ひよこ幼稚園。

2010年05月31日(月) 29〜31日(支援と自立・陶磁器・大事な人たち)

29日
「出来ない人(こと)があるなら、出来る人(ツール)が
 やってしまえば良い」
というアプローチとは別に、
「なぜ出来ないのか、出来るようになりたいのか、
 出来るためには何が不足しているのか」
に焦点を当てることが、
出来ない人をより支援すると同時に
社会資源のセーブあるいは有効活用に繋がる場合がある。
それら一連の営みが、困っている人たちの自立を促進する。
支援は、自立を目指すものでなければならないと思う。

30日
福屋本店WEDGWOODへ。
どのシリーズにも胸がときめく。幸せ。全てが芸術品である。
とにかくWEDGWOODが好きである。お店丸ごと持ち帰りたい。
今回は贈答品として、まさに理想通りのパーフェクトな
カップ&ソーサーのペアを購入した。
WEDGWOODの伝統と挑戦が見事に表現されたデザインである。

MEISSEN展も覗いたが、あまりの高価格に息をのむ。
自宅用には、微笑ましい低価格、NIKKOのクリーマーを購入した。

31日
大事な人には、大事だということをきちんと伝えること。
どんな場面でも、真剣に向き合うこと。
茶の湯の、一期一会の精神は尊い。



2010年05月28日(金) 言霊か…?

今日は本当に切り替えることができた。
良い出会いを頂き、アイデアも次々に浮かんでいる。
前向きにギアチェンジである。

「必要とされている自分」を実感することが自己実現であり、
「やりたいことが出来ている自分」に満足しているだけでは
社会的アイデンティティは確立されない。
役に立てる自分を誇れるようになりたい。



2010年05月27日(木) 客観的であれ。

この日にも書いたが、
今日は初っ端に読んだ論文がまさに非科学的論文で
つい大きな溜め息をついてしまった。
相当に偏ったあなたの意見は聞いていません、と
著者の耳元で囁きたくなる。
そういう論文に限ってタイトルだけは立派で、
読む前の期待を必要以上に膨らませる。

少々攻撃的な言い方になってしまうのは、
論文の稚拙さだけに因るものではない。
今日はついていない一日だった。
正確には、ついていなかったのは私ではなく友人たちだ。
自分には何が出来るだろう。何も出来ない気がする。
多少重い出来事であったが、
明日は切り替えて、少し気持ちを立て直したい。



2010年05月26日(水) 片句わかめ×パスタ

定番のグリーンリーフとツナの梅パスタに、
今日は松江の片句わかめをプラスした。
やはり美味しい。
3袋いただいたのだが、来週には無くなってしまいそうだ。





2010年05月25日(火) 悩み相談DAY&講義所感

今日は尊敬する方お二人に話を聞いていただいた。
お一方には研究・進学について、
お一方には非常に私的で些細な悩みについてである。
話を聞いていただくだけでも随分と楽になり、
霧が晴れ、有難いことであるのに、
加えて、答えまで引き出していただいた。
感謝。さすがなのである。

〜講義所感〜
構成概念の定義は妥当か。
その研究は誰のために、何のために行われるのか。
結果に将来性または利益はあるか。

つまり、問題と目的に客観性があり、考察が実利的であり、
それら一連の文脈に整合性がなければ、
有益な研究論文とは言えないだろう。

列挙してみるとこれらは至極当たり前のことのようだが、
意外とそうでもないのが現実だ。
科学的見地の欠けた論文は単なる宗教だ。



2010年05月24日(月) Gaga様の太もも

沢尻エリカのコスチュームをYahooニュースで見て、
「これ、Lady Gaga様が同じようなのを着てたような…」
ともやもやしていたら、やはりビンゴであった。
他の方が日記にYouTube動画をアップしてくださっていたのだ。
じっくりと拝見した。

それは野外ライブでのパフォーマンスで、
曲は「Paparazzi」である。
グレイソン少年による渾身の弾き語りバージョンが記憶に新しいが、
本家Gaga様も最高に格好良いのである。

