VITA HOMOSEXUALIS
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専門学校を中退してしまった私には高卒の学歴しかなかった。
同じ時期に大学に入った友人たちは卒業して就職する時期になった。
我も我もと県庁や市役所の役員になったり、地元の銀行員になったり、商社や製造業に入ったりした。私は自分だけがひどく遅れているような気がした。その頃はまだ政治運動にかかわっていて、帝国主義政策を進める大企業と官僚機構への反発を持っていた。ではどうやって生きるのか?
運動の先輩たちは肉体労働のアルバイトをした。そうして、就業条件に難癖をつけて、一時金をせしめて退職し、また別のアルバイトに就き、また同じことをする。要するにジゴロなのであった。その生き方も私には出来なかった。
夜でも朝でもない薄明の空を飛んでいるような気がした。私は高校の同級生と瀬戸内の島に旅をした。その子は役人になることが決まっていた。
私たちは小さな島の尾根に着いた。南側の斜面には一斉に除虫菊が咲いていた。北側の斜面は棚田になっていた。私はそこで幻影を見た。遠くから、獲物をかついた漁師がこちらに向かって歩いてくる。ドビュッシーの『祭』の音楽がかすかに響く。その人の群れはだんだん大きくなる。祭の音楽は昼間部の行進曲になり、音がぐんぐん大きくなってくる。その一番の大音響のとき、獲物を抱えた祭の列は私の側を通り過ぎた。オトコたちは大きな魚を抱えて、赤銅色の顔を輝かせていた。女達はそんなオトコを夢見るように見、捧げ物を持っていた。
やがて幻影は消えた。取り残された自分。どこへも行けない自分。何も役に立たない自分。私はぽろぽろと泣いた。彼が私を優しくなぐさめた。
「オレらはなあ、今の時点で自分の棺桶の大きさが決まってしまうんよ」、「それが決まらんおまえはいいよ」と彼は言った。
その夜、民宿で枕を並べて寝た。少し寄っていた。私の手は彼の股間に伸びた。最初は柔らかだった股間は私の手を感じると硬く、大きくなった。
「あれ?」と彼は小さい声を出した。
私は彼のペニスを握り続けた。彼は何も抵抗しなかった。彼のペニスからはガマン汁が流れて濡れた。しかし彼は射精しなかった。彼の勃起は次第に落ち着いてしまった。
私は二重に負けたのだと思った。就職の決まった彼に負け、射精させられなかったことで彼の克己心にも負けた。私は本気で泣いてしまった。彼は私の手の甲にキスをした。それが彼の精いっぱいの行為の表現だった。
それ以来40年、彼は新聞の人事欄に写真が出るほどの大物になった。
2016年08月29日(月) |
少年の日の回想(3) |
高校にはブラスバンドがあった。
野蛮なブラスバンドで、一日の練習のほとんどの時間を、ピーピー豆のようにBbの音を揃えるのに費やしていた。
このブラスバンドは野球の応援をした。暑いグランドのスタンドで校歌や応援歌を吹く。生徒たちはグランドに集められて練習をさせられた。集合が遅いと言ってはなぐられ、元気がないといってはなぐられ、歌が音楽のように聞こえるといってはなぐられ、まるきりリンチのような練習だった。下級生のときボコボコに殴られて涙顔になっていた少年たちも、自分が上級生になるとにたにた笑いながら下級生をなぐった。
ブラスバンドはどんな応援歌でも必ず、ピッコロからチューバまでが同じ旋律を吹き、各小節の頭あにドオン、ドオンと太鼓が打ち込まれた。
私はこんな練習が嫌で、先輩が後輩を苛めるのも嫌だった。だから後輩にも優しい態度で接した。
ブラスバンドの並んだひな壇を私は見回っていた。それも、他の同級生のように怒鳴りながら、バンドの連中を脅かしながら回るのではなく、ていねいに、やさしく姿勢の注意をしたりしていた。
ユーフォニウムを吹いてたのは小柄なSというオトコだった。Sは私を見て軽く笑った。私も笑い帰した。これはあり得ない応対で、笑いかけられたときには「何がおかしいか!」と殴るのが正解だった。ただ、私たちは笑い合って、こんなことがバカバカしいということをお互いに了解したようであった。Sは私の首を抱き、頬にチュッと接吻をした。「あんたという人を知ってるからあ」と彼は言った。
