プラチナブルー ///目次前話続話

LESSON,2
April,8 2045

21:00 ファンデンブルグ研究室

寝入ってしまったアンジェラを車に乗せて、3人は研究室に戻ってきた。
入り口から左側の2部屋が客室になっている。
手前側の部屋をブラッドが、左奥の部屋をアンジェラが使うことになった。

部屋の廊下側の壁はガラス張りになっている。
中のシャワールームとベッドルームは、薄い壁で死角になるようにレイアウトされていた。

ブラッドがドアを開くと、研究室らしくデスクがあり、そこにはパソコン用のスペースと、
そのデスクの右側にフォログラムが立ち上がっていて、ニュースらしき番組が放送されている。

ビールの匂いが微かに残るTシャツを椅子にかけると、ジーンズのボタンを外しながら、
ブラッドはシャワールームへと向かった。

「あ、タオルを用意する前に、蛇口を捻っちまった」

湯加減を確かめようと捻った蛇口に手を差し出すと、意に反してシャワー口から冷たい水が降り注いできた。

「うわ・・・冷た・・・」


トッティの店、そして車の中でも熟睡していたアンジェラは、ようやく緑色の瞳を半分開いた。
ベッドの真ん中あたりに座ると、『ふ〜』と一息をついて、紅いリボンをほどき始めた。

「あ、化粧を落とす道具を持ってきてないわ・・・ヴァレンに借りよう・・・」

長い一日で、鉛のように重くなった体を細い両脚で支え立ち上がった。
そして、フォログラムのチャンネルをヴァレンの部屋に繋がるように合わせた。

「あら、アンジェラ、お目覚めね」
「すっかり眠ってしまって・・・クレンジングオイルとコットンを貸していただけないかしら」
「それだったら、シャワールームの棚に一通り備え付けてるわ、足りないものがあったら言ってね」
「あ、はい。ありがとう」


22:00 

ブラッドとアンジェラの2人がシャワーを終え、それぞれの部屋のデスクの前に座っていると、
フォログラムにヴァレンが現れた。

「お疲れ様、2人共。今日からしばらくはその部屋が貴方達の部屋よ。
生活に必要なものは、今夜オーダーを入れておいてね。明日の朝には届くはずだから・・・」
『はい』

「早速今夜から、貴方達にはオンラインゲームで麻雀を打って貰うわ」

ヴァレンの説明を受けながら、ブラッドとアンジェラはデスクの上に用意されたノートにペンを走らせた。
『2週間後の大会までに、東南戦200回戦をこなしながら与えられた課題をクリアしていく』ということ。

LESSON2
『東南戦10回戦で、一飜役を全部クリアすること』

最初に与えられた課題は、勝敗の如何よりも、一飜役をあがり切るというものだった。

「確か、一飜役は10種類くらいだったな・・・」
「え〜と 一飜役ね、テキストを開いておかないとあがり忘れしそうだわ」

「10試合を終えるか、課題をクリアすれば休んでいいわ。
対戦のデータはアタシの所へ自動転送されるから、連絡は不要よ。
明日、9時から講義を始めましょう。頑張ってね、アンジェラ、ブラッド」

「はい」

フォログラムに映し出されていたヴァレンの姿がフェードアウトすると、
まもなく、画面はウェブゲームのスタートのコマンドに切り替わった。

東1局 南家 ブラッドの配牌


「なんだこりゃ・・・役牌であがりを狙うしかないか・・・」


東1局 西家 アンジェラの配牌



「あ、この形は平和ってのが狙えるかな・・・」



アンジェラの課題
April,9 2045

2:00 ファンデンブルグ研究室 アンジェラ

第8戦 南4局 南家 持点 25,000点 8順目(トップとの差15,000点)



「2を切って5で待つか、6を切って3で待つか・・・」

アンジェラは、他の3人の河を見た。
3ソウは上家がポンの仕掛けをしていて、残り1枚。
5ソウは河に1枚捨てられていて後3枚。
ソウズの1・2・4は序盤から切られている。
4ソウはアンジェラから3枚見えている。

「3ソウの方が誰も使えないわよね」

「リーチ」

アンジェラは6ソウを切って、リーチ宣言をした。
1発目のツモは中。

「あら、残念」

リーチ後は、自動的に牌が切り出される。

『カン』



「カン? あ、新ドラが7ピンになった。ラッキー。これで誰から出てもトップだ〜」
「っていうか、トップ目の人、何でカンするんだろう…へんなの」
「3ソウ、引け〜」
「あ〜こないな〜でも、オンラインゲームしていると、私、独り言ばっかりだわ」

