Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 連休明け
2002年05月07日(火)

 今日から仕事です。心配していた仕事の入りもなかなかよく、今日だけで3本の仕事が入ったのでホッとしました。

 普通なら休み明けは仕事なんかしたくないのでしょうけど、自営業ではそうも言ってられません。とにかく毎日少しでも多く仕事をこなしていくしかありません。
 おかげで今日は「整形美人」と「春らんまん」のドラマ2本は見られませんでしたが、その後の浜ちゃん司会のスポーツバラエティ「ジャンクスポーツ」は何とか見られたので良かった。

 今週はうちのカレンダー上では土日も休みなので、能率よく仕事をこなして何とか週末休めるように頑張りたいです。




 昔住んでいた団地を撮影
2002年05月06日(月)

 今日は早速オートフォーカスの一眼レフカメラ「EOS7」を持って、僕が幼少時代に住んでいた団地へ行って写真を撮ってきました。団地といっても広大な団地で、しかも現在はかなり老朽化しているので、撮影スポットとしては最適の場所でした。

 昔遊んでいた公園には木や雑草が生い茂っていて、ブランコや滑り台などの遊具が撤去されていたのがちょっと寂しかったですが、考えてみれば僕が生まれた年が第2次ベビーブームで、その後少子化が進んでいったのだから、この団地にも公園で遊ぶような子供がいなくなって来たんだなあと思いました。また、子供頃探検した雑木林などがなくなってしまったのも結構寂しかったです。

 僕の友達に聞くと、小学校1年ぐらいまでのことはほとんど覚えていないという人が多いですが、僕はこの団地で過ごした頃、近くの川でカエルやイモリ、それにザリガニなどを捕ったり、雑木林で蝉を捕まえたり、川の土手で松ぼっくりを集めたりして遊んだ刺激的な記憶がたくさんあったので、今でもよく覚えています。今回ここで写真を撮り、充実した一日を過ごしました。




 一眼レフカメラ「EOS7」
2002年05月05日(日)

 最近オートフォーカスの一眼レフカメラ「EOS7」を手に入れました。これまで僕が使っていたカメラはペンタックスの「SL」という昭和30年代に出た、一眼レフだけどフルマニュアルで、露出計も内蔵されていないのでいちいち別の露出計で露出を測定してからカメラの露出とシャッタースピードを設定しなくてはならないという骨董カメラだったのですが、それなりに風格もあり、なかなか味のある写真が撮れるので気に入っていました。

 でもレンズは当然広角じゃないし、動くものを撮影しようとするとなかなかピントを合わせられなくて結構苦労していました。それに比べて、やっぱりオートフォーカスはいい!半押しすれば自動的にピントが合ってくれるし、「EOS7」にはAIサーボという機能が搭載されていて動くものに常にピントを合わせ続けてくれるので、動物やモータースポーツを撮るのには最適です。

 このところ写真らしい写真を全然撮っていませんでしたが、これからはまたカメラ熱が上がりそうです。




 昨シーズンのCART総集編を観る
2002年05月04日(土)

 ビデオに録画してあった昨シーズンのCART総集編を今更見ました。名門チーム・ペンスキーのジル・ド・フェランが2年連続でチャンピオンになったのは知っていたのですが、シーズン序盤から中盤まではド・フェランがなかなかポイントを稼いでいなかったので「こんな調子で首位に登ってこられるのか?」と思っていましたが、CARTは1シーズンにだいたい20戦ほどレースが行われ、しかも優勝すると20ポイントも獲得でき、12位までポイント圏内ということもあり、優勝できなくてもコンスタンスに入賞していればチャンスはあるんだなあと実感しました。
 実際昨シーズンはポイントリーダーが何人かに入れ替わり、CARTというカテゴリー自体、オーバルコースが多いので毎戦最後まで誰が優勝するのかわからない状況だから、ポイントリーダーになっても全く予想は付かないんだなあとつくづく思いました。

 昨シーズンはシーズン終盤に97、98年に2年連続でチャンピオンに輝いたアレックス・ザナルディ(当時チップ・ガナッシュ)が、両足切断の大事故に遭い選手生命を絶たれてしまったのがとても残念でした。そして昨年チャンピオンに輝いたチーム・ペンスキーがドライバーズチャンピオンのド・フェランとともに別シリーズに行ってしまったのも残念です。

 今年はホンダ最後の年だし、ターボ禁止になるし、今後のCARTが心配です。がんばれアンドレッティ!がんばれトレーシー!そしてがんばれモレノ!……あ、もちろん虎と信ちゃんもね。




