もぐみりん
もぐ



 バスの中

通勤にバスを使ってます。
最近はちょうど季節の変わり目で、もう眠くってねむくって仕方ない。
だからほとんど寝ていますが・・
そんな中、もうちょっとで終点というところで目覚めた瞬間
「おとうさんね、もういないんだけどいないって気がしないの」
と、それはそれはとても静かな、たんたんとした調子で話す女性の声。
それに答える声は、
「でももうあなた、3年でしょう?」

ああ、だんなさんがなくなって3年たつのね。
でも、いないって気がしないんだ。
きっと近くにまだいるんだね。
と、普通に思ったとき、すーーっと涙が出そうになりました。

3年前に亡くなっただんなさんのことを、まだここにいるようなのよ、と、まだ生活の中に気配があるんだと、朝のバスの中でただ普通に語っただけでしょうに。
その当たり前の雰囲気に、でも間違いなくいまいない人のことを語っている。
その瞬間をたまたま聞いてしまっただけなのだけど、あまりに当たり前の様子がその分、その不在感をいっそう引き立たせてしまっていたと思ったのでした。

まいった。

2006年10月31日(火)



 さようなら

さよなら さよなら

僕たちはもうどこにもいけないから

ちがう 僕がもうどこにもいけないと思ってしまったから

さようなら ごめんね さようなら
違う道を行こうとする僕を許して

それはそうわかっている 違う道などではなく
僕が選んだそのままの道なんだ


「わかっていたから別にいい」
そう伝えるきみの目を見ることができない
こんなにも弱虫でいくじのない僕を
責めもしない


せめて嫌ってくれたなら

せめてさげすんでくれたなら


僕の勝手な考えなど
きっときみは見通している
それでも僕を思いやってくれる
そんな君を選ぶことのできない僕
それでも優しいきみ



君はこれから知らない場所でたくさんを見る

僕はこのままこの場所にとどまるのだろう

きっとそのまま後退するのだろう


弱虫な僕
弱虫なふりをしているだけのきみ


僕たちの道はいつしかこんなにも違っていたんだね

2006年10月24日(火)



 ニュース

テレビでもネットでも、もちろん新聞でも。
落ち込むニュースや悲しいニュース、憤りすら感じるニュースが溢れていて、テレビをつけることやネットをすること、新聞をなにげなく読むこと、情報となるものすべてに触れることがおっくうになることってないかなあ。

家につくと自然とテレビをつけていたり、PCの電源を入れていたりする。
朝だって、起きたときにふと新聞を開いていたりする。
通勤途中でも、目の前に新聞を広げているひとがいれば目に飛び込んでくるし、電車内のモニターにだってニュースが繰り広げられる。

私たちって、特に東京で生活していると否が応でも情報に晒される。
逆に、音のない世界やなにも考えずにすむ空間を探すことが相当難しいことになっていると思うし。


私が小さいころは、自動車も少なく、クーラーをつけているおうちはあまりなかったし、すぐそばに一緒に駈けづり回って遊びほうける友達は男女・学年を問わず溢れていたけども、いまってそれは望めないのかもしれないのかな。

情報は少ないけども選択肢を自分次第で増やせる子供時代をすごしてきたことが、選択肢がありすぎる今、底力といいましょうか、根本を支える力として私の根底で息づいているように思えるそんな今日この頃。

2006年10月22日(日)



 書くということ

私は小学生低学年のとき、いま思えば非常に「恥ずかしいんじゃ・・」と思うくらいの詩を書いていた。
そしてそれは、そのときの担任の目にとまったようで、なにか保護者が集まるような発表の場で模造紙に書き出して教室の中に張り出され、発表された。

それ以降、私は心の底から思うことを文章にできなくなった記憶がある。

最近、文字を綴る楽しさを思い出して、だからこそこうやってエンピツに書いて、「楽しーい」なんてやっているのだけど、もともとなんで書くことが重要だと思い込んでいたのかを思い出すと、それはあの小学生低学年のときの思い出にたどりつくのです。


それまで、私は読書感想文を書いたら学校ナンバーワンといわれたいた。小学生低学年の段階で。感想文という分野だったけど、私は書くことが話すことよりも簡単で自分の想いを綴るものすごく身近な、当たり前のツールだったのだと思う。文字を読むことも同様に、おしゃべりすること同じく、いやいや、むしろおしゃべりすることよりもより正直に自分をそのままの自分の心をさらけだせる、そして相手にそのままを誤解なく伝えられる手段だったのだと思う。

それが終わったと思うのは、冒頭に書いた「詩の発表」だった。
小学生低学年が書く内容ではなかったのかもしれない。
なぜかそこから「文章を書くことは話すよりもあたりまえで楽なこと」という私の感覚が途絶えた。
そのことを最近思い出すことがあり、でも小さいときのことで記憶がおぼろげだったので母親に聞いてみた。