デスクの左側にワイングラスを置きながら、アンジェラは苦笑いした。
口元が、画面に微かに反射して映っている。

『オラ〜』
『畜生〜』
『やった〜イーペーコー』
『え? なになに チートーイツ? イーペーコーじゃねえの? あちゃ〜』


というブラッドの声が、隣室から引っ切り無しに聴こえてくる。

「ブラッドも同じようなものね。ヴァレンもこうやってプレイしてるのかしら…」

アンジェラは、ヴァレンがゲームをしながら独りで絶叫している姿を想像し、急に可笑しくなった。



『カン』





「あ、やっぱり、カンするんだ上家の貴方…でも、そいつは通らねえ・・・ふふ」


「ロンロ〜ン」






アンジェラは、画面に表示されたロンの文字にあわせて、発声をした。

『リーチ・タンヤオ・三色・チャンカン・ドラ6…24,000点』

フェードインしてスクロールする文字がアンジェラの課題クリアを伝えている。

「やった〜クリア〜。あ〜疲れた…」

アンジェラは椅子に座ったまま両腕を上げ背伸びをした。


「さてと…ブラッドの応援に行くか…」


アンジェラは、グラスに残ったワインを飲み干すと、
赤いリボンで髪を結わえるために化粧台の前に座った。

鏡の中の自分を凝視しながら、両手で髪をかき上げていると、
ふと右側に置かれていたブルーの液体の入った小瓶の輝きが、アンジェラの視界に飛び込んできた。

「あら? この小瓶は何かしら…」

ブラッドの課題
April,9 2045

2:20 ファンデンブルグ研究室 ブラッド

第10戦 南2局 東家 持点 11,700点 8順目(トップとの差20,600点)

「は〜、10試合目だというのに、課題クリアまで、2つも残しちまった」

左手で栗色の短い髪を掻き毟るようにブラッドは呟いた。
備え付けの冷蔵庫から炭酸飲料を取り出し、無意識に缶を振ってから栓を開いた。

『ぷしゅっ』

と云う音と共に、自然の法則に従い、極当たり前のように噴きだす炭酸。

「うわっ、やっちまった。・・・まったく、頭を冷やせっていうことかい!」

炭酸で濡れたTシャツを脱ぎ、上半身裸で画面に向かうブラッドは、後方でドアをノックする音に振り返った。
ガラス越しに見えたドアの向こう側ではアンジェラが立っていた。

「開いてるよ。どうぞ」

ブラッドは上半身を捻り、上体だけをアンジェラに向け声をかけると、再び画面の方を向いた。

「あら、やだ、ブラッド。深夜にレディを裸で迎え入れないでよ・・・」
「ん? ああ、悪い悪い、試合の途中で炭酸を振りまいちゃってさ・・」
「タオルを取ろうか?」
「うん、頼むよ・・・」

アンジェラが、シャワールームの棚から大き目のバスタオルを手に取り、
ブラッドの背中に掛けようとした。

(背中に大きな傷があるのね・・・でも、試合中だし聞くのは後でいいか・・・)

「はい」
「ん、ありがとう」

ブラッドは画面に向かったまま、タオルを肩から掛けてくれたアンジェラにお礼を伝えた。

「最終戦の最後の親なのね」
「ん・・・」
「後は何の課題が残ってるの?」
「ハイテイってやつと、リンシャンカイホウの2つだよ」
「難しいのを残したわね」
「うん・・・」