衣装だけが格好良いのではない。
よって、衣装だけを真似しても格好良くなれるわけではない。
そこを間違えてはならない。






2010年05月23日(日) TASTY 6th Anniversary

本当なら今日はレース(ハーフ)に出場している筈だった。
しかし、この日にも書いた気管支炎が完治しておらず、
現在、10キロも難しい状況である。
ジョギングの再開は最低でもあと一週間は無理だろうと思う。
本当に残念である。

今日は雨の中、TASTY6周年記念バッグに論文を入れてTULLY'Sへ。
昨日、同じく6周年記念のボーダーTシャツワンピースと一緒に
オーダーしたものだ。
TASTYのアイテム達は、「それどこの?」としょっちゅう聞かれるし、
「格好良い」と褒められる。
今回のバッグ・ワンピも、特に素材感ならびに
ロゴのバランスとカラーリングが秀逸。
ワンピはラインも非の打ちどころがない。

アートディレクターの明子さんは容姿もお人柄も非常に素晴らしい。
その美しく輝く有様はとても同じ人間とは思われない。
そのエッセンスをせめて一しずくだけでも
お裾分け頂きたいと思いながら、
TASTYのアイテムを身につけるのである。




2010年05月22日(土) チェイス・最終回

決して手に入れることができないものを
いつまでも思い続ける人と諦める人と、
その違いはどこで生まれるのだろうか。

人が過去や家族に囚われ、逃げることができないのだとしたら、
それは非常に恐ろしいことだと思っている。
過ぎたことは取り返しがつかなくても、
自身の力で新しい形を模索することはできる筈である。
そしてその思考錯誤が徐々に自分の人生を形作るように思う。

思考錯誤は、所謂「不幸な環境にある人」だけが
背負っているわけではない。
人間は皆、どんな人でも、等しく何かに支配されている。
その支配とどう対峙するかという問題は、
生きていく上で誰にとっても不可避であると思う。

人生や家族の形に、正解も完璧もない。
正義と悪は渾然と融和し、明確な境界線はない。
幸せになるためのルールもない。
だから、自分で考えるしかない。

などということをラスト10分程で考えた。
食事をしながら見始めたのだが、途中から箸を置いて見入った。

出口の見えないラストが非常に良かったと思う。
そもそも人生にカタルシスが訪れることはそうそうないだろう。
その時その時で出口らしきものが現れ、
答えが得られたように感じることはあるが、
それらはすぐに新しい日々の中で形を変えてしまうように思う。

それにしても、姿の良い男性というのは素晴らしい。
ARATAは言うまでもなく完璧だし、
江口洋介は若い頃の数百倍格好良いように思う。
良いドラマだった。再放送は録画決定である。



2010年05月21日(金) スパーク

論文コピーのために他大学へお邪魔した。
これで予定していた論文は全て手に入った。
ただし同時に新たな課題が生まれた。
だが、やるべきことが飛躍的にクリアになった。
昨日までとはまるで違う。視界良好だ。

とにかく今日は、
発見と閃きの連続で脳内では化学反応が頻発していた。
その分大いに疲れたが、非常に収穫の多い一日であった。






2010年05月20日(木) ペタンコは何足?

Tシャツかブラウスにダメージデニム、
フラットシューズかスニーカー、大きめのバッグ、が、
一番自分らしいスタイルのように思う。
秋冬はこれにニットとアウターを羽織れば良い。

久しぶりにTOD'Sのドライビングシューズを履いた。
5年以上前に買った、赤のスウェードだ。
足に吸いつくような履き心地はさすがである。
仕事を辞めてから、最新のイタリア製の靴やバッグとは
すっかり縁がなくなってしまった。必要なくなったのだ。
少し寂しいが、どうやら過去の遺産で十分楽しめるようだ。
元が取れると良いのだが。







