My life as a cat
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2014年10月29日(水) クロとおじいさんの散歩

毎朝のことで見慣れた黒柴のクロとおじいさんの朝の散歩風景が今日そこにあることが特別に感じられるのは、昨日クロが電車に轢かれそうになったせいだろう。ふたりは毎朝線路脇の休憩スペースにあるベンチに腰掛けて通勤する人々を見ていた。ところが昨日はおじいさんの姿がなく、クロがひとりで線路をうろついていて、そのうち遮断機が降りた。電車が迫って来た時、こともあろうにクロはレールの上にいた。大声をあげて懸命に追い払おうとするも、きょとんとこちらを見ていてそこから動かない。耳が悪いのだろうか。電車がぐんぐんと迫ってきて、数秒後に起こり得る悲惨な光景が脳裏を過った時、クロがのろりのろりとやっとレールから降りた。電車は30mくらいまで近寄っていたと思う。あまりにもの恐怖と大きな声をあげたせいで脱力してショックを受けたままなんとか会社に辿り着いたのだが、同僚に話していたらどっと体の力が崩れ落ちて涙がぽろぽろと出てきてしまった。

同僚でおじいさんがひとりで歩いているのを見たという人がいたので、無事なことはわかったが、ふたりがちゃんと一緒に家に帰れたのかと気になっていた。だから今日の朝、ふたりが仲睦まじく喋りながら朝の散歩をしている姿を見たら、思わず心がはしゃいでしまい、昨日クロが線路に入ったことなどを夢中で喋ってしまった。おじいさんはひとこと小さな掠れた声で、

「お世話さまでした」

とだけ言って、去って行った。クロとのほうがよほど会話がはずむようだった。


2014年10月28日(火) コピ・ルアク

美味しい豆だけを啄むジャコウネコに選別をお任せして、その糞として未消化で出てきたコーヒー豆を焙煎した″コピ・ルアク″が職場でちょっとした話題になり、東南アジアから調達してきてもらったので飲んでみた。現地調達だと日本の半額程度で買えるのだが、それでも1杯400円くらい。そのお味は・・・うまく表現できないけど、すごくコーヒー。ギュッと凝縮されたような濃さで一口飲んだら″コーヒーの匂いがする″と言われたくらい。美味しいか?と聞かれたら、確かに美味しいと思う。まぁ、話のネタに1度飲んで満足。

美味しい話ついでに、テレビにパリ在住の辻仁成さんが出演していて、息子さんにと素晴らしい手さばきで料理をしていた。適当に作る男の料理といった感じなのだけど、とても美味しそう。そのうちの一つに息子さんが好きだという″焼きニョッキ″なるものがあって、市販のニョッキをバターでざくざくと炒めて、少し水で溶いた味噌(擂りごまなども入ってる自家製万能味噌のようなもの)を絡めていた。ジャガイモと味噌だもの、そしてバター、このコンビネーションは絶対美味しいでしょう。今度やってみようとメモメモ。そういえば、森茉莉が味噌汁にバターを一片浮かべると書いていたので、真似してみたら定番になってしまった。色んなキノコをたっぷりいれた味噌汁にバターを浮かべると、魔法がかかったようにたちまち平たい皿でスプーンで掬って飲みたくなるような洋風スープに化けてしまうのだ。蕪なんかを入れると和風ボルシチみたいな風格で、面白い。

しかし辻仁成さんのような料理のうまい男性は素敵〜。貪欲でなくとも、食べることを疎かにしていないということが滲み出ていたもの。

さて、明日は何を食べようかと考えながら寝ることにしよう。


2014年10月25日(土) シンプルに生きる −ストレスからの解放

電車に乗れば読書をするわたしの目の端でくるくると忙しく回り続ける隣の人のスマートフォンの画面やゲームの画面、同僚から聞く噂話や陰口、そして仕事の納期のプッシュ。外界から受けるストレスに押しつぶされてしまいそうだった週の終わり、ドミニク・ローホーさんの「シンプルに生きる―ストレスからの解放」を再び開いてみる。ミニマリズムを提唱する著者の真意のみをギュっと凝縮した端的な言葉は複雑な世の中に疲れた精神にするりと心地良く響く。自分に利益をもたらさない世間の雑事に心を乱されることなく、心の平穏を守り続けられるようになるまでには、まだまだ訓練が必要だ。ストレスは伝染病だ。ストレスを与えられたからといって、愚痴などをこぼそうものなら、それを聞いてくれる優しい友人に同じようにストレスを移してしまう。ストレスを遮断できる強靭な肉体と精神を養いたい。

