My life as a cat
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2017年12月26日(火) オリガ・モリソヴナの反語法

「オリガ・モリソヴナの反語法」−米原万里著を読み返す。読んだのが随分前で、多々忘れているところがあるから二度楽しめる。記憶力の悪さもたまには得になるものだ。次の展開が早く知りたくて、531ページもあるというのに無我夢中で読み切った。

1960年代、志摩は父親の転勤に伴いプラハのソビエト学校で学ぶ。そこで出会ったダンスの教師オリガ・モリソヴナに強く魅かれる。ドギツイ化粧と香水、時代錯誤な服を自信たっぷりに着こなし、強烈な反語法を駆使し生徒達を罵倒するオリガ。だが、学芸会などで生徒に披露させるダンスは非常に完成度が高く評判がいい。生徒も次第にダンスにのめりこんでいく。志摩と親友のカーチャは何かと謎の多いオリガのことを探る。しかし謎解きは解決しないうちに志摩は日本に帰国することになる。そして文通を約束した親友のカーチャも間もなくソビエトに帰り、スパイと疑われることを恐れ志摩に手紙を書くことはなかった。

30年後、ロシア語の翻訳者となった志摩は、訪れたモスクワで子供の頃の謎解きの続きが気になりだす。外務省資料館を訪れ、再びオリガについて探りはじめる・・・・。

ここからストーリーがオリガの生涯、過去のソビエトと現在のモスクワとを行き来しながら展開していく。大粛清の行われたスターリン時代の回想は、底抜けに暗く痛々しいことばかりだが、30年後のモスクワの場面になると、二人の太っちょの中年となった志摩とカーチャが豪快な食欲でオープンサンドを平らげたりして愛嬌のあるものになる。明暗の均整が取れているからただ苦い後味だけを感じなくて済む。そして何よりオリガの口から吐き出される罵詈雑言がユーモアに満ちていて傑作。ダンスのセンスを持ち合わせていない生徒がどんな滑稽な恰好で踊っているのか想像できて笑いがこみあげてくる。

「ぼくの考えでは・・・だって。フン。七面鳥も考えはあったらしいんだ。でもね、結局スープの出汁になっちまったんだよ」

「他人の手中にあるチンボコは太く見える」

「これは蝶の舞なんだ。まさかカバの日向ぼっこのつもりじゃないだろうね!?」

「いつになったらわかるんだい!自分のチンボコより高くは飛べないものなんだよ」

「ふん、そういうのを去勢豚はメス豚の上に跨ってから考えるっていうんだ」

集団の文化や風習の中で形成されて育まれていく″言語″を知るということはその集団のことを知る大きな手がかりとなる。そこに焦点を当てているところがさすが翻訳家だと思う。ロシア語ほど罵詈雑言の豊富な言語はない、と誇りをもつロシア人も多いそうだ。そして巻末の池澤夏樹との対談で日本語の標準語ほど罵詈雑言の乏しい言葉もなく、外国語を日本語の標準語に翻訳する時非常に苦しいと書かれていた。いつか"Sex and the city"をたまたま日本語の字幕付きで見てひっくり返ったことがあった。英語でそのまま聞いてるぶんには大した罵詈雑言でない言葉も、日本語の標準語に直すとたちまち強烈な響きとなっていちいち聞き流せなくなってしまうのだ。英語で聞くと″ただのアホ″っぽい軽い響きの性的な言葉の数々も、日本語の標準語に直された途端、逃げ出したくなるような卑猥な響きになってしまうのだった。だからだろう、そのままカタカナで書いていた箇所も多かった。

この物語はフィクションであるにしても、巻末には膨大な量の参考文献が挙げられていて、かなり正確にソビエトの史実に基づいて描かれたものなのだろうということが伺える。それも日本語に訳されて出版されているものだけではなく、ロシア語の原書で読んだらしいものも多々あり頼もしい限りだ。わたしのようなソビエトについて無知な人にはとっかかりやすく興味を抱く手がかりとなる。

巻末で、今度はアルジェリアの少年と東ドイツの少年とハンガリーの少年、男の子3人の物語を書きたい、とそんな構想が書かれていた。アルジェリアの少年については実在するモデルがいて、彼を追跡して書きたい、と。それは実現することなく著者はさっさと天国へ旅立ってしまった。読みたかったな、その物語。