2010年05月19日(水) 小沢健二について

小沢健二のツアー「ひふみよ」がスタートした。
行き得る限りの先行予約に申し込んだが、全て外れた。
これほどがっかりしたことは人生でも3度くらいしかない。

中学・高校・大学と、フリッパーズギターと小沢健二を非常によく聴いた。
音楽的嗜好だけではなく、思想においても大きな影響を受けた。
小沢健二は、当時は人生の師匠であったと言っても過言ではない。
今でもそうかも知れない。現に大好きだ。

先日の「THE BLUE HEARTSについて」でも少し書いたが、
小沢健二も、天才的な思考の飛躍を巧みに詩に落とす。
彼の詩には明と暗が等しく並んでいる。
そしてメロディは、どんなに絶望を歌っていても
上品でポップで、ロマンチックである。
そこには全てが同時に存在する。

40代の小沢健二もまた素晴らしいに違いない。



2010年05月18日(火) 睡魔と講義所感

火曜は3コマ目が終わると図書館にこもったり先生にお会いしたりする。
今日はあまりにうとうとするので講義後すぐに学校を出た。
初めてのことだ。
電車の中で寝て、帰宅しても寝た。
19時に電撃的に覚醒し、20時からの勉強会に出席した。

確かに昨晩は遅くまで資料を作成していたが、それよりも、
土曜あたりから生活のリズムが少々乱れていたことが
眠気の原因であろうと思う。
近頃、一旦乱れると自然には戻らなくなった。年のせいだろうか。
今回は明日で完全にリセットするつもりだ。

〜講義所感〜
先輩の名言・質的研究批評の文脈にて
「質的研究は、量的研究に精通した人がやんなきゃ駄目」
「量的研究から逃げて質的研究をやったら頓挫する」
ああそうか、そうだ、と、目から鱗であった。
両者は両極にあるものではないのだ。



2010年05月17日(月) お尻に火がついていますよ。

明日の演習での発表資料が未だ仕上がっていない。
怠けていたわけではなく、昨日思い立って発表内容を少々変更したため、
レジュメを作り直しているのである。
苦にはならないが、夜中の作業には色々と問題が起き易い。
その代表的なものに、「我慢できないほどの空腹」がある。
おそらく今晩も、食べてしまうだろう。



2010年05月16日(日) THE BLUE HEARTSについて

近頃、YouTubeでTHE BLUE HEARTSを聴くのが楽しい。
CMの影響も多分にありそうだ。懐かしくなったのである。
彼らの音楽を思春期にリアルタイムで聴くことができた。
これは非常に幸せなことであると思う。

天才の持つ思考の飛躍が歌詞という形になって提示され、
唯一無二のメロディと歌声によって再生される。
邦楽とはかくも素晴らしいものであったかと、改めて感動するのである。

それにしても甲本ヒロトは、同じ人間とは思われない格好良さだ。
顔も手足のバランスも完璧だ。
天才はえてして美しさも兼ね備えているものなのである。



2010年05月15日(土) チェイス(村雲派です)

土曜の夜は「チェイス」を観ている。
租税回避スキームを操り大金を手にする税務コンサル(村雲)と
それを追うマルサ(春馬)の話だ。

回を追う毎に、春馬の妻の死や村雲の過去が
ストーリー展開上の大きなウエイトを占めるようになり、
若干の不満を感じている。
せっかく、脱税スキームというファクターを主軸に据えたのだから、
人物については、「人間が描けていない」位で
丁度良かったのではなかろうか。
それよりも、「そもそも税金とは一体何なのか」を
問うような展開の方が面白かったのでは、と思う。

しかし、描かれる人間が決して熱血風ではないので、
その点は安心して観ることができる。
抑えが効いている、という感じだろうか。
熱い人物像は苦手である。
特に、ヒール役のARATAが、非常に繊細に演じているように思う。

お金で全てが買えるわけではない。
しかし正義もまた絶対的ではない。正義の定義は非常に曖昧だからだ。
お金だけでも、正しさだけでも、幸せにはなれない。
そのあたりを、村雲と春馬がそれぞれの立場でどう表現するのか、
次回の最終回が楽しみである。
個人的には、村雲に幸せになって欲しい。ひねくれ者だろうか。




