう、ヴァレン。ブラッドったら酷いのよ・・・」
「なになに、どういうこと?」

ヴァレンが好奇心に満ちた瞳でアンジェラの話に食い付く。

3回戦の南3局に停電が起こり、電動の卓が止まってから手積みのルールに変更になると、
眼鏡の男が、サイドテーブルに置いてあった2本目のドリンクを一気に飲んだ。

「私が、オーラスに白待ちの聴牌で、どこから出てもトップだというのに、ブラッドったら出してくれないの」
「だって、俺も白待ちの聴牌だったんだぜ?」
「あら、2人共が白待ちだったのね」
「ええ」

天井のライトが消えた後、代わりに非常灯の点灯した薄暗い部屋で、
眼鏡の男があと3枚で流局という状況で、ノータイムで初牌の白を切った。

『ロン』

南4局 ブラッド



『あ、私の下着の色だ・・・ロン』

南4局 アンジェラ


「アイツ、牌は透けて見えたんだろうけど、停電のせいで暗くて見えなくなったんだろうな」
「きっと、そうよね。あそこで白が出てくるなんて、暗くて牌を裏返しに置いたのかと思ったわ」
「きゃはは、アンタ達最高ね」

ヴァレンは涙を流しながら笑っている。

「あら、おめでとう、アンジェラ、ブラッド」

カウンターに、トッティが奥から出てきてねぎらいの言葉を掛けた。

「ありがとう〜トッティ。あら?」

トッティの顔は殴られたように腫上っている。

「どうしたんですか?その顔」

驚いた顔でブラッドがトッティに尋ねた。

「どうしたもこうしたもないわよ・・・お昼休みにヴァレンがさらわれちゃってね」
「ええ〜?誘拐??」

アンジェラとブラッドが顔を見合わせて驚いている。

「そうよ、で、アタシがヴァレンを助けようと思って追いかけたらこのザマよ」
「あらら、だってトッティ・・・喧嘩なんて出来るの?」
「あら、こう見えてもアタシ、空手の黒帯なのよ」
「リストバンドは?」
「ちゃんとしてたわよ・・・ああ、折角の顔に傷がついてお嫁にいけないわ・・・」
「あはは・・・」

同情しながらも、トッティの会話についついブラッドは笑ってしまった。

「だけど、一体誰にやられたの?」

アンジェラが心配そうにトッティに尋ねると、
トッティはカウンターに立ったまま、3人の後方のテーブルを顎で示した。

アンジェラとブラッドが振り返ると、奥のテーブルに黒い服にサングラスを掛けた男の後姿があった。

「アイツにやられたのか? 仇を討たなきゃ・・・」

ブラッドが席を立とうとすると、ヴァレンがブラッドの膝に手を置き制止した。

「待って・・・ブラッド」
「何で止めるんですか・・・トッティが悪かったんですか?」
「ううん、そうじゃないの・・・説明すると長くなるから・・・」

ブラッドは、ヴァレンに止められ渋々席に着き、上半身だけを捻って後方の男に睨みをきかせた。
カウンターでは、首が痛むのか、トッティが首を押さえて頭を左右に振っていた。

「全く・・・ヤラレ損よ・・・ヴァレンたら・・・」
「ごめんね〜トッティ」

ヴァレンが手を合わせて、トッティに侘びている。
その様子をアンジェラもブラッドも首を捻って不思議そうに見つめていた。


麻薬捜査官
April,24 2045

20:15 トッティの店

ヴァレンが、奥のテーブルに座っている男に向かって歩いていく。
身振り手振りを交えての短い会話が終わると、男が立ち上がった。
ブラッド並みの背丈の男は、スーツの胸の辺りを叩いてからカウンターに近づいてきた。

「紹介するわ…」

ヴァレンが男の前に手のひらを差し出すと、アンジェラとブラッドが体ごと振り返った。

「こちらは、デニス・タツミ・ヴォルフガングさん。ICPOの刑事さんよ」
「こちらが、ブラッド・エアハルト君と、妹のアンジェラ」

ヴァレンがそれぞれを互いに紹介すると、男はサングラスを取り、軽く会釈をした。
怪訝そうな顔をしているブラッドとは対照的に、アンジェラは、手を差し出し握手を求めた。

