ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2020年01月27日(月) 老婆心もほどほどに

真冬の嵐と言っていいのか季節外れの暴風雨となる。

車の運転も怖くやっとの思いで家に帰り着く。


娘も早めに帰宅しておりめいちゃんのお迎えに

あやちゃんの下校時間を待って一緒に帰って来た。

家も揺れるほどの暴風をよそに我が家はとても平和で何より。




晩ご飯のおかずが気に入らないあやちゃん。

好き嫌いをせずに何でも食べんといかんよと言うと

「きらいとは言ってないろ、勝手に決めんといてや」と怒る。

みんなで顔を見合わせてとにかくそっとしておくことに。

そうしたら塩サバをほじくりながらご飯をかき込んでいた。

ふふっと愉快。そうね決して嫌いではなかったのね。


娘が言わないことを私が口を出してはいけない。

以前にも反省したことがあったのに同じ事を繰り返す。

しつけは親に任せるべきか。老婆心も程々にとおもう。



雨は小降りになったけれどまだ強い風が吹き荒れている。

明日は晴れの予報なので今夜のうちに静まることだろう。


ぐっすりと眠って穏やかな朝を待とう。







2020年01月26日(日) なんとかなるだろうと

夜明け前まで降っていた雨がやみ曇り日となる。

菜種梅雨にはまだ早いけれど不安定な天気が続きそう。


じいちゃんと海苔の様子を見に行く。

大雨は降っていないはずなのに川がひどく濁っていた。

暖冬の影響で水温が高く海苔には過酷な試練のようだ。

それでも一生懸命に生きているのが伝わって来る。

まだあきらめてはいけないとつよく思う。

生命力を信じてきっと収穫してあげなくては。


なんとかなるだろうとじいちゃん。

先の見えない不安もそんな言葉で救われるおもい。



川から自宅には戻らずじいちゃんと買い物へ。

もう10年以上も着ているジャンバーを買い替えることに。

子供みたいに喜んでいた。あれこれ試着しては

軽くて暖かいダウンジャケットを買い求める。

とてもよく似合っていた。ちょっと若々しく見える。



午後、お大師堂に行くつもりがまた寝入ってしまう。

なんと3時間もお昼寝。怠惰にも程があると我ながら呆れる。

やっと目覚めて大相撲の千秋楽を観ているうちにもう夕飯のしたく。


出来ないことがどんどん増えていくこの頃。

まあいいかと自分をなだめつつそれなりに日々を過ごしている。


そのうちにと言えるうちはまだ良い。

わたしに残されている時間はどれほどなのだろう。











2020年01月25日(土) 主婦お休みの日に

ぽつぽつと雨の一日。やわらかで優しい雨だった。

雨だれの音が耳に心地よい。そっと身をまかせたくなる。



娘がお休みだったのであやちゃんのお友達が遊びに来てくれる。

「おばあちゃんたちはどこかへ行って」と言われてしまって

まるで追い出されるようにしてじいちゃんと出掛ける。


四国最南端の足摺岬まで。38番札所の金剛福寺にもお参り。

ご夫婦のお遍路さんに出会い鯛焼きのお接待をしたら

思いがけずに金色のお札を頂きとても嬉しかった。

105回の先達と記してありこれはすごいなとおどろく。

今日だからこそ出会えたのだろう。これも一期一会。


足摺岬をあとにして次は「ジョン万次郎資料館」へ。

以前から気になっていてやっと来れたと嬉しかった。

昔読んだ吉村昭の「漂流」を思い出す。

なんと生き運の強い人だったのだろう。

最後まであきらめない精神に深い感動をおぼえた。


土佐清水市では市をあげて大河ドラマにと運動しているよう。

夢で終わらせてはいけない。なんとしても叶えてあげたいと思う。



帰宅したら玄関にあやちゃんのお友達の靴が二足。

お友達は双子の姉妹だった。ちょっとご挨拶をと二階に上がると

「おばあちゃんは来たらだめ」とあやちゃんに叱られる。

どうしても邪魔らしい。苦笑いをしつつも愉快でたまらない。



夕飯はスシローへ。今日は「主婦休みの日」なのだそう。

娘も私も楽をさせてもらってありがたいこと。

お腹一杯に食べてなんとも幸せな夜になる。





2020年01月24日(金) ちょっとした心遣いが嬉しい

曇り日。昨日ほどではなかったけれど今日も暖かくなる。

暖房が要らない。もうすっかり春の気温のようだ。


職場の庭に母が育てていた紅梅の小さな盆栽があって

まだ少しだけれど可愛らしく咲き始めていた。

それは枯草に覆われていてなんとも可哀想なありさま。

母が知ったらどんなにか嘆くだろうと思って

仕事の手を休めて枯草を取り除く作業をする。

ありがとうねとふと母の声が聞こえたような気がした。



今週の仕事を終えて帰宅。お向かいの奥さんが魚を届けてくれた。

ご主人と釣りに行っていたのだそう。たくさん釣れたからと

こちらでは「エバ」と呼んでいる煮つけたら美味しい魚だった。


ありがたく頂いたけれど調理するのが大変とふとため息をつく。