2010年05月14日(金) 小沢一郎について

政治に関しては一貫して保守である。
その立場は強固であり、首相が漢字を間違えたくらいで揺らぐことはない。
よって民主党は支持していない。
現在の状況もそれ見たことかである。
勿論今後も支持する可能性は低い。

しかし小沢一郎は気になる。
周囲の人間を動かし、金を集めるそのさまは、
もはや剛腕・辣腕の域を越え、天才的と言えるのではなかろうか。
だが、残念なことに、国民を動かし、その信頼を集めることが
少々難しい政治家のようである。

僭越ながら、師匠であった田中角栄に見習うべきところは
他にあるように思う。
言うまでもないが、金は集めるだけ、敵は作るだけでは意味がない。
当然のことながら、要は使いようではなかろうか。

政倫審が少々楽しみである。



2010年05月13日(木) 信三郎帆布と勉学所感

近頃、コットンあるいはキャンバス素材のバッグが気になる。
先日京都で購入した信三郎帆布トートが、今一番のお気に入りだ。
長めの持ち手と丸底が絶妙な輪郭を構成している。
大きなポケットと白いステッチも抜群のバランスだ。
色は赤を選んだ。赤といっても鋭さはない。
マイルドで果実のような、甘さのある自然な色合いだ。

〜勉学所感〜
覚書
知識不足に焦って、専門用語にとらわれ過ぎないようにすること。
哲学・思想・コンセプトを理解するように努めること。



2010年05月12日(水) 篤姫と龍馬を少々

今更ながら、「篤姫」を借りてきて観ている。
宮崎あおいの迫力には驚かされる。
雑誌の表紙等で見る彼女は非常に可愛らしい印象だが、
篤姫を演じる彼女は恐ろしい。

現在の大河ドラマは「龍馬伝」であるが、
史実とあまりにかけ離れた龍馬像にがっかりし、
二回ほど見てやめてしまった。

龍馬は一言で言うなら「中庸の人」であったと理解している。
また、下士であろうとも非常に裕福であった龍馬に、
あのような典型的なハングリー精神があったとは到底思われない。
どちらにしても、あの手の熱い人物像はいささか古いような気がする。
おそらく、「分かり易さ」を追求した結果なのだろう。



2010年05月11日(火) 喉周辺にまつわるトラウマ

先週、喉からくる発熱でダウンした。
熱は二日で下がったが、その後声が出なくなった。
少し強めの薬を処方してもらい、点滴でステロイドを入れ、
何とか喋れるようになった。
しかし未だに完治しない。
他はすこぶる良好なのだが、喉だけがいけない。
ハスキーボイスのままだし、夜中に咳が出て熟睡できない。

4年ほど前、喘息と診断された。
かなり重症で、一生つき合っていくことになると言われた。
ところが、転職した途端に治癒した。
発作が出なくなって2年以上経つ。
しかし、こうやって咳が続くと、
あの喘息独特のしんどさを思い出す。あまり気分の良いものではない。

ともかく、喉がこの状態では軽いジョギングすらできない。
発熱前は旅行でランニングを休んだので、
もう丸二週間走っていない。ストレスである。

しかし、いざ走れるようになればその喜びはひとしおではなかろうか。
その日を楽しみに、今日もマスクをして寝ることにする。



2010年05月10日(月) 蜂ジャケットと講義所感

近頃、LUCAのオリジナルアイテムをチェックするようになった。
ディテールが可愛いのに全体の印象は落ち着いている。
値段を考えるとかなりお得だ。

今日は少し寒かったのでこれ幸いと、
この春一番のお気に入り、
黄金色の蜂のピンがついた紺色ジャケットを着た。
薄手のジャージ素材で軽く、七分袖でバランスが取り易い。

