自己肯定感について

2010年04月30日(金) 死後の世界

死んだ後の事は誰にもわからない。
死んで、生き返った人はいないから。
臨死体験をした人は、途中で戻ってきた人なわけで。

死んだ後のことは死んでから考える、というのはなんだか合理的で良いけれど、
やっぱり気になる人もいるわけで、
だから宗教が必要なのわけで、
ただ、それをそのまますべて信じることもできなくて、
たぶんそうなんだろう、くらいでいいんじゃないかと思うのだけれど。
それは日本人だから言えることなのだろうか。
死生観を共有するということは大変なことなのだと思う。
それがあの戦争に結びついてしまったことが、日本の悲しい過去なわけで、
その危険性を回避しようとする試みは、ひとつ、大切なことだと思う。
ただ、死を考えることは生を考えること、なので、おろそかにするわけにはいかないはず。
いろんな宗教の、いろんな死後の世界についての話を、もっといろいろと知って、その中で、もう一度作り直して、また壊して、かな。結局。
科学が進歩すれば、神様が創った人間という存在の謎が解けるのだろうか。



2010年04月29日(木) そんなに

世の中、本当にそんなに進歩する必要があるのだろうか。
資本主義は、一面、競争主義で、人を疲弊させていく。
共産主義は、一面、官僚主義的になり、国家を腐敗させていく。
いちばん良い国家システムなんてのは幻想なんだろう。
今のシステムをあれこれいじりながらやらないといけないわけなんだけれども。
それにしても、現状、世界が競争主義である以上、負けないように必死のパッチ走らないとやってけないわけね。



2010年04月28日(水) 政治何流?

どうしてしまったんだろうか。
政治家も官僚も企業も。

政治家はバカでも、官僚がしっかりしているから大丈夫、と言われていたのに、
官僚も保身ばかりの印象。
政治家はバカでも、企業がしっかりしているから大丈夫、と言われていたけれど、国に守られてなんとかなっていた面が大きかったのかと。

大枠では、東西冷戦が終わったことで、日本の立場が大きく変わるようなことを言っているけれど、太平洋戦争敗戦の枠組みからは、なんにも変わっていないと思う。
アメリカの属国だけれど、そこそこ権利を主張する、くらいの立場でいいんじゃないのか。
よくわからない。



2010年04月19日(月)

久々に落語会に行った。
よねりんの。
師匠のような息と間で笑わせる正統派で行くのか、地のおもろい兄ちゃんで行くのか。僕はおもろい兄ちゃんが個人的には好きだけれど、それでは、落語界にいる意味がないわけで、かといって乱調の美を描くのも柄じゃないだろうから、最初の志どおりで行くのが良いのではないかと。
七段目も愛宕山も、十分に手の内にして、自分の好きなようにできるからこそ危ないわけで、それももちろん感じてるだろうし、今回の客席はかなり高齢の方が多く、ほとんど落語に馴染みのない田舎の人たち。NHKでさえそんなに見ていないような、、。
そういうところでも、きちんと空気を作って行けてるし、それ用のやり方をひとつ持っておくのも大事なのだと思う。
いくつか、枕なんかで大きな笑いが起こったので、爆笑をさせてくれるかと期待したけれど、寸止め海峡なのか、すぐに話題が変わってしまった。
小さな笑いから徐々に大きな笑いに、というのが爆笑の取り方、と元ツッパリ漫才師の本に書いてあったので、それを実践しているところを見れたら嬉しいと思っていたのですが。
ただ本来の落語は、あんまり笑わせない、とか聞いたこともありますが。
僕は大いに笑いたい方なので。

水栓が外れて水が噴出す夢を見た。
なんとか外れた水栓を元に戻そうとしたけれど、何分か経って、若い男の人が直しにきてくれたので助かった。
錆びたボロボロの水栓だった。
下半身のことだろうか。


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猫目 虎三

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