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要はそれが日々弱りつつある胃には荷が勝ちすぎていた、というだけの話で、昨日あれから激烈な胃痙攣に襲われ、何度も嘔吐を繰り返し、朝方まで悶え苦しんだ。 しかし私が夜通しもんどりうっていようとも父も母も壮絶ないびきをかいて眠り続けているのと同じように新人はやってくるわけで、つつがなくやってくるわけで、私が胃液まで吐き出して38度の熱を出したくらいではやつらの歩みを止めることはできない、世界は逆流したりしない。 だから焼けぼっくいに火がついたりすることもない。
■お風呂でまたしても時間を見失っていたせいか少し気分が悪い。防水プレイヤーは自分がここ数年で買ったものの中で一番利用価値のあるものだったと思う。願わくばもうちょっと音質がよければな。 ■・・・のぼせた、かな。貧血、かな。 ■昔一緒に暮らした人とお茶に行った。「この茶バロア(チャイで作ったババロア、らしい)美味しいよ」と彼が言うので、一口もらった。スプーン越しに、6年ぶりのキス。 ■・・・胃も痛い、な。まさか茶バロアが胃の中で熱く燃えているのではあるまいな?
「仕事って、枠だと思うんだよ」と昔憧れた人が言った。だからこそ、自分にふさわしい枠を選ぶ努力をしなくちゃダメだ、とも言った。今になってその言葉の正しさを痛感する。 私は自分の適応能力を過小評価しすぎていた。「本質に属する事柄じゃない」、というのはもう見飽きたよ、と言われそうな一節になりつつあるだろうけど、基本に立ち返ろう。 「実存は本質に先立つ」。 今、この瞬間の自分、それこそが問題なのであって、本質などというものはその時々の状況に、放り込まれた箱に、枠にあわせていくらでも変化する、あってないようなものに過ぎない。自称実存主義者がそんな基本的なことを忘れ去っていた、という事実が、「実存は本質に先立つ」という命題の正しさを如実に物語っている。
毎週毎週、女衒という名の営業担当が新人を引き連れてやってくる。今回の大量採用に関して会社はけっこうシビアで、一週間の詰め込み研修が終わる日曜日には彼ら彼女らが「使えるのか」「使えないのか」、判定を下さなければならない。私がペケです、と報告すれば彼ら彼女らの契約は打ち切られる。 けれどいったいどんな権利のもとに人にペケ印をつけることができるというのだろう? 読書はちっとも進んでいないのだけれど、巨匠の言葉に傍線を引いた。 「ただおれがやりたかったのは、自分の現実生活を樹木と鯨の代理人という役柄に限定することだったんだよ。そして他にはなにひとつ、人間の側に立ったことをしない。」(大江健三郎「洪水はわが魂に及び(上)」/新潮文庫 p.168) 人間の、側に、立ったことを、しない。 明日の夜には手渡した300枚のマニュアルとともに、その人の存在まで情け容赦なくシュレッダーにかけることを余儀なくされている。 人間の、側に、立ったことを、しない。 巨匠は甘ったるいのだろうか? 巨匠は絵空事、美しすぎる絵空事を描いているに過ぎないのだろうか?