 昔の自分の曲をリメイク
2002年05月03日(金)

 僕はシンセサイザーで作曲をしているのですが、昔作った曲をリメイクしようと試みています。シンセサイザーを使った作曲は小学校3年の頃からやっていたので、もうかれこれ16年以上やっていますが、これまで作ってきた曲は約3000曲以上にも及びます。そのうちプライベートで作った曲の中で、何曲か気に入っている曲をもう一度作り直す作業は、僕にとってはとても刺激的なことです。

 過去に作った曲というものは、作った当時の自分のスタイルがあるので、今聴くと結構気に入らないものが多いですが、昔は演奏方法やアレンジ、コード進行やメロディなど、色々実験していたりしてなかなか面白いことをやっていたんだなあと思ったりもします。

 現在は極力無駄な贅肉はそぎ落として、シンプルにシンプルにと心掛けているのですが、リズム主体の曲が増えてきて、逆に昔の方がいいメロディを作っていたように感じます。このメロディを今の自分が手を加えるとしたらどんな曲に仕上がるのか、自分自身興味深いものがあります。




 ドラマ「ビッグマネー」をまとめ観
2002年05月02日(木)

 昨日と今日で、貯まっていたドラマ「ビッグマネー」の3話分をビデオでまとめて見たのですが、意外に面白かったですね。今回のクールは恋愛ものやサスペンスものが多く、この手の痛快系のドラマが少なかったので、これはこれで3話とも気持ちよく見られました。

 主人公の長瀬智也が株で億万長者になった植木等に見込まれ、株で大儲けしていくという内容なのですが、展開としては昔やっていた織田裕二主演の「お金がない!」に近いものがあります。ま、一言で言えば就職難でフリーターをやっていた若者が大金持ちになっていくというシンデレラボーイの話ですかね。不況の今だからこそ活気が出るドラマだと思います。

 共演しているネプチューンの原田泰造もやり手のビジネスマンの役で、元々キザな演技は得意だからかなかなか好演しています。今日の夜には第4話が放映されるのですが、今回は子供の天才株師(おそらく植木等の孫と見た!)に長瀬がコッペパン……もとい、コテンパンにやられるらしいので楽しみです。

 でも僕はギャンブルは一切やらないので、実際に株に手を出すことはないだろうなあ。買えないし。




 アイルトン・セナの略歴
2002年05月01日(水)

●「F1第5戦スペイングランプリ」をアップ

 1994年の今日、F1サンマリノグランプリの決勝で、英雄アイルトン・セナ(ウィリアムズ・ルノー)が34歳の若さでこの世を去りました。

 セナは1984年に下位チームだったトールマン・ハートからF1にデビューし、この年にいきなり6位入賞2回、モナコでの2位を含む表彰台3回の成績を残し、早くもF1で頭角を現しました。翌85年からは名門ロータスに移籍し、移籍後2戦目の第2戦ポルトガルグランプリで初優勝を飾り、さらに第10戦オーストリアグランプリから第14戦ヨーロッパグランプリまで5戦連続で表彰台に登り、その内第13戦ベルギーグランプリでは2回目の優勝を果たしました。

 86〜87年の2年間では4回の優勝を含む計16回の表彰台を獲得し、88年、セナはいよいよトップチームであるマクラーレン・ホンダに移籍し、自身初のワールドチャンピオンに輝きました。その後最強のホンダエンジンと共に90〜91年にも2年連続でワールドタイトルを獲得し、セナのF1での地位は不動のものとなりました。しかし1992年にセナの愛したホンダがF1から撤退、セナは2年後の1994年、自身4度目のタイトルを目指し、この頃最強を誇っていたウィリアムズ・ルノーに移籍しました。

 しかしこの年のセナは、開幕戦ブラジルグランプリと第2戦パシフィックグランプリで2戦連続でポールポジションを獲得するも、決勝ではいずれもリタイヤを喫し、シーズン序盤からタイトル争いに暗雲が立ちこめます。ちなみにこの開幕2戦で連続優勝を果たしたのは、若きミハエル・シューマッハ(当時ベネトン・フォード)でした。そしてその2週間後、あの悪夢の週末といわれた第3戦サンマリノグランプリはやってきました。

