おうち鑑賞

2010年03月27日(土) 『或る夜の出来事』 再見する


『或る夜の出来事』 を再見する。


ああ、見る度にメロメロになる。

何てキュートな映画なの。

ピーターがエリーを肩に担いで川を渡るシーンの美しさに胸が締め付けられる。

涙がこぼれる。

言葉に言い尽くせないくらい大好きな映画だ。






ビデオテープをハードディスクに録画して

チェンジしたテレビで初めて見る。

暗く感じていた箇所をクリアに見ることができた。

NHK-BSで録画したのは、テープの状態が物語っている通り

見当もつかなくなっているくらい前の事だ。

やっとDVDレコーダーのハードディスクに落とすことが出来た。

NHK-BSで放映された翻訳の方が良いと思うゆえの作業。

解ってしまえば単純なことなれど

ビデオデッキからDVDレコーダーへの録画方法を懇切丁寧に

説明してくれていた既出の回答記事に感謝なのだ。












「書」を読む。

再読なのだが、やはり無駄文が多いと感じる。

その無駄文の中に情報があるので割り切って読むべしだ。









2010年03月25日(木) 『アパートの鍵貸します』 『叫びとささやき』


『アパートの鍵貸します』 1960年 ビリー・ワイルダー監督


NHK-BSで録画してあったのを見る。

久々に再見する。

何年ぶりかなあ。たぶん3回くらいは見てると思う。

久々に見たら、ジャック・レモン演じる男に、

悲哀を通り越して後味よろしくない虚しさが残る。

御幣のある言い方かもしれないけど、これじゃあマゾ男だよ。

もうちょっと、ガス抜き場面が欲しいと思った。

面白いに違いはないし、素晴しい作品なのだと思う。

個人的な好みとして、もうちょっとロマンチックを感じたいのだ。








『叫びとささやき』 1972年 スウェーデン イングマール・ベルイマン監督


NHK-BSで録画したのを見る。

映画という形態をとっているがアートのようだ。

バリュテュスの絵画を思い出す。

自分の今の気持からすると、これぞ「映画」という映画が見たい気分なので

イマイチ乗り切れなかった。

ただ、絵画のような色彩、構図など魅力的だと思う。

佳作であるには違いないと思う。

例えが失礼かもしれないけど、珍味?を好む波長の時に

再見すると、また違った見方が出来るかもしれないと思う。









2010年03月24日(水) 『戒厳令』


『戒厳令』 1973年 仏=伊 コスタ・ガヴラス監督


NHK-BSで録画してあったものを見る。

シビアなテーマ。

淡々とシーンが重ねられていく。

大向こうを狙ったタイプの映画ではなく

ドキュメンタリータッチで物語は進行していくのだけど

全く飽きることなくラストまで引き付けられて見る。

エンターテイメント的な要素は見当たらないのに不思議だった。

チェ・ゲバラを賛辞(?)する唄が流れるスピーカーを

機動隊(?)がもぐら叩きのように壊していくシーンは笑えた。

思うに、しっかり構成された物語や物語を運ぶリズムなどが

素晴しいからではないか?と推測する。

自分達が世界の正義?と思っている?アメリカの

裏の顔を暴いたフランスとイタリアの気骨は素敵だと思う。

ただ非難するという意味ではなく、表現する上でアメリカに対して

こういう視点がもっとあってもよいのではないか、と思った。









2010年03月23日(火) 『静かなる決闘』再見する


3月23日は黒澤明監督生誕100年だということに

黒澤明監督生誕100年デコ仕様の

Googleホームページを開いて気がついた。





せっかくなので黒澤明監督作品を見ることに。

『静かなる決闘』1949年

久々に再見する。

チェンジしたテレビとレコーダーで見るのは初めてだ。

暗部が以前見た時よりはっきり確認できた。

作品とは関係ないところで、睡魔に襲われたりなんだかんだで

乗り切れなかったり、まだら見になってしまった。

だけど、ああやっぱり何度見返しても

三船敏郎の様式美と言っても過言ではないだろう

所作の形の美しさに、骨抜きになってしまう。

原作が舞台劇(確か)というのも関係しているのだろうか。

魅力的とか上手いなんていう表現は軽すぎる。

