ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2021年03月17日(水) 人生まだまだこれから

彼岸の入り。最高気温が25℃近くなりまるで初夏のようだった。

「暑さ寒さも彼岸まで」と言うけれど思わず「暑い」と声が出る。


そんな陽気に誘われたかのようにもう山つつじの花があちらこちらに

今まで桜よりも先に咲いていただろうかと不思議な気持ちになった。



今日はじいちゃん69歳、母83歳の誕生日。

偶然にもふたりは同じ誕生日なのだった。

母には何も出来なかったけれど我が家ではささやかにお祝いをする。

じいちゃんがまるで天下を取ったかのような得意顔。

嬉しくてならない様子に私まで笑みがこぼれてしょうがない。



その昔、私が嫁いだ頃には誕生日を祝う習慣がなかった家。

環境があまりにも違い過ぎてとても戸惑ったことだった。

聞けば子供の頃から一度も家族に祝ってもらったことがないと言う。

それが当たり前のことで少しも寂しさを感じなかったようだ。


新婚とはいえ親と同居生活だったから余計な口出しは出来ない。

せめてご馳走をと思っても贅沢だと叱られるのが目に見えていた。


息子が生まれて一歳になりやっとそれらしいお祝いをする。

それから少しずつ家族の誕生日も祝ってあげられるようになった。

両親はもちろんのこと義妹、義弟、みんな嬉しくないはずはない。

自分の誕生日はさておき家族のために出来ることが私も嬉しかった。



ずいぶんと歳月が流れ今はありがたく娘たちと同居生活。

6人家族だから年に6回もささやかなパーティーが出来るのである。

今度は5月。あやちゃんの9歳の誕生日が待っている我が家。


いつだって生まれて来てくれてありがとうと感謝の気持ち。

そうして何よりも出会ってくれたこと。お嫁さんにしてくれたこと。

めでたくともに白髪になり残された人生を楽しく全うしましょうね。





2021年03月16日(火) 漢字とカタカナとひらがな

最高気温が20℃を超え4月並みの暖かさとなる。

桜の種類がどれほどあるのだろうと昨夜ここに記したけれど

偶然にも今朝のラジオでその詳細が分かりおどろく。

大まかに9種類。品種改良したものを合わせると100種類もあるそう。

「桜」と一言では言い尽くせない。すべての桜を見る事は叶わないだろう。


私がいちばん好きな桜は山里の郵便局の側に咲く桜。

染井吉野よりも少し大きな花で緑の葉を添えそれはそれは綺麗なのだ。

まだ蕾はかたい。咲いたら真っ先に写真を撮りたいと思っている。

その桜にも名があるのだろう。知らないことが少しもどかしい。


染井吉野は「ソメイヨシノ」と片仮名で書かれるのが一般的で

今朝の新聞にも「ソメイヨシノ開花」と書いてあった。

それがなんだか気に入らない。まるで桜を「サクラ」と書くみたい。

平仮名ならまだしも片仮名というのはどうも苦手である。

「染井吉野」が間違いだと言われたら涙があふれてしまいそうだ。



話がそれてしまうけれどひらがなばかりで書かれた詩も好きだ。

たとえば「めいさん」の「うまくいえない」という詩。

めいさんの詩はどれも好きだけれど一番好きな詩だった。

ずっと昔プリントアウトしたのを今も部屋の壁に貼ってある。

何度も何度も読んでもうすっかり暗記しているくらい。


話はそれまくるけれど片仮名でも好きな詩がある。


雨ニモマケズ 風ニモマケズ


作者は有名な作家なのだけれどムガクナノデオモイダセナイ。







2021年03月15日(月) 桜の季節が来るたびに

ぽかぽかと暖かくすっかり春の陽気となる。

高知城下の染井吉野が咲いたそうで桜の「開花宣言」があった。

四万十は少し遅れそうだけれど蕾ははっきりと見て取れる。

それにしても「桜」にはどれほどの種類があるのだろうか。