親のブラッドは13順目に一向聴(イーシャンテン)を迎えてからツモ切りが続いていた。

「あ〜引けねえな〜」

「チー、チーよ。その三萬」

残り枚数が7枚になったところで、アンジェラがブラッドの背中を叩いた。

「ん?」

と云うのと同時に、ブラッドは『チー』のコマンドを操作した。

「ありゃ、鳴いてテンパイはしたものの、役がないよ、これ・・・連荘狙いの鳴き?」
「ううん、その三六九萬の3面待ちなら、ハイテイで出てくるわよ」
「ふ〜ん」

力無く呟いたブラッドが、最後の牌の八萬をツモ切りすると下家が動いた。

『ポン』

「流局間近になると、みんなテンパイを欲しがるからね・・・」
「うん」

ハイテイの牌を対面がツモると、一瞬間が出来た・・・。

「ふふふ、ほら、トップ目の対面が安全牌を探しているわ」
「そうなのか?」

その矢先、対面が捨てた牌は九萬。

「あ、本当に出てきたよ。ロン」
「あはは、やったわね」

「すげ〜アンジェラ。凄いよ。やった〜」

ブラッドは椅子に座ったまま、左側に立っていたアンジェラの腰に手を回し、抱き締めて喜んだ。

「うんうん。よかったわ、これで後はリンシャンだけね」
「うん・・・っていうか・・・アンジェラ・・・」
「なに?」
「ひょっとして・・・ノーブラ?」

座ったまま抱きしめたブラッドの額がアンジェラの胸の辺りに埋もれている。
アンジェラは無言のまま、ブラッドの頭上に右肘を振り下ろした。

「さあ、一気に決めて頂戴」
「おう・・・あ、配牌で2ソウがアンコだ・・・」
「チャンスね。聴牌してからカンね」
「おう」

先ほど、ハイテイでトップ目からロン牌が零れたためか、はたまた、
アンジェラの登場によるものかは分からないけれど、ブラッドの配牌もツモも格段に良くなって来た。

「よし、一向聴(イーシャンテン)だ。鳴いてもリンシャンって有りだったよな」
「うんうん」

タオル越しにブラッドの右肩に手を乗せたアンジェラも、ブラッドの好調なツモに一喜一憂した。

「来た来た、テンパッたよ。後はアンコの牌を引いてカンだな」
「うん、山にありそうよ」

9順目にブラッドが待望の2ソウを引いた。

「カン」




「よし、白か8ソウを引けばリンシャンツモだ」
「うん」

カンドラの表示は『中』ドラに白が乗った。
そして、リンシャン牌から引き当てた牌は、




「うわ!やった!8ソウだ〜」
「きゃ〜ブラッド、素敵〜」

アンジェラがブラッドの頭を数回叩いた。
ブラッドは椅子から立ち上がりその場で飛び跳ね、アンジェラを抱えあげた。
肩に掛けていたタオルが床に落ちると、首からかけていたプラチナブルーのコインが輝いた。

「さすが、アンジェラ。いい名前だ。ヴァレンティーネ様がエンジェルって云うのも頷ける」
「うんうん。これで一飜役はクリアーね」




「あれ?」
「あら・・・」


ブラッドは『四暗刻』と表示された画面の前で、アンジェラを抱き上げたまま立ち尽くした。

LESSON,3
April,9 2045

9:00 ファンデンブルグ研究室 

白衣を靡かせたヴァレンが部屋に入ってきた。
ヴァレンが東側の窓を開けると、春の涼しい風が部屋の中に吹き込んでくる。

「昨夜は2人ともよく頑張ったわね」
「はい」
「ええ、なんとか…」

「朝、データを見たけど、楽しませてもらったわ。アンジェラ、コーヒーを入れてくれる?」
「はい」

ヴァレンは2人分のレポートをテーブルの上に置き席に着いた。
吹き込んでくる窓からの風に白銀の髪が揺らめき、時折青白く輝く光が耳元から零れる。

「どう?ブラッド。10試合を打ってみた感想は…」
「はい、自分の手と課題のことで頭が一杯で、結構他の人に『あっ』って感じでよく当たりました」
「そうね、でもしばらくは、基本的なゲームの構成とあがる楽しさを感じてくれればいいわ」
「はい、楽しかったです」

「どうぞ」

アンジェラは3人分のコーヒーをそれぞれの前に置くとブラッドの横に座った。

「ありがとう。アンジェラ… アンジェラの感想は?」
「はい、ひとつの役だけじゃなくて複合的に役がついたり、逆に役満の時は、
ドラや他の役が加味されなかったり、本に書いてた以外のことも実際打ってみると沢山ありました」
「そうね、先日の本はあくまでも入門書であって戦術書ってほどのものでもないから」
「ええ」

「とにかく、目一杯打てるだけ打って、まずは理屈よりも、感覚で切る牌を選べるようになりましょう」
「はい」

ヴァレンが昨夜の10試合分のデータから抽出した2人の今後の課題と対策や、
実際の打った情報がすべて数字化され標準値との対比したスコアとして分かりやすくまとめられていた。

