My life as a cat
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2015年05月27日(水) The price of shame

モニカ・ルインスキーさんがTEDの舞台に立っていた。米大統領に恋をしたのが22歳、スキャンダルが明るみにでて大騒動となったのが24歳、現在彼女は41才になっていた。わたしと同年代なのだね。触れることのできない人のプライベートへの興味は薄く、この人のことも、そのスキャンダルのこともニュースでちらりと見たくらいにしか記憶になかった。しかし、沈黙を破った彼女の口から語られた″その後″の話があまりにも辛くて、画面の前で泣いた。

インターネットがすでに普及していた当時、彼女は一夜にしてグローバル規模で個人の信用を失うこととなった。マスコミは彼女の写真を掲載し、大衆を群がらせ金儲けをした。大衆は、ふしだら、売女、淫売、あばずれと好き勝手に誹謗中傷のコメントを書き込んだ。その中に本当の彼女を知る人などいない。書き手にとってはバーチャルな世界でも、その矛先には血の通った生身の人間がいて、その人には心配する家族や友人がいるということも忘れて。法的な追求、友人の裏切りや大衆の野次と精神的に追い詰められた彼女がやっと床に着くとき、その枕元に心配した母親が寄り添っていた。2010年にルームメイトに同性と関係を持っているのを隠し撮りされ、ネット上での晒し者にされた18歳の少年がワシントン橋から飛び降りて命を絶ったというニュースに、母親は強い憤りを感じた。自分の娘の過去が思い出されたからだ。

表現の自由についてはよく語られるが、わたし達はもっとそれに伴う責任について語るべきだと彼女は言う。少数派でも思いやりのあるコメントは悪意の力を弱める。ネットで虐げられている人に対して、無関心な傍観者ではなく行動する人になって欲しいと。

彼女の提唱に胸をえぐられた。最近会社で起こった個人への集中攻撃。日頃から、正当性もないのにひたすら強気な大衆の心理を忌み嫌っていたというのに、どうして大衆の前で彼をかばってあげなかったのだろうか。入社してほんの数か月の彼は声の大きい男に目をつけられて″仕事が出来ない″と叫ばれた。どれだけの人が彼の仕事ぶりを知っていたのか。同部署のわたしですらまだわからないのだ。″仕事が出来ない″と意地悪くこき下ろしていた連中はわたしよりも彼のことを知らないだろう人間ばかりではないか。彼のいない食事の席で、人事の実権を握る人々の前で、彼が標的にされていた時にどうしてわたしはこう言わなかったのだろう。

「あなたたちはそんなに彼と仕事上で交流があるんですか」

と。そうしたら言葉に詰まってしまっただろう。交流がないのは側に座っているわたしが一番知っている。ガリ勉の虐められっ子だったのではないかと容易に想像できる見た目とすぐに謝る気の弱さは人を苛立たせる要素があるのだろう。そういう感覚的なことを最もらしく大声で叫んで大衆を自分の味方にしてしまうようなのがいる。悪評はたちまち更に深刻な悪評となって、彼は契約を打ち切られ失業した。かばってあげなかったわたしは加担したのと大差がない。モニカ・ルインスキーさんのスピーチに涙がわんわんと溢れてしまったのは、大衆から石を投げつけられる人々の苦痛の声が聞こえたからだ。西洋の格言に″Speech is silver, silence is golden″とあるけれど、状況をうまく見極めなければ沈黙は悪にもなりうる。


2015年05月22日(金) Le ballon rouge

よく働いた一週間の終わり。映画のお供にフランスのワインコンクールで5年連続金賞を獲ったという赤ワインを買って家路についた。テーブルワインに相応しい価格ながら、その中でも格が高いと思われるお味。″良いワインは若いチーズのような芳香だ″と味なんかわかんないでしょっ、ってくらい大酒飲みの同僚が言っていたが、案外それは正しいような気がする。

映画は"Le ballon rouge / Crin blanc (邦題: 赤い風船/白い馬)を観た。1956年のフランス映画。感想はC'est joli!に尽きる。 あまりにもの美しさに涙がでるほど。赤い風船を際立たせる石畳色だけのベルヴィルの町並み、白馬を際立たせるモノクロで表現されたカマルグの湿原、どの場面を切り取ってもそれは美しい絵になる。少年と赤い風船とベルヴィルの町(細い路地ばかりで、迷路みたいな。そしてブーランジェリーには20世紀初頭の流行であるガラス絵がある)、これだけで世紀を超えて愛されるような映画を創作したフランス人って本当に天才ではないだろうか。

