こうして私はあなたを好きになった
綴りたいのは残された言葉、なつかしい匂い、
揺れる気持ち、忘れられない感触

2008年11月13日(木) 小さな幸せ


 美しい雁の群れを見た後、

 私達は彼が予約してくれたワインと串焼きのお店へ向かいました。

 忘れたくても忘れられないあの人のことや

 いつも頭の片隅から離れない悲しい運命のことで、

 その日の私はひどく敏感になっていました。



 彼と食事したり、お喋りするのはとても楽しいことだったけれど、

 これは恋ではなく、割り切った大人の付き合いなのだと

 心のどこかで自分に言い聞かせていました。

 その時の私はまだ彼と手を握ることさえしていなかったから、

 自分の気持ちをコントロールすることは容易いことだと思っていました。


 「この年で誰かを好きになったとしたら、

  それはもうずっと前から決まっていたことなんだよ。」


 ワイン二杯で既に酔っていた私に彼はそう言いました。


 「ある程度の大人の男と女になったら、

  ある日突然誰かを好きになることなんてない。

  今まで生きてきた積み重ね、経験で

  誰かに惹かれずにはいられないのだから。」


 彼は「意地を張らずに俺を好きになれよ。」という

 場合によっては身勝手に聞こえるような言葉を

 私が受け入れやすい言葉に上手く変えているようにも思えました。




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 それから、彼は私の悲しみについては何も聞かずに、

 彼が小さい頃に病気で亡くなられた母親のことや父親の再婚、

 その後の複雑な家庭環境、

 そしてその環境が一因であろう彼の性格の特徴について

 淡々と語り始めました。



 夕方見た雁の群れのせいだったのでしょうか。

 それとも、慣れないワインに酔いがまわっていたのでしょうか。

 その夜の私はひどく涙もろくなっていました。

 目が潤み始めた顔を彼に気付かれたくなくて、私は席を立ち、
 
 洗面所の鏡の前でしばらく泣いていました。

 お化粧直しが不可能なほど涙が溢れて止まりませんでした。



 席に戻って、待っていた彼に


 「もう今日は修復不可能。ひどい顔してるでしょ。」


 と私が聞くと、


 「ああ、本当にひどいよ。^^」

 
 と彼は優しく笑って言いました。



 彼が初めて連れて来てくれたお店で醜態を晒すことは出来ないので、

 それからすぐにお店を出ました。

 外はひんやりとして空気が冷たく、私達以外は誰もいませんでした。

 
 「大丈夫?」


 彼に聞かれて、とうとう私は声を上げて泣きじゃくりました。

 彼は私を抱き締めました。

 まるで父親が泣いている幼い娘を抱くような抱き方でした。

 あの時の彼の態度が父親でなく、男だったら、

 私はすぐに彼の腕から離れていたかもしれません。

 でも、あの時の彼はただ父親のように

 私の髪を撫でながら私を抱いていてくれました。



 私が泣き止むと彼はタクシーを止め、

 初めてのデートで連れて行ってくれたお店に向かいました。

 お店のカウンターに座ると、彼はバーテンダーに


 「彼女にトマトジュースを作ってあげて。」


 と告げました。



 泣き疲れた私に甘酸っぱいフローズンのトマトジュースは

 とても美味しく感じられました。

 それから彼は若い頃住んでいたスペインやスペイン語の話を始めました。

 彼の面白い話に聞き入るうちに

 前の晩のナイフのようなあの人の言葉は次第に遠のき、

 ぼんやりとした小さな幸せに包まれている私がいました。



2008年11月12日(水) 涙の理由


 「夕日を見に行きましょう。」

 
 それが二度目のドライブの誘いでした。