■一連の嵐が過ぎ去って(ホントに?)から、奇妙に落ち着いている。慌てふためく周囲を尻目にひとり淡々としている感じ。あの人もう辞めたのかなとかあの教え方で分かってくれたかなとかいちいち気にしてたら身が持たない、そんなことより私は今までよりずっと人に見られることが増えたのでマニキュアが剥げていないかだとか吹き出物目だっていないかだとかマスカラが落ちてパンダになっていないかだとかのほうがずっと気になる。 ■よく行くカフェのパスタランチ、大好物のアンチョビのぺぺロンチーノだったのに、ニンニク臭い息をまきちらすわけにはいかないから諦めざるを得なかった。 ■今日も走った。軽い筋肉痛が気持ちよい。 ■まあいいか、で始まるのは静かな日常。絶対的な欠落を覆い隠す、まあいいか。「私には貴方が欠けている」、そう言ってみたい気持ちも、まあいいか、がかき消していく。
■去年は1本も、本当に見事に1本も映画を見なかった。日曜洋画劇場の類ですら、見なかった。ツタヤの会員証の更新時に「1本レンタル無料か、音楽、あるいは映画のハンドブックをお選びいただけます」と言われ、ふん、ツタヤごときに指南してもらうほど音楽に飢えちゃあいねえよ、とシネマハンドブックをもらったのだけれど、すげえ、見事に、見てない映画ばっかり。 ■タルコフスキーも、ブレッソンも、世を去った。それでも映画産業は、こんなにも、こんなにも、たくさんの作品を生み出し続けている。いつまでも、古いものにしがみついていてはいけないな、と思って普段自分が絶対選ばなさそうな映画を数本借りてみた、奥さまは魔女とか(笑)。 ■ついでに「マイノリティ・リポート」も借りてみたのだけれど明日の金曜ロードショーでやるんだってね、とほほ。悔しいから今日見た。感想? 特になし。 ■いつもと違うことを、してみたかっただけだから。
一日黙りこくってひたすら画面だけを見つめ、壊れたブリキのおもちゃのようにカチャカチャとキーボードを叩き続けるのはそれなりに楽しかったけど、それとはうってかわって一日中喋りっぱなし、ああしてこうして、それはこうだからこうなの、あ、それはね、とフロアを走り回るのも、悪くはない。 そりゃこっちが腋の下に汗をにじませながら喉カラカラにして喋ってるときに居眠りなんかされようものなら、聞いてるっ?? と声を荒げたり、するけれど、「ありがとうございました」と言われたら私だって人並にやっぱり嬉しいし、研修終了後のアンケートに「すごく分かりやすかった」と書いてあったら泣きたくなるくらい嬉しい。 そんな小さな嬉しいを殺す権利は誰にもない。たかがお飾りのくせにオレが此処を牛耳ってると思い込んでるようなヤツには初手からない。それでなくても人の給料の計算ひとつマトモにできないくせに、偉そうに裏取引なんかすんな、ボケ、と吠えるくらいの判断力は、戻って、きた。
ボーダーラインから少しはみ出せば どうでもいいことばかりで cool down すがる歌は、何年経っても一緒だ。
本当はもうすごくやめたい。ありとあらゆることをやめたい。だけど多分ひとつやめたらドミノ倒しのようにすべてやめてしまう。だから、やめない。やめたほうがいいかな。いやあ、どうだろ、わかんないね。 そんなの誰にもわかんないよ。 鬱陶しいんだよ。 多分今日そこらで書いた文章のなかで一番よく出来た文章は、太字で強調された「鬱陶しいんだよ」だと思う。
だから私は言ったのだ、分かりました、と。 分かりました、どれだけ不誠実になれるのか見届けましょう、分かりました、その場しのぎの嘘がいくつ積み重ねられるか数えましょう、分かりました、どこまでその綱渡りが続くのか見守りましょう、冷え切った、蔑んだ、眼差しで。 おそらく数ヵ月後、昨年の3月23日に書きつけたことと同じことを書き付けるだろう、「耐えてしまった私がすべて悪いのだ、今更思う、あれは耐えるべき事柄ではなかった・・・」、恋愛と労働はこんなにも似ている。 自ら進んでスケープゴートの役割を選択するのは憎むための正当な理由と権利が欲しいから。こうして憎しみを孕み憎しみを慈しみ憎しみを増殖させて私は宇宙の腫瘍となる。
