僕らが旅に出る理由
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2002年02月28日(木) My Only London - アフター・ハッピー・エバー・アフター

話が前後するけれど、まだ私がワーク・エクスペリエンスをしていた時の話。
ホームステイ先を出た私は、トゥーティング・ブロードウェイのフラットに間借りしていた。2002年の年が明けてすぐの頃だ。

トゥーティングはテムズ川の南にあり、かつては夏目漱石も暮らした場所だが、彼はここでノイローゼになった(苦笑)
林望が「住んだ場所が悪かった」みたいな書き方をしていたが、そんな悪いかな、トゥーティング。私は好きだけど。(まぁ、当時と今じゃ違うだろうけど)
駅の近くに大きいセインズベリがあったし、インド人が多くて美味しいカレーがあちこちで食べられた。まあ確かにサウス・ケンジントンあたりとは違うが、特に危険なわけでもなく、庶民感覚たっぷりのいい町だったと思う。

フラットのオーナーは中年の日本人女性で、小さな息子と一緒に暮らしていた。
この女性が病的なほど神経質で、少し驚いた。
共同で使うキッチンは、とにかくゴミひとつ落とさないで、と言われた。1cmくらいのキャベツの切れ端を落としていても、翌日キッチンに下りるとその場所にチョークで丸がついている、といった具合だった。(殺人現場か?)
朝は寝ているからキッチンで極力物音を立てないようにと言われ、シリアルを食べる途中スプーンがボウルに当たるカチャリというわずかな音だけで起きてきて、「もうちょっと静かにしてください」と言われる。
彼女は笑うことがなかった。いつも何かに取りつかれたような顔をして、こちらを見ているようで見ていない。
息子は気が荒く、彼女にべったり甘えるかと思えば突然かんしゃくを起こした。彼女は息子を愛しているばかりに、彼の言いなりになっていた。

そのフラットにはもう一人日本人の女の子が間借りしていた。仮にKちゃんとする。Kちゃんは長期でそこの部屋を借りていて、オーナーの女性についてはいろいろと情報を持っていた。
というか、ほとんど彼女専属の芸能リポーターみたいな状態だった。
Kちゃんはオーナーをよくネタにした。

オーナーは日本の家族と折り合いが悪く、今はほとんど絶縁状態になっているらしい。外国への強烈な憧れもあり、彼女はイギリスで永住するつもりで日本と訣別してきたのだそうだ。
国際結婚をめざした彼女はこの国でパートナーを探し続け、あるパーティーでエジンバラ出身の警察官に出会った。
彼は警察官らしい、いい体格をしていた(Kちゃん談)。顔つきもりりしく、彼女は一目で恋をした。Kちゃんに言わせればオーナーの一方的な恋だったそうなのだが、積極的にアピールした結果、彼女は彼の子供を産むことになる。それが、今の息子だ。
ただ、その警察官は妻帯者だった。エジンバラに自分の家庭を持っているし、ふだんはそこに住んでいる。離婚する予定もないらしい。
もっとも最初はそのつもりで、離婚してオーナーと再婚するようなことも言ったそうなのだが、いつの間にか立ち消えになってしまった。その理由も、オーナーを愛しているからというより、子供の親権がほしかったからなのだそうだ。
彼には、その子以外に子供がないのである。
それも複雑な話だ。

終わってるね、とKちゃんは言った。
今さら日本に帰るわけにもいかず、子供の父親からはもう愛してもらえず、頼みにするのは子供だけ、しかもその子供はわがままで手の付けようもない。自分は病的に神経質で、針が落ちるような音にさえ反応して夜も眠れない。
私は、もし自分が同じ運命を辿ったらどんな風に思うだろう、と考えた。
出てきた答えはKちゃんと同じだった。
曰く、終わっている。
彼女は幸せなのだろうか?とてもそんな風には見えないのだ。心から笑えるようなこともなく。

だけど、と思った。
現実の生活は続いていく。
現実の生活に、エンドマークは出ないのだ。
だとすれば、その先にもストーリーはあるのかも知れない。

その家には、近くに住むイギリス人のおじいさんが出入りしていた。
小柄で人のよいおじいちゃんだが、身寄りはなく、同じ通りの別のフラットに住んでいた。
彼の背景は分からない。結婚していたのか、子供はいるのか、なぜ一人なのか。
しかしたまに出会う私たちに優しい笑顔で挨拶してくれる人だった。とりわけオーナーに親切で、いつも気にかけていた。台所の電燈が切れれば取替えにかけつけ、ボイラーの調子がおかしいといえば半日がかりで見てくれた。
彼女を娘のように思っていたのかも知れない。
あるいは、それ以上の存在と思っていたのだろうか?
彼の年齢は分からなかったが、80歳は超えていた。一方、オーナーは40代半ばというところ。
ロマンス小説向けの設定ではないが、これは小説ではない。小説なら、これは終わっている話なのだ。Kちゃんの言うように。

普段、オーナーは彼のことを、便利なときに来てくれるご近所さんくらいに扱っていた。Kちゃんの言葉を借りればパシリ状態だったが、彼も別に不満は言わなかった。二人の間にそれ以上に親密な空気を感じることはなかった、少なくとも、私たちに見える範囲では。
だけど実際はどうだったろう?

それは誰にも分からないことだった。
事情通のKちゃんでさえ。

人がどう見るか、じゃないのだろうな、と思った。
自分はこの生き方でいいのだ、と納得することさえできれば、他人にどう言われようが関係ない。
店子に「終わってる」と陰口をきかれようと、そんなことは大したことじゃないんだろう、と。
彼女の考え方はちょっと偏っているようにも思えたけれど、でも、腹をくくってるという意味では私より強いのかも知れなかった。自分のスタイルを決められずに、ただ曖昧に答えを保留しつづける私より。

私は予定通り、3ヶ月でそのフラットを出た。
Kちゃんとはそれからも時々会ったが、しばらくして消息が分からなくなった。
Kちゃんも、問題を抱えた人だった。
ジャパンセンターにはそこのフラットの広告が出た。
そのうち、常時貼り付けてあるようになった。
なかなか、テナントが決まらないのだろうと思ったが、私がそこへ連絡することは、もうなかった。


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