答えはこうだった。
「なんだか担任の先生が言ったことにあんたががっくりきて、それから書かなくなったのよね」
と。

はっきりと思い出せた。
「年のわりにませたことを書きますよね」
と言われたのだ。
ませたこと。
なぜか、とても悪いことをしている気がして胸が詰まって涙が出そうになったあの感覚がまず先に思い出せた。
ませたこと。

今はね、ませてなにがいけないのー?なんて思うこともできる。むしろ気にしない。だけどそれは私が私としてのなにかを、今まで生きていた人生で得てきたからだ。
まだ一桁の年齢の子供、しかも私なんて本当に甘えん坊でだらけた子供だったから、そんな一言であっというまになえたのだと思う。

大人が言うことだから、しかもあんな言い方をするなんて。
「私はませていて、かわいくないよくない子供なんだ」
そう思うのは、ほんの一瞬ですんだのだと思う。


いま、それを思い出して「ああ、なるほど!」と思った。
そして、それから何十年もたっているけども、まだ私は書くことが大好きでたまらないことと思える。思えることが嬉しい、と、これまた思える。

小さいころ、意識せずに楽しくて仕方なかったことは誰にでもあるはずだ。
それはきっと忘れがちなことだと思う。
だけど、忘れても思い出すことが人にはできる。
そう思ったら、いま思い出せたことがとてもうれしく思えて、ついついお酒を飲みたくなったりする(あたりは大人になった証拠でしょ?)。

思い出すってことは、つらいことばかりやただひたることじゃないね。

2006年10月21日(土)



 果物

バナナは栄養もあるし、腹持ちもよい。
無花果は食物繊維たっぷり、整腸作用だけじゃなく高血圧にも効果がある。
梨は不要な塩分を取り除いてむくみをとってくれたりする。

くだものってすごーい!!

なんていうことを思ったら、あちこちのくだものやさんが目に付きだして、買い物をしてました。
モンキーバナナ。こんなに買ってどうするんだ。
無花果。あ、いちじくって浣腸の名前じゃん。
梨は家にあるじゃん。
みかんは食べ過ぎたら黄色くなるんじゃないっけ?え?古い!?
どれもかしこもピカピカだーー。

ま、全部買ったわけじゃないけども。
しかも、人にあげるために買ったんだけどもね。
腸が荒れて下血したアナタのためですよ、大事にしてください。
大事な人なんだからね。

2006年10月17日(火)



 

ちょっと現実から離れて、離島に遊びに行ってきた。
青い空と海と、からりとした暑い空気に触れながら、地元のお酒を飲み、ぷかぷかタバコを吸いながら音楽を聴いて。

いろんな音楽が聞こえて、音も聞こえて、聞こえないけど聞こえるようないろんな音もさざ波のようにやってきている気がしてとても気持ちがよかったなあ。
自然が出す音はみんな音楽。


スガシカオくんのアルバムの中の曲で

 ベッドの中で耳をふさいで逃げている場合じゃない

そんな歌詞があったけど、その通り。
逃げている場合じゃないのだなあ。
逃げているうちに、もしかしたらもう明日はいなくなってしまうかもしれないじゃないのー。ってね。


さて、短い秋はきっとすぐに終わってしまうよ。
すぐにやってくる冬の前に、少しでも過ごしやすい今、いろんなことをはじめてみたり、やってみることにしましょー。

2006年10月14日(土)



 すげーなー

いろんな人と会って関わって、いろんな人を見るだけで関わりはなくって、でもいろんな人のいろんな試みや行動や、心意気。すべてに感じ入ることがある。

自分に元気がないときは、それらみんなが刀になる。
でも、がんばれるなあ、まだまだ元気だぞ、というときは力になる。
刀 力
すげー。似た漢字なのに、同じように強い言葉だけど、意味が、こうやってみるとぜんぜん意味合いが異なるのね。

私はいつでも、チカラとしていたいと思います。

2006年10月06日(金)



 もぐ処方箋

すぐにさみしくなるけども
すぐにたのしくなることもできる
心の色は七色変化

つらいときも たのしいときも そしてなんだかせつないときも
声に出して話してみれば
言葉となって飛んでゆく
しゃぼんのように ふわふわと
ぶつかったとしても誰にも痛みをあげないように
そんな言葉で飛ばしてしまおう
思ったままに いろんな思いを いろんな色で やさしい言葉にして
飛ばしてあげよう
心軽く 明日もたくさん笑えるように。

2006年10月01日(日)
初日 最新 目次 MAIL


My追加