ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2020年06月24日(水) こころが風に吹かれている

雲が多かったけれどおおむね晴れ。

梅雨時とは思えないほどの爽やかな風。

午後にはまるで秋の空のようなうろこ雲が見えていた。


ゆらりゆらりともの思うことが多いこの頃。

こころが風に吹かれているのだろう。

一処にとどまらずつかみどころがないような安定のなさ。

はっきりとした芯がない。かと言って折れもしないでいる。



仕事が怒涛の忙しさ。同僚にかなりの負担をかけている。

月末までぎっしりと詰まった予定表を見ながら

私は段取りをするばかりで何の役にもたっていない気がする。

もはや経営側に居る自分にいったい何が出来るだろう。

せめてお給料を上げてあげたいものだと思うばかり。

私の一存でそれが出来る。それも私の仕事なのだった。



仕事を終えて家の近くのサニーマートで買い物。

今日からセルフレジになっていてびっくりとおどろく。

初めてのことで店員さんがおしえてくれたのだけれど

食品のバーコードを探すのにあたふたと手間取ってしまった。

でもなんだかとても楽しかった。これはいいなと癖になりそう。


帰宅して娘に話したらパート従業員のことを心配していた。

店側が人件費の削減を考えているとしか思えないと。

それを聞くとやはり複雑な思いが込み上げてくる。

お客さんが皆セルフレジに慣れてきたら店員さんが不要になる。

便利になればなるほど裏では苦境に立たされる人が居るのだ。


娘に言われて初めてきづく世の中のかなしい現実だった。

いつも笑顔で応対してくれた店員さんの顔が目に浮かんだ。







2020年06月23日(火) ソウルメイト

雲ひとつない青空。涼しくて爽やかな朝となる。

今年の梅雨はなんだかさっぱりとした性格の人のようで

いつまでもぐじぐじしないと言うか女々しさを感じさせない。

そんな空が好きだ。人もみなそうであってほしいものだ。



友の命日。ずいぶんと歳月が流れもう20年目の夏になった。

今朝は形見の「貝殻」を洗い手のひらにのせて声をかける。

生前は水中カメラマンだった。海の底から綺麗な貝殻を見つけて来ては

ガラスケースに飾り眺めるのをとても楽しみにしていたのだった。

ある日そのひとつを無理やり貰って来た。よほど気に入っていたのだろう

「それは駄目だ」と言ったのを奪うようにして持ち帰ったこと。

まさかそれが形見になるなんて思ってもいなかったあの頃。


懐かしい思い出を胸に私は生き永らえている。

また来世でもきっと巡りあえるだろう。それが縁というものなのだ。



今はもう死語なのかもしれないけれど私は「ソウルメイト」を信じている。

「ツインソウル」という言葉もある。より深い魂の出会いを言う。

たとえば夫婦、家族がそう。前世からの深い縁でつながっているのだ。


中島みゆきの「糸」に歌われているような縦の糸と横の糸

手繰り寄せるために生きていると言っても他言ではないだろう。

しあわせは「仕合せ」その根本は縁だと私は思っている。


私はそんなうんちくを並べ立てるほどの人間ではないけれど

今夜はふっとそんなことを思い浮かべながらこれを記してみた。


この日記を読んで下さっている皆さまともご縁があったのでしょう。

とても励みに思っています。ほんとうにありがとうございます。






2020年06月22日(月) ある日突然かもしれないこと

朝から爽やかな青空が広がる。涼しくてなんとも心地よい。

日中は気温が高くなり真夏日となる。きらきらとまぶしいおひさま。


職場のやまももの実がすっかり紅くなったのでひとつ千切って食べてみた。

それは口が曲がるほど酸っぱくてとてもふたつは食べられない。

少し残念に思いながらもやはり懐かしい味だった。


おてんばだった子供の頃には木に登って口いっぱいに詰め込んだっけ。

それから種をぷぷっと飛ばして遊ぶのだ。それがとても楽しかった。




仕事で隣町のお得意様まで集金に。手土産に地鶏の卵と木耳を持って行く。

山里の「じまんや」と言うお店で買い求めたもの。

いつ行っても山里の特産品があって今日は何にしようかなと選ぶ楽しみ。

地鶏の卵でたまごかけご飯をしたら美味しいだろうなあとか

木耳はさっと湯がいてポン酢醤油で食べたら最高だなあとか。

そんなささやかな手土産を喜んでもらえてとても嬉しかった。



