My life as a cat
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2020年01月29日(水) 寿司ケーキ

レストランで席につく。リュカの背後で若い男女が向かいあって、黙々と食べている。中国人の女の子とフランス人の男の子。男の子は手持ち無沙汰で落ち着かない様子でキョロキョロと周囲を見回している。彼が後ろを振り返って、わたし達のほうを見たりするものだから、こちらも気になって見てしまう。ワインボトルが一本空になる頃、やっとこの男女の雰囲気が少しだけ和んだが、その後これ以上近づくことなど想像つかない雰囲気で会計を済ませて去っていった。数分後、その空席に今度は若いイギリス人カップルが座る。こちらはもう恋愛末期のような雰囲気。女の子はしきりにキョロキョロしたかと思うと、今度はスマートフォンをいじりだす。男の子はただスマートフォンをいじる女の子を見つめている。先日も別のレストランで隣に座っていた中年夫婦が一切会話をせず、ひたすらわたし達の会話を聞いていたっけ。高校生くらいの男女の大きなパーティーの隣の席に案内された時はうわぁ、うるさそう、と悪い予感に見舞われたのも束の間、彼らは全員スマートフォンに齧りついていて、ろくに会話も交わさずおとなしかった。いろんな人々がいるものだ。我が夫はよく喋るので、こんな索漠とした空気の中で食事せずにすんでいる。

友人のドミニクの誕生日に寿司ケーキを作った。美味しいお菓子はパティスリーに売ってるし、何か買えないものを、とお寿司にしたのだが、大当たり。すごく喜んでくれた。これすごく簡単なのに華やかに見えるし、日本人ならではのギフトでいいかも。


2020年01月26日(日) 自家製のパンが美味いワケ

いつもの食事用に焼いているライ麦と全粒粉の入ったカンパーニュはリュカの大好物で、そこらへんのブーランジェリーのより美味いと言う。賛成。だってわたしの焼いたものは自然風味が豊かで小麦の香りがすごく強くでてるのだ。日本で日本人が書いた本を見ながら学んだ天然酵母のパン作り。そしてその本のレシピ通りに焼いたパンが本場のより美味いとはなぜか。本屋でフランスの名の知れたブーランジャーに書かれたレシピを眺めていて、なんとなくその理由が想像できた。というのも天然のルヴァン種に極少量のインスタントのドライイーストを混ぜて短時間で発酵させるものが多いのだ。わたしが家で作るものは、相当暑い日以外は室温で自然に発酵させている。大抵の日は涼しいから低温長時間発酵なことが多い。夜寝る時間に発酵が終わっていなければ冷蔵庫にしまっておいて翌日焼くとか、そんな感じでいつ焼き上がるのか時間が読めない。たまにちょうど食事の時間に焼き上がって温かいのを食べられたらラッキー。変な時間に焼き上がれば冷ましてカットしてすぐに冷凍してしまう。それが商売にすると決まった温度で決まった時間内に発酵させなければならないから、どうしても自然発酵のものより風味がないものになってしまうではないか。あとは小麦粉か。わたしは全てBIOのものだが、普通のブーランジェリーではBIOのではないという違いもある。どんな田舎でも日本標準からしたらずっと美味しいパンが売られているこの国だが、個人の家庭で焼かれているものといったら、日本の家庭でもこちらのパンに劣らない風味の良いパンがあるに違いない。ともあれ、本場標準の作り方も学んでみたい。

大好きなJean luc Peléの赤いフルーツとチョコレートのケーキ。酸味と甘味の絶妙な大人の味。いつかこんなケーキを作ってみたい。


2020年01月24日(金) チーマ・ディ・ラーパ

久々にイタリアへ買い物にでたら、市場にはヨーロッパの菜の花と言われるチーマ・ディ・ラーパ(Cima Di Rapa)がわんさか並んでいた。千葉の南房総では年が明けて、七草粥も食べ終わる頃、菜の花が出回り始める。ふと郷愁の念に胸を掴まれた。寒さの厳しい冬の日に見る確実な春の訪れは、ほっと心を温める。チーマ・ディ・ラーパ、金柑、里芋など和食イメージの食材をたっぷり買って帰る。

チーマ・ディ・ラーパはたっぷりのオリーブオイルでくったくたになって干からびたような色になるまで蒸し焼きにして、オレキエッテと食べる。この質素な野菜と硬質小麦の料理はいかにもプーリア州の郷土料理らしい。日本の菜の花はさっと茹でておひたしにしたりするのもいいが、苦味のより強いチーマ・ディ・ラーパはよく火を通したほうが美味しい。里芋は胡桃味噌和えにして、金柑はじゃがいもとエチオピアのベルベルというミックススパイスと煮た。春の訪れのサインをしっかり胃袋で感じた。

