コトバというのは、あくまで『表現の手段の一つ』であってそれが全てではない。 当たり前に思えて、なかなかどうして忘れてしまいがちなコトです。
ところで最近、ヤ*ーの検索ロボットと思われるアクセスがウザい…。
『実はもう答えでてるんじゃないの?』なんてコトバを返されて、 心の奥底にチクッと針が刺さったような感覚… ほとんどの人のほとんどの悩みというのは、実は既に答えが出ている悩みではないのだろうか。
じゃあなんで答えが出ているのに悩む必要があるのかといえば ・その答えに自信がなく、周りの同意が欲しい、確かなものにしたい ・自分が欲する感情(答え)を上手くコトバ等で表現、整理が出来ない だいたいはこのどちらか、あるいは両方。
つまり多くの人は『答えが見つからずに悩んでいる』のではなく、いわば『既に出ている答えを選択することへのリスクやプロセス』に悩んでいるのだと思います。 悩みというよりか、躊躇。 わかってはいるのだけど上手く表現できないもどかしさ、自信のなさを指摘されてチクリとするのはこのジレンマを見透かされたコトに対してなのかもね。
躊躇の期間が極端に長い人もいれば、短い人だっている。 時にそれをネガティブ・ポジティブと言い表したり、優柔不断・即断即決というコトバに繋がっていくこともある。 いずれにしてもコトバに表現し難い感情変化を『悩み』という簡単な一言で済ませてしまうことが多い。そう考えると、なるほど確かに『悩み』っていうのは便利なコトバだと思う。間違ってはいないが、だがそれでは余りに広範囲な感情を指していているようで曖昧な気がしてならない。
『悩み』というその一言に捉われすぎて、自分が今何を『悩んで』いるのか、その本質を見失うことだけは…避けたい。
| 2010年03月27日(土) |
遅咲きのピアニスト(290) |
【3年】 最初のピアノ日記…『遅咲きのピアニスト(1)』を書いたのが、2007年03月07日。 『ピアノを始めよう』と思い立ってからなんやかんやで3年が経ったことになります。
3年かぁ…よくもまぁ続いたもんだ。 これ率直な感想。 ピアノが?ピアノ日記が? 両方。
気が早い私は、半年前に既に あれこれ 書いてしまっていたので、今さら3年経ってのピアノに対する想いとか考えとかどうのこうのというのは今回は書かないでおく。
もうピアノ初心者だなんて甘えてられないなぁ。
始めた頃って、本当にピアノに対して『無知』の状態で、まっさらな状態から始めたから 3年後の自分なんて想像も出来なかったし、3年経った今でも 今の自分が果たしてピアノ歴3年に相応しい腕なのかどうかも、さっぱりわからない。
ただひとつ言えるのは 想いを行動に移した3年前の自分と その想いを3年間継続して保ち続けた自分に 感謝したい。
| 2010年03月26日(金) |
遅咲きのピアニスト(289) |
【逆算】 『発表会で弾けたらいいなぁ…』という想いの元、【ペガサス】と【精霊の冠】という曲の音拾い&弾き込みをしている今日この頃なのですが、まだまだピアノ経験不足の私にとってこれらの曲をモノにする為には、少なくとも『半年前』には音拾いを完了し、発表会までの残り半年はひたすら『弾きこみ』に費やさないと、とてもじゃありませんが人様の前で演奏できるようなレベルにまで持っていけません。
前回の発表会を引き合いに出せば、【愛の旋律】なんかは音拾いに3ヶ月、ゆっくり弾けるようになるまでに3ヶ月、完成まで弾き込みで6ヶ月…と1年かけてなんとか発表会レベルにまで持ってこれたことを考えると、幾らその頃より少しは腕が上達しているとはいえ【ペガサス】【精霊の冠】と2曲…つまりボリュームが倍になっているのを考慮すればやっぱり半年前には2曲とも音を拾いきっておかないと間に合わないという計算。
発表会は今のところ11月の予定で、となると半年前と言えば5月…遅くともGW中には音拾いが完成していないと、この2曲は発表会には間に合わないことになってしまう。
…え、今何月だっけ?3月…下旬?もう4月?
…ま…間に合うの?