「アンジェラは効率的に牌を切って打ててたわ」
「はい」
「あまりにもスピードを重視すると破壊力が生まれないから、次は役を絡ませることも試してみて」
「はい」

アンジェラはレポートを捲りながら、リーチをして上がれなかった時の相手の牌勢や、
他家の動きによって、手に入れた牌や逃した牌を確認し、時折頷いていた。

「ブラッドは、そうね、結構ロスの多い打ち方だけど、結果的に上がれる選択が出来ていたわ」
「あはは」
「ただ、自分が勝負手にならない時は、他人の動きも注意することを覚えて」
「はい、わかりました」

ブラッドは手渡されたレポートを小声で読み上げ、ところどころでヴァレンに質問を投げかける。
ヴァレンはその説明を数値を使って解説し、いくつかの取るべき選択を提示した。

アンジェラとブラッドがレポートを完読し、一通りの質問が終わった。


「さあ、次の10試合の課題をだすわね」


LESSON3

「アンジェラはリーチ時の平均得点5,000点と、1ゲームの収支平均29,000点を目指してね」
「はい」

「ブラッドは10試合での5,200点以上の振込み回数を上限5回と、12順目以降のリーチの禁止ね」
「ええ?リーチの禁止? 役がない時はどうするんですか?」
「役なしドラなしでその順目以降に相手と喧嘩しないこと、降りる練習をしてみて」
「わかりました。先行逃げ切りみたいなもんですね」
「そう、特に親のリーチへの振込みはご法度よ」
「はい」

「さあ、部屋に戻って始めてね…12時になったらお昼にしましょう」
「はい」

2人は、それぞれの部屋に戻り、自分達のデスクの前に座った。

アンジェラはオンラインゲームの電源を入れ、ログインすると早速ゲームが始まった。
デスクの横に置いたままの小瓶が青白く輝いている。

「あ、ヴァレンにこれは何かを聞くのを忘れてたわ・・・ランチの時にでも尋ねてみよう・・・」


『うわっ、対面の親、いきなり、ダブリーかよ』

隣の部屋のブラッドの声にアンジェラはくすっと笑った。

「ごめんね、ブラッド。チートイの西待ちよ」

小声でそう呟くと、ブラッドから西が出ないことを祈り、壁に向かってウィンクをした。

ブルーヴァイオリン
April,9 2045

12:10 食堂 

「あ〜腹減った〜、さあ、食おう」
「あはは、ブラッドったら、いつもお腹を空かせてるわね」
「そりゃ〜育ち盛りだからな」

バイキング方式の学食で、ブラッドはテーブルに次々と大盛りになった皿を並べる。
その姿をアンジェラとヴァレンは呆れながらも微笑ましく見つめている。
3人がテーブルにつくと、ヴァレンがグラスに白ワインを注いだ。

「あれ?一風変わったボトルですね」
「だよね、でも風味はかつてのラインヘッセン辺りのリースリングだ」
「そうなのよね、50年ほど前までは、プロイセンが葡萄栽培の最北限だったけど、
今じゃ、地球が温暖化して、スカンジナビアの南端辺りまで畑が広がってるわ」
「アイスワイン用の葡萄も凍らなくて困っているって聞いたことがあるもの」

ワイン談義をしているアンジェラとヴァレンの目の前で、ブラッドはボトルを見つめていた。

「なんだか、グラマラスな女体みたいだ・・・ぼん・きゅ・ぼ〜ん」
「もう、本当ブラッドって、すぐそんな風に考えるのね」
「あはは、でもアンジェラ、アタシも初めて見た時には女体のイメージかと思ったのよ」

「いいな〜この青いボトル、ヴァレンティーネ様を見てるようだ」
「あら、ブラッド、嬉しいことをいってくれるわね」

どう見てもスレンダーなスタイルのヴァレンを見て、アンジェラが苦笑いしている。
プロイセンの偉大な音楽家達を称えて、ヴァイオリンをイメージして作られたボトルだとヴァレンが説明した。

「ブラウエ・ビオリーネ(blaue violine)っていう名前で呼ばれているらしいわ」
「ああ、なるほど、そう言われてみれば、ヴァイオリンの形にも見えなくはない・・・がっかりだ」
「あはは、青いヴァイオリンね、本当見たまんまね」


