| 2013年06月01日(土) |
まさか日本人じゃないでしょ |
≪中外日報から≫ 曹洞宗住職、韓国から竹島上陸 2013年5月31日 15時06分 竹島(韓国名・独島)は韓国領との立場を取る日本の歴史学者2人が23日午前、船で同島に上陸し、曹洞宗の一戸彰晃・雲祥寺(青森県五所川原市)住職も同行した。 歴史学者は久保井規夫、黒田伊彦の両氏で、いずれも市民団体「『竹島の日』を考え直す会」の会員。一戸氏によると、韓国の民族団体の招きを受け、慶尚北道の鬱陵島から竹島に渡り、船着き場付近で約20分間滞在。韓国国旗を掲げ「独島は韓国領だ」とシュプレヒコールを上げた。 一戸氏は戦時中の曹洞宗の動向研究や、韓国・群山市の旧曹洞宗寺院に同宗の植民地政策協力をわびる石碑を建てた活動などで知られる。 曹洞宗は27日午前、一戸氏の行動について「遺憾だ」とコメント。釜山の日本総領事館は「韓国の実効支配を認めるもの」と事前に上陸の自粛を求め、菅義偉・官房長官も23日午後、極めて遺憾だと表明した。
「日本の歴史学者」⇒「日本に住む、韓国に中心を置く歴史マニア」じゃなくって? 曹洞宗は遺憾だけで終わるの?
≪(池田信夫ブログ 2013/5/28)≫より 2013年05月28日 22:25 自称「慰安婦」の矛盾だらけの証言 慰安婦問題には物的証拠は何もなく、彼女たちの「証言」が唯一の根拠だ。しかしNYタイムズの田渕記者などは、いまだに記者会見で橋下徹氏に「慰安婦が嘘つきだというんですか!」などと詰問しているので、彼女たちが嘘つきであることを証明しておこう。 橋下氏に面会するといって来日しながら、なぜか直前にキャンセルした金福童(87)と吉元玉(84)の2人は、大阪市内で開かれた集会には参加した。朝鮮新報によれば、「金福童さんはまず、14歳の時に軍需工場に連れて行くと騙され、南洋群島の戦場に慰安婦として送られた」という。彼女の証言は次のようなものだ。 最初、中国・広東の慰安所に入れられた。そこには陸軍司令部の本部があり、私たちは将校と軍医官に身体検査をされ、すでに用意してあった部屋に行かされた。日本政府は『自分たちがやったことではない』と言っているが、民間人がどうやって軍人相手のための慰安所を作ることができるのか まず彼女が最初に送られたのが南洋群島(パラオ・サイパンなど)なのか広東なのかという事実が、同じ記事の中で食い違っている。さらに金は「広東から香港、マレーシア、スマトラ、インドネシア、ジャワ、シンガポール…、前線地帯の戦地を日本軍と共に転々とした」という。日本軍の部隊でも、このように太平洋を数千kmも移動した将兵はなく、まして慰安婦がそれに随行することはありえない。 金は87歳というから、「14歳の時」というのは1939年か40年だ。そのころ朝鮮半島に徴用令は出ていないので、「軍需工場に連れて行くと騙した」のは民間人だろう。軍医が身体検査をするのは当然で、衛生管理のためである。「民間人が軍人相手のための慰安所を作る」のはもうけるためで、何の不思議もない。要するに、彼女は民間人にだまされて民間の慰安所で働いたと言っているのだ。どこにも「強制連行」は出てこない。 他方、沖縄タイムスによると、金は「アジア各地の前線を転々とし、8年間、慰安婦を強いられた」という。慰安婦になったのが1939年だったとしても、8年たったら1947年。そのころ日本軍は存在しない。各地の(民間の)売春宿を渡り歩いていたのではないか。 もう一人の吉元玉は、毎日新聞によれば「11歳だった1940年から旧日本軍の慰安所で兵士の相手をさせられた」という。11歳というのは小学5年生で、当時は初潮もなかっただろう。これは現在の年齢と辻褄を合わせるための嘘だと思われるが、集会でも慰安婦としての体験は具体的に何も話していない。 田渕記者の信じる慰安婦の「証言」は、みんなこんなものだ。このように二転三転し、歴史的事実と矛盾する「証言」をいくら集めても、証拠能力はゼロである。今回、彼らが橋下氏との面会をドタキャンしたのも、事前の市当局との話し合いの中で反対尋問に耐えられないと支援団体が判断したためだろう。慰安婦なるものはこういう詐欺師であり、橋下氏が謝罪するような相手ではない。
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