不用品 買取 家庭教師 celeste blue

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定期入れ

2009年03月31日(火)

2年半前、ずっと持っていた赤い定期入れをなくしました。
たぶん1万円と少ししたと思います。
中の定期はもう期限が切れていたため、ショックは半減しましたが、お気に入りだったので、やっぱり気になります。
しばらくして、駅の忘れ物センターに届けられているとハガキが届きましたが、取りにいきませんでした。
そのちょっと遠い駅まで行くのが面倒くさかったのです。
その定期入れとは、それっきり。

それでも、定期入れがないのはかなり不便で、しばらくして駅の商店街の文房具屋で定期入れを買いました。
たしか500円。
お金がまったくなかったのです。

そのなけなしの金で買った定期入れも、去年の夏くらいからどんどん壊れ始めて、今では定期入れの役割をほとんど果たさなくなっていました。
でも、ずっといっしょにがんばってきた定期入れ。
物に執着する私。
すぐに捨てるわけにはいきません。

ボロボロになった定期入れを今日、最後に使いました。
そして、新しい定期入れを購入。
あしたから、この定期入れで「出勤」します。
そう、「出勤」するのです。

おやすみ。


コンセント

2009年03月30日(月)

明石に「いかなご」を買いに行く予定でした。
母は毎年この時期、いかなごを煮付けています。
冷凍庫に保存してほぼ1年間、いかなごはわが家の食卓にのぼったり、お弁当のおかずになったり、かなり重宝しています。
去年のいかなごも、つい最近までありましたがもうおわり。
今年のいかなごを煮付けなきゃ。

朝、母に聞きました。

「いかなご、何時ころに買いに行く?」

母は言いました。

「今年は、やめる」

えええっ?!

聞けば今年のいかなごはキロ2000円を超しているとか。
去年はキロ1500円。
おととしまではキロ500円弱だったのに……。

あっという間に高級食品になってしまったいかなご。
どうしても食べたかったのか、よくいく商店街のよくいく魚屋で煮付けたものを買いました。

200gで1000円。
高い!
こんなに高いと、お弁当にも詰められません。

いかなご。
温暖化の影響で明石の昼網にひっかからなくなってきたそうです。
時事にとってもとっても疎い私ですが、こういうふうに生活に影響が出てきてしまうと、どうもそわそわします。

明日からは、でかけるときはコンセントを抜いて出かけよう。
小さな努力が地球を守るのだ!
いかなごも。

おやすみ。



2009年03月29日(日)

ギタリストさんから譜面台を借り、チューニングもしてもらいました。
さて、そろそろ……と思ったところでしたが、なぜかひとりは雑炊をつくり、ひとりはめざしを焼いていました。
さぁ、そろそろ……と思ったところでしたが、雑炊がそれぞれに取り分けられていました。

何度か出鼻をくじかれた後、みんなの拍手を機に唄い始めました。
ホントは唄の前にもっと話をしようと思っていたのですが、あまり多くを語ると泣いてしまいそうだったので、さっさと唄に入りました。

この3年間の思いを唄にのせて、この場にいる人たちに感謝の気持ちを伝えました。
唄っている間、やはりどうしてもこぼれてくる涙・涙・涙。
長い長い、長い唄になりました。
でも、一生懸命聴いてくれる人たちが、そこにいました。

涙で声が出なくなるときもあったけれど、でも必死に唄いました。
だって、言葉にしないと気持ちのすべては伝わりません。

誰にも相談しませんでした。
誰にも声をかけませんでした。
ただ、その場にいた人に聴いてもらいたかったんです。
私からの「お祝い返し」。
きちんと、受け取ってくれて、どうも、ありがとう。
ありがとう。

おやすみ。




小指

2009年03月28日(土)

ジャズの名匠ルイ・アームストロング氏が歌った「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」という曲があります。
ベトナム戦争に反対し、平和な世界を望んで書かれた曲だそうです。
映画「グッドモーニング、ベトナム」でもリバイバル・ヒットを飛ばしました。
コマーシャルなどでも、よく使われている有名な曲です。

