僕らが旅に出る理由
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2002年01月14日(月) My Only London - 就活 in LONDON

2001年の12月にロンドンに渡り、年末までの4週間、語学学校で英語のコースを受けた。
その後、年明けから、私はワーク・エクスペリエンスをすることになっていた。
配属は当初、ホテルを希望していた。
ホテルのフロントでも体験して、帰国してから日本のホテルで外国人客メインに働ければいいな、くらいに考えていた。
でも、紹介されたのはバックパッカー向けのホステルみたいなところだった。希望と違うと担当者に言うと、私にホテル勤務の経験がないから有名ホテルのようなところは紹介できないとのこと。
じゃあ、過去の経歴に沿ったもので何かあるの?と聞くと
「ウチ(語学学校)の受付、空いてるよ」
との返事。
それって、ていのいい無料アルバイトじゃないかしらと思わなくもなかったけれど、何でも経験しておくに越したことはないと思って引き受けた。
私は前の仕事の関係でその学校の校長と顔見知りだったし、業務自体も確かに知ってる内容だったから、すぐになじむことができた。幸いその部署の女性マネジャーにも気に入られ、ワーク・エクスペリエンスが終わる頃にはそこの正式なポストをオファーされた。
イギリスで、正式なワーク・パーミットを得て仕事できる。
それも日本企業からイギリス支社への派遣とかじゃないのだ。
まさにイギリスの組織で、イギリス的価値観の中、周りが外国人だらけの環境で働ける。願ってもないことだった。
私は二つ返事で了解したが、その後がまずかった。
学校が日本人の私を雇う場合、ワーク・パーミットが必要だということをあまり把握しておらず、それが大きな障害になったのである。
学校で働くスタッフの半分は非イギリス人だったが、EU圏内出身者か、あらかじめ長くイギリスに住んでレジデントの資格を持っている人たちばかりだった。私みたいのは、例がなかったのである。
学校側はほんのちょっと調べて、ワーク・パーミット取得はめんどくさいらしいということが分かるや否や、ぐっと消極的な態度になった。

私は焦った。
この機会は、どうしてもモノにしたかった。
それで、自分でワーク・パーミットのことについて調べた。
ネットで移民局のHPに行き、私に必要なワーク・パーミットの申請書類と、その他必要書類を取り出した。
イギリス含めヨーロッパ全体に失業率の深刻な問題があり、まずは自国で、さもなくばEU圏内で雇用を行う事が強く求められていた。それ以外の国から私のような人間を雇う場合は、EU中を探しても私以外に適任者はいない、ということを証明することが必要だった。
そんなことは、まともに考えれば無理な相談だ。
ただ私は、そういうのは要領しだいだ、と思った。
要するに手続きする側がやる気さえ出せば、どうにでも辻褄は合わせられる類のことなのだ。問題は、そのやる気をどう起こさせるかという点で、そうなるとイギリス人ほど怠惰な人種はない。

私はこれがどの程度実現可能なことなのか、知りたいと思った。
それで、電話帳でできるだけ大きそうな国際弁護士事務所を探した。
当時は電話で交渉する自信がなかったので、住所を頼りに、直接出向いた。
それは、ブラックフライアーにある、確かに大きい弁護士事務所だったが、いささか、大きすぎた。
ガラス張りのモダンな、10階建てくらいの大きなビルは、それ全体がその事務所になっているようだった。
折りしも雨の強い日で、地下鉄の駅から迷いながら歩いてきた私はびっしょり濡れていた。セキュリティカードを通しながら出入りしている職員を見ながら、明らかに場違いなところに来ちゃったなと思ったが、ここまで来たら行くしかないのでロビーに入った。

受付に大柄な黒人男性が座っていた。
元SPか、あるいは現役なのか。弁護士事務所だし、変な言いがかりをつけに来るクライアントも多いということなのだろう。すごい迫力だったけど、私はできるだけ丁寧な言葉遣いで、訪問の理由を告げた。
イギリスのいいところは、身なりはどうでも、丁寧に喋る人間はまずまず丁重に扱ってくれるというところで、そのときも、その黒人男性はとても親切だった。人のよさそうな、困った微笑を浮かべて、
「紹介状のない人はお通しできません」
と説明してくれた。