さて、読書の合間に家事をこなすも、心はすっかりロシアに染まっている。ランチは焼きピロシキだ。中身はマッシュポテト。リュカがひどく気に入って5個も食べた。レンズ豆とトマトのスープのおともにぴったりだった。


2017年12月25日(月) Noël en PACA

″Joyeux Noël!″

金曜の夕方、毎日入り浸ってすっかり仲良しになった図書館の責任者のクリスティーヌの声を背中に受けて、すっかり暗くなって冷え込んだ道を足早にあるいて家路を急ぐ。夕飯の準備をしていると、リュカが3連休に心躍らせて帰宅。フランスではヴァカンスは長期で取れるといえども日本ほど祝日がない。自分で申請したわけじゃない休暇は頑張ったご褒美のように思えるらしい。

この町で過ごすはじめてのクリスマス。土曜は散歩などしながらゆっくり過ごし、24日は朝から走り回る。午後は店が閉まるので朝のうちに買い物。家族が集うとあってみんな大量の食糧を調達している。小さなブーランジェリからは人がはみ出て路上に列をなす。みんなバゲットを両手に持てるだけ抱えている。フランスではクリスマスにみんなどんな料理をするのだろうか。日本の友人からメールがあった。

「今日は毎年クリスマス恒例のブイヤベースとバーニャカウダを作ります」

素敵。これ、フランスとイタリアの国境付近に住んでるわたしのセリフでもおかしくない。

「現時点での印象では、地中海の魚はいまいちでお高いです。ブイヤベースなど本場より日本で作ったほうがよほどリーズナブルで美味しいのではないかと思います」

と返事を書く。

さて、わたしにはクリスマス恒例の料理というのはないが、毎年ケーキを食べる。今年は去年と同じズコットを焼くことにした。夕方ケーキを作り終えたところで力尽きそうだった。夕飯はいつもと同じようなメニュー。ポレンタのクレープと根セロリのオレンジ煮。

24日によく働いたので、25日は昨日の残り物なんかを食べてゆっくり過ごす。こちらに来てはじめて天然酵母がうまく発酵してやっとパンが焼けた。色んな説があるので成功しても失敗しても要因がいまいちわからなくていつも手探りだが、過程はこうだ。

無農薬かわからない買ったみかん1個をさっと洗って適当に分けて瓶に入れ、見た目に倍くらいの水道水(湯冷ましもしてない水道から流れる硬水)を入れる。クーラーボックスに入れて、湯たんぽなんかで適度に暖めながら日に一回振って蓋を開ける。8日目にシュワっといいながらオランジーナみたいな香りがしてきたので、もう1日置いて底に澱が溜まってから中種作りに入る。

ドライイーストでも焼きたてパンが美味しいことには変わりないが、やっぱり天然酵母のパンのほうが″ホンモノ″の香りがするように感じる。野生のマッシュルームが薄暗い部屋で作られるマッシュルームよりも力強い香りを放つのと同じだろう。

リュカは家族とスカイプ。よくそんなに話すこと沢山あるね、というくらい家族全員よく喋る。わたしにとって家族が恋しくなるのはクリスマスではない。大晦日に祖父の家で開かれる宴にぽんっと参加できたらどんなに良いだろう。


2017年12月17日(日) 小さなクリスマス・マーケット

町のクリスマス・マーケットを見に出かけた。ガラクタの山なのではないかと想像してたのだが、意外に実用的な食べ物とかを売ってて悪くない。グリューワイン、カボチャのスープ、手作りのジャム、ビール酵母、そしてこの辺りの催しものやマーケットには必ず並ぶ籠(手作り)と名物ピサラディエ(pissaladière・・・飴色に炒めた玉ねぎとオリーブだけとかトマトとアンチョビだけというのが定番でピッツァというよりタルトっぽい)。

天気が良かったので川べりで日向ぼっこをしていたら、英語のアトリエで一緒になるジャン=ジャックという″変なオジサン(日本人でいう志村けんみたいな雰囲気)″がそろりそろりと近寄ってくる。変なことばかり言ってるが女の人にはすごくシャイな感じで、わたしが異文化の人間だという気遣いなのかキスの挨拶なし。でも興味があるのだろうな、日本のどこから来たんだとか、なんでここにいるんだ、とかあれこれ聞いてくる。こちらもあれこれ聞き返す。奥さんはロシア人で怒らせると本当におっかないんだ、とか、もっと色んな人と喋りたいから英語を勉強してるんだとか。

