おうち鑑賞

2009年03月31日(火) 一章ぶん読む 第一章読む


映像関係の翻訳本の再読。1章分読む。


橋本忍著「複眼の映像」の再読。第一章『羅生門』の生誕を読む。

難しい漢字があっても流れ優先と決めて読み始めたが

読みや意味の検討のつかない漢字がいくつか出てきて(2、3個)

さすがに辞書を引いた。一度調べてるはずなんだけどなあ。

辞書を引くと漢語的表現とか古語的表現とか老人語?的表現と

表記されている語句がほとんど。解らなくて仕方ないかとも思う。


やたら眠くなる。

ふと「春眠暁を覚えず」の使い方、意味を検索してみる。

うすうす?漢詩だということはわかっていたが

孟浩然(もう こうねん)という詩人の名前は初めて知る。

たぶん目にしたことはあるんだろうけど頭ン中通過してたんだな。


効率よくスッキリ睡眠をとりたい。








2009年03月30日(月) 『パリの恋人』


『パリの恋人』を見る。

同じビデオに『暗くなるまで待て』と『許されざる者』三作品

録画してあった中から選んだ。

いまいち気乗りせず消去法で選んだ感じ。


ミュージカル?仕立ての映画だったのね。

何で歌ってるのわけ? なんて思う時点で

全然面白いと思っていないわけだ。



おしゃれっぽい画面だったり

オードリー・ヘップバーンがかわいかったりとは思うが

気持ちの琴線が1mmも動かない。

ずいぶん前にBSで録画したビデオだから

画像があまり良くないことも拍車をかけてるかもしれない。

50年以上前の作品だから時代背景を考慮して見る側面もあろうが

それにしても「女は美しい花瓶」的扱い

コメディータッチとはいえ、めっちゃプライバシー侵害してる

話の流れとか、今の感覚からすると普遍的ではない表現に

ムカムカしながら見る。

ムカムカしてるのに「ラ〜ラ〜ラ〜♪」なんて

登場人物みんな踊ってる。不愉快さ倍増。





『鴛鴦歌合戦』の心躍る面白さや

『或る夜の出来事』の胸キュン。

『或る夜の出来事』はベスト1のラブコメディだと思う。

80年以上経っても色褪せない作品は色褪せないどころか

今より先を歩いているのだ。





映像関係の翻訳本の再読を2章分くらい読む。

気分転換に「コットン100%」を少し読む。

ちょっと今の自分の感覚にフィットしないような感じ。

読み進めていくとそうでもなくなるのかな?








2009年03月29日(日) 2章ぶん読む ラジオのこと


映像関係の翻訳本の再読を2章分くらい読む。

本日もつっかかり、つっかかり読む。

気分転換に(読みかけの)お茶の本に変えてみようかな。


全国こども相談室・リアル! の相談コーナーで

(歴史?の年号?が)うまく記憶できないという質問に対し

集中、反復、印象付け、がコツという回答を聞く。

丸暗記することも重要であると。

そして年齢に関係なく記憶力は鍛えられるのだと。

ほーほーほー。



きらり!10代 の最終回だった。

浜順さんの裏表のない(と感じされる)態度や

高山てっちーさんのNHKアナウンサーらしい如才ない対応の中に

ギリギリ自分を出してる感じ、好きだった。

この番組のファンだったので寂しい。

高山てっちーアナウンサーは広島局に転任するそうだ。

へ!? 意外!?ってかんじ。



浅草キッドの全国おとな相談室のゲスト伊集院光さんの

夜の清掃バイトの面接を受けたが落ちた、の件の話はおもしろかった。

インターネット社会の今、面白さを一般の中に見つける、

ゲーム感覚で面白がれるのは心の余裕があるから、というような話だった。

このラジオ番組も来週(再来週?)で終わるみたい。残念。

ラジオっておもしろい。

思えば日曜日はラジオデーしてる。






2009年03月28日(土) 2章ぶん読む


映像関係の翻訳本の再読を2章分くらい読む。

内容的にとても刺激されるし勉強になる本だと思っているんだけど

どうも集中力が続かない。少し読むと立ち止まってしまう。

だんだん私の問題というより、この本の文章力にも

問題があるのではないかと思うようになってきた。

ある意味ポジティブシンキングかしら。



芝居とは全然関係ないキーワード(豚キムチレシピ)で

青年団(関係の若手?)の人のブログにたどり着いた。

最近公演予定の芝居の稽古場日記らしく(知らない人のナルちゃんには)

