げっかん かちょうふうげつ
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 春とモーツァルト




モーツァルトの音楽は、春のようです。
すると、うららとやさしいことを
想像されるかもしれません。
私の思うことは、ちょっと違うのです。


暖かかったものが、急に寒くなる。
風が吹こうが、雨が降ろうが、
花が咲いても、散っても、
一定の尺度のなかに、それらをきっちりおさめてすすむ。

実にさまざまなことが、勢いよくどっと、春には起るのですが、
まるですべてが必要なことであったかのように、
みんなの胸のなかに
「春」として、ちゃんと納まってしまう。

それは初めて弾いてみた時の、
モーツァルトの感触とよく似ていました。


私のモーツァルトは、私のダメさ加減がよく出ます。
正直に書くと、聴いていて、弾いていて、
付き合ってられないなと、思うことすら。
モーツァルトを上手く弾ける人は、
どんな状況でも、最終的には自分の望むように
ものごとをおさめられるような気がするのは、
ヒガミかな。

短調のモーツァルトは、上のこととは一転して、
吐き出してる、ぶつけているような、
あるいは、
長い独白を、きかされているような。
こっちのほうが、断然好きだと思うことも、
やっぱり「そのひと」をあらわしている気がします。

ちなみに・・・
春が大好きとは言えないな、わたしは。

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2008年04月06日(日)
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