My life as a cat
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2015年03月31日(火) 桜は満開で

朝日のせいで目を覚ます。なんて心地良いのだろう。冬の間は朝のコーヒーを飲んでる間ずっと膝の上にぺったりと座っていたクロエちゃんの姿が見えない。と思ったら、窓辺に拵えたベッドに寝ていた。猫っていうのはなぜか人間がよかれと思って用意した物を好まない。人間の大事にしてるものをおもちゃにして、爪を研ぎ、花瓶やシャワーの水滴を飲む。このベッドだってよかれと思って拵えてから半年経って、初めて横たわってるのを見た。嬉しくなって思わず記念撮影。

そういえば先日、大好物の裂きイカをあげて、残りを輪ゴムで留めてバスケットに入れておいたら、バスケットの中に入って、裂きイカの袋を抱きかかえて居眠りしてた。あれ可笑しかったな。


2015年03月28日(土) マクロビのスイーツはスイーツじゃなかった

「クシ・ガーデンのマクロビオティック本格スイーツ」という本より、アップル・シナモンケーキを焼いてみた。″本格″というタイトル通り、分量も工程も非常に細かい。しかし、これといった技は必要としないし、全工程写真があるので、真面目に言われた通りにやれば著者の意図した物が出来ていることだろう。バターの代わりに菜種油を、白砂糖の代わりに甜菜糖を、牛乳の代わりに豆乳を、という特に真新しいところのない普通のマクロビ・レシピだ。

で、お味のほうは、・・・・。これはスイーツじゃなくて、グラノーラとかの朝食に分類されるものだね、わたしの中では。この焼きりんごの下にはアーモンドとレーズン(レシピ外だが、クランベリーもおまけで入れた)を混ぜ込んだシナモン風味のスポンジと全粒粉と胡桃のタルト生地があって、材料は栄養価の良いものばかり。生クリーム添えたら美味しいだろうなぁ、とも思ったけど、本末転倒だし、やっぱり朝食としていただこう。

いつも食べてる寿命を縮めてそうな食後のデザートを家にいる時くらいは少しヘルシーな物に置き換えられたらベターだと思い立って作ってみたものの、ヘルシー過ぎてスイーツの域じゃなかった。薄味の日本製のチョコレートを一枚よりカカオも甘みもきついヨーロッパ製のを一粒、ビールを大きなジョッキに一杯よりも日本酒を小さなお猪口で一杯、と嗜好品には凝縮された強さを求めるわたしの舌は、これでは満足させられなかった。もっとっもこういう味に慣れて、わずかな甘みで満足出来る味覚を養っていくべきなのだろうけどね。


2015年03月27日(金) パーフェクト・ユーロピアン

パーフェクト・ユーロピアンとは、

イギリス人のように、料理をする人

ドイツ人のような、機知に富んでいる人

フランス人のように、車の運転をする人

イタリア人のように、自制力がある人

ベルギー人のように、進取の気性に富む人

フィンランド人のように、おしゃべりな人

オランダ人のように、カネ離れがよい人

スウェーデン人のように、柔軟性に富む人

ルクセンブルク人のように、注目を浴びる人

スペイン人のように、控え目な人

ポルトガル人のように、技術大好きな人

ギリシャ人のように、組織力のある人

オーストリア人のように、忍耐力に富む人

アイルランド人のような、酔っ払わない人



「日本人へ」−塩野七海著より。2ヶ月かけてEUを旅していた息子がブリュッセルから送ってきたイギリス人によって書かれたポストカードに書かれていたという。笑っちゃった。好きだね、こういうイギリス人の皮肉。わたしが書くなら″パーフェクト・エイジアン″はこんな感じかな。

日本人のように、人目を気にしない人
韓国人のように、柔軟な人
中国人のように、おしとやかな人
シンガポール人のような、色気のある人.....