早咲きの桜があちらこちらに咲いているのが見られるこの頃のこと。


コロナ禍で今年も宴会を伴うお花見は自粛しなければいけないよう。

それでも桜を愛でることは出来る。静かに眺めるのも良いだろう。

私はそんな静かなひと時が好きだ。あまり騒ぐのは性に合わない。



39年ほど昔の春のことだと記憶している。

家族4人で市内の公園にお花見に行ったことがあった。

その当時は海苔が豊漁で毎日大変な忙しさだった。

ふたりの幼子はいつも作業場の庭で遊んでばかりいて

相手にしてやることも出来ず甘えることさえも我慢を強いられ

ひたすら親の仕事が終わるのを健気に待っていたのだった。


ある日のこと帰り道に親戚のおじさんから声をかけられ

「公園へ連れて行ってもらえ、熊さんもいるぞ」と。

それを聞いた息子がぐすんぐすんと泣き出しやがて大泣きになった。

ずっとずっと我慢をしていたのだろう。その時堪忍袋の緒が切れたのだ。


どうにも手がつけられなくなったのと可哀想でならないのとで

「よっし、お花見に行こう」と大急ぎでおにぎりを作り出掛ける。

ちゃんと熊さんにも会えて桜の木の下でおにぎりを食べた。

その時の息子の嬉しくてたまらない笑顔を一生忘れられないでいる。


桜の季節が来るたびに思い出す。我が家の最初で最後のお花見だった。





2021年03月14日(日) 季節の変わり目

爽やかな風が吹く晴天。西風はまだ冬の名残なのだろう。

春の訪れに身を切られるように遠ざかろうとしている冬。

そんな季節の変わり目になんとなくせつなさを感じるのだった。



朝のうちにお大師堂へ。花枝を活け替え川辺に咲いていた

水仙の花を手折りその一輪をそっと添える。

そうして拙い般若心経。お堂にこだまするようにその声が響く。

さらりさらりと流れる大河。私は何を流せば良いのだろうか。



午後はお墓の掃除とお参りに。お寺の裏山の道がとても険しい。

まるで妊婦のようなお腹を抱えて一歩一歩がやっとだった。

しんどいなと思う。罰当たりにも面倒だなと思うそれが本音。

けれどもいざお墓に辿り着くとそんな事など忘れてしまうのだった。


熊手で枯葉をかき集めせっせと谷に捨てる。

水桶の少ない水で墓石の汚れを落とす。

水が足らなくなってしまってじいちゃんが汲みに行ってくれた。

一度専門の業者に頼みたいねと言ったら「馬鹿、高いぞ!」と。

そんな余裕がどこにあるのか。私は本当に馬鹿だなと思った。

義妹が「それなりそれなり」と言ってくれてほっと救われる。


お花を活けたらそれなりに綺麗に見えるから不思議なもの。

「みすぼらしい」は心の問題なのだなとつくづく思ったことだった。

お酒やビールもお供えして皆で清々しく手を合わせて帰る。


山道には椿の花がたくさん落ちていた。

散ることが出来ず落ちなければいけない花はやはり憐れでならない。

けれども椿はなんだかとても誇らしげな姿をしていた。


咲いたまま落ちるのはもしかしたら快感なのかもしれない。






2021年03月13日(土) 未来はきっとあるのだから

雲を押し流すかのように強い風が吹く。

やがて青空が広がる。暖かな陽射しが降り注ぐ。


川仕事に向かえば船を避けるように小鴨たちが川面を飛び交う。

「そこのけそこのけお船が通る」と思わずつぶやいていた。


大潮のせいか海苔が少し弱っていて可哀想。

それは決まり事のようで地球の引力が関係しているのか

定かではないけれど海苔にとっては試練のようなこと。


順調に生育しているかと思えばこんなこともあり

また明日からしばらく様子を見る事になってしまった。

それでも例の大手スーパーへの荷作り。それが楽しくてならない。

これが毎日出来れば我が家の貧乏所帯も潤うのになと思う。