今日はその生演奏をプレゼントしてもらいました。
カニをむさぼり食いながら。
カニ雑炊をすすりながら。
日本酒を呑みながら。
みんなにプレゼントしてもらった1曲は、私のたいせつな1曲になりました。

3月になってから、いろんな「お祝い」をしてもらっています。
心温まるギター演奏に胸が詰まったり、金毘羅山の上でみんなに拍手してもらったり、生演奏をプレゼントしてもらったり。
シアワセ者だな、と思います。

でも、もらってばかりではいけません。
お祝いには「お祝い返し」がつきものです。

さぁ、私の小指。
がんばれ!




ギター

2009年03月27日(金)

ちょっと、ギターを弾きました。

あいたたた。

年末に切った小指の先っぽ。
まだ神経が集中しているらしく、押さえると痛いのです。
ふだんはあまり気にならないのですが、ギターの弦が小指に食い込み、あいたたた。

しばらく、ギター、弾けないかも。

いや、別にギターを弾いて生活しているわけではないので、とくに弾けなくても私の生活に影響はありません。
でも、ギター、弾かねばならぬのです。

ちょっとだけ練習してやめました。
どうせ、私はもともとコードをまともに抑えられず、誰も私のギターをまともに聴いてくれていないはず。
そして、私自身もギターを聴いてほしいのではなく、心にあふれ出て仕方がない言葉や気持ちを伝えたいだけ。

とりあえず、いつものようにごまかしながらでも、弾いてみるとします。
本番、どうなるかな?

おやすみ。


尾道2日目

2009年03月26日(木)

9時ちょっと前のフェリーに乗って、対岸の尾道に向かいました。
きのう、合流した友と待ち合わせて、尾道をてくてく歩き始めました。
事前情報がほとんどない私たち。
駅でもらったパンフレットを片手に、お寺めぐりを始めました。
予定では、13時過ぎに友の経営するレストランに行く予定。
それまでたっぷり時間はあります。

のんびりゆっくり歩こうと思っていたのですが、なんといっても花冷えの尾道。
冬のコートを着ているとはいえ、その下は春の装い。
寒くてたまりません。
予定の半分くらいのコースをまわったところで街におり、映画資料館を見てから、再び友のレストランに向かいました。

昼過ぎの混み合う時間帯でしたが、友とふたり、昼ビールを飲み、のんびりさせてもらいました。
結局、尾道のことはやっぱりあんまり観ることはできず、ただ、友とおしゃべりしにきたみたいな感じです。
ま、いっか。

友とふたり、14時45分発の電車に乗りました。
幸い、ずっと座って帰ってくることができました。
行きはひとりだったけれど、帰りはふたり。
旅は道連れです。

久々の電車の旅、ずっと寝てばっかりだったけれど、日ごろの睡眠不足を補うことができました。
でも、やっぱり最近のお金で時間を買っている旅に慣れているためか、長時間の電車は、ちょっと疲れました。
でもまた18切符の時期に尾道訪問してみよう。

友のレストランにも行きたい。
あの宿にも泊まりたい。
小さなフェリーにも乗りたい。
気になる喫茶店にも入りたい。
尾道ラーメンも食べたい。

まだまだしたいことは、たくさんあるのです。
旅、いいですね。

おやすみ。


18切符で尾道

2009年03月25日(水)

久々に「青春18切符」を使いました。
尾道まで。
バイクでどこかに行こうと予定を立ててはいたけれど、急に襲ってきた寒波に怖れをなし、電車の旅に変更しました。

ごとごと。
ごとごとと電車に揺られ、何度か乗り換え、また揺られ。
尾道に着いたのは13時を少しまわったくらいでした。

今回の旅の目的は、尾道在住の友が経営するレストランに行くこと。
旅人のお勧めだった民宿に泊まること。
それと、尾道を歩くこと。
尾道には何度か来ているけれど、仕事だったり嵐だったりバスツアーだったりで、尾道の街を歩き回ったことはありません。