「さて、午前中の出来はどうだった?」

ヴァレンが口につけたグラスをテーブルに置きながら尋ねた。

「それが、ヴァレンティーネ様、聞いてくださいよ、いきなり一戦目でアンジェラとの対戦で・・・」
「あはは、ラッキーな8,000オールのスタートだったから」
「酷いよな〜、ダブリー・一発・チートイ・ドラ4だっけ」
「うふふ」

悔しそうなブラッドの言葉へアンジェラが得意気に笑った。

「でも、何とか振込みゼロで今のところ5戦クリアしてます」
「そう、やれば出来るじゃないブラッド、立派ね」
「えへへ、ヴァレンティーネ様にお褒め頂けるなら、ますます頑張りますよ」

「私も、最初のラッキーゲームのお陰で、5戦までは順調です」
「OK,それなら、午後からアタシは外出するから、2人とも5時まで打ち続けておいてね」
「はい」

パスタをフォークで巻く手を止め、アンジェラがヴァレンに尋ねた。

「あ、そうだ、部屋にあったブルーの小瓶、あれは何?」
「ブルーの小瓶? ああトッティが、アンジェラにって貰った奴か・・・」
「そういえば、トッティが今度説明するって言ってたわ、夕食の時にでも尋ねてみましょう」
「はい」


午前中の疑問点を幾つか尋ねたブラッドとアンジェラに、ヴァレンは丁寧に疑問に答えた。
昼間の学食は、この時期、新入生達でごった返すのが風物詩でもあるかのように、学生達で賑わっている。

早めに食事を切り上げたヴァレンは、5時にトッティの店に行くと言い残して席を立った。
ヴァレンのヒールの足音は、雑踏の中で昨日よりも早く音が聞こえなくなった。

クルツリンガー精神科
April,9 2045

13:00 クルツリンガー精神科(Kurz Ringer Psychiatrie)

「先生、マイナートランキライザーを3年前の量に増やしていただけませんか?」
「ん? どうしたんです?ファンデンブルグさん」
「ここ数日、またあの夢を見るようになって・・・」

ヴァレンが、目の前の精神科医クルツリンガーに処方を受けるようになって15年。
10歳になる数ケ月前に事件に巻き込まれて以来、カウンセリングを受け続けている。


15年前の夏 とある嵐の夜。
落雷により突然、街中の電気が消えた。
ぬいぐるみを抱いて眠っていた9歳になる少女は激しい落雷の音に目を覚ました。
暗闇に包まれ、布団の中に潜り込み震えていると、部屋の戸が開く音が微かにした。
怖くてドアの方を振り返ることも出来ず、入り口側の布団が捲られた。
少女はぬいぐるみを抱いたまま固くまぶたを閉じ、眠ったふりをした。
夜遅くに起きていると母親から折檻されるという恐怖心が、少女を本能的にそうさせた。
そっと、抱いていたぬいぐるみを奪われ、パジャマと体の間に滑り込んでくる生暖かい手の感触。
気持ち悪さと怖さとで身動きすることも声を出すことも出来ずにいた。
締め切った窓の外では稲光が激しく泣き叫んでいる。
時折、閉じているはずのまぶたが黒から一瞬だけ真っ白に変わり、そしてまたすぐに闇に戻る。
次の瞬間、震え続けていた少女の耳に届いたのは、絶叫しながら近づいてくる母の大きな声と足音。
何かを突き立てるような音が数回と男のうめき声が同時に何度も聞こえてきて、
少女の体の上にとても重たい肉体が落ちてきた。
そして顔には生暖かいドレッシングのような液体が降り注いだ。
少女はそこで意識を失った。
それから数日後、少女は病院のベッドの上で目を覚ました時には、両親は事故で亡くなったと知らされた。



