My life as a cat
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2007年03月27日(火) 夢じゃない

マーヴがわたしの暮らしからぱたりと消えてしまってもいつもと同じ青い空とマイルドな空気が広がっていて、一緒に産み落とされた兄弟猫のように何をするでもなくただ寄り添って過ごしたこの8ヶ月は夢だったのではないかと思えてくる。それでもわたしの左腕には彼のおさがりの腕時計が休むことなく動いていて、右手の薬指には彼がなけなしのお金で何とか買ってきてくれた指輪がある。

一度だけ何も知らず受付で教えられた病室に突進するように走っていって、タイミングよく開け放たれた室内にマーヴを見た。「マーヴ!!」と叫ぶとわたしを見て手招きした。すぐにガードが立ちはだかってドアを閉めて、わたしのIDを念入りにチェックした挙句に追い返された。この国は不足し過ぎの「知識」を優秀な外国人に大きく頼りつつも、彼らは問題が起これば断然弱い立場に置かれてポイと捨てられてしまう。悔しくてその場でぽろぽろと泣いていると、ナースが「彼の様態は良くなってきてるから大丈夫よ。」と肩に手を置いてティッシュを持ってきてくれた。

慣れ親しんだこの町でマーヴと過ごしてあたたかい気持ちになっていたのはわたしだけだったのだろうかと彼との心の温度差を思ってはまた悲しくなってしまう。


2007年03月19日(月) 過去に戻れたら

何が悪いのか、マーヴが拘置所から再び病院に戻されて一週間以上経った。「体調は回復してきてる」というお兄ちゃんの言葉だけが頼りなのに、それでは何故そんなに長く入院しているのか、病んでしまったのは体ではなくて精神なのではないだろうかと思いはじめては心細くなる。

ただただ苦しくて孤独な思いも峠を越えて、彼を救わなければという力がほんのり灯りはじめた。こんな理不尽なアクシデントで若くて健康な心身を蝕ばまれて人生を左右されてしまうべきではない。無力な正義感と解かっていても、今はこのわたしの中で一番強靭な感情に頼って自分を奮い立たせることしかできない。

夜に、「もう寝ようね」と目を瞑ってからよくマーヴがこんなことを聞いてきた。
「過去に戻れるとしたらいつに帰りたい?」
わたしは、戻らなくいい、今でいい、と決まって答えていたけれど、彼はいつも「僕はね、子供の頃、僕の犬が車に轢かれちゃう寸前に戻って、ちゃんとゲートを閉めたいな」とか「学校のテストやり直したいな」とか言った。一度も口にはださなかったけど、きっとその中に、数年前のその日に戻って一本違うストリートを選んで通っていたらというのも入っていたのでしょう。


2007年03月12日(月) 猛暑の震え

3月の記録的な猛暑の日、マーヴはわたしを残してどこかへ行ってしまおうとした。家に戻ると部屋の様子がおかしくて彼の部屋に置きっぱなしにしていたわたしの物が全部戻されていた。夕飯の準備をしながら、どうしたのだろう、部屋の生理整頓でもしていたのだろうかと軽く考えていたが、昨夜のことを思い出したら体中に震えが走り出した。お菓子を沢山買ってきて、夜寝る前に美味しそうなチョコレートの箱をわたしが眺めていたら、「あっ、それは食べ切れなかったから君のために冷蔵庫に入れておくよ。」と言った。わたしにくれなくても明日食べればいいのにと少しひっかかっていた。シャワーを浴びたら寝る前に10分だけ何か話そうね、とも言って、とりとめもなく、もし僕が死んでしまったら悲しい?などと聞かれたのだった。暑くて眠れないのだと水枕を作ってあげるとそれを大事そうに抱えていた。

マーヴは病院に運び込まれた後に拘置所に連れていかれた。わたしは彼の抱えた大きな問題など何も知らなかった。家族も親友のデイヴィスも知っていたのに、彼がわたしを失うことを恐れてみんな口を噤んでいた。学校をようやく終えて仕事を探し始めてそれもうまく行きそうだったから、そうしたらすぐに結婚しよう、子供も欲しいねと夜な夜な話していたから、もうすぐだ、もう少ししたら彼とずっと一緒にいられるのだと思っていた。しかし、今となればわたしが目を輝かせるたびに彼は心のどこかで本当にそんな未来をあげられるのだろうかと苦しんでいたのだろう。

確かな情報もなく、ただただ待つ時間は長くて苦しい。大好きだったこの空も今では彼を数年にも渡って苦しめた憎い国のものでしかない。


2007年03月01日(木) いい天気

雨宿りをしていると、目が合う人みんなが口を揃えて”Nice weather isn’t it?”と言う。ここではこの時期に降る雨は、夏の間にカラカラに干からびてしまった大地が栄養補給して花や草木がみるみる生き返らせるようで、活気に満ちていて愉快な気持ちになる。人間も然り。ホント、いい天気ですね。

弁護士を目指す知人の中国系インドネシアンの男の子は「ここは人種差別が酷いから仕事を得るのが難しい」と言う。周囲にいるアジア人達は「やっぱりそんなものなのね」と一様に納得している。ここに来てからこんな人々を沢山見てきた。そして嫌気が差している。「差別」と呼ばず「偏見」は少なからず誰にでもある。わたしだって中国人や黒人が寄って来るともしや!?いつもと同じことが起こるのではないだろうかと悪い想像をして後ずさりしてしまう。そして、それにはそれなりの理由や体験があるからだ。だからと言って「バスを降りろ」と彼らを突き飛ばすのは頭の悪い人間しかやらないことだ。しかしその先は偏見を持たれる側にかかっている。「あぁ、この人だけは違った。」と思われる人になればいいだけの話だ。能無しな人ほど自分がうまくいかない理由を人種差別に押し付けてほっとしている。外国人が仕事を得ることが難しいのはどこの国でも同じだ。みんな自国民の労働力を守ることが最優先なのだから。しかし不可能ではない。その外国人が言葉もできて、飛びぬけて優秀ならば、会社はその人を欲しがるだろう。それでもどうしても差別されたと感じるならば、そんなアホな人々はこちらが願い下げだと次に行けばいい。21世紀にもなって、「偏見」を持ちすぎているのは「差別されている」と嘆く側だといつも思う。


Michelina |MAIL