友のレストランには、突然訪問しました。
友はかなり驚いていたけれど、それでもあたたかく歓迎してくれました。
共通の友もいきなり呼んで、その日は急きょ飲み会。

夜は、旅人おすすめの宿でのんびりする予定でしたが、予定外に遅い帰宅になってしまいました。

ま、いっか。
だって、こんなに楽しくて居心地がいいんだもん。

明日は、尾道を歩きます。
寒くなければいいなぁ。

おやすみ。


実況中継

2009年03月24日(火)

DVDを見ながら洗濯、片付け、などいろいろなことをしていると電話がかかってきました。

「どっちが勝ってる?」

そっか。
今日はワールドベースボールクラシックの決勝戦。
この時間の世間の興味はそっちか。

スポーツ観戦でドキドキするのがニガテな私。
翌日の新聞やニュースで結果を知るほうが、心穏やかでいいのです。
とりあえず、テレビをつけて8回表。韓1対2日。
それだけ告げて電話を切ろうとすると……。

「またメールしてね」

メールの相手は仕事中。
それでもそんなに気になるものなのでしょう。

ということで、実況中継メールを送ることにしました。

たとえば。

「8回表。日3対1韓。岩村の犠牲フライ。
 ジャパンリード。今、コマーシャル」
「8回裏。1点返され日3対2韓。
 『ちょっとひやっとしましたね』」
「杉内続投。最後の守り。逃げ切れるか!」
「あ、ピッチャー交代!
 ダルビッシュ!」
「同点!
 ………」

などなど。
面倒くさいなぁ、と思いながら、中継を続けていくと、なんだかわくわく。
アナウンサーの言葉を拾って、必死に実況。
この緊張感をどうにか伝えなきゃ。

でも、いざ優勝が決まったときに送った実況メールはこんな感じでした。

「優勝。
 おめでとう」

なんともシンプル。
私って、いざというときの詰めが甘い……?

とにかく、世界のイチローはさすがです。

おやすみ。


いちばん

2009年03月23日(月)

2週間ほど前から、母は足を痛めていました。
どこかにぶつけた様子。
見るとパンパンに腫れています。
骨折しているかヒビが入っているか、とにかく痛そうです。

「病院、行けば?」

何度もすすめましたが、頑なに行こうとはしません。

「折れたりヒビが入っていたら、歩けるはずないもん」

そんなことを言います。
折れる場所によっては、歩けるのに。

今日、母がよくいく漢方薬局に行きました。
調子が悪くなると、母はいつもその薬局に相談に行きます。

「そりゃ、折れてるかヒビが入っているかやわ」

薬剤師さんに言われました。
ほら見たことか。

帰りの車の中。

「痛い原因がわかってよかったわ〜」

何度も母がつぶやきます。
私だって何度も「折れてるよ」「ヒビが入っているかもよ」と繰り返してきたのに。

「『こんなに我慢強いお母さん、初めて見たわ』って、アンタを生むときに病院で言われてん」

自慢する母。
お産と怪我はまったく違うっつーの!

とにかく、母よ。
元気がいちばん。

おやすみ。


ナビ

2009年03月22日(日)

ケータイ電話のカーナビ機能を、最近になって使い始めました。
多機能ではありませんが、地図を追わなくてもだいたいの道路がわかります。
ちゃんと音声案内もしてくれます。
道を間違えたら、ちゃんと新しい道を探してくれます。
けっこう便利。

これから先の季節。
信州方面に行くことが多くなると思います。
真夜中、いつも地図を頭の中に叩きいれながらも、不安いっぱいで登山口の駐車場を探していました。
でも、ナビがあればたとえ幹線道路しか案内してくれずとも、安心して運転できます。

ただ、ひとつ心配なことが。
山道に入ってもGPSが届くのかどうか。
車のナビと違い、ケータイ電話のナビなのでもしかしたら使い物にならないのかも?