「ICPOって、銭形警部のいるインターポールって所?」
「ああ、銭形警部はテレビの世界の人間だが…、ICPOはそういう風にも呼ばれている」

男は、差し出された手を握り返し、手のひらにキスをした。

「素敵な妹さんだ。よろしく」

ごく自然な男の紳士的な仕草に、アンジェラは驚き紅潮した。

「よろしく、アンジェラ・クルツリンガーです」

男は微笑みながら手を離すと、次にブラッド向かって手を差し伸べた。
見た目はブラッドよりも一回りほど年の差があるだろうか、
余裕のある大人の男の立ち振る舞いに、ブラッドは苛立ちを隠せなかった。

「ブラッドです。よろしく…で、なんで刑事さんがここに?」

ブラッドは、男の右手を強く握ると、一層力を込めて語りかけた。
デニスは、握られた手をふわっと上空に持ち上げると、ブラッドの頭を通り過ぎ、
フォークダンスを踊るようなポーズでブラッドの右手ごと背後に回した。
思わず、倒れそうになったブラッドは尻餅をつきそうになり危うく椅子に腰掛けた。

「まあ、話せば長くなるから、細かいことは抜きにして、今夜は君たちのお祝いだろう?」

デニスは、ブラッドとつないだ手を離すと、ブラッドの右側の椅子に座った。
それを見て、ヴァレンもブラッドとアンジェラの間に座った。

事の経緯を昼間聞いていたトッティは、デニスが椅子に座ると、飲み物をカウンターに置いた。

「じゃあ、改めて乾杯しましょう」

トッティの掛け声で、再びジョッキが重なる音が店に響き渡る。

「なんでメデタイ席に刑事なんかがいるんだよ」

ブラッドは不満を呟き、左手に持ったジョッキを一気に飲み干した。

「ほら、ブラッド。機嫌を直しなさいよ。今、説明するから…」
ヴァレンが、ブラッドの頭を慰めるように撫でている。

ヴァレンは、昼間の出来事をブラッドとアンジェラに説明し始めた。




(約8時間前)

11:58 東塔 5階

5階のロビーから屋上までの階段を登る途中。
ヴァレンはデニスが胸から取り出し開いた手帳を覗き込むように見た。

「ICPO…麻薬捜査官?」
「ああ。エイジアからシルクロード経由で流れ込んできている薬物のルートを追っている」
「それって…この大学が疑わしいの?」
「ああ…おっと、ファンデンブルグ助教授。詳しい話は後だ…」

階段を昇りきると、先ほど指示を受けた男が一人、屋上の入り口に立っていた。

「ご苦労。ここから作戦Cに移る」
「Cですか?作戦Bではなく…」
「ああ、Cに変更になった。お前はそのままヘリに乗り、ポイント305に向かえ」
「了解」

デニスに命じられた男が、ヘリに向かって駆け出した。
二人の会話がその男に聞こえなくなるくらい距離が開くと、男がヴァレンの腰に手を回した。

「ヘリのプロペラが回り始めたら、屋上に出よう。ここでは階下に声が響く」
「ええ、いいわ」

やがて、プロペラの浮力で機体が宙に浮くと、二人は建造物から屋上に出た。
降り注ぐ光が眩しく、ヴァレンは思わず、目を細めた。

その瞬間、左右から男が二人、飛び掛ってきた。
デニスは左から飛び出した男の蹴りを左腕で難なくさばくと、足払いで倒した。
そして、倒れた男のみぞおちに拳をのめり込ませた。

「うう…」

男はうめき声と共に体を海老のように折り曲げ意識を失った。
続いて、右側からの男の蹴りも同様に受け止めると、足を抱えたまま、階段に体ごと放り投げた。
踊り場まで転げ落ちた男が同様に倒れたまま動かなくなった。