 初めてのドライブで私が車に酔ってしまったから、


 「今度はほとんど真っ直ぐな道だから大丈夫。^^」


 と彼は私を安心させました。



 美味しいラーメン屋さんで腹ごしらえしてから、目的地へ向かった私達。

  
 「どこで夕日を見るんですか?」


 不思議そうに問いかけた私に、

 彼は運転席からパンフレットを渡しました。

 パンフレットには美しい雁の写真がありました。


 「何を見に行くか分かった?」


 そう、その時初めて私は

 夕日を背景にして飛来する雁の群れを見に行くことを知らされました。



 前の晩、私は取り乱して彼に電話をしていました。

 その頃まだあの人と連絡を取り合っていた私。

 あの人から言われた言葉、

 刃物のように胸に突き刺さったまま離れなかったその言葉を

 そのまま誰かに吐き出して、楽になりたかったのです。


 「驚いたでしょう。いつも能天気な私がこんなになっちゃって。

  引いたんじゃないですか。」


 彼は動じる様子も無く、落ち着いて言いました。


 「いや、全く驚かないよ。

  普段明るい人が全く違う側面を持っていたとしても、

  それはよくある、ごく当たり前のことだから。

  そんなに人間誰も単純なものじゃないでしょう。

  あなたは人の言葉を額面通りに真っ直ぐ受け止める人だから、

  普通の人より傷つくんだよ。

  確かに俺はあなたの元彼のような言葉は口にしないと思う。

  ただ、その彼の言葉にしても色々な想いがあって
  
  吐き捨てるように出てしまった言葉であって、

  100%真実の気持ちではないと考えるのが普通だと思う。」



 彼が予想していた通り、

 夕暮れ前のちょうど良い時間に車は湖に着きました。

 湖のほとりにはネイチャーセンターがあって、

 家族連れや夫婦など沢山の人がその場所を訪れていました。

 車から降りると身に着けていた薄手のジャケットでは震えるほど寒く、

 彼は車に積んでいた2つの防寒具のうちの1つを私に着せました。

 アウトドア用の防寒具はとても暖かでした。

 その上、彼は親が子供にするみたいに

 恥ずかしがって遠慮する私の首にグルグルとマフラーを巻きました。

 それから、彼は双眼鏡と折りたたみの椅子を2脚持つと、

 私を湖の方へ案内しました。



 ネイチャーセンターを通って湖のすぐ近くまで来ると、

 彼は椅子を2つ出して、


 「座りなさい。」


 と優しく言いました。

 既に湖にはその日一日の仕事を終えた沢山の雁が、

 身体を休めるために集まって来ていました。

 そして、暮れなずむ空を見上げれば、

 どこからともなく幾つもの雁の群れが飛んで来るのが見えました。



 彼は1つだけ用意していた双眼鏡を私に手渡して、

 
 「女の人はこういうのを見るのが下手だよね。」


 と言いながら使い方を簡単にレクチャーしました。



 双眼鏡で美しく壮大な雁の群れを見つめながら、

 何故涙が溢れて止まらなかったのでしょう。

 私は泣いていることを彼に気付かれないように、

 ずっと双眼鏡を握りしめていました。



 帰りの車の中で、

 彼はその晩予約していてくれたレストランの名前を言いました。

 彼が連れて行ってくれるお店はどこも彼の行きつけのお店です。


 「お店に着く前にどこかでお手洗いに行きたいの。」


 私の唐突な言葉に彼は不思議そうに聞きました。

 
 「トイレならお店の中にあると思うけど?」


 私は仕方なく正直に告げました。


 「さっき泣いてしまったから、お店に入る前にメイクを直したいの。」




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 そこには、まだ湖に帰り着いていない沢山の雁たちがいました。