黒澤明監督あっての三船敏郎であり

三船敏郎あっての黒澤明監督だ。

見る度に、唯一無二の組み合わせを目の当たりにする思いになる。



そして千石規子の魅力ったら。

エキセントリックでありつつリアリティを感じる演技。

時代の違いを全く感じないどころか、

今の時代のドラマや映画に置き換えたとしても、

もっとも刺激的で魅力のある役者さんであるに違いない。



冒頭から幾場面か続く、まるで絵画のような光と影のコントラストの芸術。

黒澤明監督作品において、白黒の濃淡のグラデーションが一番好きかもしれない。

また再見したい。









2010年03月19日(金) 『ミニヴァー夫人』 思索ノート


『ミニヴァー夫人』 1942年 ウィリアム・ワイラー監督


NHK-BSで録画したものを見る。

作品自体面白かったんだけど、なんて言えばいいんだろう、

ミニヴァー夫人はじめ、夫や子供たちの

根っからの前向き姿勢というか、

心が凝り固まって陰険な態度になってしまっている人にも

面と向かって非難することなく

ポジティブさや明るさを波及させて、そういう人の心をも変えてしまう

そいう一家の人との関係の作り方に学ばせてもらった思いがした。

ミニヴァー夫人のような人がいたらきっと好きになるだろうなあ。



この作品が製作された時代も、物語の設定も戦争が背景にあって

決して明るさばかりではいられなかった状況だったと思うけど

前向きな姿勢を持つ、いかなる状況下においても

前向きな姿勢にあるようにバランスをとる、ということを教えられた思い。

ひとくちでポジティブとかプラス思考とか言うけれど

顔の筋肉を動かして笑顔を作ることも大事だと思うけど

結局、ポジティブやプラス思考、前向きな姿勢というものは

自分の強さに裏打ちされて形成されていくものなのだ、きっと。

自分の強さとは、自分で自分の責任をとる、自分を大事にすることなどで

作っていくことができるのではないか。

◆強さを身につける。



作品自体とは微妙に離れたところで刺激を受けた、

ちょっと不思議な感覚。

あ、そうそうキッズたちが可愛がっていた猫のナポレオンくん!かわいい!

日常でのちょっとした人間との関わりの場面で登場するだけだけど

本当に猫を好きで猫を知っている人が、作っているというのがわかるから

それだけでも高感度アップ。

うちの花太郎がナポレオンくんと似てるのもあって余計なのだ。





ウィリアム・ワイラー監督って『ローマの休日』の監督だったんだ。

『ベン・ハー』もそうなんだ。『おしゃれ泥棒』も。

(『おしゃれ泥棒』は確かイマイチだった記憶が)

記憶の端に監督名はあったけど監督名と作品名が一致した。

時間を置いて再見してみたいと思う。









2010年03月18日(木) 『刑事コロンボ 美食の報酬』


『刑事コロンボ 美食の報酬』1977年 ジョナサン・デミ監督


NHK-BSで録画してあったのを(やっと)見る。

刑事コロンボ版美味しんぼみたいな感じ。

着物もどきを羽織った料理評論家と彼を取り巻く人達が

日本料理を堪能する場面を苦笑混じりで見る。

それほど日本が曲解されて表現されていたわけではないが

(むしろ正確?)

芸者さんのつま弾く三味線がムチャ下手くそで印象に残った。

(前衛芸術?)

内容的には可もなく不可もなくというか

心に何かが引っかかってくる感じではなかった。

それだけに何か後味がよろしくない。

後から検索して、このジョナサン・デミ監督は

『羊たちの沈黙』などを監督した人だということを知った。

『刑事コロンボ 美食の報酬』は初期の作品みたいだ。





同じ初期の作品でも、スティーブン・スピルバーグ監督の

コロンボ作品にはぐっときた覚えがある。

ふと目にしたテレビで放映されていた

『激突』に見入ったことを思い出す。

その時はタイトルさえも作品に関する情報は何も知らなかった。

制作費とか経験と外的な要因に関係なく

一番大切な表現の芯があるから、見ている人の心を揺さぶるのだろ。









2010年03月16日(火) 『大統領の陰謀』


『大統領の陰謀』1976年 アラン・J・パクラ監督



NHK-BSで録画したのを見る。

面白ー!