医師は分厚いカルテを捲りながら、発症履歴を指で辿りヴァレンに尋ねた。

「朝は快適に目覚めていますか?」
「はい」

「急に眠気に襲われることは?」
「ここ3年はありません」

医師はカルテにペンを走らせながら、短い質問を続けた。

「ふらついたり、言葉がうまく発せられないことは?」
「いいえ、大丈夫です」

「副作用は大丈夫なようですね・・・」
「はい」

「今回、また例の夢を見るきっかけになるような出来事はありましたか?」
「ええ、・・・最近、誰かに監視されているような気持ちになることが多くて・・・」

「相手が誰かは?」
「いいえ、心当たりはあるのですが、はっきりとは・・・」

「接触はないのですね?」
「はい・・・」

「例の事件以来・・・ご両親を亡くされてから、お一人だと聞いてますが、今も?」
「はい、ただ、昨日から生徒が2人一緒に研究所で寝泊りするようになりまして・・・」

ヴァレンは医師に、ここ数日の経緯を細かく説明した。
医師は微笑みながら、カウンセリングを続けた。

「それは、いいことかもしれませんね。それに娘のアンジェラもたいそう喜んでましたよ」
「ありがとうございます。大事な娘さんをお預りしております・・・」

「それは、お気になさらずに、ああ見えても気丈な娘ですから、どうぞお頼りなさい」
「はい」

ヴァレンは医師との会話を続けるうちに、蒼白な顔に色彩を取り戻しつつあった。

「身の回りの警護は、ご友人のトッティ君のお仲間に任せておけばいいでしょう」
「はい」

「薬は明日からの分を処方しておきますが、今夜は、アンジェラと会話してみてください」
「はい」

「私は西洋医学だけでなく、占星術もやっていてね、ファンデンブルグさんには明るい未来が見えますよ」

ヴァレンは、医師が占星術をやっていることを、長年通院していて、初めて聞き、驚いた表情をした。

「もっとも、娘には、その道では食えないから止めておけと言われてるんですがね」
「あはは、面白い娘さんですね」

「それは、さておき、その蒼白いピアスは良くお似合いですよ」
「ありがとうございます」

「それでは、神のご加護を」

医師は、ペンを卓上のペン立てに戻すと、慈しむような瞳で白い髭を撫でるように十字架を切った。

西の行方
April,9 2045

16:45 ファンデンブルグ研究室

『ロン』

「痛って〜九萬、当たりかよ、アンコの八萬の壁で打ったのに…てか、シャボかよ…」

ブラッドは自分の頭を2度デスクにぶつけてから、白い壁にかかるレトロな時計へ振り向いた。

「げっ、もうこんな時間だ」
「アンジェラ〜、準備は出来ているのか〜?」

『ううん、まだ〜、今9戦目の南3局〜』

ブラッドが大きな声で左側の壁に向かって叫ぶと、アンジェラの返事が壁越しに聴こえてきた。
10戦は消化したものの、課題はクリアできておらず、ブラッドは大きなため息をついた。

「ま、ついていない時もあるか・・・」

ブラッドは自分に言い聞かせるように席を立つと、クローゼットを空け、着替えに取り掛かった。
着替えと云っても、Tシャツを脱いで、似たようなシャツをまた着る。
きっと誰も気づかないだろう。

「ヴァレン様は、もう店についてるかな〜」

ブラッドは胸に掛けていたコインを開き、ヴァレンの位置を示す青い光を目で追った。

「あ、三番街にまだいるんだ。会議かな? それとも、美容室とか…」

開いたコインの上蓋に付いてある小さなボタンを押しながら、地図の縮尺を拡大しようとした。

すると、5階建てのビルのどこかに居るはずのヴァレンの位置を示す青い光を取り囲むように、
赤い光が3つ、ビルの南北と西側の3方向で点滅しながら、ビルの中に入っていった。
さらに、その赤い光を追うように、緑色の光が3つが追尾した。

その様子を見ていると、ビルの東側…つまり、道路側から緑色の光が2つ、また現れた。

(…車から降りてきたのだろうか…)

「赤だの緑だの、俺はヴァレン様の居場所さえわかればいいのに、あとでトッティにそれを伝えよう」

ブラッドは、歩きながらコインの蓋を閉じると、アンジェラの部屋の扉をノックした。

「どうぞ」

アンジェラの声を聞いた後、ブラッドが扉を開けて部屋の中に入る。


「どうだい?」
「うん、今、点棒の少ない親から仕掛けが入っているところ…」

第19戦 南3局 南家 持点 51,900点 14順目(トップ目)