午前6時、まだ暗い中、列車に飛び乗って2時間で最初の雪に出会う。 米原までは、どこもかしこも乱開発されつくした感があり、駅前には不自然な色に塗りたくられた大型のショッピングモール、その周囲には規格化されたマンションが立ち並び、少し離れると無機質な工場地帯があらわれる。そんな「人間の営み」をあざ笑うかのように降り積もる白い雪。 ・・・そうか、だから私はこんなにも雪が見たかったのだな。 JR余呉駅付近にて。
・・・聞くべきでなかったことを聞いてしまった月曜日(そう、それは何があっても口を噤んでおくべきだったのだよ、たとえ良心の呵責に耐え切れなかったとしてもね)から昨日相当に荒っぽいやり方で自分の感情を押さえつけてしまうまで、醜悪な自問自答が続いた。長年にわたって正しい捌け口を与えられなかった自意識のたちの悪さといったらなく、それは知らないうちにいびつに肥大し、ねじまがり、ひねくれて、手に負えないシロモノに成り果てていた。 プライドは必要である。けれども周囲を蔑むことでしか満たされないようなものであるなら、それはまったく不要である。白い箱の中にいるとき、私は偏見に満ちている。 出るべきだ、と、思う。
お前たちは結局、できないできないと自分を低くみせておきながらその裏で結託し、着実に準備をすすめて私の足元をすくおうとしているだけじゃないか。所詮サル山の大将に過ぎないというのに。 ああくだらない。 ああどうでもいい。 同じ職場に2年も3年もいて、後続に何も教えないでいられるわけがないだろう。もったいぶる必要なんかどこにもありゃしない、バイト先でレジ打ちを教える、のといったいどこが違うというのか。 たかが100円200円の話で目の色変えてる自分もケツの穴がちっさいわ。 ああくだらない。 ああどうでもいい。 誰かが稚拙な言葉で言った、あの人は生活かかってないから、と。当たり前じゃないか、あんなものに生活かけるほど落魄れてはいないし、ダウンシフトという言葉の意味から説明しなくちゃならないような言語レベルの人間と同等に扱われたのでは立つ瀬がないわ。 と多少荒っぽいことを書き付けて、手に足に絡みつく桎梏をなぎ払う。
10年前に一番好きだった人はもうすぐ一番憎んだ女と結婚する。 10年前私は図書館に生息するかたつむりだった、今は図書館の匂いを忘れて久しい。 10年前すぐ隣にいたはずの友達は皆散り散りになった、皆自分の生活を保つことに忙しい。 10年前一番泣いた映画は多分「シラノ・ド・ベルジュラック」だったと思うが今はシラノの純情に冷笑を浴びせかけるだろう。 10年前から誕生日なんか楽しみだった覚えがない。 10年前から夜空なんか見上げない、天文学者に憧れていたのは小学生のころだ。 10年前にしていた恋はその頃既に偶像崇拝だった。 10年前になりたかった自分は本当なら5年前に命を絶っていたはずで、なりたかった自分になっていたなら今私は此処にはいない。 10年前から自分の居場所なんて何処にもないと思い続けていたしその思いは今も変わらない。 10年前に正義感や情熱を知っていたらこんな10年は過ごしていなかった。 私はこの10年間、ただ疎かに生きた。何もかもが手遅れに思えて、もう一つお茶碗を割った。
どうにも落ち着かないのでレイアウトを変えてみた。 「白い箱から脱出」の意味も込めて。
だってそれは本質に属する事柄じゃないのでしょう? という論法は既に破綻している。ぐずぐずしている間にどうやらタマシイまで乗っ取られてしまったようだ。
結局うやむやなまんま、けれど何故か同じ駅で降り、その人は自転車に乗って南へ、私は歩いて西へ向かった。 東京に転勤になった、というのは聞いたし、大阪にまた戻ってきた、というのも聞いた、からもしかしたら本当にその人だったかもしれない。私がなんとなく覚えている面立ちからすると幾分痩せてすっきりしていた。その人の記憶の中の私は幾分どころかかなりぽっちゃりしていることだろう、そしてこんなに疲れていない。 どのくらい前のことだったのか思いだすのも困難で、今紙に書いて計算してみたらそれは5年も前のことだった。 5年もの間、飽きもせず、肉を、骨を、削り続けている。
