ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2020年07月01日(水) そのうち卵を産むかもしれない

昨日の荒天が嘘のような晴天。元気いっぱいのおひさまが微笑む。

「半夏生」でもあり季節の移ろいを感じながら文月の扉がひらく。


とある本に「自信がないのは自分を信じていないからだ」とあった。

ほんとうにそうなのかとふと心に引っかかるような気分になる。

なぜなら私は自分を信じているからだ。それが嘘だと言うのだろうか。

自分が信じた道を歩きながらも誰だって不安になるのではないか。

心細くなるのではないか。自信満々になどどうしてなれようか。



今週もありがたいことにする仕事がたくさんある。

そんな活気が嬉しくてならず今日も目の前の事をこつこつ。

まるで鶏が餌をついばんでいるような日々だった。

そのうち卵を産むかもしれないそれも愉快に思う。


帰宅したら電器屋さんが来ていて子供部屋にエアコンを付けていた。

あやちゃんが宿題をするのにこれから暑くなるだろうなあと

気遣っていた矢先のこと。娘たちも同じように案じていたのだろう。


じいちゃんと顔を見合わせながら「ずっと居てくれるのかな」と。

もし娘たちがそのつもりだったらそれほど嬉しいことはなかった。


同居を始めて6年目の夏。決して失いたくはない家族の姿があった。



2020年06月30日(火) 母でありながら母になりたがっている

雨風ともに強くまるで嵐のような一日だった。

夕方になりやっと静かになりほっと空を仰いでいる。

曇り空だけれどもしかしたら西の空が茜色に染まるかもしれない。

そんな空を燕たちが群れをなして飛んでいるのが見える。



昨夜は深夜に息子からメール。何事だろうと一瞬不安がよぎった。

夜勤中だとのこと。あまりの雨にけい君の登校が心配だったよう。

出来れば学校まで送って欲しいとのヘルプメールだった。


病弱なお嫁さんの事も気がかりになりすぐに了解の返信をする。

頼ってくれたのが嬉しかった。出来る事なら何でもしようと。


午前7時過ぎ息子のマンションへ向かう。

けい君はすっかり準備をして笑顔で待っていてくれた。

お嫁さんの顔色も良くそれが何よりもほっとする。

いつ体調が崩れるのかわからない。倒れてしまう心配もあった。

息子がいなくてもちゃんと母親をしている気丈な姿を確かめる。


ランドセルを背負ったけい君を初めて見た。

しばらく見ないあいだに背も少し伸びたように感じる。

すっかり逞しくなった姿に感動さえおぼえる。


学校の規則で通学路までしか送っていけなかったけれど

ちょうど同級生のお友達と一緒になってとても嬉しそうだった。

傘が風で飛ばされそうになるのをはらはらしながら見送る。

けい君の通う小学校はマンモス校で大勢の児童が歩いていた。

それがなんだか大きな渦のように見えて少し怖いなと感じる。

単なる老婆心なのだろう。けい君にとっては大切な仲間なのだ。


今度はいつ会えるだろう。息子たちとの距離はなんだかせつなく

母でありながらそれを否定するかのように母になりたがっている。



2020年06月29日(月) みかちゃんおやすみなさい

晴れのち曇り。今夜から雨になりそう。

今にも降り出しそうな空を仰ぎながらこれを記し始めた。


身体にまとわりつきそうな湿気。せわしなく首を振り続ける扇風機。

歌うようなことは何もないけれどふと歌を詠んでみたくなる。

そんなふとしたことにしがみつこうとしている愚かな私がいた。



仕事は活気に満ちており今週も忙しくなりそう。

明日はもう月末。まるで駆け抜けたような6月だった。

資金繰りさえ整えばもう怖いものなどない。

支払い予定のノートを見ながら「うん大丈夫」と肩の荷を下ろす。


同僚にもほんの気持ちだけれど「がんばったで賞」を手渡す。

よほど思いがけなかったのか今日はとても機嫌が良かった。

てきぱきと仕事をこなしてくれる。なんとありがたいことだろう。

どんなに頑張っても報われないのではあまりにも理不尽におもう。

私の一存で出来る事ならばこれからもそうしてあげたかった。


帰り道に税理士事務所に寄り決算の帳簿類を手渡す。

もう30年以上もお世話になっている事務員さんと話していたら

なんと私と同じ「みか」という名前だと初めて知った。

お互いに姓で呼び合ってずいぶんと長い歳月が流れてしまったのだ。

今度からは「みかちゃん」と呼ぼう。なんだかわくわくと嬉しい。


帰宅しながらみかちゃんのことをかんがえていた。

5時まで仕事だろうなあ。それから買物をして夕飯も遅くなるだろう。

家族は何人いるのだろう。その前にみかちゃんは何歳なのだろうとか。

考えだしたら果てしなく妄想もふくらんできて愉快になってきた。


みかちゃんおつかれさま。みかちゃんおやすみなさい。





2020年06月28日(日) それにしてもよく寝ました

雨のち晴れ。思いがけずに青空が広がる。

風があったけれどずいぶんと蒸し暑い一日だった。


朝のうちにお大師堂へ。やはり活けてあった紫陽花が萎れていた。

もう活ける花もなく萎れた紫陽花をそっと川に流す。

日捲りの暦を今日にして蝋燭に火を灯しお線香を立てる。

般若心経が今日はどうしたわけか声が震えてうまく唱えられない。

途惑いながらもお堂の中には凛とした空気が漂っていた。


なにか雑念のようなものがあるのだろうかとふと思う。