犬は寒さも厭わず川にジャンプ。

音楽隊も楽器を吹き鳴らし、冷え込んで観光客もなくおとなしくなった町が、にわかに賑わいをみせた。















2017年12月16日(土) Manioc

青果コーナーにさつまいも、里芋なんかと並んで売られていた"Manioc"と名のついたコスタ・リカ産の野菜を買ってみた。帰宅して食べ方を調べてぎょっとする。学名では″キャッサバ″と呼ばれ、熱帯で食されているタピオカの原料となる芋で、ふぐなんかと並んで強い毒性がある。ちゃんと洗って皮を剥き、加熱しなければいけない。フィリピンでこの芋のお菓子を食べた子供29人が死亡、大勢が重体となる事件が起きた。と、そこまで読んで本当に食べられるのか、この芋?と不安になる。が、最後まで読むと、後々の調査によると業者が小麦粉と農薬を間違えて調合した可能性が極めて高いという結論になったようだ。どうやったら間違える!農薬とかって倉庫とかの奥の奥に注意深くしまっておくもので、キッチンに小麦粉と似た容器に入れて置いとくものじゃないでしょ。しかし、自分の作った菓子は悪くない、と食べてみせた業者も重体に陥ったというから、どうしようもない。きちんと加熱すれば食べられるものの、これを主食として食べ続けている人々が甲状腺腫を患うという説もある。食す前にすっかり萎えてしまったが、良いところもあって、どんな悪環境でも育つ強い品種だということ。品種改良すれば世界の食糧難を救うことになるかもしれない。

恐る恐る調理してみた。皮を剥き、乱切りにして水に晒す。油を振りかけてフライパンで転がしながら焼いた。揚げないフレンチ・フライ。味はWikipediaに書かれていた通りあまり甘くないさつまいもといったところ。身がぎっしり、繊維質とでんぷんの詰まった感じで、さつまいもよりも歯ごたえがあり、少量でもおなかが膨れる。″フツウに美味しい″という感想。なかなか煮崩れたりしなさそうなので、料理によっては使えそうだ。


2017年12月15日(金) キスは春まで待って



夕飯の支度をしていると誰かが勢いよくドアをノックする。開けてみるとそこには階下のマクシムが。84歳の老人で軽度のアルツハイマーを患っている。いつもは会う度に″キスして″と自分の頬を指さすのだが、今日は様子が違う。

「リュカはいるか!」

戸惑いながら、まだ帰宅してないと告げる。そこに隣人のナタリアがちょうど帰宅。マクシムと早口で言葉を交わし、二人で階下に消えていった。

事情は後でリュカから聞いて明らかになった。マクシムの妻マリー=ルイーズがインフルエンザにかかっていて、トイレで倒れてしまったのだという。老いたマクシムはひとりで抱えられず助けを求めにきたのだった。

「ねぇ、昨日マクシムとキス交わしてないよね?」

「してないよ?」

「よかった。結局マクシムもインフルエンザにかかって一緒に寝込んでるから」

「えっ!!」

この町ではインフルエンザがまん延している。それもそのはず。

「もうこんな小さな町で知り合い全員にチュッチュチュッチュっとキスしてたら一向に前に進めないわよ」

イギリス人の知人は嘆く。

リュカは出かける時はなるべく人通りのない道を通りたがる。キスの嵐で前に進めないからだ。

インフルエンザがまん延するようになってからはリュカもわたしもマスクをして人目を避けるように細く暗い路地を選んで歩いている。が、無邪気な村人に呼び止められ、挨拶のキスを交わす羽目になったりする。予防注射を打ったこともなければ一度もかかったことがない。そんな人間が異国でそんなものにかかったら死に至りそうだとぞっとする。帰宅すると手と口のみならず頬も入念に洗い流す。春までこのキスの挨拶休止にしませんか?