「ちょ…ちょっと、シルバーじゃない。」

目の前に倒れているのはトッティの部下のシルバーだった。

「ってことは…」

階下の踊り場を見ると倒れているのはトッティだった。

「この二人はアタシの友達よ?! なんて事をするの…」
「すまん、すまん…咄嗟のことで…」

デニスがスーツの埃を払いながら、シルバーを起こし、気付に背中へ膝を入れる。
すると咳き込みながらシルバーが意識を取り戻した。

ヴァレンが階下に急いで駆け降り、トッティの体を起こす。

「ちょっと、トッティ…大丈夫?」
「痛た…体は…リストバンドのお陰で大丈夫だけど、顔をぶつけちゃったわ」

モデルのようなトッティの美しい顔にアザが二つほどできていた。
ヴァレンがトッティの手をひっぱり、体を起こすと二人は屋上に再び向う。

「何者なの?あの男は…」
「うん、ICPOの刑事さんなんだって…」
「あらら…アタシったら、なんてことをしちゃったのかしら」

屋上にヴァレンとトッティがたどり着くと、シルバーが膝を投げ出して座っていた。

「すまなかった。ファンデンブルグ助教授の御友人達」
「いえいえ、こんなにあっさりとヤラレタのは初めてだわ」

トッティが苦笑いで、顔の腫れを抑えていると、デニスがポケットからスプレーを取り出し、
おもむろに、トッティの顔目掛けて噴きつけた。

「ちょいと乱暴だが、痛みはすぐに消えるだろう。腫れは残るかもしれないがな…」

同じように、シルバーの腹部にもスプレーを噴きかけた。

「ふ〜」

と、大きな息を吐き出してシルバーもようやく正気に戻った。
デニスは、左手の携帯端末を開くと、5階階段前に待機している男に指示を出した。
同様にエレベーター前の男にも解散の指示を伝えた。
そして、デニスは最後に、雇い主のチェン教授に連絡を入れる。

「作戦B、完了。これで私の任務は終了。御機嫌よう。チェン教授」

デニスは各方面に連絡を入れたあと、胸のバッジを外すと、足元に落とし踏みつけた。

「これで、晴れて私はフリーになったわけだ」

足元の発信機のようなバッジは粉々に砕けていた。

「さっきは作戦Cに変更…とか言ってたじゃない」
「あはは、作戦Bは君を誘拐して、試合に出られないようにすることなんだよ」
「あら、それなら、私をヘリに乗せなくて良かったの?」
「ああ、チェン教授の部下として組織に潜り込んで今日で3ヶ月、本来の目的にたどり着いたからな」
「さっきの麻薬の話?」
「そうだ。先ほどの試合で、薬物の入った瓶を君も見ただろう」

ヴァレンは、眼鏡の男が飲んだドリンクの作用を思い出していた。
本来の人間の視覚能力が、ありえない形で露呈し、その効用を目の当たりにした。

「…ええ。」
「それを君が証言してくれれば、取引は完了だ」
「…それって、あなたがチェン教授を裏切ることになるんじゃないの?」
「まあ、そうともいうが…潜入捜査に裏切りもあるまいって…」
「二重スパイってわけね…なんだか、映画みたいだわ」



20:30 トッティの店

「…とまあ、そんなわけなのよ」
「すげえ〜」

ヴァレンの話が終わると、ブラッドは映画に感動した少年のように興奮していた。

「まったく、すぐ影響されるんだから、ブラッドは…」

アンジェラが呆れたように笑う。

「でもさ〜俺もそのドリンク飲んで、ヴァレンティーネ様にキスマークが本当についていたのか、
こっそり確かめようと思ってたんだよな〜」

そう云うと、ブラッドはズボンのポケットから、くすねた瓶を取り出しカウンターの上に置いた。

裏切り
April,24 2045


20:30 トッティの店

「ヴァレンティーネ様、ジパングへの出発は何時頃なんですか?」
「当初の予定では6月1日だったの。変更がないか、ローゼンバーグ教授に確認しておくわね」
「はい・・・楽しみだな〜どんな国なんだろう」
「大体ブラッドは、東洋がどこにあるかも知らないんでしょう?」
「あはは、そうなの?ブラッド」