練習のあと。私たちは学校の裏山で会った。彼はブラスバンドへの不満をいろいろ訴えた。私も学校への不満を語った。
私たちは抱擁した。抱擁すると彼のペニスが硬くなっているのがわかった。
「立ってるじゃん」と私は言った。
「先輩もじゃん」と彼は答えた。たしかに、私のペニスはビンビンで、先端からはすでに汁が流れていた。
私たちはそのままキスをした。彼の唇はほのかにミルクの香りがした。
2016年08月13日(土) |
少年の日の回想(2) |
私の通った高校には二つの対立するグループがあった。大半の生徒はそのどちらにも属していなかったが、少数の生徒たちが反目し合っていた。その一つは朝鮮出身の二世や三世から成るグループで、もう一つは被差別部落の出身者から成るグループであった。これらのグループは時折小競り合いのようなことを繰り返した。その反目が深刻であった理由は、それぞれのグループの背景に大人たち、それも反社会的な勢力とされる人々がついていたからである。その反目は後に私が政治的な関心を持つようになる源泉でもあった。お互いに日本社会から疎外されている人々がなぜ反目し合わなければならないのか、私はその対立を無用なものと思い、お互いが階級意識に目覚めれば解消できるものと思っていた。
私は朝鮮出身側のM君と親しくしていた。M君は小柄で浅黒く、精悍な顔つきの悪戯っ子だった。しかし彼は読書家でよく本を読み、自分も小説家になりたいと思っていた。
高校2年の夏休みの日、私は彼の家に遊びに行った。彼の家は長屋の一角にあり、二間ほどの狭い家は表通りから裏側まで見通せ、その長屋の外れには豚小屋があったので、動物の匂いがぷんと漂っていた。彼は家にいなかった。家族もみな働きに出て留守だった。だが、私は勝手をよく知っていたので彼の部屋に上がり込み、そこらへんの本を見て、井戸から勝手に水を飲み、彼が部活から帰るのを待っていた。
ツクツクボウシが鳴く頃、自転車が止まる音がした。M君がよろよろと帰って来た。白いシャツが破れていた。顔に傷があった。
「やられた」
彼はすり切れた畳にどんと転がった。私は驚いた。彼のシャツを脱がせた。あちこちに痣があり、シャツには血がにじんでいた。
「Oか?」
私は対立するグループの首領の名を言った。
「それだけじゃあない」
彼は薬罐から水を飲んで転がった。
「ただじゃあおかん」
彼の胸が波打っていた。
「廣島に声をかける、二、三十人集めるぞ」
「やめとけ」
「チェーンに、木刀に、ヌンチャク・・・」
彼は起き上がって両手をついた。肩が上下に揺れていた。
「こうなりゃ戦争じゃけ・・・」
「やめえというに」
私は彼の両肩をつかんた。目が血走っていた。その目に涙がたまり、ぼろぼろとこぼれた。鼻水がぼたぼた落ちた。
「ケンカしても何にもなりゃせんけ」
私はできるだけおだやかに言った。
ぐあっとしゃくりあげるような声を響かせ、彼は私にしがみついた。そのまま小さな子のように「ぐあっ、ぐあっ」と声をあげて彼は泣いた。私はしばらく彼を抱きしめていた。それからタオルを井戸水で濡らし、彼の顔を拭き、体を拭いてやった。
「どこかに薬はないか?」
彼は戸棚を指さした。メンソレータムがあり、私は痣になった彼の傷にそれを塗った。
「落ち着けよ、仕返しはやめえよ」
私は何とかして全面対決を防がなければいけないと思っていた。とりあえず生徒会長に相談するか、いきなり警察の助けを借りるか、私にも良い考えは浮かばなかった。彼はひくひくと体を震わせていたが、ときおり思い出したように涙を溢れさせ、私の手からタオルをむしり取って顔を拭いた。私は何度かタオルを井戸水で濡らし、絞った。口の端が少し切れているようであった。
ようやく涼しい風が吹き、日が暮れ始めた。
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