「あ、ほんとだ、親は3,800点しかないや、東と南をポンしてるんだな」
「うん」

「あ、カンチャンの7ピンが来た」
「うん」





「あれ? アンジェラ、リーチしないのか?」
「うん、ドラ無しの1,000点の平和の手だし・・・闇で上がれるからね」



16順目に西を引いたアンジェラは、河をちらっと見渡すと、3ピンを捨てた。

「あれ? 聴牌崩して、3ピン落とし?」
「う〜ん、西も北も見えて無いでしょ」

『チー』

西家がアンジェラの捨てた3ピンを鳴いた。
そして、捨てた牌は西。


『ロン』


上家の親の手牌を倒れ、あがり形が出現した。




『48,000点・・・小四喜(ショウスーシー)』

画面がスクロールし、ゲーム終了を告げる。

WINNER Angela 51,900・・・2位 ・・・51,800・・・ 

「げげ、危ないな〜、西が当りだったのか・・・」
「あはは、でも100点差で私の勝ちね」

「俺なら、リーチかけて西で振り込んでた・・・」
「うふふ、わからないわよ、一発で6ソウをツモって裏ドラを乗せて、親を飛ばしてたかもしれないし・・・」

「うん・・・わかんないもんだね〜麻雀って、一寸先が」
「だよね、・・・じゃ、トッティのお店に行きましょう。遅くなっちゃったわ」

アンジェラは席に座ったまま、デスクの左側に置いてあったポーチを手に取った。
パソコンの画面を鏡モードに切替えると、右に左に一度ずつ顔の角度を変えてから、リップを唇に走らせた。

「ばっちりだ。可愛くなった」

入り口の壁にもたれ掛かかり、腕組みをしているブラッドが右手の親指を立てている。
アンジェラはにっこりと微笑むと、小走りで駆け寄った。

ブラッドがドアを押し開いて廊下に出ると、西側の窓からオレンジ色の光が差し込んでいる。
エレベーターまでの通路で左腕に何度か、アンジェラの素肌の右腕が触れた。

「サッカーをしてた時に、男同士の肩や背中がぶつかると、ガツンって、ただ痛いだけなんだけど・・・」
「うん?」

「いや、アンジェラの腕ってサラサラなんだな・・・と思ってさ」

アンジェラは首をかしげながら、Tシャツから出ている自分の二の腕を体の前に伸ばし見つめた。

「髪がサラサラ・・・ってのは聴くけど、腕がサラサラ?」
「あはは、腕が・・・というより、素肌が・・・だね」
「ふ〜ん、ブラッドはサラサラな素肌がスキなのね・・・」

アンジェラは返答の言葉を選んでいるブラッドの左腕に、自分の腕を巻きつけた。
そして、肌をすり合わせるように動かし、ブラッドの顔を見上げた。

アンジェラの過去
April,9 2045

17:30 トッティの店

研究室のある棟の東側の大通りに出た2人は夕日を背に、目の前に伸びた影を辿るように歩いていた。
腕組みをして歩く2人は、世間から見れば仲の良い恋人同士に見えるのかもしれない。

ブラッドが胸のコインを開き、アンジェラに青く光っている箇所を指し示しながら歩いている。
興味深そうに色々と尋ねるアンジェラに、時折ブラッドは身振り手振りを交えながら答え、
答えられない質問には、やはり、身振り手振りを交えながら首を傾げては苦笑いしている。