アンジェラが、ブラッドを冷やかすと、つられてヴァレンも笑った。

「し・・・知ってますとも…」

ブラッドがしどろもどろになりながらも、ヴァレンに向かって意味不明な身振り手振りをしている。
ヴァレンは席を立つと、入り口の横の壁に貼ってある大きな地図の前に歩き出した。

「ここよね?ブラッド」

ヴァレンがしゃがんで地図の右下辺りの大きな大陸を指差した。

「そ、そうですとも・・・その大きな国こそがジバング!」
「何云ってるのよ、ブラッド。そこは、カンガルーの国シドニーよ」

アンジェラが呆れたようにブラッドの後方から頭を叩くと、
ヴァレンはしゃがみこんだまま笑いで体を震わせている。

「げ・・・ヴァレンティーネ様・・・ま、まさか・・・」


ブラッドが未だ見ぬ東洋の国に思いを馳せ希望と失望とを織り交ぜていると、店の入り口の扉が開いた。
乱雑で不規則な足音に、カウンターに座っていた3人の視線が入り口に集まる。

「なんだよ、試合が終わったってのに、またアイツラかよ・・・」

ブラッドが煩わしそうに呟いた。
見慣れたサングラスに黒服の男が3人先に入り、ドアの両側に並ぶと、
チェン教授がいつにも増して凄い形相でズカズカと入って来る。

チェンはカウンターに座っている3人が視界に飛び込むと、立ち止まることもなく一直線に歩いてきた。
その視線の先は一点を見つめている。

入り口に一番近い席に座っているデニスの横でチェンが立ち止まった。
そのすぐ後に男が3人控えている。

「デニス!勝手に作戦を変更して・・・どういうつもりなの」
「悪いな。俺、ヘリに乗る瞬間に高所恐怖症だったのを思い出したんだ。で地上で待機してたわけさ」
「命令違反の上に・・・試合までぶち壊して・・・契約金は支払わないわよ!」
「おいおい、試合は、アンタの希望通りの面子だっただろう?結果までは俺の契約外のことだぜ?
怒りの矛先は、そっちの使えない部下にぶつけたらどうだ?」

デニスはとぼけた口調で後にいる男たちを指差し返答した。

「・・・何でアンタがコイツラと一緒にいるんだ?この裏切り者!」

後ろに控えている男の一人が叫んだ。

「酷い言われようだな・・・あちらが俺の新しい雇い主だ。紹介が必要か?」

デニスが、入り口の横の地図の前に座っているヴァレンを右手で指し示した。

「てめえ!」

黒服の男達が、身を乗り出しデニスを取り囲む。

「アタシの店で騒ぎはやめてね」

トッティがカウンターの奥でグラスを拭きながら静かに語りかける。

「うるさい!オカマはすっこんでろ!」
「まあ・・・地雷を踏んだわね・・・」

そういうや否や、トッティが手を伸ばし男のネクタイを手前に引いた。
その勢いで男はバランスを崩し、カウンターの上に両手を突いた。
トッティの振り下ろしたアイスピックが、男のネクタイに突き刺さり、
身動きできなくなった男の目の前でアイスピックが小刻みに左右に揺れている。

「全く・・・最後の娑婆の夜を楽しく過ごせないものかね・・・」
「どういう意味よ・・・」

デニスの言葉にチェンが反応する。

「アンタ、麻薬製造の疑いがかかってるんだろ?明日にでも令状が届くんじゃないのか?」
「何ですって?」

ブラッドが言葉を呟いた瞬間、チェンは目の前で揺れているアイスピックを引き抜くと、
突如身を翻し、入り口横に座っているヴァレンを羽交い絞めにした。
ヴァレンの喉元には銀色のアイスピックの先が妖艶に光を放っている。

「おいおい、落ちつけよ教授」

飛び掛ろうとしたブラッドを右手で静止しながら、デニスが興奮したチェンに話しかけた。

「坊やは黙って座ってろ!」

デニスが立ち上がり、ブラッドの両肩を掴むと、チェン達に見えないようにウィンクをした。
ブラッドは、元の椅子に座り様子を傍観せざるを得なかった。
アンジェラの手がブラッドの背中に触れ、震えているのがわかる。

