ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2020年07月22日(水) ささやかな一言で

二十四節気の「大暑」一年で最も暑い頃とされている。

午後から曇り空になり昨日ほどの猛暑にはならずに済む。

けれどもなんと蒸し暑いことだろう。エアコンなしではとても過ごせない。



今朝もめいちゃんを保育園に送り届けて山里の職場に向かう。

すっかり小麦色の子供たち。今日もプールを楽しみにしている様子。


国道から山道に差し掛かったところでお遍路さんの姿。

金剛杖を二本にして一歩一歩踏みしめるように歩いていた。

山道とはいえ朝から蒸し暑くどんなにかしんどいことだろうと

声をかけずにいられなかった。労う言葉が自然に出てくる。

そうしたら満面の笑顔で応えてくれてなんと嬉しいことだろう。

おまけに追い越して行く私に手まで振ってくれたのだった。

感動で胸が熱くなる。なんとも清々しい気持ちでいっぱいになった。



ほんの一言。それがどんなにささやかな言葉でも想いは通じるのだ。

一歩間違えれば罪にもなり兼ねない言葉を心して大切につかう。

これからもそう心がけていこうと肝に銘じた出来事だった。




仕事が忙しく二時間の残業になってしまう。

スーパーへ寄る時間がなくなり朝来た山道を急いで帰る。

家の近所のコンビニで鶏の唐揚げなどを買って帰宅した。

娘が残りご飯でおにぎりを作ってくれてとても助かる。

後はあり合わせだったけれど誰も文句を言わずに食べてくれた。

あやちゃんの機嫌が悪かったらきっと私は涙をこぼしていただろう。


コンビニの店員さんが「おつかれさま」と言ってくれた。

そんなささやかな一言が嬉しいものなのだ。



2020年07月21日(火) 我が家は「牛の日」でした

最高気温が36℃。今日もうだるような猛暑となる。

夕方になり雷が鳴り始め今は熱を冷ますように小雨が降っている。

今夜は少し涼しくなるかもしれない。こんな雨はありがたいものだ。



今朝は久しぶりにめいちゃんと保育園へ。

小学校のプールへ行くのだと言ってとても楽しみにしていた。

それから連休中は南国市のいとこの家に泊まりに行くのだそう。

目を輝かせながらいろんな話をしてくれる。

保育園の門をくぐると一度だけ振り向いてくれて走り出す姿。

そんな後ろ姿に手を振る。なんだか胸がきゅんとしていた朝のこと。



仕事は来客が多く嬉しい悲鳴。暑い中を来てくれてありがたいこと。

オイル交換に来てくれた常連のお客さんからハクビシンの話を聴く。

畑のトマトを毎晩食べに来るので罠を仕掛けて捕まえたとのこと。

その後の話がとても悲惨だった。それほどの罪なのかと耳を疑う。


ハクビシンの命よりもトマトの方が大切だったらしい。

農家の人にとっては当たり前のことなのかもしれないけれど

野生の動物も必死で生きようとしているのだと複雑な気持ちになった。

「そんなもんよ」と笑うお客さんを「ありがとうございました」と見送る。



仕事を終えていつものスーパーに寄ると今日は「丑の日」

店先では店員さんが汗びっしょりになりながら鰻を焼いていた。

買ってあげたい気持ちは山々だったけれど

我が家は先日天然鰻をたくさん食べていたので今日は「牛の日」に。

店内でステーキ肉を三枚買ってそれで鰻一匹分の値段だった。

輸入肉だけれどじゅうぶんに美味しい。家族も喜んでくれて良かった。




最近少しずつだけれど過去の日記を読み返している。

今日は2009年1月の日記を読んだ。

私信になってしまうけれど大分の「とくさん」もし時間があれば

1月4日の日記を読んでみて下さい。

もう11年の歳月が流れてしまったのですね。

なんだか昨日のことのように懐かしく思い出されます。

今もなお続いているご縁にただただ感謝しています。



2020年07月20日(月) きっと笑顔でいてほしい

梅雨明けを思わすような猛暑日。風もなくうだるような暑さだった。

雨が降れば豪雨。晴れれば熱中症と人はどれほど耐えれば良いのだろう。

