日々の泡

2009年12月29日(火) チャボのこと

中井戸麗市 ランタン五月のある日
ファンキーなヴォーカリストが逝った。
自転車が好きだったから、きっとTシャツにサイクリングショーツで
いい天気だったから鼻歌混じりで
ちょっとやそっとじゃ行けないところへ上機嫌で出かけて行ったんだと思う。
そのヴォーカリストをYOUTUBEで追いながら
わたしは、昔、ちょっと恋してたチャボにもいちど恋した。
チャボとそのギターに。
少年とか少女とか
そういうものたちには終わりはなくて
細胞の隙間で息づいてるような気がする。




2009年12月28日(月) 遠くの流れ星 加藤和彦さんのこと

そういえば…
とある時ふと思ってその人の近況をだれかに尋ねたり調べたりすることがある。
それは特に親しくもないのだけれど心に残っている人だったり 有名人だったりするわけなんだけど。
夜空を見上げて星野位置を確認するようにわたしはその人の近況を確認したくなる。
今頃何をしているのかな?何を読んでいるのかな?何を食べてるのかな?どんな音楽を聴いているだろう?
それは作家だったりアーティストだったり友だちだったり…
加藤和彦さんというのも時々ふっと心に立ち現れるひとりだった。
ミカバンドとかスネークマンショーとか…楽しい小さな秘密とたくらみと…
アルバムのクレジットにわたしは加藤さんを見つけたものだった。
様々な人たちの、70年代を振り返るエッセイの中にもさりげなく加藤さんが現れる。
ロンドンの空港で
表参道のカフェで
田舎の小さなAM局の廊下で
ジャマイカのスタジオで
時代の流れを旅していた人たちが加藤さんに偶然出会う。
まるで、加藤さんがコンパスを持って先頭を歩いているみたいに
そして、加藤さんはちょっと後ろを振り返って微笑んで言ったのかもしれない。
「こっちの方が楽しそうだよ…」
わたしにとって遠くの星のような加藤和彦さんが
違う星雲へ移っていった。
あまりに遠くで
もう近況がわからなくて 
さびしいです。




2009年12月26日(土) ペンギンの憂鬱 アンドレイ・クルコフ著 沼野 恭子訳 

 寒い国のとてもとても寒い冬の話が好きだ。
何十年に一度のひどい吹雪に閉じこめられて
数日間、家の暖炉の前で音楽を聴きながら本とお貸しとに囲まれて過ごすのって素敵っ!と小さい頃、憧れたうつけ者だ。
吹雪の難に遭わずとも寒い夜にほの暗い部屋の絨毯に石油ストーブのオレンジの灯が映るのさえ好もしい。
そんなわたしの好みにぴったりの小説に出会いましたの。
「ペンギンの憂鬱」(Crest books) 著者 アンドレイ・クルコフ著 沼野 恭子訳 
ヴィクトルは売れない小説家。アルバイトで始めた死亡記事を書く仕事が思わぬ事件に彼を巻き込んでいく。
って書いてしまうと、ハードなミステリー小説のように思ってしまうかもしれないけど
物語は小さな女の子と鬱気味の皇帝ペンギンの存在のおかげで静かでファンタスティックなムードが全編漂っている。
だけど静かな生活の背後ではしたたかにサスペンスが進行していく。わたしが未だかつて読んだことのない不思議な感じの小説だった。
しかもウクライナの小説。
簡単な文章で語られているけれど、奇妙におかしく微妙に恐い。
とにかくペンギンが可愛いっ!
なんだか説明になってないけれどすみません…
お詫びにあとがきに紹介されていたペンギンの笑い話を引いてみます。
<警部が車で町を回っていると警官のペトレンコがペンギンを連れて歩いているのに出くわした。
「何をしてるんだね?すぐにペンギンを動物園へ連れて行きたまえ」
「わかりました」とペトレンコ。
こうしていったんは別れたが二時間するとまた別の場所でペトレンコとペンギンに出くわした。警部は怒って怒鳴りつけた。
「さっきペンギンを動物園へ連れて行けって言っただろ?!
すると警官のペトレンコはこう答えた。
「動物園へはさっき行きました。映画にも行きました。これからサーカスに行くところです」>
ああ… ペンギンかわいい…