ま、そのときはそのとき。
最初に地図をしっかり確認してからいくとしましょう。

おやすみ。


押す

2009年03月21日(土)

先日、バイクのエンジンをおそるおそるかけました。
うんともすんとも言わない予定でしたが、バッテリーはなんとか生きているみたいです。
「押しがけ」でなんとかなりそう。
でも、私ひとりではできません。
いえ、できないではなく、したくありません。
ごめん。

ということで、今日、押しがけをとある人にお願いしました。
条件は、その人のバイクも押しがけすること。

まずは1100ccのバイクを4〜5回ほど押して走った後、めでたくエンジンがかかりました。
ひゅぅっ!

そして、私の250ccのバイクも4〜5回押しがけ。
ぶるるん、ぶるるん……、カチカチカチ!

あれ?なんだかバッテリーの充電がなくなってきている様子。
すぐにかかると思っていたけれど、どうも様子がおかしい。

そんなこんなで私のバイク。
ただいま入院中。
購入時のロードサービス、もう今年で終わります。
来年からは、どうしましょうね。

とりあえず、早く帰ってこーーい。

おやすみ。


刺身

2009年03月20日(金)

週に一度、買い出しに行く商店街のなかに、安くて新鮮な魚屋さんがあります。
魚屋といっても、ただ魚だけ売っているわけではなく、野菜やお肉、豆腐なども売っています。
その店だけで、ちょっとした「市場」を担っている感じ。
あちこちに店員さんがいて、大声を張り上げています。

「買ってや買ってや」
「お買い得!お買い得!お買い得!お買い得!」

レジに並ぶわけではなく、その店員さんにお金を払い、商品を袋に入れてもらいます。
ちょっとした会話もできます。
おまけもしてくれます。
けっこう楽しいです。

その魚屋があるから、その商店街は賑わっているといってもおかしくありません。

「あんたの好きなおいしい刺身があるよ」

両親がまだ大阪に住んでいないころ、父が母によく言っていたそうです。
父の仕事が大阪に集中してきても、母は頑(かたく)なに引っ越しを拒んでいました。
その母を説得する材料が、その店の「刺身」だったそうです。

「毎日、その店の刺身を買ってきてくれて、それで引っ越しを決めてん」

母の性格を知り抜いての父の行動が、とてもおかしくて。
そんな話をしている母を見ているのが、今日はなんだかシアワセで。


そして……。
むしょうに父と話したくなりました。

おやすみ。


知識

2009年03月19日(木)

今ならわかります。
あの時の父が、どんな状態だったのか。
ただ、ひとえにその病院とナースを恨み続けてきた2年間。
訴訟という気持ちは抑えることができましたが、その病院の前を通るたびに、そこに入院している患者さんが哀れに思えて仕方がありませんでした。
もちろん、今もその病院のナースの応対は私は一生許しがたいものがあります。
でも、その病院に入院しようともほかの病院に運ばれていようとも、父の死は避けられなかったということ。

知識というものはおそろしいもので、あれだけ悲しく怒りに満ちていた気持ちを、やんわりとやわらげてくれました。

そっか。
寿命だったんだな。

「ワシの人生も、70までか」

入院する直前にそんなことを言っていたそうです。

父のいる仏壇に手を合わせながら、何も考えることはなく。
こうして、三回忌は過ぎていこうとしています。

おやすみ。


クリスマスローズ

2009年03月18日(水)