 彼等はそこで一生懸命落穂拾いをしているのでした。

 私達はしばらく無言でその光景を見つめていました。


 「壮大な自然や動物の営みを目の前にすると、

  自分の些細な出来事なんて凄くちっぽけだって思っちゃう。」


 私の呟きに彼は無言で答えました。

 今思い出してもあの時点では感動を恋と錯覚してはいなかった…。

 そう確信できるのです。



2008年11月09日(日) ランチ&SPAのひととき


 しばらくして彼からランチのお誘いのメールがありました。

 3つの候補の中から選ぶようにという内容でした。

 美味しいハンバーグ屋さんとイタ飯屋さんという候補もあったけれど、

 私にとっては初体験のホテルのSPAでのデートを選びました。



 まずは彼の車で市内のシティホテルへ。


 「ランチとスパどっちが先がいい?^^」


 「カロリー消耗のためにスパが後。^^」


 ホテルの中の日本料理のレストランで、お昼の定食を頂きました。

 吹き抜けのある、小さな中庭が見えるレストラン。

 この日は彼のお仕事の話を沢山聞くことが出来ました。

 彼は2つのレストランのオーナーです。

 経営やサービスなど私が知らない業界の裏話を聞くのはとても楽しくて、

 彼の話に夢中になって聞き入っていました。



 それから男女別々のロッカールームに分かれてそれぞれのスパへ。

 ホテルのスパなんて生まれて初めてでとても贅沢な気分。

 都会の中のオアシスのような露天風呂に浸かっていると、

 仕事や今までの恋愛のストレスなど全てお湯の中に溶け出して、

 身体の隅々まで癒されていくのでした。



 湯船にゆったり浸かった後は白いバスローブを着て、

 男女のスパの中間にあるサロンで彼と待ち合わせ。

 彼はノンアルコールのビール、私はアイスティーを飲みながら、

 デッキチェアでお喋りしました。

 デッキチェアに寝転びながらお揃いのバスローブでお喋りしていると、




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 でも、この頃の彼はそういう雰囲気をまるで見せなかったので、