今年に入ってやめたもの。シャンプーの使用、石鹸の使用、プラスチックに入ってる食べ物の購入、ゴム手袋の使用。シャンプーはもともと大して使っていなかったのだが、さすがにきっぱり辞めると髪がベットリな感じがする。でもパサつかなくてツヤツヤに見える。石鹸は3日に一度くらい使っていたのを、ドライボディブラッシングをして、お湯で洗い流すだけにした。肌が乾燥しなくなって調子がいい。匂いが心配なので、リュカが外から帰ってきた時にチェックしてもらってるが、大丈夫らしい。プラスチックに入ってる食べ物はずっと嫌だったが、より厳しく避けるようになった(こればかりは完全にやめるのが難しいのだが)。ゴム手袋は切れたので新しいのを買おうと見たが、プラスチックバッグに入って売られているし、躊躇した。世界のプラスチック汚染をとりあげたドキュメンタリー映画の中で、海鳥の研究をしている若く美しい博士が、素手で死んだ鳥のお腹に詰まったマイクロプラスチックを取り出す姿を思い出して、わたしも素手でいくことにした。そもそも強い洗剤を使って皿洗いや掃除をすることもしないから大丈夫だろう。水も手を老化させるが、それなら海水浴などでもう十分やってるじゃないか、と諦めることにした。身をきれいに保ちたいと、洗剤や生体環境を壊す物質を川に流す。そうやって自分達が汚した環境は自分達の身に跳ね返ってきて、わたし達の体を汚染する。もう既に空気も水も十分汚染されているし、口に入れるものだって肉や魚などはおろか野菜だって疑わしい世の中。自分の身を内側からきれいに保ちたければ、やるべきことは環境をきれいに保つことなんだ。


2020年01月18日(土) La vie de marianne

「マリヤンヌの生涯」4巻読破。18世紀に書かれた古典で、出だしはちょっと読みにくいなと感じたものの、これが面白いのなんのって、夢中で読んでたらすっかりその文体にも慣れて、そのうち自分の口調までマリヤンヌ風になって"奥様、ようございまして!"なんて口走ってしまいそうだった。めくるめくメロドラマ風の展開なのだが、その中における鋭い人間の心理の洞察が核心を突いていて(物語の展開よりもこれが主題の作品なのだろう)全く古めかしくないのに唸ってしまった。最後の10ページくらいで、一体どうやって完結するんだと不安になりながらも夢中で読破して悲鳴をあげる。

「え!!!完結してないの!!!!」

マリヴォーは未完のままこの世を去ってしまったのでした。

バカラのランプシェードが割れてしまったのだが、それ以外は残っていたので、越前和紙を買ってきて、自作してみた。和紙を風船に糊で貼り付けていって、乾いたら風船を壊せば完成という予定だったが、買ってきた風船が小さすぎた。仕方なくプラスチックバッグの中にぐちゃぐちゃにした新聞紙を詰めて丸っぽくして、そこに貼り付けていった。2種類の和紙を手で無造作に破り、糊で貼っていく。更にコーティングするようにぼってりと糊を上から塗りつけて2日くらい乾かして完成。いびつだけど手作り感満載でリュカもわたしも気に入った。記念写真はバッチリカメラ目線の猫(バカラのランプシェードを割ったのはこの私です)と。



2020年01月13日(月) 自然はちゃんと教えてくれてるのに

キャンベラにいるexと話す。去年9月に起きたブッシュファイアはまだ燃え広がっていて、彼のいる場所も空気の汚染レベルは相当酷くて車にカヴァーをかけないと真っ赤な錆のような埃に取り巻かれるとかそんな話を聞く。キャンベラから一度だけ海へ出かけた。Batemans bayというところ。観光地なんかじゃないけど、美しかった。誰もいないビーチで泳いで、目についたイタリアンレストランに入って食べたパスタはとびっきり美味しかった。ブッシュの中をドライブすること2時間。途中で死んでいるウォンバットを見かけて、野生のは初めて見たので写真を撮ったりした。そのブッシュも焼けていて閉鎖されているのだそうだ。写真を撮りたくてカンガルーを追いかけたブッシュ、町を見下ろそうと登った大きな木、あれこれフラッシュバックして、かつてあれほど愛したものが死んでいくということが悲痛だった。ブッシュで死んだ沢山の野生動物(焼け死ななくたってその後食料の不足したブッシュでどうやって生きていくのか・・・)、ラクダの射殺、動物たちはいつだって人間優位の社会の犠牲になる。オーストラリアに住んでいた時、この国は100年後はもう人が住んではいないのではないか、と感じた。雨が降らなくて水がないのに、移住する人は年々増えて、経済発展も目覚ましい。こんな乾きの激しい大地で人々がこのまま潤った生活を続けていけるとは想像ができなかった。科学的根拠はなかったが、やはりその予感は正しかったのか、と思わずにいられない。この国だけではなく地球全体の生活は年々潤ってきているように見えて本当は死滅に向かっている。人間の住むところで感じずに済むだけの話なんだ。