タイトルからして、なんとなく漠然と

大統領をめぐるハリウッド的、我々が世界の中心的、

悦に入った感動ストーリーを見せられるのかと思ってた。

ハリソン・フォードが出てきて戦っちゃうような

(ハリソン・フォードは好きだけど)どこかチャラいイメージ。





全然違った。

過剰演出なく、時系列を追う硬質な物語の進行に引き込まれる。

くどくど場面を重ねることなく、登場人物のキャラクターを想像させる

端的なシーンにぐっときてしまう。

印象的に配置された、盗聴をカモフラージュするための

大音量のクラッシック音楽とタイプライターの音が交錯するシーン。

背景音楽を多用していない中のコントラストにぐっとくる。

ほどよいエンターテイメント感だ。

そして、ロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマンのコンビの妙。

ロバート・レッドフォードみたいなの(?)ばっかりだったら

良くも悪くも大衆的な匂いが強くなったと思うし、

ダスティン・ホフマンみたいなの(?)ばっかりでも

マニアック(?)な匂いになったと思う。

この作品において、この二人はすごく融合してるなあと思う。

それにしてもダスティン・ホフマンって

役をすごく作り込んで演じているように見えるんだけど

全然押し付けがましくない。

リアルで魅力的。

また『クレイマー・クレイマー』見たくなってしまった。









2010年03月15日(月) 『ザ・エージェント』


『ザ・エージェント』1996年 キャメロン・クロウ監督


NHK-BSで録画したのを見る。

アカデミー受賞作品なのだそうだ。


肩肘張らずに気楽に見た感じ。(そういうの好きじゃない)

面白いと言えば面白いけど、面白いの次元が

ちょっと力を入れて作った2時間テレビドラマを見たのよく似た見後感。

それ以上でもそれ以下でもない。

だから登場人物の動機が解るようでハッキリ解らない所とか

掘り下げが浅いとか、そんな事は流して見れる。

すごく何かが突き刺さるというタイプの作品じゃないから

そういう気分になるのだ。

ホントこの手の作品を見た時は不機嫌モードになる。


コレはコレでいいのだと思う。

ただ、この作品がアカデミー受賞ってそれほどのものか?

当時のキャメロン・クロウ監督という監督への

期待値?などの作用も働いたのだろうか?

アメリカの人たちはスーパーボール好きだから?