 金曜日のフリーセッションで起こったルーベンス・バリチェロ(当時ジョーダン・ハート)の、鼻の骨を折るほどの激しいクラッシュに始まり、土曜日の予選ではF1デビューわずか3戦目のローランド・ラッツェンバーガー(シムテック・フォード)がクラッシュにより死亡するという悲しい事故が起こりました。そして5月1日の決勝、近年のF1でもっとも悲しい出来事が起こりました。3戦連続でポールポジションからスタートしたアイルトン・セナはトップをキープしたまま周回を重ね、シューマッハとの激しいバトルを繰り広げながらも最後までトップを譲ることなく、7周目に高速タンブレロ・コーナーの壁に激突し、そのまま帰らぬ人となってしまったのです。
 コース上で、しかもトップのまま逝ってしまったというのが、いかにもセナらしい最期だったような気がします。1994年サンマリノグランプリは、色々なことが起こりすぎました。このグランプリで3連勝を飾ったシューマッハでしたが、そのポディウムは深い悲しみに包まれていました。
 そしてこの事故により、イモラサーキットの名物であった高速タンブレロコーナーはシケインへと大きく変貌し、その他様々な点でF1の安全性が飛躍的に向上していくこととなりました。

 セナの亡き後、ミハエル・シューマッハがこの年と翌95年に2年連続でワールドチャンピオンに輝き、1996年にはフェラーリに移籍し、その後現在までF1をリードし続けています。思えば8年前の今日が、近年のF1の歴史では最大の世代交代の瞬間でした。ただその世代交代がセナの死によってではなく、チャンピオンシップを通して、シューマッハがセナに堂々と打ち勝って引き継がれていって欲しかったと、未だに悔やまれてなりません。おそらくあの事故が起こらなかったとしても、シューマッハはセナを超えられたに違いありません。




 F1スペイングランプリレポート
2002年04月30日(火)

●「F1第5戦スペイングランプリ」をアップ

 4月28日に行われたF1スペイングランプリのレポートをアップ!今回もミハエル・シューマッハの独走で終わった決勝レース、前回に引き続きレポートではフェラーリの進化の秘密に焦点を当てています。

 それにしても日本勢はさっぱりでしたね。第3戦まではトヨタが2回6位入賞を果たしていますが、そろそろその他のチームも安定し始め、波乱も少なくなってきたので本当の意味でのポテンシャルが見えてきました。開幕戦では何とあのミナルディが5位入賞、そして今回アロウズが今季初入賞を果たしたので、スペイングランプリ終了時点でまだポイントを獲得していないのはBARとジョーダンのホンダ勢のみとなってしまいました。

 ジョーダン・ホンダの佐藤琢磨も良かったのはスタートだけで、レース序盤にリタイヤしてしまいましたから、今シーズンはまだまだ試練が続きそうですね。




 BeBeさんらとバーベキュー
2002年04月29日(月)

 今日は掲示板にも遊びに来てくださるBeBeさんを含む中学時代の同級生で、河原でバーベキューをしました。まあ男6人でなんともむさ苦しいバーベキューではありましたが、何だか久しぶりに火を起こしたりして楽しかったです。火と鉄板までの距離がありすぎたのでなかなか肉が焼けてくれませんでしたが、肉も、そのあとの焼きそばもおいしかったし、
 やっぱり自然の中で食べるのは格別ですな。天気は曇りでしたが寒くはなく、ちょうど帰り道にほんの少しだけ雨がぱらついた程度だったので良かったです。

 さて、夜はさんまとキムタク共演のドラマ「空から降る一億の星」の第3話。ようやくさんま演じる刑事もキムタク演じる主人公の事件との関係を突き止め始めたわけですが、具体的な状況は未だに不明だから、今後も目が離せません。それにしてもさんまちゃん、ドラマになると役者ですね。バラエティで見ている顔とは全然違う顔で、ドラマ自体もシリアスだから渋いです。ちょっとした仕草や表情をみても、自分を格好良く見せる術を知っているなあと感じました。

 今日は肉を食べてスタミナを付けたし、明日から3日間、また仕事を頑張るぞ!




 退屈なF1スペイングランプリ
2002年04月28日(日)

 F1スペイングランプリ決勝!いやいや今回もミハエル・シューマッハの圧勝ですか。何だか今シーズンは単調なレースが多いですな。佐藤琢磨はロケットスタートで期待したのに早々にリタイヤしてしまうし、ウィリアムズ勢は七転八倒でミハエル追撃どころではなかったし。強いなーフェラーリ……この快進撃はいつまで続くんでしょうか。この分だと今年も早々にタイトルが確定してしまいそうですね。

 シューミーファンにとってはいつまでもこの強さを維持して欲しいんでしょうけど、そうでない人々にとっては退屈なシーズンでしょうね。各グランプリでの集客率が心配です。1992年のナイジェル・マンセル独走の年には、各国のシーズン後半のテレビ中継が激減したそうだし、今年もそうならないことを祈りましょう。


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