note|tacrow.com


2008年11月27日(木) ちょっといい話


女子高に通う娘が
「夏休み期間中、外出する時は刺激的な服装を慎みなさい」
と学校から指導を受けて帰宅した。

それを受け、娘と母親が刺激的な服装ってなんだろう? 
と具体的な服装のデザインなどについて語り合っていた。

それを聞いていた父親が「セーラー服に決まっているだろう」と言った。
その夜、父親の寝室にセーラー服を着た母親がやってきた。

世界が平和でありますように。



いい話だ。


2008年11月26日(水) ワイエス展

アンドリュー・ワイエス展に行く。

『ミレイ展』『大琳派展』に引き続き、
美術の教科書で親しんだ作品の鑑賞。
ふらっと出れば観に行ける東京が好き。

まず、会場に設置された挨拶を読んで驚いた。
ワイエスさん、ご存命なのだ。91歳。
失礼ながら、歴史上の巨匠と思いこんでいた。

琳派展のごった煮展示とは対照的な、
ひとりの作家の変遷を追うシンプルな構成。


展覧会のポスターにもなっている「火打ち石」に
足が止まる。数点の「火打ち石のための習作」にも。

この、同じモチーフを何枚もエスキースしていく流れ、
かたちづくる過程が、創作を追体験するようで愉しい。


2008年11月23日(日) しばれない

秋がないままの冬到来。

先日の緊急対策会議の結果、


ついに我が家にも
オイルヒーター導入!

朝方にオンタイマーが動いて
起きた頃にはポカポカ…が楽しみ。


夜、録画したMUSICFAIRを見ながら豚しゃぶ。
ごまだれもポン酢も切れていて、
仕方なく白だしと餃子のたれで食う。

「シオノギにあるのは何だっけ?
 ミュージック?」という彼女。

シオノギにあるのはSONGだと思う。
Mないから。


2008年11月22日(土) YouTube HD


YouTubeが16:9になって、HD画質に対応した。

動画をダウンロードし、iPhoneに転送。
おおおおぉぉぉぉ、iPhoneでもHD画質!

さ、仕事仕事…。


2008年11月16日(日) 大琳派展 〜継承と変奏〜

東京国立博物館にて大琳派展を鑑賞。

病み上がり(風邪引き中)にはこたえる人混み。
20分待ちの行列は覚悟の上の最終日…曇り空。
人垣の奥に見る尾形光琳はそれでもなおまぶしい。

展覧会の最大の見どころである、
俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一の
4つの「風神雷神図」を同時に鑑賞できる箇所は、
さすがに黒山の人だかり。
離れたところから全体を一望したかったけど、叶わず。

去年、京都に行ったときに建仁寺で観た
宗達のオリジナルが観られたのは収穫。
彼に一等賞をあげたい(凄みが違う)。

うれしい出会いもあった。
酒井抱一。他とは異なる渋みのある色、
大胆な構成に息を呑み、釘付けになる。

京都発のバッキバキな金色世界とは真逆の色合いと
ぺたんこの平面構成に、なぜか無限の空間を感じる。


草花の細密描写と大胆な川の流れにとぼけた緊張感があって、目に心地いい。
展覧会場を離れたくない、と思った。


それにしても、超満員のお客さんたちは
思い思いの感想をぺちゃくちゃ語り合い、
その話がいちいち面白い。

ご年配の方であれば博識を披露してくれるし、
女子高生風の4人組は鈴木其一の夏秋渓流図屏風を観て
「ディズニーランドのアトラクションの壁みたい!」
「わかるー、なんかペンキっぽいよね!」
と言っていた。なるほど、言われてみれば。

200年前の芸術の前に、色んな人たちがいる。
音声ガイドなんて必要ない、好きに観ればいい。


大昔の作品たちなのに、愛されてるなぁ。


2008年11月12日(水) しばれる

本格的な冬はまだなのに、
もう朝がつらい。

今までは真南向き、直射日光朝から浴びせます!
の部屋に住んでいたので、冬でも汗をかいていた。
カラカラになるので、6畳間で加湿器をつけっぱなしだった。

それが確実に広くなって、方角も西向きになった。

電気ストーブをつけっぱなしで寝るのはキケン。
しかし朝の日差しからは縁遠くなり、寒気との
格闘をせねばならなくなった。


急いで対策会議を開かないと。


2008年11月11日(火) だんだん白から灰色にしずむ

昼、美人さんとランチ。 なぜか
学生時代の恋愛話に花が咲き、幸福な昼休み。

家に帰り、北川景子が出るCMを見て
「あれ?今日会った気がする」という奇妙な感覚に襲われた。
あぁ、似てるってことか!と気づくまでの間、
北川景子がものすごく近くにいた気がします。


夕方、彼女からメール。
「今さー仕事でNHKホールにいるんだけどさー
 向かいの楽屋がPerfume様だってさーうらやましいだろ」
なぜ句読点を付けない?という疑問もありつつ、うらやましい!