夕方ヒーターをオンにしながら思う。自然は暑さや寒さを通して何かを教えようとしているのに、なぜ人はそれを無視して、暑ければ冷房を、寒ければ暖房をと快適さばかり求めて、自然から学ぶことをなおざりにするのか。冬はとにかく眠い。野菜は育たない。本当は秋までに蓄えた食料を細々食べて沢山眠って休む時なんだ。それなのに、人は相変わらず働き続け、正月太りして、今度はそれを解消するのに運動をはじめる。現代人の暮らしぶりはなんて愚かで不健全なんだろう。自然に寄り添って暮らしていれば人はもっと心身ともに健康で幸せなのに。


2020年01月12日(日) Galette des Rois Provençale

頂き物のフルーツコンフィがあったので、プロヴァンスのガレット・デ・ロワ(Galette des Rois Provençale)を焼いてみた。これが大成功。焼き立てのほんのり温かくてふわふわ(バターがけっこうたっぷり入っているので、冷めると重めの食感になる)なのを隣人も加わってみんなで頬張る。

「そこらへんで売ってるのよりよっぽど美味い!」

とみんなものすごい食欲を発揮する。今までこのプロヴァンスのブリオッシュ生地のガレット・デ・ロワにあまり魅力を感じたことがなかったが、自家製の焼き立ては最高に美味かった。

パソコンを新調した。長いことWindowsだったが、Macbook airにしてみた。東京あたりのカフェでは軽いMacを持ち込んで何かしてる人は珍しくもないが、ここは南仏。こんなのカフェで広げてたら、横からかっさわれそう。持ち歩くことなんてそうないだろう、そう考えたら軽くなくても小さくなくても薄くなくてもよかったのだが、無駄にネットにかじりついたりしたくないな、という思いから小さいのにしておこうと結局これを選んだ。買う時に一番躊躇したことはフランス版のキーボードは並びがazertyということ。アップルストアで買えば無料で変えてくれるらしいけど、フランス語上達も見込んでキーボード交換は諦めた。キーの配置が違うのは結局大した問題じゃなくてすぐに慣れた。しかし軽くすることに重点を置いてるからDVDドライブとかもないし、テレビと繋げて映画を観ようとしたら、ケーブルを挿すところもなかった。Macはお洒落でデザインがいいとか言う人もいるけど、わたしの感じたところでは、イラストみたいなアイコンがあちこちにあって、なんだか子供だかお年寄りのらくらくホンみたいなイメージ。ともあれ、テレビに繋げて映画が観られなかったので仕方なくパソコン上で観ることにした。そして感嘆!画像がとっても鮮明できれいじゃないですか!小さい画面でも十分映画を楽しめた。慣れるまでは使いにくいのは何でも同じ。テンキーとか欲しくなかったし、コンパクトなのは愛らしいくて気に入った。


2020年01月08日(水) 年に2度のイベント

ニースの冬のソルド(SOLDES)へ。フランスでは国が法律で定めている年に2回のソルドの期間がある。人々はソルドでなければ食べ物以外にはなかなかお金を使わないので、ソルドはお得というよりも、こちらが適正な価格設定のような気がする。日本では気にも止めなかったバーゲンというやつだが、ここではこの機会にタオルや下着など自分の中では"消耗品"と位置づけているものを買っておくことにしている。日本人の真面目さで初日の開店時間に買い物を始める。フランス人は午後からゆっくり湧き出すので午前中に済ませる。まずは下着。色は白(なければせいぜい淡いピンク)であまりデザインのないものと決めている。ちぐはぐとか不揃いが自分の中のここ数年の流行で、ブラとショーツはあえてセットで買わないが、色が揃ってるんでどれとどれを合わせてもいい感じなのだ。フランスに来て黒が少し苦手になった。みんな汚れが目立たない黒が好きだが、なにせ食べ物をこぼしたりするがさつな人も多くて、衛生的疑惑が強くなったせいだ。白い衣類はどうあがいても水質のせいで洗濯するごとに多少黒ずんでいくんで、半年ごとのソルドで買い換えるというサイクルがちょうどいい。下着を10点、あとはフェイスタオルを3点。少し洋服も眺めたが、気に入ったものがなかったのでこれでおしまい。よくいくユダヤ人のファストフードのお店でランチをとって、午後に湧き出した人混みを尻目に家路に就いた。東京ほど人が多いと頭痛がしてしまうが、ニースくらいの混み合い具合ならお祭りのようで楽しい。スリにも合わず無事帰宅できてよかった。


Michelina |MAIL