(写真:表通りにもすっかり冬がやってきた)

2017年12月14日(木) Le Calendrier des pompiers

フランスではエリートで出世街道を行くのは理数系と決まっているというのを読んだことがある。だからたとえばエンジニアなんていうのは高学歴で位が高く生涯生活が保障されている、とかなんとか。

「ねぇ、フランスで人気のある職業っていったらなに?」

とリュカに聞いてみた。

「うーん。。。女の子に圧倒的に人気があるのはね、ポンピエ(消防士)だね」

「ポンピエ!?なんで!!」

「やっぱり鍛え上げられた体でホースから勢いよく水を噴出してるのが強い性の象徴みたいでいいんじゃない?ポンピエとダンス・パーティーとかいうと女の子がわぁ〜って集まるとかいうのも聞くしね。あとね、彼らが年末になるとカレンダー売り歩くの。半裸のポンピエのカレンダーとかあってけっこう売れるらしいよ。そろそろうちにも来るんじゃない?」

「え!!ポンピエがうちに来るの?半裸のカレンダー売りに?」

「居合わせたことないし、カレンダーは見たことないから本当に半裸かは知らないけどさぁ・・・」

こんな会話をしてから数週間、そんな話はすっかり忘れていた。

夜、映画を見ていると誰かがドアをノックする。リュカがでていったのだが、手招きしている。なんなんだ、と行ってみると、制服のポンピエがふたり立っている。ものすごくイケメン。そして手にはカレンダーを抱えている。

「もしよかったらカレンダーを買ってください。いくらでも好きな額でいいので」

さわやかな微笑み。どんなカレンダーなんだい、と中身を見たかったが、中身を見てからやっぱり要らないとは言えなくなるだろう、とひとまずその辺にあった小銭€2渡してカレンダーをもらった。

ドアを閉めるや否やがつがつカレンダーを開く。

「・・・・。半裸じゃない」

半裸どころか、ものすごい真面目な彼らの活動写真のカレンダーではないか。

「いや、そんな責めるような目で見られても。半裸のもあるって言ったけど、この町のポンピエはそういうのやらないのかもね。残念だったね」

「・・・・(睨み)」

イケメン・ポンピエの半裸カレンダーというのが一度見てみたくて期待をかけていただけに妙にがっかりしたのだった。

しかし、女の子にモテるのがポンピエって、さすがフランス。オーストラリアはライフ・セーバーとかだったかな。解り易いセクシーさが好きなんだろうな。日本の女の子に人気の男の職業といったらなんなのだろう。

「彼、公務員で安定してていいよ」

とかいう売り言葉よく聞いた。″セクシー″よりも″安定″というのが日本ではウケる感じなのか?よくわからないが、間違ってもポンピエとかライフ・セーバーとかの肉体ムキムキ系ではないだろうな。


2017年12月13日(水) Pizza marinara

チーズの乗ってないピッツァなんて味気ないんじゃないか。このピッツァ・マリナーラ(Pizza marinara)を作って食べてみるまではそう思っていた。好きなピッツァはクアトロ・フロマッジョ、マルゲリータ、あとはロマーナくらい。チーズ以外の物がごてごてと乗っているのは好きじゃない。チーズが乗っていないマリナーラはいつも選択肢にも入っておらず、しらりと除外されて気に留めたことすらなかった。チーズやバターのほうが醤油より安いという土地柄、どうしてもそういったものの摂取が増える。これでは体が心配だ、と疑心暗鬼でマリナーラを作ってみたのだった。ところがひとくち食べて開眼。なんて美味しいのだろう。チーズの乗ったピッツァはすぐに飽きてしまうが、これなら1枚完食できて、その後も胃がすっきりしている。ヴェーガンでも食べられる。なにより見た目が気に入った。まるで真っ赤な太陽みたい。マリナーラという名前からはどうしても魚介を想像してどこかしっくりこない。″Pizza Sole"とでも改名したらどうか。

今日はよく晴れていたので中庭でランチにした。皮膚や体への影響は解らないが、陽を浴びると心が元気になることだけは確か。真っ赤な″太陽のピッツァ″を頬張りながら日光浴。ささやかな冬の愉しみを得たのだった。

(クロエちゃんもランチ・タイムの日光浴を何よりたのしみにしている)

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ピッツァ・マリナーラのレシピ

材料 (1人分Φ22僉
●強力粉 100g
●塩 小さじ1/2
●ドライイースト 小さじ1/2
●水 60g〜(粉や気候によって調節)
●オリーブオイル 大さじ1
●ホールトマト(缶)大さじ4
●にんにく(極薄にスライス)好きなだけ
●オレガノ(ドライ)好きなだけ

,佞襪辰振力粉の真ん中に穴を二つ開け、塩とドライイーストをそれぞれ入れ、そこに水を少しずつ流し込みながらぐるぐる混ぜる

⊇々に穴を広げていって全部混ざったら粉けがなくなるまで捏ねる(10分くらい)