興味が持てなかったのでサラッと目を通す程度だったが

青年団とか櫻の園、という言葉を目にして気持ちがちょっと疼いた。

読み手が引き込まれるということは、書き手が読み手の存在を意識し

様々な意思のもとに表されていることなのだ、なんてことを思う。



この日記は私にとって今の位置づけは

自分に向けたアウトプットとインプットの日記だ。

(マイオナニー日記、と書こうとしてやっぱ違うかなとなった)

変えたいと思った時に変える努力をする。

この日記を書くことがその日のメインになってしまうこともあるけど

これはこれで頭の中を耕す練習(セットアップ?)になっていて

案外今の私にとって重要な作業なのかなと思う。



時間の使い方が上手くなりたい。

何をするか、何をしたいのかをまず具現化することか。








2009年03月27日(金) 『天然コケッコー』Re


『天然コケッコー』を見る。

前回は2008年1月8日に見てるらしい。

初めて見てからもう1年経ってるんだ。

そんなに時間が経ってるとは思ってなかった。

自分日記に検索機能をつけてると便利だな。



あーあーあーもう。

悔しいけどホント好き。

山下敦弘監督作品を見てしまうと、作品を通り越して

山下敦弘監督のことが大好きミーハー状態に陥ってしまう。

情緒ぐらぐらするから避けていたいと思うくらい。

どうしてこんなに良いのよ。どうしてこんなに好きなのよ。

気が済むまで余韻に浸ったあとは

冷静になって何がどうなってるのか

この作品を分析したい。











2009年03月26日(木) 『リトル・ミス・サンシャイン』Re


今日も『リトル・ミス・サンシャイン』を見る。

考えてみると登場人物たちはいわゆる映画の中で言う「負け犬」なのだ。

リチャードは勝ち組になりきれず

シェリルはそんな旦那のいる家庭にイラダチをつのらせ

グランパは山あり谷ありの人生の末、老人ホームを追い出され

嫁の食事に文句を言いながらヘロインに依存する生活で

フランクはゲイで失恋、自殺未遂を犯し

ドウェーンは家族に反発、色弱が発覚

熱望していた航空学校への夢を立たれ失意のどん底、

そしてオリーヴはミスコンに優勝できない。



字面に起こすと惨憺たる状況だけど

この映画から受け取る印象はポジティブであたたかい。

コメディータッチで描かれているという表面的なこともそうだけど

ミスコン前夜、オリーヴが「負け犬はイヤ。パパが嫌いだと言ったから」

と涙ながらに打ち明けた時にグランパが返答した言葉。

「負け犬というのは負けるのが怖くて挑戦しないやつらのことだ。

お前は違うだろう?」

この映画につらぬかれている一本の芯、テーマはこれなんだと改めて思った。



あっちにぶつかりこっちにぶつかりしながら進んでいく。

傍目には滑稽に見えてるかもしれないけどそれが人生なのだ。

何度も見ているけど、目から鱗というか、いつもと違う視点に立って見れた気分だ。




映像関係の翻訳本の再読したのは一章ぶん。

もっと集中して読んで一日に読む分量を増やしたい。

だけど最初に読んだ時よりスンナリ入っていく感がある。








2009年03月25日(水) 『リトル・ミス・サンシャイン』Re


今日も『リトル・ミス・サンシャイン』を見る。

タイトルをウィキペディアで検索してみた。

トニ・コレット(お母さん)は役柄の印象より若い人だった。意外。

『アバウト・ア・ボーイ』面白そうだ。



映像関係の翻訳本の再読は1章分だけ。

テレビとかチラチラ見てしまう。

夏川りみの新曲が心に染みた。

作詞はガレッジセールのゴリさんだそう。

