じゃらの日記
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2006年11月27日(月) DJクラッシュ 斬‐ZENN‐ 分裂気質

ここのところ
DJ KURSH の 漸-ZEN- というCDを
ヘビーローテーションで聞いている。

おっさんである私は
これがなんと呼ばれるジャンルに属した音楽なのかは寡聞にして知らんが、
こういう類の音楽は、好きだ。

CDをいろいろとっかえひっかえして聴いて
(本で言うところの乱読 のように 音楽を乱聴しているので、
 雑多なジャンルのCDが 少しづつあったりする。(本も同じであるなぁ・・・・)
 なんていうか、自分の頭の中身をそのまま映しているような
 薄っぺらな 本棚や CDラック である。)
どうもしっくり来ないときには、
いつも何とはなしに ここらへん に落ち着く。

ラフマニノフのあとに 爆音ブンブンサテライト なんて事が
しょっちゅうの私は、
ほんとうに音楽が好きなのか?
とか そう言う根源的な質問からは
いつもするりと逃げる。

分裂気質であるわたしは
深く思考する という回路が、
いくつか切れてしまっているらしい。


2006年11月26日(日) 生まれいずるもの


産みの苦しみ は
産むほうのもの であるように思ってしまうけれど
生まれるほうは、きっともっと苦しい。

生まれ出づるものは
生まれるその瞬間まで沈黙を貫くので
生むものがその苦しみに気づくことは 稀である。


2006年11月25日(土) 訃報 灰谷健次郎 アニタ・オデイ


びっくりした。

灰谷さん 亡くなったんだ。
兎の目 太陽の子 どちらを先にだったか
読んだ後 だれかれかまわず「読め 読め」と勧めていたのを
思い出した。


アニタ・オデイも亡くなったんだ と、同じニュースの画面で。
失礼ながらこちらはもうすでに鬼籍に入られてしまっているのかと思っていたけれど違っていた。

好きだった人の訃報を聞くと

やはり 何故だかドキッとする。


2006年11月22日(水) ルールとモラルと常識とマナー


アメリカに住んでいて 久しぶりに帰ってきた弟が、
私の車を運転しながら
「ものすごく マナーが悪い気がする。
 怖くて走りづらい。」 と。

「え?印象としては、なんか アメリカのほうが
 個人主義 みたいなもんを振りかざしてしたい放題!
 そんな気がするけど」
「だからこそ よけいに みんなの合意であるルール を
 守るんじゃないかな。」
「よく言うじゃん 信号が赤でも 自分で判断して渡る みたいなこと」
「たぶん そういう状況でも 渡る人 あんまりいないと思うよ」

なるほど
聞くと見るとじゃ ちょっと違うらしい。

テレビに出てきて「欧米か?!」じゃないや
「欧米では」っていったりするやつの言うことには、
ちょっと気をつけなきゃね。 
流れで言っちゃって検証できないもんね。
したり顔で言われると 無意識に「そうかぁ」なんて
思ってしまうし。(これは 自分の責任か)