いま午後7時40分。外はまだ薄明るくて西の空が茜色に染まっている。

あやちゃんが私の部屋へ入って来て「何してるの?」と訊くので

「日記を書いているのよ」と応えるとふ〜んと不思議そうな顔。

おばあちゃんにも宿題があるのかときっと思ったのだろう。


もう長いこと書いているからあやちゃんが生まれた日もあるよ。

めいちゃんが生まれた日もあるよ。昨日の事も今日の事もね。

そう言ってからつい「おばあちゃんが死んだら読んでね」と。


「うん、わかった」とあやちゃんが言ってくれてほっとする。

いつかきっとそんな日が来るだろう。ある日突然かもしれないこと。


ただこの日記スペースがいつまでネット上に在り続けてくれるか。

それがいちばんの不安でもあり在り続けて欲しいと願うばかり。


消える事だけはしたくない。たとえ最後の日記だったとしても。



2020年06月21日(日) 自分の人生は自分で決めなきゃ

曇り日。梅雨独特の蒸し暑さもなくとても涼しく感じる。

夏至。日食。そして新月となんだか空が主役のような一日。


朝のうちに久しぶりにお大師堂にお参りに行っていた。

コロナ騒動が始まってからなんとなく足が遠のいていたので

3ヵ月ぶりではなかっただろうか。ずいぶんとご無沙汰していた。


荒れ果てているのではと心配をよそにそれは綺麗にしてあって

Sさんやお参り仲間さんのおかげだとほっと嬉しく思う。

Sさんだろうお堂の周りの草刈りもしてくれていた。

それが浜木綿の花まで根こそぎ。Sさんらしいなと少し苦笑い。

以前から「この花は好かん」と言っていたのを思い出す。


花枝を新しくし紫陽花の花を一輪添える。

お供えのお菓子。手水鉢の水も入れ替える。

私に出来ることがあって良かったなとありがたく思った。


またこれからも少しずつお参りに来ようと決める、

こころがとても清々しくなる。それがとても大切なことに思えた。



父の日でもありじいちゃんが「夏用の帽子が欲しい」と。

なんだか子供のようにおねだりをするので可愛らしいものだ。

一緒に買物に行くことはめったにないけれど今日は特別だった。

気に入った帽子を被ってみるけれどことごとく小さい。

どうやら昨年の手術からこっち頭が大きくなってしまったよう。

「まだ腫れているのかもしれん」と言うのでちょっと心配になった。

やっとひとつだけぴったり合う帽子が見つかる。

薄いベージュ色で夏らしくよく似合っていた。


嬉しそうに帽子を被ったじいちゃんと少しだけドライブ。

宿毛市から大月町へ行き道の駅で田舎寿司を買って車中で食べる。

それから海沿いの道を走って土佐清水経由で帰って来た。


曇り日の海も良いもの。真っ青な海と違って少しせつない。

波もなく穏やかで水平線に大きな船が浮かんでいるのが見えた。



帰宅したら我が家は大変な賑わいになっていた。

あやちゃんのお友達、めいちゃんのお友達も遊びに来ていて

総勢6人の子供たち。あやちゃんはお友達と「人生ゲーム」をしていて

「う〜んどうしようかな」とお友達が迷っていたら

「自分の人生は自分で決めなきゃ」と助言していて愉快に思う。


そうね。その通りとおばあちゃんも思った。

たった一度きりの人生だもの自分の決めたように生きなくちゃね。

ゲームは何度でも最初からやり直しが出来るけれど

ほんとうの人生はほんとうに一度きり。

ただ失敗しても後悔してもまた前に進めるのがいいね。







2020年06月20日(土) 私に出来るたったひとつのこと

庭でバーベキューをしていた。まったくの予定外で急きょのこと。

娘むこが素潜り漁で伊勢海老とナガレコ(貝)を獲って来ていたので

「庭で焼こうよ」と娘が言い出しあらあらと言う間に準備が整う。

思いがけないことでとても楽しかった。孫たちも大喜びの夕食となる。



午後7時半を過ぎたけれど外はまだ明るい。

明日はもう夏至。いよいよ夏も盛りになることだろう。

めいさん(白井明大さん)の本を開く。

「日本の七十二候を楽しむ」という本は私の宝物でもあった。

季節ごとにわくわくしながら手に取る一生大切にしたい本である。


めいさんと出会ったのもネット空間でのことだった。

もうずいぶんと昔のことように思う。あれはいつ頃だったのだろう。

ある日私のHPの掲示板に訪ねて来てくれたのだった。

経緯は定かではないけれどどこからか辿り着いて来てくれたのだろう。

その時のことをずっと忘れられず歳月ばかりが流れてしまった。