沖縄への思いとか人柄がしのばれるようだった。

ちょっと涙ぐんでしまった。



映画的な夢を見る。

「海では人を助けるのに陸に上がるとそうは思わなくなる。どうしてだろう」

という台詞を話す登場人物の一場面など。

目が覚めたらまるで映画を1〜2本見たあとのような

まどろむような軽い疲労感に包まれていた。




2009年03月24日(火) 『リトル・ミス・サンシャイン』Re


今日も『リトル・ミス・サンシャイン』を見る。

それぞれ味のある俳優さんたちだな、と見るほどに思う。

器用に演じている感じが大味な印象だと思っていた

リチャード(グレッグ・キニア)だけど

この器用さというか安定感が登場人物たちの

調和の一端を担っているのだと思った。

というか、それぞれの俳優さんたちのかみ合った演技が魅力的な映画なのだ。

まだ、もうちょい見たい気分。



今日は本類を読まなかったけど

考えたことをバインダーノートに書いたせいか

ふと思うに満たされ感はあった。









2009年03月23日(月) 『凍える鏡』 再読する 『リトル・ミス・サンシャイン』Re


『凍える鏡』を再読する。

昨日読んだ時は思わなかったんだけど

映像的な動きや変化が少ない気がする。

机を挟んで対峙しているとか、道を歩いているとか

そんなシーンがほとんど。

登場人物たちの行動で描くというより説明的な雰囲気なのかな。

実際、映像を見るとそうでもないのかな。

どうなんだろう。







『リトル・ミス・サンシャイン』 再び見る。

上記の流れで、登場人物たちの行動を意識して見てみたくなった。

登場人物たちの行動があって場面は展開していく。

映像がつながっていく。

当り前だけど、そこには作る意図が存在してるんだなーなんて改めて思う。

どうやって作られているのか仕組みや構造をもっと解釈できるようになりたい。

ただフツーに面白く見るスイッチと別回路のスイッチがあるかんじで。












2009年03月22日(日) 『東京少女』 『凍える鏡』 読む


今日も雑誌に載っていた脚本を(2作品)読む。


『東京少女』

映画の脚本なのか? テレビドラマの脚本なのか?

と思ったのは、可もなく不可もなく無難に作られてる印象だったから。

偶然目にしてしまったら気軽に見てしまいそうではある。

こういう小手先で作られたものは関係ないっていう気分になる。




『凍える鏡』

大嶋拓監督・脚本作品。

大嶋拓監督の名前は初めて知った。当然作品も見たことがない。

ステレオタイプではなく、それぞれの人物が抱える屈折が

微妙に表現されていて胸を突かれた。面白かった。

ちょっと橋口亮輔監督とオーバーラップした。

どんな映像を作る監督なんだろう? 

映像がいい感じだったら佳作で

逆にそうじゃなかったら野暮ったい、

両方のイメージが出来るんだけど。

実際に見てみたいな。





自分のペースを作る。

腹が立ったりイライラすることに過剰に反応しない。

わざわざ苛立つことに目を向けないようにする。

無駄なエネルギーは使わないと考える。

自分が変わることを考える。








2009年03月21日(土) 『花影』 読む


映画『花影』の脚本を読む。市川森一脚本。


NHK-BSのお宝TVデラックスという番組で

たまたま「快獣ブースカ」の最終回(の一部)を見た時

胸に詰まって泣いてしまった、

その脚本を書いたのが若かりし日の市川森一さんで

当時この脚本を書いた意図を話されているのを聞いて

さらに胸を突かれた感じだった。

(最近見た感覚でいたが確認したら昨年9月20日の放送だったのね。)