夜。コツコツ貯めていたサントリー黒烏龍茶「黒のご褒美」
応募シール全9枚の苦労が無駄に。気づくのが1日遅かった…
黒毛和牛…。


夜中、ウィジェットの天気予報で憂鬱になる。
秋をとばして冬の寒さ。ゲリラじゃないけど雨。
落ち葉を踏むこともなく実家にコートを要請。


2008年11月10日(月) 撮れない日

  写真は「生き物」みたいに繊細で揺らぎやすいので、
  撮るときは意識が開いてないとだめなんです。
  ちょっとでも精神的にぐらついていたり、
  及び腰だったり、思い切りが悪かったりすると、
  写真に出てしまう。
  そういう日は、写真が撮れない日です。


ほぼ日刊イトイ新聞 - 大竹昭子さん、写真のたのしさ、教えてください。
より。


思い切りの悪い僕はぜんぜん写真家じゃないけれど、
よく分かる。


先日、駅の改札を通ろうとしたら、
ふだんは駅員さんがいるはずの窓口に黄色い
帽子を被った小学生たちがすし詰め状態(!)。

社会科見学なのだろう、メモ帳片手に
駅員さんの説明に聞き入っている。

まるでネロ少年がルーベンスの絵を見るかのような
無垢なまなざしを一身に受けて、たまらず苦笑する駅員さん。
横で若い女の先生が申し訳なさそうに立っている。

そんな奇っ怪な光景にも目もくれず
改札を通り過ぎる人々は、定刻通りに
来る電車に乗ることで頭がいっぱいだ。

僕はといえば、ガラス一枚を隔てていつもの
改札と黄色い異物が混在するこの状態を発見し、

「撮らなきゃ!」

と思ったが後の祭り。

日常のレールに乗っかった僕も
改札へと引きずり込まれ、そのまま朝の
ラッシュへと溶け込んでしまった。

何で引き返さなかったんだ?
でも、引き返すのも違うような気がする。
そのとき、カメラは鞄の中にあった。

最初からカメラを持っていなかった時点で、
どうにも抗えない。そういう出会いだった。

僕の好きな写真家なら押さえていただろう。


2008年11月09日(日) Good night cafe

衝撃のBUDOUKaaaaaaaaaaN!!!!!を観た(した)木曜の夜、
盟友・コニ氏と代々木上原に移動し、Fireking cafe
ああでもなく、こうでもなく、語り合う。


武道館の感想はもちろん、

浪人時代に苦楽を共にした第二の故郷・立川への心配、
先日のコニ氏の展示の僕からの率直な感想、
別の友人の展示に抱いたちょっと残念な部分、
それでも作っていくしかないよねという総括。

だいたい考えていることがふつうに通じる。
伝えたかったことを一気に言葉にして投げたら、
どの球もみごとに返してくれて爽快だった。

恋人か!と後で彼女に突っ込まれなかったらシャレにならない。
(本当にキモイらしい)


なにかを作りつづけるにはお金がかかる。
場所もいる。時間もかかる。人のお手伝いも必要だ。
常に謙虚に、真摯にとり組む彼なら、大丈夫だと思った。


気づいたら終電の時間もとっくに過ぎて、
奥の席にいたおぎやはぎもアンガールズ・田中も帰った後で。
ダウンライトのカフェは人を饒舌にさせる。


2008年11月08日(土) 「論も愉し。」 -訃報を知って-

大好きな俳優、
注目していたクリエイター
が亡くなった年として、今年は
記憶に刻まれるだろう。

そして、
大好きなニュースキャスターが
今月7日、この世を去った。


  テレビでの、彼の至高の発言は、TBSの社員が旧オウムに情報を流し、
  不幸な悲劇が起こった時、「TBSは死んだ」と自らの番組で言い放ったことである。
  新聞記者だからこそ、言えたのだ、と私は思う。


  (中略)

  キャスター筑紫哲也は、最後まで、言論の魂、新聞記者としての志を胸に刻んで、
  この世を去った。



「筑紫哲也を悼む」盟友・中島清成氏
より抜粋。


「大好きなニュースキャスター」というのは
妙な感じがするけど、テレビのこちら側にいる僕は
明らかに筑紫さんのファンだったんだと、いま思う。


「出張先のホテルに、中島みゆきさんのCDを持ち込んで
 夜はずっとみゆきさんの歌を聴いてるんですよ」
ある番組のインタビューで話されていた。くしゃくしゃの笑顔で。

日本にジャーナリズムを確立した第一人者、という事実は
揺るぎないものだが、その中には映画やTVCM、音楽、Artを
茶の間に伝える笑顔の筑紫さんもそこには含まれていると思う。


「最後の多事争論」はすこし険しいお顔で、この国を見つめていた。
どっちの顔も忘れてはいけない、いち生活者でしかありませんが、
そう思いました。ご冥福をお祈りします。


がんを生きぬく
WEB多事争論




< prevnext >ALLtacrow.com