″忙しい″が口癖な人にはなりたくないけど、職場では本当に忙しい。無心に働いて、働いて、ふと手を休めて思うことは、青い海が見たいとかそんなことだけ。それ以外に何も浮かんでこない。上司が聞いたらなんと思うか、でも正直、競争力・スピード・能率・売上・・・そんな言葉はうんざりだ。ベターになりたいという気持ちは常にある。会社でもプライベートでも。でもそれは自己完結の話で人よりベターにというのではない。企業は競争なのかもしれないけど、終わりなき競争をいつまで続けるのか、と思ってしまう。答えは″永久に″でしかないのだろうか。わたしはサイレントホイールに乗ったハムスターのようだ。走れば走るほどもっと早く走ることを要求されるような感じ。人間界には愚かな現象が多々ある。


2015年05月02日(土) 文盲

穏やかな一日の終わりの静かな夜、ベッドの中でアゴタ・クリストフ著、堀茂樹訳の「文盲」を読む。全て現在形の端的な言葉で語られた90ページたらずの自伝。愛想とは無縁のあまりにもの簡素な言葉のひとつひとつに凝縮された孤独や悲しみや自己のアイデンティティとの葛藤がひしひしと伝わってくる。

A.クリストフは、戦争とスターリン影響下のハンガリーで生まれ育ち、やがて成人して生後8か月の赤ん坊を抱えてスイスへ亡命する。命がけで亡命したにも関わらず、成功の暁に満ち足りた生活など約束されてはいない。言葉の解らない国で、多くの亡命者と同じように、工場での単調な仕事に従事し、故郷に残してきた家族を思い孤独に過ごす。そんな希望の見えない日々の中で懸命に習得したフランス語で夜な夜な小説を書きあげる。コネも伝手もなく、友人の勧めでパリの三大出版社と呼ばれるところに、ポストからいきなり書き上げた小説を送り付ける。二社には軽くあしらわれるものの、残る一社の編集者は感嘆の声をあげ、その小説が出版されることとなる。それが彼女の名を世に知らしめた「悪童日記」だ。

フィクションであるはずの「悪童日記」「ふたりの証拠」「第三の嘘」は、著者の体験がベースになっていることが解る。しかし、実際の著者の暮らしは悪童日記よりよほど貧しく過酷だ。小説では、双子が自分達でスペクタクル(見世物)をして稼いだお小遣いで靴を買いに行く。お金は一足分しかなかったのだが、ナチスの魔の手が迫っていて、命の危機を感じていた店主は結局だたで二人に靴をあげるのだった。実際の著者は1歳上の兄と引き裂かれ、会うことが許されず、また会いに行く電車賃もない。靴は修理に出したものの、代金の支払いを先延ばしにしてもらい、そのお金の工面に頭を悩ませる。結局学校でスペクタクルをして小遣い稼ぎを始めるのだが。1940年代のハンガリーで、子供が芸をして小遣い稼ぎをする自由があったことや、大人や子供までもがそれに小銭を費やしたというのが意外だ。日々のパンと同じくらい笑いを求めていたということなのか。

国の動乱に翻弄され、9歳でドイツ語を、11歳で今度はロシア語を学ぶことを押し付けられ、大人になって命がけで亡命したスイスのフランス語圏、とめまぐるしく母語ではない言葉を習得する必要に迫られた著者は、ハンガリー人であるという″自己のアイデンティティとの葛藤″いう意味でフランス語を”敵語”と呼ぶ。訳者の堀茂樹さんの言葉を借りれば、″集団の記憶・価値観・文化が織り込まれた″言語を押し付けられることは、アイデンティティの剥奪と同じ意味を持つ。

彼女の作品はどれも一度読み始めたらその独特な世界観にぐいぐいと引き込まれて、ついつい夜更かししてしまう。訳者が素晴らしいことも理由のひとつだろう。本当に彼女の作品が好きだというその情熱がひしひしと伝わってくる。翻訳された本はあまり好きではないのだが、A.クリストフ作品は良い翻訳家が日本語に訳してくれたことに感謝だ。今では40か国語にも訳されている「悪童日記」のような作品を生みだした作家の亡き後、訳者が彼女のスイスのアパルトマンを訪ねてみると、そこは″成功者″などとは程遠いあまりにも地味で質素な空家だったという。浮世事には頓着せず、どんな状況下に於いても、読むことと書くことに生涯をささげた。その一途さゆえに母語と敵語の間でもがき苦しみ、その一途さがまた彼女の作品を世に送り込んだのでしょう。

必要最小限しか語らないのが彼女のスタイルであるけれど、彼女がハンガリーに残してきたお兄さんと再会したのか、また、したとして、晩年どんな関係を築いたのか(小説と同じで子供の頃のような一体感や濃密な信頼関係は二度と取り戻すことができなかったのか)、それを語らずしてこの世を去ってしまったことがとても残念だ。


Michelina |MAIL