高松にうどんツアーに行きました。
いつもの人たちと8人で。
相変わらず少食な私。
でも、2軒と半分は食べることができました。

今回は私が参加するからでしょうか。
金毘羅山もコースに入れてくれました。
山頂でみんなが私を囲んで「おめでとう」と祝福してくれました。
どうもありがとう。

下山してお土産物屋さんを物色しました。
ふと目に付いた酒屋さん。
そういえば、数年前のうどんツアーの帰りに、立ち寄ったっけ。
今週末が「父の日」というときに、プレゼントにお酒を買いました。
お店の人がすすめてくれたのは、3000円ほどの日本酒。
財布と相談して私が買ったのは、1500円ほどしかしないものでした。

「僕がお父さんだったら、3000円のほうが欲しいなぁ」

笑いながら店の人にそんなイヤミを言われながら買ったっけ。
そんなことを思い出したら、店の中には入れませんでした。

うどんツアーの帰り、おみやげを渡しに友の家に寄りました。
もう22時。
友の家の近所にある24時間スーパーに、花は売っているかをたずねました。

「うちに咲いている花なら、分けてあげられるわ」

そう言って、庭の花を数本分けてくれました。
ありがとう。
おかげで堂々と家に帰ることができました。

クリスマスローズと呼ばれるその花は、おそらく明日、私が起きたときにはもう花瓶に生けられているでしょう。

明日は、父の命日。
三回忌です。

おやすみ。


強く

2009年03月17日(火)

近所のラーメン屋さんに行きました。
近所といっても、車で15分ほどかかります。
初めて入ったのは、2年前のちょうど今ごろ。
父の入院の荷物を買い出した帰りのことでした。

その後しばらくして小麦が高騰し、麺がまずくなったため、ずっと行っていませんでした。

「久しぶりに、行ってみようか」

「うん」

久々に食べたその店のラーメン。
いつの間にやら麺は元どおりになり、おいしく食べることができました。

季節は繰り返されるけれど、それでも同じ歴史にはなりません。
今日食べたラーメンも、あの日に食べたうどんも、あの時と同じ味で悲しい気持ちを思い出させてしまうけれど、過去に戻ってしまうわけではありません。
だって、私は生きているんです。

「死んだ者より、生きているほうを大事にしろ」

父がよく言っていたそうです。
それでも、この時期になると、いろいろと思い出してしまうのも、生きているからなんですね。

もっと、もっと強く……。

おやすみ。


気合

2009年03月16日(月)

旅の疲れか、昼過ぎまでぐっすり寝ていました。
母が何度か私の部屋をのぞいたようですが、それにも気づかずホントにぐっすり。

一箇所に滞在型の旅が多い私。
あんなにあちこちうろちょろした旅は久々です。
疲れて当然。

疲れていますが、まだまだ私の「遊び」は続きます。
だって今まで我慢してきたんだもん。

さて、気合を入れなおして。

おやすみ。


おわり。旅。

2009年03月15日(日)

友の希望で「トムル」に行きました。
トムルとは、島田伸介が営業しているお店です。
たぶん、ふだんのひとり旅では、こういうお店にはまったく行かないのですが、人といっしょの旅だとこうした店にも足が向きます。
新鮮で楽しい。

トムルの店でのんびりした後、近所の工房を見学。
かわいいライダーシーサーを見つけてみんなで購入しました。
みんなでお世話になっているお店へのお土産です。

その後、マックスバリューでいろいろとお土産を買いました。
沖縄のスーパー、かなり楽しい。
陳列されていた「さんぴん茶」は私たち5人のおかげ(?)であっという間に欠品し、野菜売り場の「島らっきょ」も残りわずか。
友たちのたくましい買い物ぶりも見ていて楽しい。
思わず私も売り場をもう一度まわって買い足してしまいました。

その後、レンタカーを返して空港へ。
九州へ向かう友となごりを惜しみながら、帰路へ着きました。

ざっと5日間のことを書いてしまったけれど、もっともっといろんなことがあり、ハプニングが続出した旅でした。
そのハプニングは、また今後の日記でおいおい書いていくことにしましょうか。

だって、長くなりすぎるんだもん。

おやすみ。


石垣

2009年03月14日(土)