ありがた迷惑。 という一言は喉元に留めておかなければならない言葉だったようで、また無駄に食器が何枚か割れた。もやしは袋から出されることなく捨てられ、すき焼きの残骸はまるで汚物のように捨てられ、油まみれの焼き鳥であったはずのものはティッシュペーパーに包まれて捨てられ、ふやけてのびきったうどんもまた汁ごと捨てられ、焼き魚はそれが何の魚であったのかを確認されることすらなく捨てられた。 圧倒的な、無駄だ。 呼吸がすべてため息に変わるくらいなら生きていることそれじたいも、無駄だ。
研修で実際に使うのは、せいぜい50枚程度なのに。 近頃食欲がなくて、近頃ため息が止まらなくて、近頃ぼーっとしていて、近頃気づいたらあらぬ方を眺めてあらぬことを空想しているのは、圧倒的な要領の悪さと、そうしてその要領の悪さに抗うことがまったくできない自分、の間で板ばさみになって途方に暮れているからだ。無駄が8割を占めるような悪しきシステムなんか私が着任したからにはぶっ壊してやると思っていたけれど、無力だ。ひたすら、無力だ。 付き合いきれない、と思いはじめている。
はああ??? 寝ぼけるのもたいがいにしやがれ。 「ひとつひとつは出来事か出来事でないかであり、残るすべては不問のままに留まる。」(ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」/ちくま学芸文庫) 分からないものは分からないのだから、「?」を何十個も貼り付けて、とりあえず見えないところへ押しやって隠してしまうのがいい。この世界には考えてはいけないことが確かに存在する。 「存立している事態の総体はまた、いかなる事態が存立していないかをも規定する。」(同) 存立していない事態の総体が、今、此処に存立している事態を規定する。・・・でもなく・・・でもなく・・・でもない、という否定辞を積み重ねて炙り出されるのはなんら確定的でないあやふやな明日。
そんな共鳴は、あった試しがなかったことを、どれだけ自分に言い聞かせても虚しい。私が探しているものは、私が信じたいと思うものは、ただひとつ、ただ、その、魂の同じ、というファンタジーだけなのだから。
ドクターはいったい今日一日でいくつのため息を聞いたのだろうか。何粒の涙を掬ったのだろうか。どれだけの愚痴をやり過ごし、どれだけの与太話を受け流し、どれだけの切実な―しかしどこまで行っても他人事でしかない、それでもそれが患者にとって切実である以上、神妙な面持ちを崩すことはできない―話に頷いたのだろうか。 赦しを乞うために列をなして並ぶ人の群れ。 あなたはそれでいいのです、あなたは悪くないのです、周りの人は理解がありませんね、だけれども自ら命を絶ってはいけません、それだけはいけません(私の信用問題につながります)、とにかく生きなければなりません、ですからこの薬を飲んで、気持ちを落ち着けて、たくさん眠って(眠っていれば時計の針は進むのですから、それだけあなたの残り時間は少なくなるのですから)、あんまり深く考えないことですよ・・・ 根本的な解決には至らないことを知りつつ、それでも並び続ける人の群れ。 滑稽な、光景。
・・・ ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・????? 要するに何にもなかった、というだけのことなのだけれど。 仕事の愚痴なら原稿用紙100枚分くらいあるけど、それを省いてみたら何も書くことがない、という絶望的な状況。さてこの48時間のうちに何を感じ取っただろうか、何を学び取っただろうか? ・・・ ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
それは多分、また約束を破った私に届けられた言葉が労わりに満ちていたから。 私たちは一緒に眠ったことなどなかった。体温と体温が交じり合った生温い空気は私の脆弱な眠気を殺し、彼が眠っている間、私はずっと起きていて、薄暗い部屋でパソコンのキーボードを叩いていた。 私が今から飲み下す雪のように白い錠剤があの頃手元にあったなら、私たちははぐれずに済んだかもしれなかった。いつだったか、雪の降った夜、キミはもう何日も眠っていないじゃないか、と言って彼は自分の部屋へ帰っていった。 皮肉な話。