生地を丸めてタッパーに入れ蓋をして2,3倍に膨れるまで置いておく(冷蔵庫で長時間発酵がおすすめ)

ご櫃當召靴毒┐貮朸劼鬚けて15分置く。オーブンを230℃に温める。

ダ乎呂鬚修辰伴蠅膿ばし(綿棒よりさくっと仕上がる)、オリーブオイル大さじ1を塗り(しっかり生地に延ばすこと。トマトソースが生地に直に着くと破れることがある)、手でよく潰したホールトマトを塗る

Δ砲鵑砲を乗せ、オレガノをふりかけてオーブンで美味しい焼き色がつくまで焼く

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2017年12月11日(月) Pain d'épices

昨日から雨が降り続けていた。この辺りの人は寒さには強くても雨には弱い。ちょっと待てば晴れるのにわざわざ雨の中外に出なくたっていい。通りに人影がなくなる。客が来ないから、とお店はさっさと閉店する。リュカも仕事をさっさと切り上げて帰宅した。アンビリーバボー!日本人感覚ではこんな雨ごときで、と思う。イギリス人も賛成してくれるだろう。

午後のアトリエ・ガストロノミック。こちらは今年最後ということもあるのか、雨の中みんなちゃんと出席。今日はパン・デピス作り。通例のごとくどこかから持ってきた適当なレシピで、バターは入れるし、スパイスは入ってないしでいったいパン・デピスと呼べるのか。しかし、みんなが持ち寄った自家製の酒に漬けたドライ・フルーツからは芳香ただよっていて、これが美味しくないわけがない。いつも全部食べちゃうんじゃないかってくらい味見(goûter)ばかりしているマダム・グテ(この愛称はわたしが勝手につけた)は今日も熱狂的に酒漬けのドライ・フルーツをつまみ、指を舐めまわしていた。この舐めまわした指を洗うのを忘れて生地を捏ねたりすることを予知してはらはらしながら横目で見ていたら、マダム・シャンテ(元ダンサーで歌ったり踊ったりするのが大好きで料理しながらよく歌ってる。日本で覚えたという歌を完璧な日本語の発音で歌うのには驚きだった)がビシッと言い放った。

「まさか、その指洗わずに他の食べ物触らないわよね!」

マダム・グテはペロリと舌を出してちゃんと手を洗う。しかしこの後見てしまった。またいつもの癖で味見して舐めた指で生地に触るのを。焼いてしまうから大丈夫だけど、いい気はしない。さっさと生地を型に流し込んだらマダム・シャンパーニュ(いつもシャンパーニュを持参してくる)がシャンパーニュを開け、先生が焼いてきたケーキを切り分ける。そしてここからが本題。おしゃべりの時間。しばらくするとぷつんと電気が落ちた。停電。ひえっ、と一瞬静まり返ったものの、1秒後マダム達は暗闇で何もなかったようにおしゃべりを続けたのだった。30分経っても電気は戻らず、結局暗闇で「良いクリスマスを。また来年」という挨拶を交わして解散となった。

料理よりもおしゃべりに割く時間のほうが長いというゆるいアトリエで、料理の腕が上がるとかいうのは期待できないのだが、細かなところに文化の違いを見たりするのが面白かった。例えばこれはフランスだけではないがやっぱりあまりまな板を使う文化がない。東南アジアなんかでは野菜をそぐように切ってダイレクトに火にかかった鍋などに突っ込むのを見るが、彼らも切れの鈍いナイフで手のひらに食べ物を乗せて切ったりしていた。日本ほどまな板が料理に欠かせない道具となっている国はないのではないかと思わずにいられない。わたしはナイフ一本で何でも刻み、ウィスク一本で何でもかき混ぜたり泡立てたりしてしまうが、彼らは一挙一動違う道具や機械を出してくる。

マダム・シャンパーニュの家は目と鼻の先で、通りでたまたま会ってアペリティフに誘ってもらったことがあった。アンティークのプレートなどが飾られたサロンを通り、キッチンでキャビネットを開けると沢山の酒があった。どれにする?と聞かれたが、知らない酒ばかり。唯一知っていたリモンチェッロを指さした。アペリティフに30℃もあるリモンチェッロを飲むなんてどうかしてる、と思ったかもしれないが、快く注いでくれた。いつも″わたしの夫はシェフで・・・″とかなんとか現在形で話していたので、てっきり毎日美味しいものを食べてるんだろうなぁ、などと思っていたのだが、ここで初めて全ての話は過去形で彼はすでに他界していると知った。