嵐の夜でした。
朝もまだ風が強く、予定の船の便を1〜2本遅らせました。
だって、また船酔いが再来するかもしれません。
風が少し落ち着いたかと思われるところで、石垣島へ渡りました。
それでも、少し船酔いした様子。
かわいそうに。

レンタカーを借りて、とりあえず友人が経営している宿で荷物を置き、宮良(みやら)にある「いっぷく食堂」でお昼ごはん。
八重山そばがおいしいと聞いてきたのですが、地元の人たちが食べているものを見ると、味噌ラーメンっぽい。
ということで、思わず「白味噌ラーメン」を頼んでしまいました。
これが、うまい!
満足しながら再び宿へ帰り、調子の悪い友を宿に残して、4人で川平(かびら)に向かいました。
昨日より10度も気温が低く、コートを着ていても寒い!
この寒さにみんなで笑いながら、宿に戻り残っていた友といっしょにごろ寝。

夕飯でみんなと合流し、民謡酒場へ。
そのあと、宿でゆんたく。
今日も楽しい1日でした。
あ〜、よかった。


竹富島

2009年03月13日(金)

まだまだ船酔いが続く友のため、なるべく近くの島に渡ろうということになり、竹富島を目指しました。
乗船時間は約10分。
それでも、やはり船酔いに見舞われた様子。
予約していた宿のオーナ夫妻が軽トラックで迎えに来てくれていました。
船酔いの友の顔を見て一言。

「あ、昨日は波照間から来たのね」

す……、すばらしき直感!
それだけ昨日の海は荒れていたのかと船酔いに納得しながら、私たちの座席へ案内されました。
なんと、荷台!
不惑の歳を前にして、荷台の風を感じることができるとは思いませんでした。

とてつもなく明るいオーナー夫妻に宿の紹介をされたあと、竹富島を散策することになりました。
竹富島は今回で2回目。
でも、前回は水牛で散策しただけなので、こうしててくてくと歩き回るのは初めてです。

ちょっとした雑貨屋に寄ったり、絵はがきを買ったりしながら、友人たちとわいわいおしゃべり。
竹富島の西桟橋でごろりと休憩し、おなかが空いてきたところで、行きに見つけていた食堂へ移動して、塩焼きそばとオリオンビール♪

部屋に戻って、またまたゴロゴロし、海に泳ぎに行く友を見送ってから、再ひとりで竹富島を散策しました。
ひとり旅気分も満喫。

夕飯の時間に合わせて友と合流して、宿の夕飯を食べました。
みんなでわいわい。
わいわい。
今日も楽しい1日でした。
もう書ききれないので、おしまい。

おやすみ。


たのしい

2009年03月12日(木)

朝はのんびりして、西浜で昼寝。
とっても気持ちのいい時間を過ごしました。
最終の高速船が欠航になるかもという噂を聞き、その前の2便の高速船を予約しました。
ところが……!
2便も欠航が決まり、さて、どうしましょう。

同じ宿に泊まっていた人が、フェリーなら出る、という情報をくれて、さっそくフェリーに乗りました。
フェリーなら大きいからそれほど揺れないはず……。
という期待を見事に裏切った波照間フェリー。
私以外の友4人は、フェリーの大きくて小さくてなんとも言いのようない揺れに、すっかり船酔い状態。

私は、高速船の船長がひく三線の音色が心地よくて、うとうと、うと。
あっという間ではないけれど、ほどよく石垣のフェリーターミナルに着きました。

港から徒歩1分の1泊2000円の宿に泊まり、みんなで「源さん」という居酒屋に行き、私は隠れてこっそり泡盛りを飲み、楽しいひと時を過ごしました。

いいんじゃない?
楽しいよ?