正面のビルの窓に夕日が乱反射し、オレンジ色と銀色の雲が青い空に映えている。
それらの雲達は、遠方の視界に映るビルからビルの窓を渡り歩いているかのようだった。

エレベーターに乗り、5階のフロアーで降りると、トッティの店のドアを開いた。

「あら、いらっしゃい、ブラッドとアンジェラ」
「こんばんは」

トッティが、カウンター越しに声をかけ手招きをしながら微笑んでいる。
昨日と同じ椅子をブラッドが引くと、アンジェラを座らせてから、自分も腰を落とした。

「ヴァレンは買い物で遅くなるって連絡があったわ、2人ともビールでいいわね」
「はい」

「俺もアンジェラも、トッティに訊きたいことがたくさんあるんだ・・・」

ブラッドは温かいお絞りで手を拭きながら話し始めた。

「あらあら、まあ何かしら・・・でも、お料理が並んでからでいいわよね」
「はい」

トッティがジョッキを2人の前に置き、それを利き腕で持った2人がジョッキ同士を当て口元に運ぶと、
何品かの料理がカウンターに並び始めた。

「とりあえず、腹ごしらえをして飲んでいてね」
「はーい」

アンジェラがナイフとフォークをブラッドの前に置き、取り皿を1枚渡した。

「サンキュー」

ブラッドは、早速、フォークをソーセージに突き立て口に運ぶ。

「うまいうまい・・・」
「あはは、私はパスタにしようっと」

アンジェラが取り皿にカルボナーラをフォークに絡ませ2度3度運ぶ。

「アンジェラは、お姉さんが居たんだっけ?」
「うん・・・」

と、答えたところで、アンジェラの手が止まった。

「私が5歳の時に両親が離婚してね。ママと家を出ちゃったの・・・」
「あ、ごめん、いきなり話題をミスしたよ・・・」

「いいのよ、ブラッド、気を遣わないで」
「うん」

「ママはその後、すぐに亡くなったとパパから聞いたんだけど」
「うん」

「お姉ちゃんは元気に一人で暮らしている・・・と、最近になってパパに聴いたんだ」
「へ〜、じゃあ何年も会っていないんだ。会いたいよな」

「うん・・・もちろんね」

アンジェラは再び手を動かしながら、取り皿を手前に引くと、フォークを置きジョッキを持った。

「もう、10年・・・ううん、15年振りだもの、お互いわからないかも・・・」
「あはは、そんなことないだろう、小さい時の顔とかは、覚えていないの?」

「う〜ん、何せ、5歳の時の記憶だから、想像と現実が入り混じってしまって」
「うんうん」

「お姉さんの名前は?」
「名前?・・・ううん、覚えていないの、いつもお姉ちゃんって呼んでいたから・・・」

「ふ〜ん、そうなのか・・・」

ブラッドが、空になったジョッキをテーブルに置くと、2杯目をトッティが用意してくれていた。

「さ、下ごしらえが出来たから、アタシも会話に混ぜてね」

トッティが2人の前に立つと、アンジェラはポーチから小さな小瓶を取り出した。

「トッティ。これを頂いた御礼を伝えていなかったわ。ありがとう」
「いいのよ、アンジェラ」

「ところで、これは香水なの?それとも・・・」
「これはね、ポーションっていって、東洋では聖水と呼ばれている薬みたいなものなの」

「メディスン? 何の病気に効く薬なのかしら」
「ううん、これはね、特定の病気に効く薬というよりは・・・そうだ、箱を持ってくるわ」

トッティは、一度カウンターの奥に入ってから、なにやら箱と、取扱説明書のようなものを持ってきた。

「これを渡すのを忘れていたわ・・・アンジェラ、東洋の言葉はわかる?」
「う〜ん、自信がないわ、見せて頂いてもいい?」
「ええ」

薬の処方箋にしては分厚すぎる取扱説明書。
オリエンタルの文字で綴られた言葉は、すぐには理解ができそうもない。

「なんなんだろう、興味深いわ」
「こりゃ、一度帰ってから、翻訳機にかけないとわからないね」

アンジェラの開いた本を右側に座ったブラッドが覗き込みながら呟いた。

「うんうん、トッティ、これ持って帰ってもいい?」
「ええ、勿論よ、アンジェラに差し上げるわ」
「ありがとう」

トッティが3杯目のジョッキをブラッドの前に置いた。

「ブラッドの質問は、こうでしょう? 赤い光と緑の光はなんなのか…」
「ずばり、その通り」

「うふふ、あれはね、赤は敵、緑は・・・そうね、ヴァレンのボディガードとでも言った方がわかりやすいわね」
「敵?ボディガード?」

ブラッドがソーセージを頬張りながら、甲高い声を上げた。
再び、胸のコインを開いたブラッドは、覗き込むと、もう一度声を上げた。

「あ」
「どうしたの?ブラッド」

「ほら、アンジェラ、ヴァレンティーネ様がすぐ近くまで来ているよ」

コインの内側をアンジェラに見せながら、ブラッドは後を振り返った。
その時、顔が隠れるくらい大きな紙袋を抱いた女性が入り口から入ってきた。

紙袋の両側から、時折、白銀の髪が揺れて見える。

「あ、あの黒のタイトスカートに美しい脚は、我が姫・・・」

ブラッドは立ち上がり、3歩ほど歩くと、その紙袋を支えるために手を伸ばした。

「お待たせ〜」

紙袋をブラッドに手渡して身軽になったヴァレンが、アンジェラの右側に座った。
トッティは無言のまま微笑んで、ジョッキをそっと置いた。

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