よく分からん。









2010年03月13日(土) 『地下水道』 シ(雑)読了


『地下水道』 1957年/ポーランド アンジェイ・ワイダ監督


NHK-BSで録画したものを見る。

おもにNHK-BSで録画した映画のストックがかなりの数になってきた。

その時の気分によって見るものを選択しているからなのだが

その後の日常作業の塩梅に都合がよく

この作品は上映時間(約1時間30分)で決めた。

加えてタイトルにぐっとくるものがあり。



冒頭部分から、この作品が提示するテーマの重さに

目を背けてしまいたいような気持になる。

深遠な現実に目を向けること、表現することに

エンターテイメントという言葉の入る余地などないのだ。

エンターテイメントを語ったり表現することが出来るのは

穏やかで余裕のある世界あってこそなのだ、と改めて思う。




真実を追究する作品に対して不謹慎かもしれないが

胸に迫る現実が重く辛く、バランスを取るために

あえて技術的なことに意識を置いて見るところがあった。

伏線、構成、人物の掘り下げなど。

またまたこんなことを言うのは不謹慎かもしれないけど

小匙一杯ほどのエンターテイメントが存在したら

もっとこの作品に対しての取っ付きは良くなるだろうななどと思う。

ただ、監督はこのように伝えるしかなかったわけで

筋違いなことだとわかってはいるけれど。






後から検索して知る。

これがアンジェイ・ワイダ監督の作品なのか。

少し前に記事を読んで興味を持った『カティンの森』の監督だったのだ。

他のアンジェイ・ワイダ監督作品も見たいと思う。時間を置いて『地下水道』も再見したい。

元気ハツラツな時に。







『ディア・ドクター』読了。

どのように表現しているのか意識して読んだ。

面白いと思った反面、もうちょっとパンチ(?)を感じたかったような。

また再読したい。









2010年03月12日(金) 『イヴの総て』 『阿弥陀堂だより』


『イヴの総て』1950年 ジョゼフ・L・マンキーウィッツ監督

『阿弥陀堂だより』2002年  小泉堯史監督  



NHK-BSで録画したものを見る。

『イヴの総て』

以前ストーリーを何かでチラッと目にした時「ガラスの仮面」じゃん、と

思った記憶がある。

この作品と「ガラスの仮面」から受け取るニュアンスにそう大差はなかった。

つまり、たぶんこの映画に影響を受けたのだろう作者の美内すずえが

映画と同じくらいの密度で「ガラスの仮面」を描いたってことだ。



個人的な好みの問題として

こういう誤解?や策略?で進行する物語は好きでじゃないので

早く山場よ過ぎてくれ、と思いつつ見たところもあったのだが、

2時間以上ある長さは感じずに、どんどん引き込まれて見る。

面白いには違いない。

そしてこの女優が、かのベティ・デイヴィスなのか!と思う。

検索すると、ずいぶん前に見たことのある『八月の鯨』に出演とある。

初めて見るベティ・デイヴィスではなかったのだ。

「名女優」役をすごく魅力的に演じている。

名女優たる厚み風格、そして可愛らしさ、

ヒステリックに感情を爆発させる演技からもチャーミングが伝わってくる。

名女優マーゴ(ベティ・デイヴィス)が新聞批判された時、

年下の彼が駆けつけ彼女を抱きしめるシーンは泣いてしまった。

舞台劇を見せることなくマーゴとイヴの女優の性をありありと想像させるところ、

説明台詞ではなく、キャラクターの行動によって痛いように

心情が表現されているところなど上手いなあと思う。

1950年のアメリカで既に働く女性の思想が確立されているところも

すごいと思う。








『阿弥陀堂だより』

タイトルが頭の隅っこに引っかかったまま何となく気になっていた作品だ。

黒澤明監督お慕い申し上げております、的な印象だった。

出演役者さんたちの顔ぶれ然り。

エンドロールを見ると、やはり黒澤明監督作品ゆかりのお名前があったので

近からず遠からず?なスタッフの方達による製作なのかも。

それだけにちょっと心苦しいのだが、

正直すごく退屈な作品だと思った。

夫婦役の寺尾聰と樋口可南子は一見いい感じに見える。

しかし、この作品の舞台となっている村の空間に存在していない。

この人物が背負っている人生に想像が及ばない。

ただ上辺がオシャレでコギレイなのだ。



北林谷栄さんはすごいと思う。

背負っている人生を想像させる。

この作品の空間に存在している。

この映画の見所は北林谷栄さんだと思う。









2010年03月11日(木) 『スカイ・オブ・ラブ』


『スカイ・オブ・ラブ』2003/年香港 タン・ファータオ監督(誰?)


NHK-BSで録画したものを見る。

ウォン・カーウァイ監督以外、香港映画を見るのは久々だ。

伏線なしで突如出現するエピソード、

並行して存在する合い交わるとは思えない複数の物語、

そしてチカラ技で強引にラストに突入するという

もはやお家芸ともいえる、愛すべきB級香港映画の

エッセンスを久しぶりに見た。

一体どこに視点を置いて見ればよいのか、

つまるところ何の話なのかよくわからなかった。

ここまできたら、もうソレはソレでよい。(次元が違い過ぎるから)