とても励まされた。覚書としてここに書き写しておこう。


― 自己の悩み、これは恒久的に繰り返し問われている問題です。自分について悩むことは、例えば自然災害、この世の冷酷さや過ち、といったある種の外界の現象について思いを巡らすことが無意味であること、それよりも自分が直接関わりのある即時的な物事に目を向けるべきであることを私たちに気付かせてくれます。

― 心配する、見放されたと感じる、孤独感、落ち込み、恨み、否定的になる、怒りで頭が一杯だ。そういうときは面白い本を読む、いつもと違った服装をする、花を飾る、音楽をかける、香を焚く、またはアロマキャンドルをつけるなどして自分の周りをできる限り楽しくするように心がけてみましょう。ヨガのポーズをしてみる、軽い体操をする、日記を付ける、風呂に入る、またはウォーキングに出かけてみるのも良いでしょう。肝心なことは新しいエネルギーが代替するまで「マイナス思考の流れを止める」ことなのです。


― 眠りに着く前に自分の一日の中で起こった楽しかった出来事を再び思い起こしてください。散歩、美味しい食事、友人との出会い.....。これこそがあなたの宝となるものなのです。急いでこれを手帳のページに記します。そして後になってこのメモは人生が自分にプレゼントしてくれた幸福の総決算となるのです。


― 自分にとって何の支えともならないような交友関係は整理してしまいましょう。恋愛においては相手の性の奴隷とならないように。知性のない人とは一線を引きましょう。そもそも批判したくなるような人とか最初から付き合うのをやめたほうが賢明です。人の気持ちを理解することができない人は、私たちの向上心を阻害します。段階的に、ただし確実にそういう人たちが自分の生活に占める割合を減らしていくようにしましょう。そして自分が苦手とする人のことを考えるために、たとえ1分でも時間を無駄にしないようにするのです。居心地の悪いシチュエーションに無理に適応しようとするのはやめましょう。常に周りが要求することに気を配り、仮面を被ってさまざまな役を演じるような巷のルールは放っておきましょう。


― 自分の悩みについての話題も、大量の「無償」のアドバイスもよくありません。人に必要以上に援助をすると、受ける側は絶対に何も学習しません。彼らにプレゼントできる唯一価値のあるものは、自分自身をコントロールする態度と凛とした規律。それは落ち着き、存在感、静かに聞く態度や思いやりというものです。あなたが信用できる人間であるといった安心感を与え、あなたの存在感や忍耐力を相手に気付かせることなのです。


― おしゃべりは度を超すと私たちのエネルギーを使い果たし、言葉が本来持つ重みを失わせます


― 批判ばかりする人は、自分に問題がある人です。感情的にどう思っても、人の悪口は言わない、とこころに誓いましょう。しばらくすると習慣として身に付いてくるでしょう。


― 貧しい人たちを救済するですって?むしろ私たちの社会のほうが貧しいのです。それは、幸せ、イコール、所有することと信じ、コマーシャルに影響され、競争が招く悪循環にはまり、よりシンプルに生きる自由さえも持てない貧しさです。貧しさとはお金の有無ではなく、人間的、精神的、知的資質が低下することを意味するのです。人を助けるには、まず自らがシンプルに生きること。


― 私たちの存在を構成している原子微粒子ひとつとってみても、長い人生の間に変化しないものはありません。変化していくことを快く受け入れる姿勢こそが自分がまだ若い証拠なのです。変化が止まるとき、それは私たちが死ぬときです。


― (ある旅人の手記)「その日私はサハラ砂漠でベドウィン遊牧民が小さなガラスのコップに甘いお茶を淹れてくれたのをよく覚えている。彼は水を入れた古いカンカラを、木切れ2、3本でつけた火にかけて湯を沸かし、仰々しく準備してくれた。コップはひとつしか持っていなかったので彼はまず私の茶を淹れ、私が飲み終えると自分の分を淹れたのである」

貧しさは、東西問わず多くの神秘主義者や思想家にとっては「徳」とされ、禅の教えによると「清貧」とは金銭の乏しさを意味するのではなく、謙虚さと現世的な欲望の放棄とされています。


― ドイツの哲学者でもある心理学者のエリック・フロムという人は次のように説明しています。花を見るのは存在の世界に生きることであり、それを摘むのは所有の世界に生きることであると。


― 空気中の水は嵐か近づくとプラスイオンを増します。そのため疲労と緊張を感じるのです。しかしひとたび嵐が起こると即座にそれは軽減します。流水(海辺、川の急流、滝など)の近くに在る大量のマイナスイオンは私たちに「気」を取り戻させてくれるので貴重です。