2〜3年位前から 『ルーズ』に生きよう。 と少なからず心掛けている自分がいる。
一昔前の私は 集まりがあれば、集合場所に誰よりも早く1番乗りをし メールが届けばどんな小さなことでも必ず返信し 留守電が入っていればどんな状況でも気付いてから30分以内に必ずコールをし 人との付き合いには自分の予定を省みず律儀に顔を出し 約束事は必ず守って遂行する… ちょっと極端な書き方をした部分もあるが、それくらい固くて生真面目だった
仕事ならともかく プライベートの気の許した仲間内での集まりですら こんなだった私
それはそれで『しっかりした人』という評価は貰っていたものの ある事件をきっかけに "それだけでは何も生まれない" というコトに気付く。 何も生まれない…と言うより、それ以上は進めない、と言ったほうが適切か。
ここ2〜3年かけて プライベートの付き合いで、特にルーズを心掛けるようにした。 心掛けるなんて固く考えずに、楽に、楽に、生きていけばいいんだと言い聞かせた。 集まりに少し遅刻したり、疲れてる時は無理にメールを返信しないようにしたり 誘いを断ったり、「約束事」を「面倒くせぇよ!」と置き換えたり。 良くも悪くも人に迷惑をかけるようになった。 だけど気持ちがすごく楽になった。
何より、私とその友人たちの間にあった見えない『壁』が 無くなったような気がした。
その壁を作っていたのは…他ならぬ私自身であったのだけど。 楽に、楽にいこう。
役者やスタッフの都合が合わなかったり、予期せぬOFF等で延期気味なのですが 先日、久し振りに撮影日となり現場へ行ってきました。
昼過ぎまでは屋内での撮影だったのですが、昼過ぎ以降は野外での撮影ロケとなり やれ『え?ナニナニ?』と通行人が立ち止まって見学したり(しかも日曜日) 通行人から『何やってるのー?』とか声をかけられたり スタッフから『クルマが通ります〜』で撮影がカーーーットになってしまったり 撮影中に『ピーポーピーポー』と救急車が横切って撮影がカーーーットになってしまったり いやはや屋外の撮影は大変だなぁ。。。と実感。
それでも、見学してた学生さんに『エキストラで出てみる?』とスタッフが声をかけ 急遽シーンのはじめに通行人役として出演してもらったり 商店街のお兄ちゃんから『頑張ってナー』と応援していただいたり 面白くて楽しい撮影でした^^
ところで私の役は、最近舞台でも何かと多い『三枚目』な役なのですが 私が登場するシーンは何故か私役の台詞がやたらと多く、私が出るシーンの撮影では なかなか気を抜くことが出来ません。 それでもあるシーンの撮影時なんかは、1〜2台詞でカットが入るはずのところを 台詞が次々と繰り出されて、気が付けばシーン最後までカットなしで通して演じ切り 周りから『おぉぉ…』と驚かれたのは、そこは舞台人としての意地を見せておきました(笑)
そんな私は『キモい演技』に定評があるようで 監督から『カーーット』の声が入るたびに、監督さんだけではなく、撮影現場に一緒にいるカメラさんや、メークさんや、衣装さんや、スクリプターさんや、音声さんやら、レフ持ちさんやら、はてまた共演者にまで 『キモッ』 『キモッ』 『キモッ』 『キモッ』 『キモッ』 と口を揃えて言われる私なのですが
カットの度に言われる私ですが
褒め言葉として受け止めています。
…あれ?涙がとまらな
本番終わってから1ヶ月半経ってしまいましたが 先日参加した舞台の『打上げ』に参加。(そういえば昨年もこれくらいの時期にやったような…)
昨年同様、こういった類の打上げは、夜20時頃開始して朝までブッ通しで飲み続けるという、楽しくも過酷な打上げであったりします。 打上げ翌日に 撮影 を控えていた為、前日の内に旅行用のカバンにあれこれ衣装やメーク道具を詰め込んでおき、打上げ当日はフツーに仕事なのでカバンを持って出社し、仕事後にそのまま打上げ会場に向かい、次の日は撮影…という、『休日とは何なんですか?』とツッ込みたくなるような、なかなかのスケジュールでした。
朝まで飲んで仮眠してそのまま撮影…って、絶対に迷惑かけるなぁ。。。などと思っていたのですが、打ち上げ中に『監督の都合で明日の撮影は中止になりました』という連絡が入り、翌日は思いもよらぬ棚ぼたOFFに。やったぁ…これで心置きなく飲めますよっと。
と言うよりも、3月入って休みがなく、そのわずかな休みも撮影日だったので この『予期せぬOFF』は本当に嬉しかった…
もちろん帰ってずっと寝てました。
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