「わたしは料理など一切できないのよ」

あぁ、だからアトリエに通ってるのか、と合点がいく。朝はアトリエで焼いたケーキなんかを食べて、ランチはいつもレストラン。夜は果物だけで済ませるとのこと。料理ができないというのは謙遜ではない。一度アトリエでニョッキを作った時はうまく溝がつけられずに彼女が投げ出したのをわたしと先生で仕上げたということがあった。

「でもみんなで作るから楽しい」

確かに。

棚に飾ってあったイタリア人の旦那さんの写真を愛おしそうに手に取って見せてくれた。日々の愛情こもった美味しい手料理とそれを作ってくれた人を失う悲しみってどんなだろう。リモンチェッロの回った頭で想像してつい泣きそうになった。

来年は何を作るのか。わたしもはやくフランス語を覚えて″おしゃべり″に参加したいものだ。


2017年12月10日(日) Salade d'endives

これを果たしてエンダイブ(endive)と呼ぶのかチコリ―(chicory)と呼ぶのか。日本ではチコリ―と呼ばれているようで、エンダイブといったら葉がフリルになったもののようだ。フランスではアンディーブ(endive)、イギリスでは日本と同じでチコリ―(chicory)だそうだ。以前同僚がフランス産の高い種を購入して農園で育てていたが、全くうまく育たず、一つたりとも口に入らなかったと嘆いていた。こちらでは今が旬で、3,4個で€1ほど。気軽に口に入る野菜なのだ。チコリー・コーヒーなどといって愛飲されているくらいでなかなか苦い。わたしはこの苦味が好きなのだが、リュカは好んで食べない。丸ごとオリーブ・オイルをかけてグリルして擦り下ろしたパルミジャーノをふりかけたりして火を通すことが多かったのだが、今日は生食することにした。

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エンダイブのサラダ、ヨーグルト・ドレッシング(2人分)

●エンダイブ2つ (好みで)芯を外してカットして水にさらす

ドレッシング
●フロマージュ・ブラン(またはヨーグルトの水を切って)大さじ2
●オリーブオイル大さじ1
●りんご酢(または好みの酢)大さじ1
●レモン汁(または塩レモンを刻んだ物) 適量
●塩・胡椒
●パセリ(あれば)

水を切ったエンダイブにドレッシングを混ぜるだけ。

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火を通したほうが苦味が消えると踏んでいたのだが、不思議なことに生食のほうがレタスっぽくて苦味を感じさせない。リュカも"これなら大丈夫かも″と食べていた。


2017年12月09日(土) Daki-Daïa

リュカの友人のジョルジュ君から

「行くぞ、ラーメン」

というお誘いが。嫌いとまではいかないが、日本でもあまり馴染まなかった食べ物で乗り気がしない。彼らのいつも食べてる"Le Ramen(ラーメンとかの外来語はほぼ男性名詞となるそうだ)"の写真に鶏のからあげが乗ってるのを見て断る決心をした。

「どうぞお二人で楽しんできてください」

ということで一緒にニースにやってきたものの別行動となった。






ニースの街の地味なクリスマス・デコレーション。リュカが先日こんなことを言った。

「クリスマスのデコレーションがいちばんすごいのは東京。あれよりすごいの見たことない」

確かに名所となっているパリのシャンゼリゼでも丸の内や六本木、新宿にはかなわない。こういうところに気質がすごく現れるものだな。こちらは時間の使い方だけは贅沢で、2時間くらいかけてランチを摂る人なんて珍しくない。しかし日々の生活ぶりは質素。東京はあくせくと動き回り物質的に豊かだ。



ニースの旧市街まで歩いてきた。



小さな路地裏に色んなお店が潜んでいるので、ここを歩くのは面白い。ソッカで有名な老舗Chez René Soccaも旧市街の中にある。一度賞味した。確かに美味しい。ただものすごいボリュームと油なので日本人だったら1枚を2人でシェアするのがいいだろう。



そのまま更に歩き続けてポートへ。駅から30分は歩いたかな。調べておいた地中海料理のお店"Daki-Daïa"へ。本日はここでランチ。さすがフランスのマーメイド、煙草ふかして酒飲んでる。



今日は風の冷たい日だが、太陽の下にいればあたたかい。どこでも港の風景っていいものだな。どちらかといえば、こんなお金持ち風より漁師が昼寝してるような寂れた港のほうがタイプだが。