夕方小さなデートに出かけた。男女としてはもうどんなもんかね?(笑)という感じの相手ではあるけど、思いっきり笑ったら気持ちが良かった。声をあげて体じゅうで思いっきり笑ってみた。相手も自分のジョークがよくウケるので楽しそうだった。


2014年10月24日(金) Rome was not built in a day

冬の間に何度も失敗した天然酵母のパン。培養に時間がかかるから失敗と解っても潔く捨てることもできず、パンケーキなどにしてなんとか食べた。わたしの気持ちが乗り移ったようなあの酸っぱいパンケーキの味は切なかった。

失敗を重ねてようやく得たコツは、捏ね上げ温度さえちゃんと20〜25度にしておけば、あとはそう気を使わなくてもいいということ。寒い日はフライパンに生ぬるいお湯を入れて、そこにボールを浸して捏ねる。温度計を刺してチェック。出来れば30分くらいは温かいところに置いて、あとは冷蔵庫でも常温(30度以下)でも待ちさえすれば膨らむ。酵母液からストレートでパンを焼くのは上級と言われているけど、これさえ守れば失敗しない。

小さな事でも、失敗から導き出した成功の味はなんと有難く感じられることか。よぉくよぉく噛みしめて味わっている(でないと、呑み込めないという理由もある)。

(写真:黒ゴマとレッドチェダーチーズのライ麦入りカンパーニュ)


2014年10月11日(土) 藤城清治 90展























母の薦めで観に行った藤城清治さんの銀座での展覧会。90歳という年にちなんで90作品を展示していた。那須高原の藤城清治美術館とは違い、こちらでは″影絵は写真に収めるのに向いているし、それぞれが好きなアングルで、好きに切り取ってTwitterなどに載せたりするのも面白い″というような作者の意図により撮影が許可されていた。この道一筋、90歳で現役。90年という長い月日の中で戦争が始まり、戦争が終わる。戦況の混乱の中で海軍に入隊し、それでも影絵劇や人形劇を創りつづけた。90歳になろうかという時に東北が大震災に見舞われると、津波にさらわれ瓦礫だけが残った町へ出向いて絵を描いた。そこには慈悲の念とか湿っぽい同情心のようなものは見られなくて、そこにまた芽を出す花や、波止場から1劼皺,稽されても生き残った船など、この世の逞しい生命の美しさにひたすら魅入っているようだった。彼の作品の中には小人、猫、魚や花。。。この世のあらゆる小さな生命が登場する。彼らは人間にそっと寄り添い、時には人間の手助けをする。人間界の世情に振り回されることなく、昼寝をし、ダンスをし、楽器を奏でる。彼らは作者の人生の象徴なのだろうか。″自分の世界″の中に築きあげた平穏の中で外界を見つめても惑わされることなく愉しみに耽って生きていた。作品のデスクリプションには″可愛い″″楽しい″″幸せ″といった作者の言葉が目立つ。こういう言葉はあまり″芸術家″と呼ばれる人々が口にしないものだと思っていたのだが、90年生きた人だからこそ素直に心が発する言葉はひたすらシンプルなのかもしれない。可愛くて、楽しくて、幸せに満たされた世界観に触れて、心がすっかりとろけてしまった。あたたかい秋の午後だった。


2014年10月10日(金) 人間だからできること

ただの年寄りの戯言のようだが、会話をしながら、目をスマートフォンに落として相手の発した言葉をいちいちGoogleしてるような若者が少なくない。美味しい食べ物の話とか、訪れた町の話とか、その人の目を通して語られる物はWikipediaや他の人の口コミの情報とは別物なのに。そんな風にしていると想像力が脆弱になる。あらゆることにやたら詳しくて、豆知識に事欠かないが、″じゃぁ、あなたはそれに対してどう思う?″という問いには答えられない若者が多い。感受性豊かであることが人間がロボットより優れた点なのだから、もっと長所を大切にしてもいいんじゃないかと思う。

先日、わたしの食卓にも度々登場する器を作っている陶芸作家の吉岡萬里さんが銀座のギャラリーで個展をしていたので訪れた。小さなギャラリーで、彼自身とお話することができた。大事にしていた茶碗を割ってしまったこと、彼に制作してもらいたいものなどを話した。

「色々リクエストをもらってメモして貼っておくんですけど、いざ制作しはじめると夢中でわーっ!とやっちゃって全部忘れちゃうんです」

彼の作風のように″夏休み″のような愉快な雰囲気の人だった。造った人の真剣な顔、仕上がった時の笑顔が想像できる器は格別だ。こういうコミュニケーションができるのが人間の醍醐味だ。


Michelina |MAIL