人と、旅する。
ホント、タノシいよ。

おやすみ。


1日目

2009年03月11日(水)

10時40分発の便に乗る予定で、10時に空港で待ち合わせをしました。
リムジンバスの中で飛行機のチケットを確認すると、なんと10時20分発!
少し(かなり)焦りましたが、全員10時ギリギリに到着して、無事に飛行機に乗ることができました。
出発前からドキドキ。
今回の旅、なにやら波乱万丈な予感。

今日から友たち5人で沖縄県のずっと南、八重山(やえやま)を旅します。
沖縄に住んでいた友、海の大好きな友、旅慣れない気遣い屋さんの友、旅慣れないうさぎの好きな友。
しかも、アンバランスな旅の始まりは、日本最南端の島「波照間(はてるま)島」でした。

泊まった宿の「こ汚さ」に驚く友。
宿の「ゆんたく」に驚く友。
お風呂がシャワーしかないことに驚く友。
食事の量と種類に驚く友。
それぞれにいろいろな驚きがあったけれど、波照間の海の青に感動した気持ちは、みんないっしょでした。

満月の今日。
あいにく、体調が悪くて私はさっさと寝てしまいましたが、友人たちは「西浜」まで行き、遅くまで語り合っていた様子。

旅の始まり。
いつもと違う旅先の夜。

明日は、どうしようかな。
みんなと相談しなきゃ、ですね。

おやすみ。


卒    業

2009年03月10日(火)

幼稚園の卒園式。
前日の夜は、ベッドの中ですすり泣いていました。

「明日でみんなと別れるんだ。もういっしょに遊べないんだ」

両親と兄に聞かれないように、まさしく声を殺して泣いていました。
前夜に泣いたから、卒園式の日は泣かなかったように覚えています。
それでも、寂しかったな。

小学校の卒業式。
唄の式でした。
全校生で、何度も何度も練習を重ね、もう唄にも飽きたというときに卒業式。
でも、先生の唄の時に、ついつい、ぽろぽろ、ぽろり。
いい式でした。

中学校は、なぜかあんまり覚えていません。
泣いたような気もするし、泣かなかったようない気もします。
でも、友たちと離れるのが、とってもとっても悲しかったような気がします。
とっても……。

高校。
泣きませんでした。ある時まで。
最後に、卒業式の会場である体育館を出るときに、お世話になった先生たちが、私たちを拍手で送ってくれました。
あぁ、当たり前なんだけど、そのときなぜだか涙があふれました。
今から思えば、きっとそれが「感謝」の気持ちだったのでしょう。

大学は、あっさりしていました。
みんなで肩を組んで校歌を歌いました。
「紺碧の空」をはじめ、いろんな歌を歌いました。
明るく去っていけました。

以上。
私が経験した卒業式。

そして、ついでにきょう。
人より「イレギュラー」な卒業式を経緯しました。

その話は、また今度。
だって、長くなるから、ね。

おやすみ。


きょうのこと

2009年03月09日(月)

あいた口がふさがらず、瞳は大きく見開いたまま、目の前にいる人を見つめました。

そのときに私はいったい何を言ったのか。
あんまり覚えていないけれど、「ありがとう」という気持ちだけは伝えたように思います。
驚きのほうが大きすぎて、うまく伝わったかどうかはわかりません。

なぜ?
どうして?
そんな疑問も頭の中を点滅するけれど、やっぱり真っ先に伝えたいことは「ありがとう」。

その気持ちに。
その勇気に。

ありがとう。



おやすみ。


ある日曜

2009年03月08日(日)

お買い物。
そんな1日。

おやすみ。


自慢

2009年03月07日(土)

私のいちばんの自慢は、私の友は、みんなステキな人たちばかりだ、ということです。

おやすみ。


それだけ

2009年03月06日(金)

食事を終えて、ひとしきり語り笑ったあと、突然、お店のマスターがやってきて、いきなりギタリストさんが登場しました。

 あぁ、やられた……!