お水と共に自家製のパンを2種類とオリーブオイルを出してくれる。




メインと書かれていた魚のコロッケを頼んだ。先日母がアジフライを揚げている夢を見たのだった。特別好きだったわけでもないのに、それ以来どうもアジフライが食べたい気がしているのはなんなのだろう。母が恋しいだけか?とにかく魚の揚げ物に惹かれたのだった。ん???小さい。これで€9.5なのか。しかし味はとてもいいので満足。



もう少し食べたい気もしたが、パンを全部食べたらおなかが落ち着いたのでデザートに進んだ。いつも適当に自家製のデザートを5種類くらい用意しているそうだ。メニューはなく店員さんが口頭で説明してくれる。素直に彼女のおすすめのガトー・ショコラにした。これ絶品。ガトー・ショコラのボトムにはたっぷりヘーゼルナッツやドライ・フルーツが詰まってる。添えられてる自家製のヨーグルト・アイスの酸味がまたガトー・ショコラを爽やかにする。

会計は€17ほど。大変満足でまた来たい。美食の国フランスではレストランで不味いものはそうでてこない。だが、日本の主婦に€5ほど渡せば材料を調達してきて同じものを作ってしまうだろうというようなものに鼻高々な価格が付いていて、人々がそれを絶賛して食べるという風景も少なくない。こういうところは日本ほど料理に時間を割く主婦のない欧米風だなとがっかりすることも多々ある。再訪したいレストランに巡りあうのは簡単ではない。

この日記は自分のために書き続けてきた。人様のお役にたてばなどというアイディアはほぼ持ち合わせていなかったのだが、フランスにいて何かと個人の日記の情報に助けられたリすることが多いので、わたしも少し人の役に立つように心がけて書いてみようと思う今日この頃だ。お店の雰囲気や情報などどこかでニースを訪れる人のサーチに引っかかって少しでも参考になれば幸いだ。



港にあったブロカントのお店を見物して、ゆっくりそのまま北へ歩いていく。なかなか大きなカルフール・ビオのお店があって、更にそのまま歩くとセンター・コマーシャルに行きつく。巨大なカルフールで2時間買い物を楽しんだ。ここ見ても見切れないほど大きい。そして無料のトイレがある(ニースで無料のトイレなんてここ以外見たことない)。ひとりで買い物に集中するのは楽しいが、荷物が重くて駅まで歩いて帰るのに40分くらいかかった(歩くのが苦手な人はトラムに乗れば駅へ行く)。

2017年12月04日(月) ファッロのパンを朝食に

先日サンレモのカルフールで見かけて購入したスペルト小麦粉(イタリア語でFarro(ファッロ)と書かれていた)でパンを焼いた。調べたところによると、グルテンがすぐに繋がるので普通の小麦粉のようにがしがし捏ねる必要がないとのこと。まぁ、とりあえず、といつも朝食用にテキトーに焼いているパンと同じようにやってみた。

・スペルト小麦粉 250g
・塩 4g
・ドライイースト 2g
・水 175g

これを全部混ぜる。確かに水と混ぜるとすぐにスムースになる。15分置いて折りたたむ。これを3回繰り返したら冷蔵庫に入れて寝る。朝丸め直してボウルに入れて二次発酵させて焼く。

見た目は粗雑な"捏ねないパン"の代表格のようになった。しかしお味が!なんなんだろう、このチーズを練りこんだような風味は。美味しすぎる。スペルト小麦というのは現在の普通の小麦粉の原種で手をかけなくてもぐんぐん育つ強い種のようだ。古代に発見されながらなぜ現在普通小麦のように普及していないのか。また調べてみる。11世紀に普通小麦の栽培がうまくいくようになって消えていったという話。イタリア料理のバイブル"シルバースプーン(原書:Il cucchiaio d'argento)"のレシピを眺めるとスペルト小麦(挽いてないもの)はよく使われている。日本の米粉のような、"代表格ではないが、買う人は確かに存在する"という位置付けなのだろうか。焼きたてのパンにバターを乗せてじわりととろけたのは最高に美味い。が、いっぽう健康のためにもバターを控えたほうがいいだろうという気持ちも働く。朝食は小さなおにぎり二つというのが日本での定番であったが、まともな海苔が手に入らなくなった今、これがバターを塗ったパンに取って変わられた。「塩と海藻と米」が「塩と小麦粉と脂(時にはジャムという砂糖も登場する)」に変わったのだから考えてしまう。でも、このパンならなぜかすでにチーズ風味なのでバターを塗りたいという衝動が抑えられるのだった。最近は焼きおにぎりという選択肢もできた。ごはんにちょっと片栗粉と醤油を混ぜて焼く。オーソドックスなおにぎりに勝るものはないが、がっかりな海苔を思えばこちらのほうが余程いい。フランス人でも経済的に毎朝クロワッサンを食べられる人はなかなかいない。休日の朝やおやつに楽しむものなのだそうだ。わたしも彼らに倣うことにしよう。バターたっぷりのパンは週に1回くらいに控えるのがお財布にも体にもやさしいというものだろう。