2015年03月22日(日) Le vain

久々の″本当の″休日。友人と代官山で落ち合った。空気はすっかり春で、こんな日は何をしても新しい気持ちになる。

ランチをいただいたフレンチレストランではイケメン好青年のパリジャンがサーブしてくれて、″秘密だよ″とこっそりおまけのケーキをくれた。イケメンと秘密を共有する。なんて甘美なことでしょう。今日ほど、もっとフランス語を懸命にやってくればよかったと後悔したことはない。しかし、"R"を正しく発音することがキーであるラテン語が起源の言語の中でもフランス語は一番それが顕著ではないだろうか。しつこく"R"の発音を練習したおかげで、3歳児のごとくわたしが発した数少ない言葉を彼はきれいに全部理解してくれた。

食後の散歩は国の重要文化財にもなっている旧朝倉邸へ。都心の喧騒から隔離された、静謐な空間だった。庭園にはあらゆる種類の草木が植わっていて、クロエちゃんを連れてこられたら、と夢中になった。

″すぐ好きになっちゃう″という友人はフレンチのイケメン好青年から駅を歩いてた柴犬まで、街を一周する間にも沢山LOVEを見つけたようでとても幸せそうだった。彼女はあらゆる物事の本質にまでせまって鋭い洞察を披露してくれるのだが、いつでもそれが温かい目線の先にあることを感じる。

さて、家に帰り、友人が手土産に買ってきてくれた″ルヴァン″のパンをいただいた。″酵母″を店の名前にするくらいだから、そこがキーなのだろう、野性っぽい天然酵母の酸味が特徴で、ワインやチーズの欲しくなる味だ。虫がわかないように加工されて船で長旅をしてきた海外の小麦粉ではなく国産を使っているというのがウリでもあるらしい。わたしはそんなにヤワじゃないけど、やっぱり添加物は少ないに越したことがない。小麦粉アレルギーだと思っていたら、実は残留殺虫剤アレルギーだったなんてこともあるらしい。そしてこのお店、何が素晴らしいって、客に自分の店名の入ったバッグを持たせて宣伝効果を狙うより、ゴミがでないようにと適当なバッグをリサイクルして使用してることだ。宣伝ばかりが先走りしてクオリティが追い着いてないものばかりのこの世の中にあって、こういう崇高な精神は尊敬する。


2015年03月20日(金) Big mouth

″批判″が物事ではなく、人に向けられる時は注意しなくてはいけない。大きな声は耳に響き、ぼんやりしていれば内面に摩りこまれていく。主観で話すのはけっこうだ。人それぞれ好きなものも嫌いなものも違うし、悪口も言わず、人の批判もせず、人や物事の良い面ばかりに目を向けて生きていく、なんてどこかの自己啓発本に書かれているような態度を貫くのも人間らしさに反しているようで気味が悪い。人に対する批判や悪口は自分の気持ちが悪くなるというリスクを背負うことになるから、決して自分の得になるものではないが、それでも言いたければ言えばいい。そしてそれが当人相手ならなおいい。

人々はどうして意図も簡単に大きな声に惑わされるのだろうか。これが弱肉強食の世界なのだろうけど、わたしは″大きな声″の主に疑念を抱いている。″火のないところに煙は立たない″と言えど、小さな残り火から大きな火を起こすのを生き甲斐にしてる人だっているのだ。マーガレット・サッチャーさんの名言がある。

″The poor will not become rich, even if the rich are made poor"

大声で人をこき下ろして自分が優位にたったような気になっている人は、それで自分の立ち位置が上がったわけではないということと、わたしのように疑念の目を向けている人がいることにも注意したほうがいいと思うな。

4月からの会社の組織変更というタイミングで上司に持ち掛けた交渉は一見成功の兆しだ。この日のために、自分の能力の証明になるような数字やデータを集めて用意していたのだが、そんなものをお見せする前に、あっさり要求を呑んだようで拍子抜けした。まぁ、始動してみないとこれが成功かどうかは解らないけど。