玄関からどうやって入ろうかと思案している時に、

ブルドーザーで家ごとなぎ倒してしまうような意外性。

ただなぎ倒すような掟破りメソッド(?)にしても

ラストの後味がよくなさ過ぎるというか

もうちょっと納得させてくれよ、と思ってしまった。

一方、香港映画テイスト健在なりにほっとするところもある。











2010年03月10日(水) 『淑女と髯』再見する 『きみの友だち』


『淑女と髯』1931年 小津安二郎監督作品 再見する。

『きみの友だち』2008年 廣木隆一監督作品 見る。



『淑女と髯』

初めて見た時のような胸キュンは薄らいでいた。

『或る夜の出来事』と双璧をなすぐらい好き、と書いたのは

言いすぎだったかな、などと思い直す。

だけど、岡田時彦さんが魅力的なのには変わりない。

剛く、柔らかく、ほんのり色香。






『きみの友だち』

BSジャパン(たぶん)で録画したものを見る。

冒頭登場のフリーカメラマン?フリー記者?の男子が

台詞をしゃべった時点(開始1分ぐらい?)でダメだコリャと思う。

全く魅力を感じない。

ほぼ全ての出演者にあてはまることだけど

演技云々という以前の問題なのだ。

ただ台詞を読んでいるだけに見える。

キャラクターがどうのという次元ではないのだ。

それを助長させている一番大きな要因は、

登場人物のキャラクターが掘り下げられていない脚本や

説明台詞のオンパレードで微妙な気持の揺れを

表現しているつもりになっている演出だろう。

心情の揺れを表現していると言わんばかりの

揺れるカメラワークが虚しく見える。

鏡の前で悦に入ってるナルシストを強引に見せらた気分だ。

ちょっと前に『歓喜の歌』はこれまで見た映画の中の

ワースト3に入るかもしれない、と日記に書いたけどそれを上回る感じ。

ただ救いだったのは柄本明さんだったと思う。

登場場面は多くはなかったけれど、この映画の中の空気を

唯一感じさせてくれた役者さんだったと思う。



重松清さんの小説が原作だとエンドロールで知った。

きっと小説は佳作であろうと思える。









2010年03月09日(火) 『和製喧嘩友達』 『突貫小僧』 『鏡獅子』 『非常線の女』再見する


『和製喧嘩友達』1929年

『突貫小僧』1929年

『鏡獅子』1935年

『非常線の女』1933年 小津安二郎監督作品を見る。



『和製喧嘩友達』

こういうシチュエーション好きだ。

喧嘩しながら仲のいい男二人に、女子が関わることで

すったもんだをコミカルに見せる。

そして胸に染むようなラスト。

ぐっとくるなあと思う時、100パーセントの確立で

脚本のクレジットは野田高梧さんだ。

本来長編作品なのだそうだ。

後年に発見された家庭用に販売されていた短縮版フィルムなのだそう。

約15分だけど、長編作品を見た時と同じ充実した感覚を受け取る。




『突貫小僧』

こどもに翻弄される人攫いの男たちのコミカルさは面白いとは思う。

だけど、それ以上でもそれ以下でもない感覚。

突貫小僧君は『大人の見る絵本 生まれては見たけれど』に出演している

兄弟の男の子なのだそうだ。

いかにも腕白でこどもらしいこどもの演技がかわいいと思う。

その点を踏まえてまて『大人の見る絵本 生まれては見たけれど』を再見しよう。





『鏡獅子』

国際文化振興会が海外向けに製作した記録映画なのだそうだ。

小津安二郎監督のニュアンスが全くないわけではないのだろうが

どちらかと言えば、NHK教育テレビの歌舞伎百科的な作りなので

淡々と鑑賞するしかすべがないという感じだった。

六代目尾上菊五郎とか鏡獅子とかピンポイントに興味があれば

見方も違ってくると思う。

記録映画として貴重なのだと思う。





『非常線の女』 を再見する。

乗り切れなかったのは、睡魔に襲われたせいなのか検証する。

睡魔に襲われなくても、乗り切れない感覚はほぼ同じだった。



DVD-BOX特典映像「まほろば」に収録されていた

既存の小津安二郎監督作品をDVD化するにあたり、

さまざまな修復、デジタル処理などの工程の様子を見た。

多くの人たちの技術によって、小津安二郎監督作品が

修復、復元、再生されたことに感謝!多謝!









