林心平の自宅出産日記

2005年03月03日(木) 妻、やっと病院へ。夫は育児休暇を申し出る。 37週と2日

 子どもたちが病気続きで、ずっと助産婦さんの検診も受けられませんでした。助産婦さんから電話がかかってきて、次の日曜日に来てくれることになりました。
 その前に、一度、病院に行ってくださいと言われていたので、妻は、やっと、病院へ行きました。1月にその病院に行ってから、今まで誰にも診せていないということに、お医者さんは驚いたそうです。
 感染症の検査を受け、その結果が出るのは1週間後ということでした。
「それまでに生まれないといいね」とお医者さんは言いました。
 
 いろいろ迷ったのですが、2か月間の育児休暇を申請することにしました。育児休業給付制度によって、3割は給料が保障されそうですが、それでも経済的な問題は大きいものです。それでも、3か月くらいすれば、しーちゃんにも昼夜の区別が出てきて生活のリズムも生まれるだろうから、それまで何とか乗り切ろうという計画です。ほんとうは、3か月間とかあるいは半年とかとれればいいのですが。

 職場には「育児休暇制度」があるのですが、その申出書というものが作られていないようでした。つまり、申し出者がいないだろうと思われているふしがありました。そこで、厚生労働省のホームページから、申出書の例をダウンロードして、書き込み、総務部へ提出することにしました。そのために、まず、上司である課長に提出しました。
 受け取ると課長は、
「これか。きっと取れないぞ。総務に行ってくる」と書類を持っていきました。しばらくすると、そのまま書類を持ち帰ってきて、課長は自分の机の引き出しにはしまいこみました。そして、課長は言いました。
「これはまだ出すなと言われている。あとで、総務が話しに来るだろう。きっとできないぞ。それでも覚悟の上でやるのか。法律ではそうなっていっも、組織としてできないことがあるっていうのわかるだろ」
「いえ法律で決まっていたら、組織はやらなくちゃいけないんじゃないですか」とぼくはこたえました。
「それは、正論だよ。でも、できないことがあるってのわからないか。それでもがんばるのか」と課長は言いました。
「はい。がんばったほうがいいと思います」
「おまえ、公務員になったほうがいいんじゃないのか」

 当然の権利なのに、認められないなんてことがあるわけがありません。そのことを課長はちっともわかっていないのでした。ぼくが組織に取らせてもらうのではなく、ぼくが取りたいと言ったら組織は断れないことになっているのです。



2005年03月01日(火) 長期履修制度 後編

 それでも、大学の窓口の担当者に怒っても、ぼくたちに何の益もないことはわかっていました。その人には、長期履修制度認定についての決定権などないのです。のちに開催される教授会というところで決められることであり、その人は、教授会に提出する書類をそろえるのが仕事なのです。しかし、同じその仕事をするにしても、学生を応援しようとしてのぞむ人と、できるだけ自分の仕事を少なくするために申請をしりぞけようとする人がいます。この人は後者でした。
 ですから、ぼくたちのとるべき方策は、とにかく我慢して、教授会までたどりつくことでした。教授会には、妻のことを理解し応援してくれる、心強い指導教官がいます。

 そこで、まず、ぷーちゃんのかかっていたお医者さんに相談することにしました。電話をかけて、こみいった事情を説明し、診断書をお願いしました。「慢性的なぜんそく」だなんてことはかけないでしょうが、「再発の可能性がある」くらいは書いてくれるかもしれないと思ったのです。
 すると、二つ返事で「もちろん書きますよ」と言ってくれました。
 そこで、そのお医者さんに行くと、あいかわらず、せきこんでいる子どもたちがたくさんいました。
「この1年に何回くらい発作がありましたか」
「1、2回ですね」と言うと、
「それではこんな感じで役に立ちますか。気管支喘息で、これまで年に数回の発作があり、今後も再発の可能性が高い」
と言われました。
 これは、予想していた以上に役に立つものでした。
 応援してくれる人もいるのだなあと、ほっとしたひとときでした。