よく働いた一週間だった。大きな達成感の溜息が漏れた。


2015年03月15日(日) How well you understand

TOEICを受験。昨夜の模擬試験ではかなりいい線いってたのに、本番は最悪。寒くて足がかじかんで、そのうちトイレにも行きたくなってきて集中できなかった。試験ってたまたま体調不良だったとかそういうことで失敗したりする。あらゆる言い訳はあれど、学校の受験なんかだとそれ一回こっきりで将来が左右されてしまうのだから恐ろしい。しかし、どんなマイナス要素があれ、どうやっても正解に導かれるという状態であってはじめて実力があると見なされるのだろう。体調が優れなくても通い慣れた会社への道を間違えたりはしないのと同じことだ。マイナス要素に左右されて答えを導き出せないわたしは単に実力不足なのだ。しかし、″TOEIC満点″なんて完全にオタクワールドだと敬遠していたというのに、気付いたら密かに狙ってたりする。子供の頃スーパーマリオを全面クリアするまで目を充血させてプレイし続けたのを思い出す。達成することこそが目的でその先には何もなかった(おかげでクラスの誰よりも名人となったが、これといって尊敬されることはなかった(悲))。

″学歴なんて関係ない!東大出てから言ってみたい″

というCMがあった。あれと同じ、単に

″TOEICのスコアなんて関係ない!満点取ってから言ってみたい″

それだけなんだよね。

ぐったり気落ちして家に戻るとネットで買った″恋する惑星″のDVDが届いた。何度見ても恋するっていいよねって思わせてくれる映画だ。最近はこういう名作のDVDがシリーズで安く出まわっているらしい。一本3000円とかじゃ、このご時世なかなか売れないのだろう。ところが、何が感動したって、この1500円シリーズのDVDのジャケット。表にデカデカと1500円!と宣伝されているのだが、″このジャケットはリバーシブルです。裏返すと通常のジャケットがあります″と書かれている。裏返してみると、本当だ、1500円っていう宣伝のないシックなジャケットになった。洋書なんかの背表紙に賛辞が載っていたりするのがあまり良い気がしないとかねがね思っていた。こういうお気遣いは有難い。なかなか共生できない″コマーシャル″と″美観″を表裏一体として実現させるなんて粋だね。


2015年03月08日(日) NHKのみんなのきょうの料理

最近見つけたNHKエデュケーショナルみんなのきょうの料理というサイト。個人的にはCook.padよりも好き。ここにあるのは料理に携わるプロ達のレシピなのだ。アレンジされているのか、材料もどこでも手に入るようなものだし、難しい手順もない、家庭で簡単に出来るようなものばかり。しかし!ここはやっぱりプロ。レシピにはさすが!と思わせるひと工夫があるんだな。わたしがマドレーヌの決定版としてるこのレシピなんかは、材料は至って普通なのだが、バターを泡が落ち着くまでぐつぐつと加熱して。。。なんていうところがあって、あっ、これって澄ましバター?と思いながら作っていたのだが。濾したりする面倒な手順はないけど、自然と泡と不純物は鍋にひっついて入ってこないから、半澄ましバターなんだろうな。それで、仕上がりの味のほうはもう絶品。ハチミツ効果で淵はちょっとばかりカリっとしていて、中はしっとり、プロの味だもの。このプロの使ってるマドレーヌ型(リンク先の写真)はフランスのアンティークかな、わたしのより数倍素敵。

他にもあれこれと色んな料理を作ってみたけど、どれもさすがの味だ。


2015年03月07日(土) DER BLAUE ENGEL

野菜の屑(玉ねぎの皮、にんにくの皮、セロリの葉っぱ、ブロッコリーの芯など、日々の料理から出る屑)を冷凍庫に貯めておいて、両手いっぱいくらいになったら酒を少々と出汁昆布一切れと一緒に煮てスープストックを作る。好きな野菜と玉ねぎととろみ付けにお米を少々炒めてスープストックと煮て、ブレンダ―にかける。余ったパンはカットして乾燥させておいてフライパンでカリカリに炒る。余りもの朝食のできあがり。今日はにんじんスープ。甘くて、ほかほかで満足。わたしの幸せ安くてよかったぁ。