携帯電話なんて大嫌いなのに、こんなもののために一体どれだけのものを忘れてきたか。 私は ジェノテクストとフェノテクストの違いを忘れキリスト仮現説を忘れ眠りを忘れ食欲を忘れ性欲を忘れ涙を忘れ潤った肌を忘れしなやかな筋肉を忘れ愛しかったはずの面影を忘れた。 こんなもののために私は、ありとあらゆるものを忘れた。私自身がそうであったはずのもの、そうであるべきだったはずのものすべてを忘れた。忘れすぎた。 何から思い出せばいいのか、それさえも忘れた。 今何を覚えているのか、それさえも忘れた。
こわばった表情筋、こわばった不随意筋、こわばった時間、こわばった思考、こわばった血の流れ、それらすべてのこわばりへの、懲罰としての笑い。 その笑いは多分昨夜のドラマを笑っているのであり多分他の誰かの言い間違いだとか挙動不審を笑っている、私の存在は彼女らにとって既に比較の対象外にあるのだから、その笑いの直接の対象ではありえないことくらい分かっているけれど、それでも耳に届く不快な笑い声は私というこわばった存在への無言の批判のようにも聞こえる。 緩んだ笑いが肩に重い。あなたが、あなたが、あなたが、私と同じ速度で仕事をするならこの重さは3分の1に軽減されるだろうに、と溢したため息は輪郭のない笑いにかき消されていく。 だから私は笑わない、笑えない。
新しいアイシャドーを買った。新しいバッグを買った。新しいカーディガンを買い、新しいリブ編みのセーターを買った。新しい本を読み、新しい音楽を聴いた。 けれども新しい何かを金銭と引き換えに得る、という構図は常に同じだ。本当に新しいものなど何も得ていない。何を得ても私は私のまま、少しくらい瞼の色が変わったところで、少しくらい小洒落たバッグを手にしたところで、何も変わらない。 ひどく硬直している。
涙に値するような事柄ではない、と思っているからか。そんなことは所詮、本質に属する事柄ではないし、そんな評価をもらったところで嬉しくも誇らしくもない、と思っているからか。鎖骨を砕いていくほどの重圧を課せられているというのに。 あまりに鈍感、なのは多分私なのだ、と彼女の涙を前に思い知る。 正当な評価を得るためにもがくこと、私にはこれだけの価値があります、と宣言すること、その宣言を証明するために結果を出してみせること、出した結果を認めさせること、嗚呼おこがましい、すべておぞましいほどにおこがましい、真の、絶対的なものは、もがきもしないし、宣言もしない。 ・・・という考えこそが吐き気がするほどおこがましい、多分。私は今日、彼女の涙が羨ましかった。感情の自然な発露、をどこに忘れてきたのだろうか。
何処をどう繕ってもきつい印象を与えてしまう外見とは裏腹に、なんだかどうもあの白い箱の中で私はハト派であるのかもしれないぞ、ということに気づきはじめたのはようやく最近のことで、一見おとなしそうで一見人当たりのいい彼女たちの腹の底で渦巻く僻み、妬み、嫉みにひたすら圧倒される、3年目。 スタートラインが違うのよ、立ってる土俵が違うのよ、オツムの出来が違うのよ、とあったのかなかったのかよく分からないプライドらしきもの、を奮い立たせようとする、3年目。 ・・・そんなものが本当に前面に押し出されてきたらあんなところには到底いられない、ことくらい、とっくに分かっている、3年目。
言葉のもつパフォーマティヴな側面を操作するほどの力は持ち合わせておらず、書くこと、そして読まれることが「現実」にどういった影響を及ぼすのかを考えることに疲れ果て、結局視線を切ることを選んだ。 たった一つの視線を。 もう私の現実からはとっくに零れ落ちていったはずの視線に、いまだウェブ上で遭遇する、ということの薄気味悪さをとにかく切り落としたかった。そんなものにがんじがらめにされて書きたいことも書けなくなってしまうなら、私はまだそれだけの器だ、ということ、だったらそれらしく、とっとと尻尾を巻いて逃げ出せばいい、と思った。 鼻息荒く、逃げ出して、1からやり直し。 |