 さて、この診断書と母子手帳の表紙のコピーを窓口に出すと、翌朝、電話がかかってきました。
「母子手帳の中の、出産予定日の書いてあるページのコピーもください」
やれやれやれ。母子手帳の表紙には発行年月日が記載されています。母子手帳は「妊娠証明書」がなければ発行してもらえません。だから、「これは立派な証明です」と言いたくなりましたが、「わかりました」と大人らしい返事をしました。
 家に帰り、母子手帳を借りようとすると、妻が言いました。
「このページには検査結果がたくさん書いてあって、個人情報だよ。出したくない」
もっともなことでした。どうして、教授会で妻の血液の成分などが公表されなければならないのでしょうか。それに、予定日の欄は、ただ本人が自分で書き込んだにすぎないのでした。
 窓口に電話し、「個人情報なので出したくありません」と言うと、「予定日の欄以外は隠してもらっていいですよ」と言われたので、「でも、何の証明もないただの手書きですよ」と言うと、「あらそうだったかしら。うーん。それなら、出さなくてよいです」とやっと、言われました。

 まったく、今、ぼくたちはとても忙しいのです。もうすぐ、しーちゃんが生まれるのです。予定日まで3週間ちょっとです。
 たのみますよ。長期履修制度。



2005年02月28日(月) 長期履修制度 前編

 妻は大学院生です。通常、博士課程は3年間が正規の課程です。それを超えると、留年ということになり、余分に授業料を払わなければなりません。しかし、最近、長期履修制度というものができました。これは、働いていたり、育児をしていたり、介護をしていたりする場合、最大6年まで課程をのばして、研究と生活の両立を支援するというものです。授業利用は3年分を6年間で払えばいいことになります。

 このたび、妻は、この制度に申請することにしました。理由としては、もうすぐ生まれる子どもの育児と、ぷーちゃんのぜんそくの看病です。2月は、ほんとうにたいへんでした。今後も、また発作が起こることが想定されるため、看病できる体制を作っておこうと考えたのです。
 大学の窓口に申請理由を書いた書類を提出すると、「申請理由を証明するために、母子手帳のコピーとぷーちゃんが慢性的なぜんそくで看病が必要であるという、医者の診断書を出すように」と言われました。母子手帳はすぐにコピーできますが、ぷーちゃんは「慢性的なぜんそくで看病が必要」という状態ではありません。風邪やインフルエンザから、再び発作を起こす可能性が高いということなのです。その旨を、窓口の担当者に伝え、そのような診断書は書いてもらえないだろうと言いました。
 すると、
「それでは、申請理由は育児だけということになりますね。ただし、普通の育児、出産なら認定は難しいです。「保育園に預けたり、大学を休学したりして対処してください」と言われました。
 まったく、何のためにこの制度を作ったのでしょうか。学問と家庭を両立させるため制度があり、その趣旨にのっとって申請している人がいるのに、これではまるで、申請をしりぞけようとしているようではありませんか。

 まったく、保育園にいても、水ぼうそう、インフルエンザ、そのほか感染するもの(皮膚炎や結膜炎さえも)にかかると、医者の登園許可が出るまで休まなければなりません。しかも、これらはしばしば保育園由来で流行するのです。しかも保育園は病気が流行した後も、もとから決まっていた予定通りのスケジュールで動くので、今回のように病み上がりで登園すると、行事が待っていて、また病気になってしまうこともあります。 
 しかも行事等が優先されて、土曜など預ってもらえないこともあります。こうして、1、2週間単位で保育園に預けられないこともざらです。
 こんなもろもろのことに、大学の休学で対応できるのでしょうか。これが本当に「少子化対策」なのですか。育児している主婦でも勉強するのを応援する制度ではないのですか。
 ぷーちゃんがぜんそくでなくても子育て事情はたいへんなのに。それを保育園や休学で対処しろと言うのは本当に母親1人に育児をおしつけています。
休学だって申請期間が決まっているし、子どもの急な病気のことなどを考えていては予定が立ちません。だから休学では対処できません。それでも地道に勉強したいから長期履修を頼んでいるのに。
怒りながらつづく



2005年02月27日(日) 機嫌のわるいまーちゃん

 ぷーちゃんは、もうすぐ小学校入学です。保育園も卒園します。しーちゃんは、もうすぐ生まれてきます。しーちゃんのための買い物や部屋の整理に親たちは大忙しです。
 まーちゃんは? まーちゃんは?