2010年03月08日(月) 『学生ロマンス 若き日』 『朗かに歩め』


『学生ロマンス 若き日』1929年

『朗かに歩め』1930年 小津安二郎監督作品 を見る。



『学生ロマンス 若き日』

一人の女子をめぐってナンパ学生と気弱学生の友達コンビが

恋のさや当てをする物語だ。

深読みすれば、この女子は相当したたかだ。

ナンパ学生と気弱学生の、すったもんだは面白いと思う反面、

ナンパ学生君に気弱学生君が押されっぱなしなところにちょっとイラつく。

コミカルな表現にしても、気弱学生君がナンパ学生君に反撃する

ガス抜き場面が欲しいと思った。

『トムとジェリー』みたく。

だけどラストの落とし処には納得感があった。






『朗かに歩め』

いわゆる小津安二郎監督スタイル確立前の

初期の作風に意外な印象を受ける。

最初からあのスタイルがあったわけじゃないのだなと改めて思う。

戦後の作品とは異なるベタな愛憎劇だ。

ベタだけど(ベタだけに?)ラブストーリーとして好きだ。

ただ惜しむらくは、もうちょっとロマンチックな気分というか

胸キュンしたかったなあ。

ベタなラストのハッピーエンドも好き。

こういうラストが待っているのだったら、余計そう思う。









2010年03月06日(土) 『青春の夢いまいづこ』 『非常線の女』


『青春の夢いまいづこ』1932年

『非常線の女』1933年   小津安二郎監督作品 を見る。



『青春の夢いまいづこ』

大人への階段を昇る途中の無邪気な若者たちのコミカルな風景から

社会に出てからのしがらみで友情関係が微妙に揺らいでいく

登場人人物達の心情の変化が、クレッシェンドしていくみたいに自然に表現されていた。

大仰な仕掛けによってではなく、その関係性の中で表現される

登場人物の心情に胸が締め付けられる。

またまた超僭越ながら上手いなあと思う。



哲夫と一郎が、引越し荷物の片づけ中のベーカリーの娘(田中絹代)の部屋で

バッタリ居合わせた時、哲夫は嫉妬心を抱いたのかと思った。

しかし、友情について思いを馳せているのを見て

小気味のよいズラシというか、小気味のよい裏切りを感じて面白かった。

社長学を学んでいくであろう哲夫のキャラクターを想像させる。

若者姿でバリバリ動く笠智衆を見るのは新鮮だった。



ラストは一応ハッピーエンドの形を取っているけれど

若者達の今後を様々な方向に想像させる。

余韻を残したラストに、ほろ苦い思いになる。











『非常線の女』

小津安二郎監督作品にしては、心情の機微を感じさせてくれるというより、

物語を追うことが先行している作品のように思えた。

だからあまり気分は乗り切れないまま見た感じ。



設定に不自然さを感じるような。

田中絹代のアバズレ女子の配役は

意外性を狙ったものだろうが、はまり役になっていないと思う。

ジェームス槇は小津安二郎のペンネームなのだそうだ。

途中睡魔に襲われまくりで見たせいもあるかもしれないと思う。

時間を置いて再見する。









2010年03月05日(金) 『熟女と髯』 『東京の合唱』 『大人の見る絵本 生まれてはみたけれど』 『ブエノスアイレス』


『淑女と髯』1931年

『東京の合唱』1931年

『大人の見る絵本 生まれてはみたけれど』1932年

小津安二郎監督作品 を見る。



『淑女と髯』

女子にとっての胸キュン映画だ。

女子の乙女心というか、恋心がキュンと刺激される。

ラブコメ映画としてすごく好き。

自分的には『或る夜の出来事』と双璧を成すくらい好き。



『東京の合唱』

タイトルからして合唱団をベースにした物語なのかと想像していたが

一向にその気配が見えないので、どういう落とし処になるのかと

期待して見る。ラストのラストで合点がいった。なるほどね。

大仰な事ではなく、一見些細に見える事柄の運びで

登場人物の感情のあやが表現されているところなど

超僭越ながら上手いなあと思ってしまう。

今さっき検索して知った。

岡田時彦さんは岡田茉莉子さんのお父さんだったんだ。

岡田茉莉子さんはその後の小津安二郎監督作品に出演している。

その事実をしったら感慨深い。





『大人の見る絵本 生まれてはみたけれど』

すでに1932年の日本に『スタンド・バイ・ミー』は存在してた驚きと誇らしさ。

子供の大人の双方のほろ苦い心情が、切ないまでに描き込まれている。

ラスト、学校に向かう子供達の柔らかで強靭な様子に涙がこみ上げる。

いい映画だなとしみじみ思う。





『ブエノスアイレス』

映画モードになった気分にまだ浸っていたくて見る。

恋愛チック気分に浸ってみたくもあったのだ。

だけど今の気持が小津安二郎監督作品に向かっているせいか

自分で自分に想像以上に冷静に見てしまった。

というより自分にとって、昇華(消化?)された作品になったのかもしれない。

コラージュ的な映像を、覚めた目で見た。

刺激が先行しているように感じて、ちょっと興ざめする気分になった。