そうは問屋が卸さないか。うまい話には必ずあるのが落し穴だった。



午後はお昼寝三昧をし4時前にやっと起き出す。

いつの間にか娘も帰っていて孫たちはまあちゃんと遊んでいた。

夕方になっても帰りたくないまあちゃんと孫たちがお風呂に入る。

そのまま夕飯も一緒に食べることになってなんと賑やかなこと。

まあちゃんはめいちゃんより一つ年下だけれどまるで双子のよう。

とても気が合うのはやはり血が繋がっているからだろうと思う。

5年後10年後を思い浮かべるとなんだかわくわくしてくる。

なんとしても長生きをして成長した少女たちに会いたくてならない。


以前は「明日死ぬかもしれない」といつも不安がっていたけれど

最近の私はずいぶんと「未来」を信じられるようになった。

心細さは拭えないけれどもしかしたら勇気が芽生えてきたのかも。

立ち向かって行こうと思う。死を恐れていては何も出来ない。


頂いた一日をありがたく全うしたい。

それが生きることでなくてなんだろうと思うのだった。



2021年03月12日(金) 春の雨の優しさ

午後からぽつぽつと雨が降り始める。

「春の雨は優しいはずなのに」歌っていたのは小椋圭だったか。

圭という字が間違っているかもしれない。今はよく思い出せないでいる。

佳だったような気もするのだけれどとにかく「けい」には違いない。



めいちゃんと保育園に行く朝もあと二週間ほどになった。

今朝は紫陽花の新芽をふたりで眺める。なんと鮮やかな緑だこと。

花の季節にはもう一年生になっているのかと思うと感慨深い。

「がっこうからもみえるよ」と「そうね」と頷き微笑んだ朝のこと。




仕事を少し早めに終らせてもらって母の入居料の支払いに行く。

ちょうどお世話になっているケアマネさんに会えて良かった。

母がリハビリ室に居るとのことで思いがけず面会を許される。

車椅子を上手に操り私に近づこうとする母を介護士さんが制止した。

やはり3メートルの距離が必要。手を握り合う事は叶わず。

髪がかなり伸びていて母もさっぱりとしたいだろうと気になる。

施設に定期的に来てくれている理容師さんでは絶対に嫌だと言う。

昔から行きつけの美容院へ連れて行ってあげたくてならなかった。


そんな私の気持ちをよそに「大丈夫よ」とあっけらかんとした顔。

髪が伸びれば括れば良いしリボンだって付けられるからと笑う。


そんな母の笑顔にどれほど救われたことだろう。

私の忙しさを察した母の精一杯の優しさではないかと思った。


今年の桜も母には見せてあげられないのか。

どうしようもなくせつなさが込み上げて来る。

母に春を届けてあげたい。あふれんばかりの春の光を。



2021年03月11日(木) 純白の桜に想う

10年前の今日も穏やかな晴天だったと記憶している。

もう10年と言って良いのか東北の被災地からは

「まだまだ・・」の声が聴こえて来て胸が締めつけられる。

決して忘れることの出来ないいや忘れてはいけない日だった。


うまく言葉に出来ない。そっと日常に返るべきなのだろう。

どうすればよいのかひどく戸惑う私に友が声をかけてくれた。

「普通にしていればいいよ」その言葉を再び思い出すばかり。

その「普通」にどれほど救われたことだろうか。

それが決して当たり前の事ではないことを思い知ったのだった。




めいちゃんの保育園のすぐ近くに早咲きの桜が咲きとても綺麗。

それは純白の桜でまるで清らかな心のように空に手を伸ばす。

素直であり純真である。人の世の穢れなど忘れてしまうほどに。

そんな花になれたらどんなにか満たされることだろうか。

足りない事ばかりに心を傾け大切な事を忘れていた気がしたのだった。







10年前の3月の日記


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