何度もサプライズ企画をしている私。
残念ながら、だいたいのサプライズは予測できてしまいます。
今夜も、いろんなことを予測してきましたが、もう22時。

サプライズは、もうないかな。
でも、いい夜だったな。

そんなことを心の奥の奥で考えていた矢先のことでした。

静かに3曲。
ギタリストさんは、弾いてくれました。

この3年間。
いっしょに切磋琢磨してきた仲間がいたから、がんばってくることができた。
この3年間。
陰日なたで私を支え続けてくれた人たちがいたから、折れることも負けることもなく、ここまでやってきた。

弱音は吐くまい。
愚痴は言うまい。
そうしてがんばってきたけれど、今日。

がんばってくることができたのは、今、ここにいる人たちが支え続けてきてくれたからなんだ。
私を、見守ってくれていたからなんだ。

そんな当たり前のこと、わかっていたけど、わかっていたはずなのに。
お店のマスターの言葉とギターの音色に、涙がぽろぽろ、ぽろぽ、ろ、り。

ありがとう。

ただ、それだけ。


大事

2009年03月05日(木)

大事なものは、なくさないように。

おやすみ。


問わない

2009年03月04日(水)

この春から、一人暮らしをする友が数多くいます。
彼女たちの会話を聞いていると、なんだか前向きで明るくて、たくましささえ感じます。
私が、一人暮らしを強いられたときとは、おおいに違います。
うらやましい、といえばうらやましい。

でも。

大変だな、という思いのほうが大きく感じます。

おそらく、彼女たちは私が懸念する「大変さ」は感じないのでしょう。
でも、やっぱり、大変なのでしょう。

深くは問わず。

おやすみ。


桃の

2009年03月03日(火)

19時半ころ、家に帰りました。
母が夕飯を作ってくれていました。
なんと、キュウリと玉子焼きとカニかまぼこの巻かれたのり巻き。
私は、子どものころから母ののり巻きが大好きでした。
なぜかといえば、お寿司屋で食べるのり巻きには、「しいたけ」が必ず入っているから。
それにしても、いったいなぜ今日はのり巻きなのでしょう。

うつうつと考えながら、ふとカレンダーに目をやりました。

 あ……。

そう、今日は3月3日の桃の節句。
もう桃の節句を祝う歳ではまったくないけれど、きっと母も昔のことを思い出したのでしょう。

母と私の共通の思い出に、懐かしい気持ちが心をいっぱいに満たし、シアワセいっぱいに眠りにつくことができました。

おやすみ。


つづく

2009年03月02日(月)

「あした、早く帰ってくる?」

出がけに母から尋ねられました。

「ん〜、まぁまぁ」

そんなには遅くならないだろうと思い、適当な返事をしました。

この続きは、あした。

おやすみ。


お見舞い

2009年03月01日(日)

おそらく、生まれたときから私をかわいがってくれている伯母のお見舞いに行きました。
思ったより、元気そうで何より。
今月末には退院するとか。
まずは、一安心です。

伯母のいる病院は、私が子どものころによく買い物にきたところを通ります。
でも、今日は母もいっしょ。
思い出めぐりをしたくない母のことを考えて、少しばかり遠回りをして病院に向かいました。

なぜならその場所は、かつての面影なく、思い出の場所はことごとくマンションや大手スーパーが建てられているから。

「思い出めぐりは、するもんじゃない」

数年前、学生時代に過ごしていた街を訪れたときに、思ったことです。
変わった姿を見て、寂しい思いをするよりも、昔のままの思い出を、そのまま残しておいてあげたい。

病院では、母と伯母が、自分たちの余命について語り合っていました。
伯母も、ずいぶんとつらい思いをしてきました。

子としては、できるだけ長生きしてほしいと思うけれど、このふたりにとってみればどうなのでしょう。
もう、「いつ死んでもいい」と思っているのでしょうか。
怖くて聞けなかった今日のお昼。

とりあえず、これからも私は、母との思い出づくりをしていくつもりです。

おやすみ。

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celeste [MAIL] [アルバム「紺と碧」]

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