自分で自分の事がよくわからない。最近は特にそれを感じる。



早めに昼食を済ませあとはひたすら寝てばかり。

時おり孫たちの声に目覚めてはまたとろとろと寝入ってしまう。

やっと起き出した時にはもう午後3時になっていた。


ふたいとこのまあちゃんが遊びに来ていてめいちゃんと水浴びをしていた。

どうりで賑やかだったこと。楽しそうなはしゃぎ声が庭中に響いていた。

水着姿の可愛らしいこと。いつまでも見ていたいような微笑ましい光景。



夕飯は手作り餃子を。娘とふたりで50個ほど作る。

ホットプレートで焼いて熱々のをはふはふと食べてとても美味しい。

孫たちはまだ餃子が食べられずレトルトのカレーを。

そろそろ大人の味もと思うのだけれど無理強いは出来なかった。

我が家の餃子はニンニクと生姜がたっぷりと入っている。


食後の後片付けを終えてゆったりとお風呂。

明日からまた新しい一週間が始まるのだなと思いながら

すっかり疲れのとれたからだが湯船でちゃぷちゃぷと嬉しそう。





2020年06月27日(土) おつかれさまそしてありがとう

つかの間の青空のあと午後からぽつぽつと雨が降り始める。

蒸し暑さも増しいかにも梅雨時らしい一日だった。


職場の庭のやまももの実が先日はとても酸っぱかったのだけれど

美味しくなっていると親戚の伯母たちがそろって採りに来る。

木の下にビニールシートを広げ義父が木に登り振るい落した。

ぱらぱらぱらとものすごい音を立てて実がたくさん落ちてくる。

義父はまるで少年のよう。伯母たちも歓声をあげて少女のよう。

そんな姿を見ているだけで楽しくてならず笑みがこぼれる。


よく熟れている実はたしかに美味しかった。とても懐かしい味。

母にも食べさせてあげたいと思うだけで届けることも出来ない。


仕事中とはいえそんなひと時もありよき気分転換になった。



一時間の残業になり帰宅。疲れはあっても心地よい達成感が勝る。

する仕事のあることはほんとうにありがたいことだと思う。

明日はゆっくりと休もう。そうしてまたぼちぼちと頑張ろう。


一日中孫たちと過ごしていたじいちゃんもちょっとお疲れ気味で

口数も少なくなんだか機嫌が悪いのが気になっていた。

聞けば近所のお友達が集まり総勢5名の子供達だったそう。

「もうほったらかしにしといた」と言いつつ気が気ではなかったのだろう。

今月はずっと私が仕事だったのでじいちゃんにはほんとうに助けられた。


夕飯はあやちゃんの好きな豚カツと肉じゃが。

娘が気遣ってくれて「あやに合わさなくてもいいよ」と言ってくれる。

けれども昨夜みたいに悲しいのはいや。やっぱり喜んで欲しいから。


ちゃんと出来ない日もいっぱいある。手抜きばかりの時だって。

でもおばあちゃんだってちゃんと出来る日もあるよね。


あやちゃんが美味しそうに食べながら「ありがとう」って言ってくれた。



2020年06月26日(金) あるがままに

曇り日。時おり思い出したかのように薄日が射しひどく蒸し暑い。

しばらくは梅雨空が続きそう。あるがままの空を受けとめてあげよう。


わたしもあるがまま。もう背伸びをするような年でもないし

ひっそりと自分の殻に閉じこもっているのも良いかもしれないと思う。


羽ばたこうとも思わない。だって生きているだけでじゅうぶんだもの。

たとえまだ自分の知らない世界があるのだとしても

そこはきっと自分にはふさわしくない場所なのだと思っている。


身の程を知るという事はそういうことなのだ。




ぐったりと疲れて帰宅。あやちゃんがまた夕飯が気に入らないと言う。

いつものことなのに今夜はなんだか涙が出そうになる。

口にこそ出さなかったけれど「いいかげんにして」とこころで叫ぶ。

苛立っているのが自分でわかる。なんと大人気ない事だろう。


娘がすぐにフォローしてくれておにぎりを作ってくれた。

よかった。あやちゃんが笑顔になってくれてほっと嬉しくなる。



外はまだ薄明るいけれど早めに床につこうと思う。

ごろごろしているうちにすぐに眠くなるだろう。

明日のことはまたあした。きっとちょこっと元気な朝が待っている。



2020年06月25日(木) 気にしない気にしない

霧のような雨が降る。優しい雨でよかった。

午後にはやみずいぶんと涼しく感じる。


紫陽花の花が盛りを過ぎ少しずつ枯れ始めてしまった。

やがて化石のようになることだろう。目をそらしてはいけない。


私は花にはなれないけれど枯れるせつなさを知っている。

おそらく土なのだ。踏みしめられて踏みしめられてつよくなる。

そんな土でも老いるせつなさにふと涙する時があるのかもしれない。



さっき二階に上がろうとしていたらあやちゃんが

「もう日記書いた?」と訊いてくれた。「まだ今からよ」

「よくもまあ毎日書くことがあるわね」と娘があきれたように言う。

気にしない気にしない。だってあやちゃんが応援してくれている。


何よりも書きたくてたまらないのだから中毒みたいなもの。

書けなくなったらもう私の人生は終わりとさえ思っている。



決して老体にムチを打っているわけでもないのだけれど

木曜日になるともうすっかりくたびれてしまっている。

気力はあるのに体力がついていかないのがなんとももどかしい。


あと二日なんとか乗り切ろう。だいじょうぶそんなに脆くはない。










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