身体が熱を駆け抜けていた頃には思いもしなかったことだ。

冷静に見たからこそ余計思うのかもしれないが

やっぱりトニー・レオンは上手い。

電話ボックスから香港の父親に電話をするシーンなど

父親の声は聞こえなくても、トニー・レオンの表情だけで

電話口の向こうの香港の息づかいまで想像できてしまう。

トニー・レオンの演技は、登場人物の真実を捉えているから

時間が経って見ても関係なく胸に迫るのだろう、と分析。









2010年03月04日(木) 『落第はしたけれど』 『その夜の妻』


『落第はしたけれど』1930年

『その夜の妻』1930年   小津安二郎監督作品 を見る。

『落第はしたけれど』の中で、学生さんたちが腕を組んで

足を揃えて踊りながら歩くシーンを見て

ずいぶん前にNHK-BSだかで録画して見た

ドイツ(だっけ)のガソリンブラザーズみたいなタイトルの

映画を思い出した。

この時代の欧米映画に見る、独特なコミカルな動きと思われる。

小津安二郎監督作品は、スタイルを確立した以降の作品を先に見ているので

欧米チックな演出を取り入れているのを見て意外に思った。




『その夜の妻』は、『落第はしたけれど』よりさらに欧米的雰囲気だった。

キャプションがなければ、この作品が小津安二郎監督作品とは

わからなかったと思う。

いわゆる小津安二郎監督のスタイルと異なり、映像も人物も動いている。

セットの部屋もモダンな洋風仕立て。

小津安二郎監督作品には感じたことのなかった

ちょっとした不自然な流れを初めて感じた。

どのみち、面白いのには変わりはないのだけど。

そして、二作品通じて感じたことは

最初から小津安二郎監督のスタイルがあったのではなく

こういう道を経て確立されていったのだということだ。

前に歩いていくことで道は出来る。









2010年03月03日(水) 『大学は出たけれど』 『東京の女』 『わが谷は緑なりき』


『大学は出たけれど』1929年

『東京の女』1933年 小津安二郎監督作品 を見る。


無声映画なれど、全く時代の違いを感じない。

15歳の森光子さんが出演している、同時代の無声映画を見た時は

弁士の人の解説付きだったから余計にそう感じたのかもしれないが

別物として見た記憶がある。

だけどこれらの作品は今に生きている。

そして既に小津安次郎監督スタイルの映画だ。

だから、本来有声映画であるものを

消音機能で見ているみたいな感覚になってもどかしい気持ちになった。

台詞を聞きながら見たい衝動がふつふつ。










『わが谷は緑なりき』1941年 ジョン・フォード監督作品

NHK-BSで録画したものを見る。

ジョン・フォード監督は黒澤明監督が

好き?尊敬している?監督と何かで読んだ記憶があるので期待感を持ってみる。

主観として、琴線に触れまくるという感じではなかったが

この作品が良い映画であることはわかるゆえ、

琴線に触れるようスイッチの入れどころを開発したいという

ちょっと焦りにも似た思いがした。

不思議なのは、この物語、文章に起こすとかなり悲惨な状況の羅列になるはず。

しかし、全編通して吹く風のすがすがしさ。

人間の強さや愛が根底に貫かれているからだ。

時間を置いて再見したい。









2010年03月02日(火) 『THIS IS IT』 『ブレイブハート』


『THIS IS IT』

マイケル・ジャクソンを見る。

マイケル・ジャクソンの取り立てたファンでもなく

マイケル・ジャクソンの音楽がそれほど好きってことでもなく

だけど惹かれてDVDを買ってしまった。

官能というには生々し過ぎるけど、えもいわれぬセクシャルにクラ。

不思議な魅力に引き込まれる。

興味の外にいる人をも引き付ける、それをスターというのだろう。

美空ひばりさん然り。









『ブレイブハート』1995年 メル・ギブソン監獄


NHK-BSで録画したものを見る。

アカデミー賞受賞作だそうだ。

信じられない。この映画のどこがそんなに良いというのだ。

むしろダメダメではないか。

説明台詞、人物の掘り下げの陳腐、強引にねじ込んだように見える動機づけ、

映像、とにかく諸々の要素に良いと思う感覚が存在しない。

なにより、自由、尊厳という御旗のもとやっている

主人公達の行為は、敵対している者達と同じ虐殺ではないか。

人間の愚かさを描いていると思わせてくれたらそれでいい。

しかし、自由のために戦う主人公たちは正しく尊いのだと言わんばかりの

(いや、言っている)虐殺が正当化されている違和感及び不快感。

いずこの国の、いつぞやの戦争がオーバーラップする。

そして本来切り離して語られるものではないけど

思想的なものは別にしても、映像的な完成度として

この映画のどこがアカデミー賞を取るに値しているというのだ?

狩猟民族圏の思考はどうなっているのだ。

本当に訳がわからない。








 < 過去  INDEX  未来 >


Barbara [MAIL] [バイオトープの庭]

My追加