| 2019年11月02日(土) |
ひいばあちゃんのいない家 |
連日の秋晴れが続いている。日中は24℃の暖かさ。
やわらかな陽射しをあびているとふと寒い冬がこわくなる。
孫たちをじいちゃんにお任せして母のアパートへ。
大家さんにも会うことが出来て今月いっぱいで引き払うことに。
15年近くもお世話になっていたようで歳月の流れを感じる。
ここ数年は入院ばかりで大家さんにも心配をかけてしまった。
さて何から手を付けようかと頭を悩ますようなありさま。
日捲りの暦が3月26日。もう母がこの部屋に帰ることはない。
どんなにか帰りたかったことだろうとふと憐れに思った。
冷蔵庫、炬燵、お布団は新居に運び込まなければいけない。
押入れをのぞいたら新品のお布団が見つかって良かった。
いつ来客があっても良いように母が用意していたのだろう。
今日はとりあえず新居に持って行く物しか手が付けられなかった。
後はまた少しずつ片付けに来ようと思う。
お昼にはじいちゃんと孫たちが訪ねて来てくれて嬉しかった。
孫たちが「ここはだれのおうち?」と不思議そうに尋ねる。
もうひいばあちゃんのいない家。切なさが込み上げてきた。
午後からは急ぎの仕事があり山里の職場へ。
2時間ほどで片づいたけれどくたくたに疲れていた。
やれるだけのことをやったのだと自分をほめてあげたい。
夕方のローソンで店員さんが「おつかれさま」って言ってくれた。
張りつめていた糸がぷつんと切れたようになって
ふんにゃりとしながら一番星を見上げた。
| 2019年11月01日(金) |
肩の荷をひとつおろして |
窓から三日月が見える。まるでメルヘンのような夜だ。
肩の荷をひとつおろして迎えた霜月。
母の転居日が12日に決まった。
それまでに準備しなければいけないことがたくさんあって
今月はとても忙しくなりそうだった。
じいちゃんを頼れば「俺の出る幕じゃないだろう」と言わんばかり。
一瞬悲しくてたまらなくなる。でもすぐに思い直した。
義父がいるではないか。頼る人を間違っていたことに気づく。
秋晴れの一日。今日は山里でラジオの公開放送があった。
出勤途中にもう始まっていてそわそわと落ち着かない。
タイムカードを押す前に会場に行ってみたら
パーソナリティの男性が笑顔で手を振ってくれた。
もうもう嬉しくってテンションあがりまくりだった。
仕事も手がつかず抜け出しては会場をのぞきに行く。
3度目には少しだけれど会話をすることも出来た。
日常からかけ離れたようなこと。たまにはこんな日もなくては。
今日も「いい日」でした。ありがとうございます。
| 2019年10月31日(木) |
お母さんやっと会えましたね |
爽やかな秋晴れ。日中はもう小春日和と言ってよいのか。
目覚めるなり沖縄首里城の火災を知る。
なんとも悲惨なありさまに心を痛めていた。
沖縄の人達にとっては宝物だったことだろう。
それを一夜にして失うなんてどれほど悲痛なことか。
月末の仕事をそれなりに終えてほっとしていたところ
母の施設のケアマネさんから電話があって
急きょ今の施設を退去してもらえないかと相談があった。
来年の春までの契約だったので寝耳に水のようなこと。
聞けば施設側にも大変な事情があって仕方のないことのよう。
幸い春から入居予定の施設に空き部屋があることを知らせてくれて
見学も出来るようにと段取りをしてくれた。
母を説得する前にこの目でしっかりと見ておきたかった。
一日でも早いほうが良いだろうと仕事帰りに見学に行く。
そこは県立病院のすぐ近くで周りは田園地帯に囲まれていた。
すべて個室で介護付きの高齢者住宅になっている。
部屋を一目見て「ここならば」と強い確信を感じる。
その足で母に会いに行った。「大切な話があるよ」と言って。
安心な場所で元気で長生きをしてほしいこと。
実父のように孤独死だけはさせたくないと告げながら泣いていた。
そんな私の切実な思いが母に伝わったのだと思う。
母は素直にうなずいてくれた。「おまかせしますよ」と笑って。
その笑顔にどんなにか救われたことだろう。
何度こころを鬼にしてきたことだろうとこれまでを振り返る。
今日わたしはやっと50年前の母に会った。
わたしは母が大好きな13歳の少女だった。
| 2019年10月30日(水) |
人生はまだまだこれから |
今朝は初冬を思わすような冷え込み。
ついに暖房がひつようになってきた。
もうすぐ11月だもの。少しずつ寒さに慣れなくては。
仕事が一段落していたので今日はお休みをいただく。