いまだに白井さんとは呼べず「めいさん」と呼ぶ私をゆるしてほしい。

めいさんはきっと気を悪くしているのではないかと思っている。


出会った頃にはまだ無名だった彼は努力を重ね今は立派な作家さんになった。

そうして私の大好きな詩人さんでもある。世界一と言っても他言ではない。

彼の詩ほどわたしのこころにすうっと溶け込んでくる詩を他に知らない。


有名になればなるほど苦しい時もあるだろうと思う。

プレッシャーも大きいことだろう。いつも表舞台に立たされている。


そんなめいさんのことをかげながらずっと応援し続けている。

がんばれがんばれと。もうその声を届けることも出来なくなったいまも。

もしかしたらとありったけの拙い言葉で詩を書いたことがあった。

めいさんが「いいね」をしてくれた。たぶん最初で最後かもしれない。

ああちゃんと伝わったのだなと救われたような気がした。


こころを込める。それが私に出来るたったひとつのこと。



2020年06月19日(金) あとは這い上がるだけだ

雨のち晴れ。雨あがりの青空のなんと爽やかなこと。

夕陽の空から吹いてくる涼風に身を任せながらこれを記し始める。


あがきや焦りや憤りや昨夜の私はどうかしていたのだと思う。

とことん書いて気が済んだのか時には愚かな自分をゆるしてあげよう。

堕ちるところまでおちてしまえばあとは這い上がるだけだ。



昨夜眠りにつく前に先日本を出版した友と少しだけ話をした。

心の底から素直に感想を伝えられてほんとうに良かったと思う。

同じ時代を生きて来てともに老いを感じながらも

あがくことも焦ることもしながらとにかく前を向こうとしている。

私たちは「同志」なのだとあらためて思った夜のこと。


今日も仕事の合間に友の本を読みながらなぜか涙があふれていた。

その涙の訳を誰が知ろう。まるで友と私だけの秘密事のように。



仕事を終えて帰宅すれば日常の事が待っている。

私はそんな日常のなんでもないようなことが愛しくてならない。

いつもと変わらないこと。それがどれほど幸せなことだろう。


夕飯のチキンナゲットを「マックのとちがう」と拗ねるあやちゃん。

お姉ちゃんが食べないならわたしが食べると喜ぶめいちゃん。

イカのお刺身を分け合う父と娘。昨夜の南瓜煮をせっせと食べる私。

娘むこが帰って来るとイサギのお刺身。彼はイカが苦手なのだ。


流し台にはてんこ盛りの食器。それも幸せのカタチをしている。

我が家には我が家のカタチがある。パンダ柄のお皿を優しく洗った。







2020年06月18日(木) ひとからどう思われようと

大雨の予報が出ていたけれど幸いそれほどでもなかった。

ただ気温がぐんと下がり半袖では肌寒いほど。


夜明け前いつものようにパソコン画面に向かいながら

「さげすまされる」ことについてふかくかんがえていた。

それがどれほど愚かな事かとっくに知っているつもりだけれど

ぐるぐると堂々巡りのようにそれがおそってくるのだった。


まだ私が若かった頃、とある文学賞の表彰式に出席したことがある。

佳作入選だったけれど生まれて初めての事でとても嬉しかった。

どきどきしながら自分の順番を待ちつつ隣の席の女性に話しかけた。

そうしながら緊張を少しでも和らげようと思っていたのだと思う。


その女性は何も応えてはくれなかった。「ふん」という顔をして

一瞬私をにらみつけてから真っ直ぐに前を向き胸を張り続けていた。

同じ仲間ではなかったのだ。見あげるほどの高い場所に居たひと。

私は哀しくてたまらなくなった。場違いな場所に居る自分を感じながら

堂々と胸を張れない。こんなに嬉しいのにどうして哀しいのだろうと。


そんな昔話をどうして今頃と思うかもしれないけれど

あの時と同じ哀しみをいまあじわっている。それは毎日まいにち。


「ひとからどう思われようとじぶんを貫くこと」そんな言葉を信じる。

信じるしかないと思ってただただ書くことを諦めずにいる日々。


胸に勲章を付けた歌人でもなければ詩人でもない。

だからこそ書けることがあるのかもしれないと一縷の望みを捨てずにいる。

負けるもんかと思う。そうつぶやきながら自分の背中を押している。


私は蔑まされるために生まれて来たのではないのだと思う。

どんなに見下されても私はわたしであることを貫き通してみせよう。


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