平穏無事であることがなんだか奇跡のように思えてならない。



あやちゃん参観日の振替で今日は学校がお休み。

どうしたわけか朝からすこぶる機嫌が悪い。

それも私にだけでつんつんと当たり散らす。

反抗期なのかもしれないけれど「ウザイ」のだそう。

そっか・・と少しかなしい。苦笑いするしかない朝のこと。



出勤前に近くの地場産市場へ寄ったら偶然にも息子夫婦に会った。

お嫁さんには先日会ったばかりだけれど息子に会うのは久しぶり。

元気そうな様子にほっと安堵する。マスク越しに笑顔を交わし合う。


寝耳に水だったのは来月から職場が代わるのだそう。

同じ系列だけれど他の老人ホームに異動になったのだそうだ。

特に不祥事があったわけでもなく心配ないよと息子は言うけれど

心配性の母には左遷なのかもしれないと嫌な予感が頭をよぎる。


介護の現場はとても過酷だと聞く。息子はもう慣れてはいるけれど

職場が変わればまた苦労も増えることだろうと気遣わずにいられない。


じいちゃんいわく「栄転かもしれないだろう」と。

「あいつのことだから心配ないさ」とまで言ってくれる。

私はどうしていつも悪いほうにばかり考え込んでしまうのだろう。


いつまでも母にとっては「こども」なのだけれど

もう40歳を過ぎた立派な「おとな」なのだった。

社会の理不尽な渦に巻き込まれることもないのだと信じてあげたい。


今度はいつ会えるのだろう。その時にもきっと笑顔でいてほしい。





2020年07月19日(日) ほうら肩の力をすうっと抜いて

早朝の曇り空が一変し夏空がひろがる。そうして初蝉の声。

まるで梅雨明けを思わすような暑い一日だった。



朝の涼しいうちにお大師堂へ。日捲りの暦を今日にする。

川の水はまだ少し濁っていたけれどさらさらと水音が心地よい。

お堂の中は凛とした空気に満たされていてとても清々しい。

こころもからだもすくっとし生まれ変わったような気持になる。

たどたどしい般若心経も唱えれば救われたようになるのが不思議。



買物から帰宅したらじいちゃんが「ちょっとドライブ」と誘ってくれる。

先日開通したばかりの宿毛中村道路の延長区間を走りたいのだそう。

どんな道なのか私も気になっていたので「行こう」と意気投合する。

往復一時間ほどの短いドライブだったけれどけっこう楽しかった。



早めに昼食を済ませ午後はひたすら寝て過ごす。

孫たちのふたいとこのまあちゃんが遊びに来ていたようで

その甲高い声に「うるさい!」と怒鳴ってしまったようだ。

記憶にございません。まあちゃんほんとうにごめんなさい。

途中で一度目を覚ましたものの4時間もの昼寝は尋常ではなかった。

なんという恐るべき睡魔だろう。まるで寝るために生きているよう。



夕飯は何も作らなかった。娘たちがお昼にバーベキューをしたそうで

その残りのお肉で済ます。めいちゃんとじいちゃんは卵かけご飯。

あやちゃんはお昼に食べ過ぎて何も食べたくないと言う。

娘夫婦はインスタントラーメン。それぞれに食べたい物を食べる。


めいちゃんが今夜も食器洗い。「めいのぶんだけ」と言ってその通り

他の食器には見向きもせずに後は娘が洗ってくれて助かる。


私は気が抜けたようにだらだら。今日はほんとうに怠惰な一日だった。

けれどもそんな怠惰が明日の気力につながるような気がする。


休める時には安みましょう。ほうら肩の力をすうっと抜いて。



2020年07月18日(土) こつこつと頑張るタイプ

薄雲におおわれていたけれどおおむね晴れ。

にわか雨もなく柔らかな陽射しが降り注いでいた。

蒸し暑さはあったけれど青空はやはり嬉しいものだ。



残り仕事があり今日も山里の職場へ。

先月からずっと土曜日出勤の日が続いている。

幸い体調を崩すこともなく元気なのが何よりだった。


今まで職場は休みではないのを私ひとり休ませてもらっていた。

孫守を理由にそうさせてもらっていたけれどもうその必要はなさそう。

それだけ手が掛からなくなった。孫たちは日に日に成長している。



今日はあやちゃんの参観日で水泳記録会があったのだそう。