2009年12月13日(日) 「フレディ・マーキュリーと私」ジム・ハットン

 
「フレディ・マーキュリーと私」
著者 ジム・ハットン著 島田 陽子訳     ロッキング・オン
フレディの最期の恋人であったジム・ハットンによって書かれた本。
スーパースターのフレディとひとりの無名の美容師ジム。
美容師といってもスタイリッシュな最新モードのカットをするような美容師ではなくて、ジムはコンサバなかっちりしたカットをするような地味な美容師だったようだ。
私生活では、ゲイの人たちの集まるバーでお酒を楽しむ他は
休日には大家さんの庭の手入れで明け暮れるような静かな生活を好んでいた。
そんな堅実な彼がフレディの最期の時を一緒に暮らしてくれていたとはなぜだかフレディの親戚でもないのにほっとさせられる思いが湧く。
エイズをカミングアウトしてからまもなくのフレディの死、とてもショッキングだっただけに、この本がどんな告白をしているのか正直恐る恐るで読んだのだけれど
それは心にしみる恋愛小説のようだった。
ふたりが交わし合う、小さな贈り物--四つ葉のクローバーであったり、ラリックの小さなねこの置物であったり、…
短いお互いの言葉の数々が愛情深く語られている。
ジムは「自立」をモットーとして、美容師をやめてからも庭師として自活しようとする。
彼の人生に対するそんな真摯な思いがフレディの晩年に穏やかさをもたらしたことが読んでみてよく理解できた。
彼自身もHIVポジティブということも語られていて、フレディ亡き後の彼の生活が温かなものであるように祈らずにいられない気持ちになった。



2009年12月12日(土) 潜水服は蝶の夢を見る

「潜水服は蝶の夢を見る」 著者 ジャン=ドミニック・ボ−ビ−著 河野 万里子訳 
ずっとずっと昔、「ジョニーは戦場へ行った」という映画を観た。
確か第一次大戦の頃の話だったと思う。
主人公・ジョニーは頭部に障害を受け病院のベッドに寝たきりとなってしまう。
傷を負った頭は木製の箱をかぶせられている。
彼の症状からして、もはや意識はないとドクターたちは考える。
けれど、彼の意識はしっかり目覚めていて周囲の一部始終を聞いている。
彼は自分が目覚めていることを知らせようとするが喋ることができない。体中どこも動かすことができない。
焦燥感と苦悩 もどかしく重い映画だった。


 「潜水服は蝶の…」の著者はファッション誌「ELLE」の編集者
ある日突然脳梗塞からILS(Locked in syndrome) 身動きができないのに意識は鮮明な状態に陥る。
この本はその著者がかろうじて動かすことのできる左まぶたのまばたきの回数をアルファベットに変換して綴られた。
と書いてしまうと重い闘病記をイメージしてしまうかもしれない。
でも困難なコミュニケーションで書かれたであろうその言葉は
軽やかで美しい。
初夏の渚に踊る光のきらめきにも似て
まるでルルーシュの映画のよう。
少々の皮肉と
たっぷりのエレガンス。
閉じこめられた体の内側で、彼の意識は優しく時を見つめている。
「ジョニーは…」と
「潜水服は…」が同じような状況を描いているのに随分と異なるのは
ジョニーは動きと言葉だけではなくて
光さえも失ってしまったからだろうか。
今日はインディアンサマー
暖かい陽射しがリビングに満ちていた。
掌で陽射しを感じてみる。



2009年12月11日(金) 雨、雨、雨

駅のホームの屋根のないところで
傘を開いて電車を待つ。
雨音
傘に落ちる雨
屋根からこぼれる雫の音
どこかへ流れていく音
シンバルのようにバシャバシャ
水琴窟のような高い音
雨 雨 雨
グレイッシュな一日
昨日と今日を区切る雨
今日と明日を区切る雨。

チェッと・ベイカー
「夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」 カズオ・イシグロ著 土屋 政雄訳
を読んだら聴きたくなった。
チェッと・ベイカーの歌。トランペットも。
穏やかでひたすら優しく。
音に浸りながら「ロング グッドバイ」を読みたくなる。
こうやってぐるぐると。
こうしてゆらゆらと
 いつもの夜。


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茉莉夏 [MAIL]