・・・という余韻が身体に残っていたので

読んでみようと思ったのだが、イヤな予感。

配役を見ると主人公?が山本未来さん。

『不夜城』を見て全然魅力を感じなかった女優さんだ。

読む時に余計モチベーションが上がらないつう。


やっぱり予想通りというか、貫禄ある予定調和な印象だった。

たぶん実際映画を見てもその印象は変わらないように思う。

そういえば『異人たちとの夏』も市川森一さんの脚本なんだっだ。

私的には好きなトーンじゃなかったもんな。

これはテレビ向き、とか思った記憶がある。

今思い出した。













2009年03月20日(金) 『ありふれた奇跡』 『チーム・バチスタの栄光』読む


『ありふれた奇跡』


『ありふれた奇跡』の最終回を数回見る。

こっぱずかしさにいたたまれなくなったり

そういうの不自然だよ〜、なんて思いながら見てしまうのも

このドラマの味のうちというか、

そこにリアリティがあるからそう感じるのかもしれない。

加瀬亮と仲間由紀恵の二人がホテルで朝日を眺めるシーンなんか

ベンハー? 天地創造? のシーンかと思っちゃったよ。

いやいや、大袈裟過ぎて綺麗だった。



加瀬亮が出演している映画は何本か見てるはずだけど

最初の頃はオダギリジョーと区別がつかなかった。

最近見たミシェル・ゴンドリー監督『TOKYO!』の加瀬亮も

『ありふれた奇跡』で演じた青年も

パッと見似た外見だけど、全然違う人格を演じているのに感動する。

微妙な範囲の感情のグラデーションに心を突かれるかんじ。

淡いうぐいす色の中にさらに何段階もの色調があるような。

市原悦子さんの青年版的。







『チーム・バチスタの栄光』


『チーム・バチスタの栄光』の脚本を読む。

お決まり過ぎる結末にかえってびっくりした。

まさかそんなわかり易い展開じゃないよね、なんて

思って読んでいたら(大まかに)その通りだった。

ストーリーがどうの展開がどうのって言う以前に

結局一本芯が通ってないって事だと思う。

竹内結子の映画にしたいのか、検死の必要性を訴えたいのか、

何なのか? という釈然としない気分が残る。











2009年03月19日(木) 『歓喜の歌』 『ありふれた奇跡』最終回


『ありふれた奇跡』の最終回をついさっき朝の4時に見る。

9時58分に目が覚めて「あと2分で10時だ」

と思ったあとの記憶はなし。

やっぱり予約しておいてよかったと心底思いまくる。




テレビドラマの最終回の宿命なんだろうけど

これまで登場人物たちが抱えていた話の数々に答えを出す展開。

だから登場人物たちが急いで着地点に向かっているような

あわただしい印象だった。


にしても、すべての登場人物が魅力的なドラマだった。

(細かく言うとすべてじゃないけど)

たぶん不自然に思える登場人物の発言や行動も

作者が作っているだろう履歴や背景を

はしょらず見せてくれたらきっと納得出来たのだ。

例えば最終回、従業員の申し出を断ったおじいちゃん(井川比佐志)を

批難した孫(加瀬亮)の図式に浮かんだ?マーク。

従業員とおじいちゃんとのそれまでの歴史の一端を

見せてくれていたら不自然には思わなかったはず。



全11回は短い。

もっともっとひとりひとりの物語を見ていたかった。

アキ・カウリスマキ監督の映画を見るのと似た感覚だったと思う。

混沌の中の微妙な感情のグラデーションが面白い。

7月にDVDが発売されるそうだ。いやーん待てん。










『歓喜の歌』の脚本を読む。

立川志の輔さんの創作落語が原作だそうだ。

脚本を読む限り、コメディーがあざとい感じがしたし

男性目線っぽいかなって思ったけど(主任の奥さんの描き方とか)

公式サイトの予告編をチラッと見たら

おもしろいかも? と思った。 どっちに転ぶか。




先日読んだ立川談春さんの「赤めだか」おもしろかった。

思えば、立川志の輔さんにしろ談春さん、志らくさん、そして立川談志さん

かつて落語を聴きに行ったことのある数少ない落語家さんは

ほとんど立川流なんだ。意識したわけじゃないのに。

「赤めだか」を読んだ時、すんなり心に入ってきたのも

だからなんだろう。




今日はロングバージョン日記になった。脳トレ気分だ。




2009年03月18日(水) 『リトル・ミス・サンシャイン』Re 


眠ひ・・・徹夜した。

ヘッドホンの修理依頼と別件の問い合わせメールを

書いていたら朝になってしまった。





今日も『リトル・ミス・サンシャイン』を見る。

そろそろ見足りた感じになってきたけど

もうちょい見たい。


再読しようと思って読み返そうとするも

速攻、船を漕ぎだしてしまう映像関係の翻訳本。

いい加減、気分を変えようと別の本を手に取る。

ちょっと前に買った茂木健一郎著(のベストセラー本)。

わかり易いと思わせてくれるところが

頭良い人なのね、って感じ。









2009年03月17日(火) 『リトル・ミス・サンシャイン』Re


今日も『リトル・ミス・サンシャイン』を見る。

寝不足とイライラで(寝不足だからイライラも増幅された感)