娘が休みを取っていてめいちゃんも一緒に行っていたようだ。


水泳が決して苦手ではないはずのあやちゃんが

ミニプールを最後まで泳ぎ切れないと聞いていたので心配していた。

他のお友達はみんな出来るのにあやちゃんだけ出来ないのだと。

プレッシャーをかけてもいけないとそっと応援する気持ち。

その願いが通じたのか今日は初めて最後まで泳ぎ切れたのだそう。

先生や同級生や保護者の大拍手。どんなにか嬉しかったことだろう。

「やれば出来る」それは大きな自信につながったのだと思う。

えらかったねあやちゃん。おばあちゃんもその姿を見たかったよ。


当のあやちゃんはのほほんとしていて特にどうってことない様子。

めいちゃんとは正反対の性格でそれが長所でもあるのだと思う。

人と競おうとしない。抜き出ようともしない。悔しがらない。

そんなところが好きだなと思う。そして努力は惜しまないのだ。


こつこつと頑張るタイプ。おばあちゃんもそんな人になりたい。



2020年07月17日(金) いつか読み返す日のために

幾日ぶりの青空だったのだろう。雲が多かったけれど概ね晴れ。

爽やかな風が吹き梅雨の晴れ間にしてはずいぶんと過ごしやすかった。


巣立った子燕達だろうか電線に何羽もとまっていて可愛らしい。

飛ぶ練習をしているのだろうか。餌も自分で探せるようになったのか。

見つめ合えばきょとんと首をかしげる姿もまた愛しいものだ。




じいちゃんの手術から昨日で一年が経ちあれこれと思い出す。

去年の今頃はと一口では言い表せないほどの大変な出来事だった。

それでもその頃の日々を日記に書き残しておいて良かったのだと思う。

読み返せば胸が熱くなりついつい涙ぐんでしまうのだった。

幸い後遺症もなく元気にしている。それが奇跡のように思える。




山里でお客さんから猪肉をいただき今夜のごちそうにする。

母の日に娘が贈ってくれた圧力鍋を初めて使ったのだけれど

説明書をよく読まずに煮てしまってあわや大惨事になるところだった。

火傷こそしなかったけれど煮汁が飛び散りすごい有様になってしまう。

それもすぐに笑い話になり猪肉は柔らかくてとても美味しかった。

使い慣れたら重宝することだろう。さて次回は何を作りましょうか。



めいちゃんが今夜も食器を洗ってくれる。

先日のような口出しはせずにそっと見守っていたら

水量も程よくとてもきれいに洗い流していて感心するばかり。

「まだまだあるよ」と汚れた食器を流し台に運んで行くと

「めいのぶんだけあらうの」と言いつつ手を止めずにいてくれる。

後から見てびっくり殆どの食器を洗い終えてくれていた。

「やるねえ、使えるねえ」と娘と顔を見合わせ微笑んでいた。


泣き虫でかん虫のめいちゃんだけれど日に日に成長している。

出来るかな出来たよ。それが大きな自信につながっているのだと思う。

めいちゃんありがとうね。おばあちゃんはとても助かりました。





2020年07月16日(木) なんの罰なのかなにが罪なのか

曇りのち雨。蒸し暑さはなくずいぶんと涼しく感じる。

雨雲におおわれている空を想う。彼女と呼んでいいのか

きっと欝々と嘆き苦しんでいるのではないかと気づかう。

ほんとうは青いのだ。明るくて朗らかなひとなのだろう。



ぽっかりと浮かぶ白い雲が好きだった

風と一緒に追いかけっこをしたりして

くすくすっと笑ったり抱きしめてみたり


真っ青であればあるほど雲を恋しがる

そうそれほどまでに寂しがり屋だった

風がどんなに宥めても切なそうな顔をして

わたしは独りぼっちだからとぽつんと呟く



ある日とうとう邪悪な雨雲に囚われてしまい

微笑むことも叶わない憐れな姿になった

風がほらねとまるで後ろ指を指すように

それでも歯を食いしばって耐えていたのだ


なんの罰なのかなにが罪なのかわからない

ただ青く白い雲に会いたがっていただけなのに


どうか彼女をゆるしてあげてください

どうか涙をうけとめてあげてください






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