 そんな気恥ずかしさもすぐに消えて、

 私は初めて遊園地へ連れて来てもらった子供のように

 無邪気にそのひとときを楽しんでいました。



2008年11月06日(木) 彼と初めてのドライブ


 秋の空が美しい、良く晴れた休日でした。

 私が待ち合わせ場所に近づくと彼から携帯電話に着信。


 「見つけたよ。白のスカートはいてるでしょ?」


 私が彼の車を見つけるより先に、彼に見つけられたようです。



 彼の車に乗り込んで出発。

 向かう先は山の麓にある美術館でした。

 彼の車の中はゆったりと快適で、

 彼がセレクトしてくれた音楽を聴いたり、他愛も無いお喋りをしたり…。

 途中車を止めて、山小屋風の可愛いお店で

 美味しいソフトクリームを食べたりもしました。



 車が山間の道に入っていくと、道路はカーブの連続となり、

 私は気分が悪くなってしまいました。


 「大丈夫?」


 「ちょっと酔ったみたい。どこかに車を止めてくれますか?」


 しばらくして彼はドライブインの駐車場に車を止めました。

 車を降りると外の空気がひんやりとしていたので、

 彼は自分のジャケットを私に着せようとしました。


 「ありがとう。でも大丈夫。

  涼しくて気持ちいい。」


 彼といると楽だなぁ…。

 好きという強い感情はないけれど、

 一緒にいる安心感が心地よく感じられるのでした。



 ドライブインでお蕎麦を食べて少し一休み。

 それから目的地へ向かいました。



 美術館は小さな丘の上にあって、

 私が好きだと彼に告げていた画家の作品展が開かれていました。

 彼と一緒に一つずつ絵画を眺めながら、

 あの人のことを思い出してしまう自分がいました。




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 初めてのドライブデートだというのに、

 隣にいる彼はとても優しく良くしてくれているのに、

 あの人は彼のように気が利く人なんかじゃないのに、

 妙に醒めている自分が嫌でした。



 作品展の出口近くに大胆な男女の抱擁の絵が4枚展示されていました。

 全裸で情熱的に抱き合う男女の絵。

 
 「ハグが4枚だね。」


 彼の言葉に私はそっと微笑んだだけ。

 まだ、指先一つ触れたことがない相手と

 セックスしている男女の絵を眺めている…。

 場合によっては刺激的なのかもしれないシチュエーションに

 何も感じていない様子の私。

 あの時、彼は少し落胆していたかもしれません。



 美術館を出る頃は既に外は薄暗くなっていました。

 かなり遠くまで来ていたので、

 帰りは少し急がなければなりませんでした。



 帰りの車の中、私は疲れてそのまま眠ってしまいました。

 起きた時には既に車は家の近くまで来ていました。

 何故そんな話題になったのかは覚えていないけれど、

 彼は自分の好みのタイプの女性について話をしました。

 彼は太った女性が大の苦手なんだそうです。

 それから好きな女優さんの名前を2人挙げました。

 あの人と彼の好みは全く違う…。

 心の中で私はそう思いました。

 私はあの人よりも彼のタイプに近いとも思いました。

 彼のお気に入りの女優さん達は勿論私よりずっと美人だけれど、

 タイプとして私とあまり遠くないかなと。

 彼となら私は無理しなくてもいいかもしれないと。



 夜、彼からおやすみのメールがありました。

 
  もう具合が悪くはないですか?

  今日の理沙子さんも可愛かったですよ。

  それにしても車酔いするドライブ好きは理沙子さんだけでは?^^


 彼とはこの先どうなっていくのかな…。

 そんなことを思いながら、その夜は眠りにつきました。



2008年11月04日(火) 微妙な感情


 あの人とはメールや電話で連絡を取りつつ、

 彼とのメールのやりとりが始まりました。

 2人で映画を観に行ってから数日して、

 ランチに誘われました。

 彼からの誘いはとても嬉しかったけれど、

 その日一日仕事で忙しかった私は

 やむなく断りのメールを入れたのでした。


 「また今度誘って下さいね。」


 という一言を添えて。



 彼には私の気持ちがとてもストレートに伝わりやすく、

 キャンセルされた食事の約束は、

 すぐにその週の週末に持ち越されました。



 週末、彼は隠れ家みたいな素敵なお店を

 デートのために予約してくれました。

 私の大好きな作家や或る女優さんも贔屓にしている

 和食のお店です。

 あの人とのデートの時は

 あの人に見せるためにコーディネートを考えていました。

 あの人の気を引く、或いはあの人が抱きたいと思うような女の装い。

 けれど、彼と会うようになってからは、

 彼の服装の雰囲気や彼が連れて行ってくれるお店に合う

 ファッションを考えるようになりました。

 彼はとてもさりげなく、けれどいつも上質なものを身につけている、

 お洒落な人だからです。



 私は彼との二度目のデートのために

 カーキ色のシャツワンピースを選びました。

 知的で可愛い人だと言ってくれた私の第一印象に合うような気がして。

 カウンター席で美味しいお酒とお料理を楽しみました。

 彼にとっては行きつけのお店。

 女主人とも気心が知れているのが自然と分かります。

 私は彼がこのお店に連れてきた何番目の女なのかな。

 そんなことを考えると何だか意識してしまって、

 初めてのデートの時のようには心から楽しめない自分がいました。



 本気であれ、遊びであれ、彼のアプローチは明確で、

 翌日の日曜日はドライブの約束まで入っていました。

 彼がそのお店の大切なお客さんだということ、

 その彼の連れである私がお店で頂いたトマトのお料理を

 大絶賛したことの二つの理由から、

 彼と私は帰りに自家栽培の美味しい生のトマトを

 5つずつ頂いて帰りました。

 後で彼に聞いたところ、

 そのお店でそんなお土産が出るのはとても珍しいことなのだそうです。



 初めてのデートの時のように

 代行のドライバーが運転する彼の車で送ってもらって家に帰りました。

 初めての時と違うのは、私は少し疲れを感じていたことです。

 家に着くとすぐに彼からメールがありました。


  今日は楽しい時間をありがとう。

  明日なんですが中止しませんか?

  今日は飲み過ぎたみたいだし、

  まだ何か霞がかかったみたいに気持ちがすっきりしていない様ですから

  その方がいいんじゃないかと思ってますが、違いますか?



 私は彼のその大人らしい配慮に感謝しました。

 翌日のドライブをどうするかの選択を

 彼はもう一度私に委ねてくれたのです。




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 私はすぐに彼に返信しました。


  霧がかかったみたいな…というのはTさんの気持ちなのでは?

  いずれにしても明日のドライブはやめましょうか。


 彼はすぐにメールで私の勘繰りを優しく否定し、

 翌日は約束どおり初めてのドライブデートになりました。


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理沙子

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