それにしても 交差点の信号変わっても突っ込んでいく人が
確かに増えたような気がする。

ちょっとしたマナー とか言うけれど
ルールやモラルや常識の無いところに「マナー」って言ったって、
そりゃ無理な相談だわなぁ。

「愛国心」
などと言う前に、ルールを守る と言うことをほんとうに自然に出来るようにする
ことのほうが 先決じゃないか。

「やっぱり かわって」
っていうんで、弟と運転を代わった。


我々は日本のことを すごく 買いかぶっているのかもしれない。
みんなが思っているより状況は悪化しているのだろう。



2006年11月21日(火) ありがとう 届く言葉

昨夜11時過ぎ
いつもの太鼓で帰りが遅い娘を迎えに行く。

帰ってきて車を降り際に「ありがとう」とすごく自然な感じで
娘が言う。

ああ 大切な言葉なんだなぁ ありがとう。

私の勝手な過度の思い込みもあるんだろうけれど
手触りのあるような 温かい言葉として届いた。

大切な事って
ほんの些細なそこここにあるんだよなぁ。と
つくづく。


2006年11月20日(月) ない から始める議論の不毛

この国のシステム のあり方である。

一番初めに ん? と思ったのは
原子力発電所 の建設の話しだったと思う。
「原子力は絶対安全です。」
前提が間違っているのは明白なのに、
「絶対安全です。」から始まってしまったんだ。
だから事故対策を話し合うことすら出来ないし、もしかしたら事故対策という発想を持つこと自体が悪いことになってしまう。
これでは システム と言えやしない。
「事故は起きる」前提で
あらゆる可能性を検討しその対策について検証する。
出来ること と 出来ないこと を把握して、明らかにし、他の対処法を構築していく。
これが システム というものだ。

この国は、ありとあらゆる場面で、
同じ過ちを犯している。

教育にしたってしかり。
「いじめは絶対悪であり、起きてはならない事である」
は、まあよしとしよう。問題はそのあと。
「起きてはならないことだから、起きていない。」
こんな乱暴な帰結があるわけが無いのだけれど、
この国のメンタリティー 特に お役所 と呼ばれている集団のメンタリティーが導き出す結論は、いつもこうである。
だから起きたらどうするか の発想を持てず、ちゃんとしたシステムを組むことが出来ない。
議論が、一向に深まらない。
いじめによる自殺は ゼロ件である。なんて しゃあしゃあと言ってのける。


いじめが起きた場合
いじめたやつにどう対処するか
いじめられたやつをどうケアするか
クラスとしてどう指導していくのか
学校として・・・・・・・・。
そういう議論が起きる余地が無い。
これではとても システムとは 呼べない。

社保庁でも 同じ。

長崎県にいたっては
裏金を指摘して萎縮されては困るから
自助努力を信じてそのままにしておいた。
などという知事の発言まであった。

裏金はしてはいけないことなので
そもそも裏金自体が 無い なんていう風な発想をする人たちに向かって 自助努力って冗談としか思えん。(嘲)

この
「ない」から始まって構築されている砂上のシステムを根本から変えていかないと、
さらにずぶずぶと 取り返しのつかない場所にはまっていくばかりなのに。




2006年11月07日(火) 世界一ワガママな国。


それにしても アメリカという国はすごい。

フセインの死刑判決まで 大統領選の道具に使いやがった。
さすがに 金じょん○る のほうは直接どうこうすることは出来ず 六カ国協議再開でお茶を濁したわけだけど。

脳みその中身までサルだ といわれている
ブ○シュだが、
取り巻きは必死らしい。

こんなパワーゲームがいつまでも続くのか?
こんなパワーゲームをいつまでも続けることが出来るのか?

なんて 遠くを見てぐだぐだ言っているうちに
なんか 取りあえず な感じで
教育基本法をかき回そうとしている
安倍自民党 も ほんとうに怖い。

それにしても
そんなに簡単に変えられるもんなの?教育基本法。
言わばこれって、 国家の根幹にかかわる問題じゃん。
(うわ 使い慣れん言葉つかっちまったので、体のあちこちが かいい(爆))


2006年11月01日(水) 空を見上げて ただ待っている。

ほんとうに いやな事件ばかりが続けて起きる。
ナニカが 変わって行っている。 いや もう 変わってしまったのだろう。
ナニカ は わからないが
変わって行ってしまったことだけは はっきりとわかる。
みんなが 思考を停止している。

皆で渡れば怖くない。 ずいぶん前に言われたもんだが
そんな事ですら 考えているようには思えない。
ありとあらゆるところで 思考停止が起こっている。


考えること 考え続けること 議論すること 議論し続けることが
罪悪であるような あるいは 苦行であるような あるいは ばかげていることのような
そんな様相さえ呈している。


まるで 「完璧な答え」 がどこかにあって
口をあけて空を見上げて待っていれば
それがどこからか落ちてくる なんて思っているように見えてしまう。


そんな風に きっとどこにも無い「完璧な答え」を待っているより
先ず座って 話をしようじゃないの。


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