2017年12月03日(日) 日曜のイタリア人のランチ

リュカの友人がランチに招いてくれた。イタリア人のホストが腕を振るうというので興味津々でやってきた。



モナコの街と地中海を一望する丘の上にある家は、彼のお義母さんの財産で、モナコに住む彼らがたまに別室のように使用するのみとのこと。なんとも贅沢。こじんまりとした家に人生で集めた好きな物だけ詰め込んだような雰囲気。老後こんな家で暮らせたらどんなに素敵かと想像した。






ガレットデロワに入ってるフェーブ、蒐めている人けっこういるね。



前菜に野菜たっぷり。パン粉をまぶして焼いてあったり、ペコリーノがかかっていたり、微妙に味付けが違う。野菜ひとつずつ調理して皿の上で各自好きなように混ぜて食べるのがイタリアン・スタイルなのだとか。17歳の息子さんはパンに挟んでハンバーガーにしていた。どれもシンプルで美味しくってこれで終わりでもいいか、ってくらい食べてしまった。



ところがこんな大盛りのポレンタが出てきた。みんなのはラグーのソースだったが、わたし用に野菜だけのソースを用意してくれたというので、頑張って平らげた。でも美味しかったぁ。

デザートにリモンチェッロやポルトと共に、洋梨のタルト、果物、苺のタルト、ヘーゼルナッツのタルトと各自好きなものを好きなだけ皿に取っていただいた。スペイン語、イタリア語、フランス語、英語が飛び交う。ここで暮らすようになって感じたことは、フランス語のみならず、イタリア語とスペイン語も少しずつでも覚えたらもっと会話の幅が広がって楽しいだろうということ。ラテンの国の人々は総じて英語があまり得意でない。ドイツ人などは英語が得意だ。単純に名詞に性がある言語とそうでないもので文法が違ってくるというところに起因しているのか、それとももっと深く精神的構造や歴史的背景の違いがそうしているのか(例えばカトリックかプロテスタントかなど)と想像してみるが、真相は解らない。

そろそろコーヒーで締めくくりたいと思っていると、ホストが立ち上がった。

「みなさんに悪いお知らせがあります。コーヒー買い忘れました」

それでもイタリア人か!っという野次が飛び、結局お義母さんがどこかにあるかもと戸棚を探して幸運にも出てきたのだった。めでたく食後のエスプレッソにありつき、お開きとなった。

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ベッドに入ったところにオーストラリアからメッセージが入った。16年生きたわたしの猫が天国へ旅立った。夏に旅立ったミュンちゃんと同い年。ボランティア活動をしようと見学に行った猫のシェルターでの出会いだった。成猫だったが、何らかの事情で飼えなくなって連れこまれたのだという。ソックスにひとめぼれして連れて帰りたいと思ったが、引越しも多く永住権もないボーイ・フレンドは反対した。諦めてシェルターを去ったけれど、その夜その猫が冷たいケージでひとりで寝ることを思って涙がポロポロでてきた。猫のためではなく自分自身の寂しさのための涙だったのだと思うが。結局ボーイ・フレンドが折れる形となって翌日またシェルターへ行ったのだった。猫というのは飼ってみると想像と違うものなのだ。猫はいまいち、と言っていたボーイ・フレンドこそがいちばんアホのように可愛がり、結局最期まで添い遂げたのだった。入院していた動物病院に彼が仕事前に立ち寄ったところで息を引き取ったそうだ。ずっと生きられるわけではないと解っていてもやっぱりどこか切ない。

わたしと数年を一緒に過ごしてくれてありがとう

と天国にメッセージを送った。

Michelina |MAIL