「どういうことなのか説明して頂戴!デニス!内容によっては、この女の喉を掻き切るわよ」
「おいおい、フォンデンブルグ助教授は関係ないだろう・・・」

既にチェンは極度の興奮状態で正気を逸脱していた。
手に持ったアイスピックがヴァレン喉元に食い込んでいる。

「デニス!契約金を2倍払うわ!その代わり、麻薬製造をこの女のせいにして頂戴!」
「アンタ達、アタシの研究室の道具一式を、今夜この女の部屋に運んでおきなさい!」

怒鳴りつけるようにチェンが男3人に命令すると、そのうちの一人が店を走り去るように出た。
残りの男2人は、チェンに代わり、2人がかりでヴァレンの両腕を壁に押しつけた。
チェンはヴァレンの白銀の髪から青白い光が輝いているのに気づくと、手に持ったアイスピックで、
ヴァレンの髪をかきあげ、左手でピアスを掴んだ。

「これは東洋の秘宝、プラチナブルー・・・アンタには勿体無いものだわ・・・」

チェンが、アイスピックの先をピアスに通すと、そのまま勢いよく下に振りおろした。
ブチっという音と共に、ヴァレンの左側の白銀の髪がみるみる赤く染まっていく。
続けざまに右の耳朶からも手でピアスを引きちぎった。

チェンの手元のアイスピックの先にはピアスが2個、妖艶に蒼白く輝いていた。

「わかった・・・取引をしよう」

デニスが、両手を開いて半歩前に出た。

「テメエ!裏切るのかよ!」

ブラッドは、思わず立ち上がり叫んだ。それと同時に先ほどのデニスのウィンクを思い出していた。
アンジェラも震えながらブラッドの背中越しに服を掴んでいる。

デニスは、ブラッドとアンジェラのほうを振り返ると、再び笑顔でウィンクをする。

「ああ、俺は条件のいいほうに転ぶロクデナシだからな・・・」

「ふふふ・・・あっはっは!」

気がふれたような笑い方で、チェンはアイスピックの先からピアスを指に転がすと、
自分の両方の耳にプラチナブルーのピアスをつけた。
そして、手に持ったアイスピックを壁に押し付けられているヴァレンの頭上に突き刺した。

ビーンと音を立てたアイスピックが、地図上のジパングの上で左右に激しく揺れた。

「じゃあ、取引は成立だな。お前達、その女性から手を離し、車を下に用意しろ」
「はっ」

男2人はデニスを慕っていたのか、素直にデニスの指示通り、ヴァレンから手を放した。
男達が店から出た後も、チェンは一人で狂ったようにフロアーで回り続けている。

「ああ、プラチナブルーのピアス。まさか生きている間にお目にかかれるとは思わなかったわ」



『オリエンタルブルーに輝くプラチナ製のピアスは、その手を離れた時に災いをもたらすといわれてるの。
だから、一度手を離れると禍(わざわい)に変わるから決して追っては駄目よ。』


カウンターの中で静かにトッティが呟いた。
無意識にブラッドとアンジェラがトッティに振り向いた。

次の瞬間、ボン!と云う音がホール中央で続けて2回鳴った。

「ああ!あたしの耳が・・・ああ!何も聴こえない!・・・あたしの声しか聴こえない!」

チェンが自分の両耳の辺りを手で押さえているものの指の間から血が噴き出している。
足元には、チェンの耳らしき肉の破片が飛び散っていた。

「ああ・・・何故プラチナブルーのピアスがここに落ちているの?」

チェンが両膝を床についてピアスを拾い上げようとした瞬間、
今度は指が吹き飛んだ。

「あらら、指が無くなっちまったら、契約書も書けないな・・・悪いが契約は破棄だ」

哀れむような声をデニスはチェンに投げかけ、近づいた。

「アンタの身柄を拘束する・・・といっても、この声も聴こえないか・・・」

デニスは後ポケットから手錠を取り出すと、指先のない右手の手首にそれをかけた。
蒼白く輝く手錠は、主を失くしたプラチナブルーのピアスの光と同じ輝きを放っていた。

目次前話続話
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