紹介状。そんなの手に入るわけもない。

私はがっかりしたけど、まだ諦められなかった。
日本人の国際弁護士がそこで働いていることは、彼から確認が取れた。
どうにかしてその人から話を聞いてみたい。
でも紹介状なんか取れない。
私は次の日、さんざん迷った結果、その事務所に電話をかけることにした。でも通りにある赤い電話ボックスが目に入ると、どうしても怖くて、そのブロックを何度も何度もぐるぐる回った。何度目かにその電話ボックスの前に来た時、決心して、その事務所に電話をかけた。
結果、私はその人と話す事ができたのである。
驚いた事に。
このときも私はイギリス社会のオープンさというか、そういうものに驚いた。日本で同じ事をして、その人までたどり着けるかどうか?私はその人の名前すら知らなかったのだ。

その人は女性で、とてもてきぱきした話し振りだった。ビジネスライクだけど、冷たい感じは受けなかった。たとえば、過去に何度か一緒に仕事をした相手に喋るような感じだった。私は、仕事の口があるが、雇用主がワーク・パーミットを取ることに消極的だ、という事情を話し、自分に何か打てる手はあるだろうか、と聞いた。
彼女は私のバックグラウンドについていくつか質問した後、
「条件的には、ワーク・パーミットは取れますね。不可能じゃないですよ。後は雇用主次第でしょう」
と、言った。

私は彼女の答えそのものより、相談料も払わないのにここまで助言してくれるんだ、ということのほうに感激した。そして、不可能じゃない、という言葉にもとても助けられた。
私はそこで聞いた内容と、自分がどのくらいこの仕事を熱望しているか、もし採用されたら自分はどのようにこの学校に役に立てるかを具体的に書いて手紙にした。A4で3枚くらいだったかな。
それを、ネットで出したワーク・パーミットの申請書類(自分で書き込める欄はすべて埋めておいた)と一緒に校長に提出した。相手に熱意を持たせるためには、自分の熱意をまずぶつけてみるしかない、と思ったのだ。

校長は確かに喜んでくれた。
「君の手紙とてもcharmingだったよ」
と、後で話してくれた。そしてとりあえず帰国して、こちらからの連絡を待ってほしい、と言われた。

私は帰国し、行く場所もないので、実家に帰った。
母との同居生活は、前の別れが別れだっただけに当初はとげとげしかった。喧嘩にもなった。が、とりあえず3ヶ月もしてくると落ち着いた、分かり合えたとは思わないけど、まずは、落ち着いた。
そして学校からはその3ヶ月間、何の音沙汰も無かった。

最初、メールで何度か問い合わせたときはもうちょっと待ってね、という返事が来たが、そのうちなしのつぶてになった。
そう、これがイギリス人だ、と思った。
とりあえず目の前の状況が去ると、忘れてしまう。彼らに悪気はないのだが、日本人のような義理堅さは期待できないのだ。
私は最初は控えめな態度で問い合わせをしていたが、段々腹が立ってきた。
最終的に、校長に半ギレのメールを送った。
もうそちらの世話にはなりませんから、こっちで仕事を探します、みたいな。
そしたら、急にロンドンから電話がかかってきた。
メールではない。実家にいきなり電話である。
応対した母はパニックになり、私を呼んだ。
それは受付で一緒に働いた女性からだった。
まだこちらで働く気があるか、というのである。

あるも何も!それだけをこの3ヶ月待っていたというのに。

そこからの学校の動きは早かった。
2週間くらいだったと思う。
ワーク・パーミットはFedExで速攻送られてきた。
そして私は、ふたたびロンドンへ向かった。

校長からは返事が来ていた。

「君のこないだのメールは何だい?まったく。とにかく、手続きは進んでいるよ」

私はおかしくてしょうがなかった。
そう、イギリス人はエンジンがかかれば早いのだ。
ただ、かかるまでがなかなかだ。校長は怒っていたが、私がキレなければ彼らの方から自発的に動いてくれることはなかっただろう。そして彼らは、すべて過ぎてしまえば根に持たない人たちでもある。そんな風に険悪な雰囲気になっても、いつまでもそれを引きずることはしない。(ってまぁ、本心は分からないけどね)
だから校長も、次に会ったときには何のわだかまりも感じさせなかった。
調子がいいといえばいいが、そういうイギリス人の性質が、私はなんともいえず好きだったりする。


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