1930年のドイツ映画″DER BLAUE ENGEL(邦題;嘆きの天使)″を観た。映画を観終わって、もう一度タイトルを見て、ドイツ語で「青い・・」を「嘆きの・・」とした訳者を称賛した。にくい! DVDの始めに淀川長治さんの解説が収録されていて、淀川さんが、マレーネ・ディートリッヒ演じるローラが″すごい悪い女″だと言ったのが面白かった。いかにも悪い女ローラが教授を誘惑してさんざんいじめる話だと。舞台で美脚をこれよがしに見せつけて美声で唄い、真面目ひとすじの教授を虜にして破滅へ導いたものの、その過程ではローラが無職になって落ちぶれた彼を何年も養ったりもしていたし、それをなじることもしなかったのだ。そう悪い女ではないと思うのだが、男性にとってみれば、無邪気に妖艶であることはすでに女の悪なのか(それは淀川さんが同性愛者だということと関係してるのか)。楽しく観られたのは教授とローラの結婚式で教授が鶏の鳴きまねをしたところまでで、その後はもう辛くて仕方がなかった。映画としてはデキが良いと思うけど、どうしてこんなに過酷で意地悪な展開なのか。静かで心優しく教養と地位のある男も、女ひとつで意図も簡単に破滅してしまうのよ、という男にとっては悪夢のようなお話だった。あっ、それで男目線だとローラが悪女ってことになるの!?


2015年03月06日(金) 魔法がとけたら

″こんまり先生″が日本だけでなく世界進出しているらしい。日本やアメリカのような過剰な消費癖のある国は、物の価値を適正に判断できず、″捨てられない″とか″片付けられない″人というのが沢山いるらしい。幸か不幸か、わたしは人生で一度も友達が沢山欲しいなどと思ったことはないし、バーゲンだからという理由で着もしない服を買うこともなく、とりつかれたように何かを蒐集したこともない(そういう失敗を経験してもいいとは思うが)。″捨てられない″というのは捨てなければいけない(または捨てたほうがいい)物があって、″片付けられない″というのは整理整頓が難しいほど物が溢れているという状態なのだろうから、居住スペースの大きさを考慮して必要な物の範囲をしっかり線引きして取捨選択して暮らすことを当然としてきたわたしには響く話ではない。それどころか、非常に懐疑的なところがある。″画期的な片付け術″の中には思い出の品を捨てろというようなことがよく書かれているけれど、こういうものは個人個人でしっかり吟味したほうがいい。思い出にしがみついて人生を送るべきではないが、時には思い出が前進するための心の糧になるということだってあるのではないか。自分に家族ができた時や年老いた時に同じことが言えるだろうか。少女趣味の愛らしい言葉で″ときめき″やら″お片づけ″に徹して、他人からのプレゼントや思い出の品は捨てればいいと言いきれてしまう″こんまり先生″は、若過ぎて経験が浅いにしても、あまりにも人のあたたかさや人生の苦悩を知らないのではないかと思わずにいられない。

まぁしかし、整理整頓は別問題として″所持品の多い頭脳明晰な人″には人生の中で一度も会ったことがない。


2015年03月03日(火) Hi-Res Candle Symphony

通りがかりに″無料なのでぜひ″と声をかけられて足を運んだSonyビル8階で開催されている″ハイレゾキャンドルシンフォニー″のショウ。心地良いクッションチェアーに腰かけて、暗闇に浮かび上がるキャンドルの暖かな光のような演出に包まれながらハイレゾ音源から流れる曲を15分程度聴くだけなのだが、なんとも眠っていた感情を呼び覚ますようなひとときだった。このところ仕事と勉強一筋で、夜の本当の暗闇や美しい音色に赴くままに感情を預けるような時間を持たなかった。美しい暗闇を想う時、それはいつもオーストラリアの月や星を映すためにあるのではないかというくらいの漆黒の夜空だ。

″空の美しさにかなうアートなんてあるのだろうか″

とはオノ・ヨーコさんの言葉で、わたしもそんなものは見たことがない。しかし、慣れきった環境の中で空気が淀んできた時、暗闇でキャンドルを灯してじっと好きな音楽を聴いてみたりして、こんなふうに空気を換えてみるのもいい。これは暮らしをより良くするひとつのアイディアとなった。

久々にカミーユ君とチャットした。″家を買った!″そうだ。南仏に。もっとも海外赴任続きでほとんど帰れていないらしいけど。いつものごとく他愛ない話をしただけだけど、彼と喋った日は心があたたかいんだな。


Michelina |MAIL