 どうもこのところ、まーちゃんの機嫌がわるいのです。朝、起きたとたん不機嫌で、「抱っこして」とぼくのところに来ます。ぼくが抱っこしてあげようとすると、くるりときびすを返して妻のところにかけて行き、」「抱っこしてくれなかったー」と訴えます。万事がそんな調子で、何をしてもされても、文句を言っています。
 はじめは、寝不足のせいかと思っていました。でも、妻は言いました。
「まーちゃんだけ、何もないんじゃないかな。他の子どもたちは忙しくなっているのに、まーちゃんは何もなくて、しかも、ずっと一緒だったのに、保育園からぷーちゃんがいなくなってしまうことが不安なんじゃないかな。まーちゃんも、上のクラスに進級するんだし」

 そうかもしれません。まーちゃんが生まれるとき、ぼくたちは、ぷーちゃんに対して気をつかっていました。不安なんじゃないかな、さみしくなってないかな、と。でも、今、まーちゃんに対しての心配りに欠けていた気がします。日々の忙しさにかまけて、まーちゃんのそばにいてあげなかったように思いました。
 そこで、できるだけ、毎日子どもたちと遊ぶ時間を作ることにしました。保育園から帰ってきて、ご飯を作って食べると、すぐ寝る時間になってしまいます。だから、意識して時間を確保しないと子どもたちに満足感を与えられなくなってしまいます。
 
 それから、今日、日曜日の夕方から、バスに乗ってプールに行こうと、妻が提案しました。どうしても手に通す浮き輪がほしいというまーちゃんの願いもかなえてあげ、温水プールで遊び、帰りにはインド人のカレー屋さんで辛くないカレーを食べました。
 子ども好きのインド人がまーちゃんにいろいろ話しかけてくれ、まーちゃんもそれにいっしょうけんめい答え、ぷーちゃんと一緒に店内のブランコにも乗せてもらいました。
「また、温泉とカレー屋さん行こうね」とまーちゃんは言い、カレー屋さんのチラシを何度も眺めていました。そして、ベッドに入った瞬間に眠ってしまいました。



2005年02月26日(土) 妊婦から産婦になるときに必要なもの

 この話は、ここに書こうか書くまいか迷いました。なにぶん、自分のことではないので、どこまで書いたものかと思ったのです。そこで妻に相談すると、「自宅出産日記らしい話だから、ぜひ書くように」と言われたので、書くことにしました。

 出産後に必要なものとして、助産婦さんに言われたものの1つに、産褥ナプキンがありました。それは、脱脂綿やタオルなどと同じように、ぼくたちが自分でそろえておかなければならないものです。
 インターネットで「産褥ナプキン」を検索しても、病院で用意してもらったという話ばかりで、一般には販売されていないようでした。ただ、「お産パッド」なら通信販売されているようでした。

 ちなみに、1人目を助産所で生んだときは、助産所で用意してもらった産褥ショーツと産褥ナプキンを使っていたのですが、すっかりかぶれてしまいました。かぶれが腰全体にひろがって、おむつかぶれの薬を塗られて、ひどくかわいそうでした。
 2人目を自宅で生んだときは、そういうものは何もなく、普通の下着に子どものコンパクトおむつをはさんで使っていました。しかし、しばしば漏れて、休めませんでした。
 ですから、今度は、過去2回の経験をふまえて、新たな方策をとることにしました。それは、「布ナプキン作戦」です。これは、あくまでもお産用のナプキンではないのですが、できるだけ大型強力かつ快適なものを選んで買うことにしました。
 ただ、それだけでは不安が残ったので、吸収体入りのおむつライナーというものを買いました。

 おむつと一緒に布ナプキンも注文しておいたのですが、それが今日、届きました。おむつはカラフルでふわふわでとってもよさそうです。布ナプキンが産婦に安眠をもたらしてくれるといいのですが。


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