やっと体操に行けるのがとても嬉しかった。
音楽に合わせて楽しく身体を動かす。
辛かった肩凝りも一気に楽になった。
お仲間さん達はみんなもう仕事を退職していて
どうして私だけがと思う時もあるけれど
どんなにもがいてもそれはどうしようもなくて。
こうしてできる日もあるのだからと自分を宥める。
いつかはきっと仕事から解放される日が来るだろう。
毎週水曜日には体操をしよう。読書もいっぱいしたい。
庭にたくさん花を育てて家庭菜園も始めたい。
そうして四国遍路の旅に出るのが私の夢だ。
今はまだ先が見えなくていったいどこまで続くのか
わからないからこそ日々の事に精一杯でいられる気がする。
残り少ない人生だからと嘆くのはまだ早い。
人生はまだまだこれからなのだと思いたい。
| 2019年10月29日(火) |
こころにもからだにもビタミンを |
雨のち晴れ。気温は低めで冷たい雨となったけれど
午後には青空が見え始めてほっこりと暖かくなる。
優しいおひさまのなんとありがたいことだろう。
今月はずっと忙しかった仕事がやっと一段落。
老体にムチを打ったつもりはなかったけれど
やはり歳のせいか疲労感を隠せなかった。
いつもの病院でビタミン剤を処方してもらうことに
それにはやはり診察を受けなければいけないとのこと。
午後、少し早めに仕事を終わらせてもらって病院へ。
多少の待ち時間は覚悟していたけれど2時間半は長過ぎた。
どっと疲れが増したけれどビタミン剤に救われる思い。
空はもう夕焼け空。家の近くのローソンまで急いで帰る。
4種類のパスタで今夜はパスタバイキングだった。
あやちゃんは「なにもつくってない」ときびしいご感想。
でもね。ローソンの店長が「たまにはいいよ」って言ってくれた。
食後いつものお薬とビタミン剤を飲む。
もう大丈夫。おばあちゃんはへこたれませんよ。
おおむね晴れ。午後から雲が多くなる。
朝と日中の温度差が大きく老体に堪えるようになった。
季節の変わり目のせいもあるだろうけれど。
10月も残りわずか。もう晩秋と言っても良いのだろうか。
山里へ向かう道の山肌にツワブキの花が咲き始めた。
道路に向かっておじぎをするように咲いていて可愛い。
今朝は写真を撮れなかったけれど明日は撮ってみたいものだ。
仕事でお客さんの家を訪ねたら老夫婦が日向ぼっこをしていた。
穏やかな笑顔に優しい陽射しが降り注ぐ。
まるで猫のようなふたりにほっこりとこころが和む。
こんなふうに歳を取りたいものだなとふと思った。
仕事を終えて帰宅したらちょうど娘も帰って来たところ。
ふたりで洗濯物をたたむ。靴下がいっぱい。
あやちゃんの靴下と娘の靴下が見分けがつかなくて
「これあやの?」「それはわたしの」なんて言いながら。
夕飯のしたくもふたりで肩を並べていつものように。
娘が居てくれなかったら毎晩手抜き料理だったろう。
食後の食器洗いも分担しているのでずいぶんと楽だった。
お風呂の時間。めいちゃんの「おばあちゃんといっしょ」
もうブームが去ってしまったようでちょっとさびしい。
ひとり湯船に浸かりながら過ぎ去った一日をおもう。
平穏無事な一日が何よりも幸せなことだった。
| 2019年10月27日(日) |
ふたりでなくてはいけないことが |
雲が多かったけれどおおむね晴れ。
朝の天気図でも全国的に雨雲が見えていなかった。
復旧作業もどんなにか大変なことだろう。
被災された多くの人達に一日も早く日常が訪れて欲しいと願う。
我が家は今日も申し訳ないほどの平穏。
娘夫婦もお休みだったので孫たちの心配もなく
またぶらりと出掛けてみることにした。
じいちゃんは昨日の長距離運転の疲れが少しあり
気が進まない様子だったけれど重い腰をあげてくれる。
一時間ほどのドライブで大月町の「コスモス祭り」まで
3年ぶりのイベントだったけれど以前のような盛大さはなく
なんとなくひっそりとしていてそれがかえって落ち着く。
一面のコスモス畑に心を奪われるような感動があった。
写真は思うように撮れず残念。周りの民家や電信柱や。
それでも地域の人達が精一杯に育てたコスモスだった。
「もういいか?」とじいちゃんの声。
「もういいよ。ありがとうね」と帰って来た。
来月にはもう紅葉だなと。また連れて行ってくれそうだ。
ひとつひとつが思い出になっていく。
ふたりでなくてはいけないことがたくさんある。
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