〜講義所感〜
「このままでは、そう遠くない将来、また同じような問題が起こるだろう」
と予測されたとしても、
現状の問題が解決し、クライアントが満足している場合、
治療者側が出来ることはほとんどないように思う。

特に、クライアント自身の力というよりも、
主にクライアント周辺の力によって問題が解決した場合、
治療者としてある種の危惧が残る場合もあるだろう。

しかし果たして、治療者側は、
問題は解決したと認識しているクライアントに向かって、
「今後はもっと努力すべきだ、
 周囲に甘えて努力を怠るからいつも辛くなるのだ」と、
クライアントの生き方や人生観について
(直接的であれ間接的であれ)ずばり踏み込むべきだろうか。
そこには治療者側の主観が少なからず介入することになる。
それは、「治療者のお説教」になりはしないか。
それによって得られるものはあるだろうか。

それよりも、「何かあればまたいつでもご相談ください」と
アナウンスしてひとまずお別れする方が、建設的であるように思う。

クライアント自身が、「なりたい自分になることができた」と
概ね納得できたか否か、という点は、
治療における重要なポイントの一つであるように思う。
その「なりたい自分」がたとえ、本人の努力ではなく、
外的資源によって達成されたとしても、
それを評価するのは治療者の仕事ではないように思う。

これまでの仕事上の経験により、
「取りあえず今が上手く行ったのだからそれで良いではないか」と
素早く切り替え、諦めることには慣れている。
ないものを数えるのではなく、今あるもの、今達成されたものを数える。
どうやら、仕事である以上、この感覚は今後も必要なようだ。



2010年05月09日(日) ヘタレイケメン

神戸に住む友人が遊びに来た。
有名私立中・高・大と進み、大企業に就職し、
家族や友人にも恵まれ、顔も性格も良い。背も高い。
これといった欠点がなく、実にバランスの良い、
貴重な好青年であると評価できる。

にも関わらず、女性関係における自己評価が非常に低い。
よって、清々しいほどに、恋愛での失敗が多い。
そのへっぽこぶりが面白過ぎていけない。
友人としては、自信を持って女性に臨み
幸せになって欲しいと思う反面、
今後も思う存分にへたれて皆を楽しませて欲しいとも思う。
ジレンマである。

食事は、久しぶりに卜傳岡山総本店へ。
M、ごちそうさまでした。




2010年05月08日(土) 丸くなった?

アフタヌーンティーで美味しいサラダサンド
蒸し鶏と季節のフルーツ)を頂いた後
いつもの図書館へ車で近付いていくと、
何やらちらちらと騒がしい。
よく見ると、図書館前の公園で
フリーマーケットのようなことをやっている。
その横をゆっくりと通り過ぎながら確認すると、
案の定、いつもは静かな一階のロビーが
日除け帽を被ったお年寄りで溢れ返っている。
隣接の駐車場も満車である。

きちんと調べておくべきだった。迂闊。
予定を変更して山の手の図書館へ向かう。
家族連れが賑やかな、こぢんまりとした図書館だ。
窓際のスペースを確保して、日が暮れるまで論文精読。

子ども達の声を、
喧しいと思うことなく、寧ろ微笑ましく思う。
年を取ったな、と、しみじみ思う。



2010年05月07日(金) 脇汗運転とアリス

免許停止期間が明けて約5週間、
本日初めて、一人で運転をする。
お気に入りのカットソーの脇は汗でびっしょりになった。

夕方、「アリス・イン・ワンダーランド」を観に行く。
3Dグラスが思いのほか顔にフィットせず、苦労する。
週の半分は眼鏡で過ごしているので、
3Dを選択する際、この手の心配をせずにいた。
意外な盲点であった。
最後まで、かけては外し、の繰り返しだった。
一緒に観たYちゃんは、3Dグラスに数十分イライラした後、
すやすやと寝てしまった。

よりファンタジー感を求め、飛び出すことに固執してしまったことが
非常に悔やまれる。
ディスクが出たら、くっきりはっきり、字幕版でじっくり観たい。


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