そうしたらそのため息が聞こえたかのように

お向かいの奥さんがついでに捌いてあげるからとまた来てくれた。

これ幸いと甘えてしまいなんともありがたいこと。

おまけに生姜も持って来てくれる。おかげで美味しい煮魚が出来た。

ちょっとした心遣いでひとはこんなにも嬉しいものなのだ。



今日は保育園で「コマまわし大会」があったのだそう。

めいちゃんは準優勝だったそうで嬉しそうに報告してくれた。

負けず嫌いのようでそうでもなくて優勝したお友達をほめていた。

そうね。一番じゃなくてもいいね。頑張ってえらかったね。



2020年01月23日(木) いまに感謝しながら

朝のうちぽつぽつと降っていた雨がやみ午後には晴れ間が。

最高気温が20℃を越え真冬とは思えないほどの暖かさとなる。

もはや暖冬を通り越して異常気象ではないかと思うほど。

なんとも不気味で何か異変が起こるのではと不安になった。



仕事が忙しく少し残業になり家路を急ぐ。

今日は娘にめいちゃんのお迎えを頼まれていたけれど

なんとか間に合い「おばあちゃ〜ん」と嬉しそうな声。

しばらく園庭で遊んでから帰る。滑り台や鉄棒や。

もう少しで逆上がりが出来そうなめいちゃんの頼もしいこと。


先に帰宅していたあやちゃんにまたお友達から電話。

夕方まで一緒に遊ぼうと誘われたのだけれど

隣の地区まで連れて行くことも出来ずなんとか断らせる。

遊びたかったと拗ねるあやちゃんをなだめつつ

近所に同級生が一人もいないのが不憫に思えていた。


昔はそこらじゅうに子供が居て路地を走り回っていたけれど

今はお年寄りばかり。少子化をつくづくと感じるこの頃である。



一人で夕食の支度をしていたらやっと娘が帰って来る。

半年ほど前から蓄膿症で耳鼻科に通っているのだけれど

まだ完治しておらずたくさんの薬をもらって来ていた。

じいちゃんの薬。私の薬。我が家は薬であふれている。

孫たちの薬がないのが幸い。元気で何よりと思うばかり。


昨夜の気の沈みは何処へやら。今に感謝せねばと思うのだった。

お風呂上がりの孫たちのはしゃぎ声が愛しくてならない。





2020年01月22日(水) いつかくる未来に思うこと

曇り日。夕方からぽつぽつと雨が降り始める。

しばらくはおひさまに会えそうにない。

冬だというのに梅雨のような日が続くのだそう。

乾太くんを買ってほんとうに良かった。

洗濯物の心配をせずに済みどんなにか助かることか。



今朝もめいちゃんと保育園へ。

ポニーテールの髪が可愛くてならない。

駆け出すとほんとうに仔馬のように見える。

朝から癒されてほっこりとしながら職場に向かった。



定時で仕事を終えて帰宅。

炬燵に潜り込んでじいちゃんと大相撲を観る。

今場所は横綱ふたりが休場しているのでかえって面白い。

優勝は誰になるかとじいちゃんと話すのも楽しい。


娘と夕飯の支度をしているとあやちゃんの友達から電話。

週末に我が家に遊びに来てくれるのだそうだ。

娘も私も了解したけれど娘がふっと「子供部屋がね」と苦言。

今のままでは狭すぎてもうそろそろ限界だと言い出す。

思い切って二階を増築すればと私が言うと

それなら別に家を建てたほうが良いと言うので衝撃が走った。


いつまでも我が家に居てくれると信じていたかった。

じいちゃんも同じ気持ち。娘達が出て行くことなど考えてもいない。

まだそうと決まったわけではないけれどすっかり気分が沈む。


孫たちはどんどん成長していく。

私たちはどんどん老いていくばかりなのだ。





2020年01月21日(火) 寒さなければ花は咲かず

予報では冬らしい寒さと聞いていたけれど

最高気温が15℃となり思いがけずに暖かくなる。

明日からしばらくは雨の日が続くとのこと

降りそそぐ陽射しをありがたくほっこりと過ごす。


今朝は久しぶりにめいちゃんと保育園へ。

いつもは車から降りると駆け出して行くのだけれど

今朝は珍しく横に並んで歩いてくれた。

そっと手をつなごうとしたらその手を振り払う

「もうめいはあかちゃんじゃないけん」と言って。

春にはもう年長組になるのだなと微笑ましい朝のこと。




外回りの仕事があったのでふと思い立ち梅の名所へ。

昨年の今頃には見事に咲いていたので楽しみだったけれど

どうしたわけか一輪も咲いていなくて残念だった。

どうやら暖冬だから早く咲くとは限らないようだ。

「寒さなければ花は咲かず」それは桜の花のことだけれど

梅の花にもやはり寒さが必要なのではないだろうか。


ふと人間も同じ花だと思う。厳しく辛い冬もなくてはならない。

毎日が春だったらきっと喜びも知らないまま咲くのだろう。


幸いなことにわたしはいま冬ではないかとおもう。

家族に恵まれとても幸せに暮らしているけれど

欲張りなものだから冬になりたがっているのかもしれない。

どん底から這い上がってみたいような不可解な欲に。


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加