今日は集中力散漫だった。

とはいえ、まだ見ていたい気持ちは持続している。

同時に加瀬亮出演の映画(『オリヲン座からの招待状』だっけ?や

『めがね』)周防正行監督の作品も見てみたい気持ちになっている。

『シコふんじゃった。』はたぶん見たことあるけど記憶が曖昧だし

『 Shall we ダンス?』 は見てないんだった。


読み終えた本を再読しようとするが、こちらも集中できず。

時間を設定し、ここからここまでと決めて読む方法を意識して

繰り返してみる。








2009年03月16日(月) 『リトル・ミス・サンシャイン』 解説バージョン


今日は『リトル・ミス・サンシャイン』の

監督(ご夫婦みたい)による解説バージョンを見る。

以前、本編と一緒に見たことはあるけど記憶を辿る意味でもう一度。


約6年がかりで制作したという。

配役から演出から様々なことに試行錯誤があり

細やかな心配りや選択で作り上げられた作品だということが

説明を聞くことでより実感した。

三谷幸喜監督の『ラヂオの時間』にも感じたことだけど

低予算で制作する環境であるがゆえ

勢いのある密度の詰まった作品に仕上がった側面があるのだろう。

創造は制約のあるところに生まれる、という法則が

あるってことか・・・なんて考えてみると

元気に気持ちなれるかんじ。


時間の使い方が上手くなりたい。






2009年03月15日(日) 『リトル・ミス・サンシャイン』Re

 
今日も『リトル・ミス・サンシャイン』を見る。

さりげない見せ方で、可笑しみが誘われ心に染みる。

大向こうを狙った演出じゃないところが好き。

レストランでみんながメニューを開いて見るシーンとか

フランクとシェリル(夫婦)が口げんかしたあと

乗り込んだバスがなゆっくり下り動いて行くシーンとか

私的には大爆笑だ。

オリーヴ一家総出のダンスシーンは何回見ても涙がこぼれる。

フランクの「出発だ」の台詞で、みんながオンボロバスに

乗り込み、カルフォルニアを後にするラストシーンの

さりげなさも好き。












2009年03月14日(土) 『リトル・ミス・サンシャイン』Re


やっと読みかけの本を読了。

もう一度読み返してみなくては。


今日も『リトル・ミス・サンシャイン』を見る。

監督による解説バージョンを冒頭部分だけ見てストップ。

翌日、見ることにする。美味しいものはじっくりと。


古本に分類してあった「ピクトアップ」という雑誌を

引っ張り出してきてみる。

『めがね』の特集で加瀬亮のインタビューが

掲載されていたのを思い出したから。

ヤングピーポー発信なのか? 活字が超小さい。

初めて買った雑誌だけどほとんど未読状態のままだった。

なんか良くも悪くも気持ちが刺激されて

居心地(見心地)があんまりよくない印象だけど

とりあえず見てみる。













2009年03月13日(金) スッキリ


今日も『リトル・ミス・サンシャイン』を見た。

良い脚本や良い監督が役者さんの力を

存分に発揮させるという前提はあるんだろうけど

上手い役者さんは一場面々の情報量が多い。

表現されて見えるものの何倍もの奥深さがあるんだろう。

解釈度が低い=ヘタクソってことか。

人間力ありきってことなんだろうな。

・・・なんてことを考えながら見ていた。



オリーヴが誰かの面影とだぶって

ずっと奥歯に物が挟まったような気分でいたのだけど

昨日テレビ(金スマ)を見ていて「あ!」となった。ベッキーちゃんだ。

私の中でオリーヴの印象と重なっていたのはベッキーちゃんだったのだ。

ああ、すっきり。











2009年03月12日(木) 『リトル・ミス・サンシャイン』


可笑しくて、そして胸が詰まって涙がこぼれる。

オリーヴのおじいさんがオリーヴの伯父さん相手に何とはなしにつぶやいた

息子に対する「やっぱりダメだったか」の一言。

この一言で、おじいさんの息子に対する心情がわかった。

単なる、エロ偏屈じいさんでなかったのだ。

さりげない場面だけど印象に残った。

上手い役者さんだなあと思った。

約2年前にこの映画を見た時も書いた覚えがあるけど

(良くも悪くも超商業主義的かつ我々が世界の中心的に見える中)

こういう映画が存在するアメリカは懐が深いなあと思う。





2009年03月11日(水) どうしてこうも両極端


今日は読書だけで映画は見なかった。

どうも集中力が持続しないので、集中する方法を考えて工夫したい。



昨日の日記でおもろない映画のことを書いていたら

お正月に見た、おもしろくなかった映画を思い出した。

お正月恒例、三谷幸喜監督の映画。

今年は『ザ・マジックアワー』。

期待していたぶん余計、おもしくなくてョックを受けた。

潤沢に制作費を使える立場になると

かえってこういうことになるのか、とさえ思った。

三谷幸喜作品を始めて見たんだったら

それなりに楽しめたんだろうけど。



『ザ・マジックアワー』と抱き合わせの感覚で

一緒に購入した『ラヂオの時間』の方が全然大当たり。

一度レンタルDVDで見ていたんだけど

あらためて見直してみたら、おもしろいのなんの。

見れば見るほどツボが見つかる。

数えてみたら14回見ていた。

心憎い上手さだなあと思う。

ちなみに、先日『ザ・マジックアワー』を

もう一回見直してみたけどやっぱりおもしろくなかった。











2009年03月10日(火) おもしろなさすぎで笑えた


随分前に、とりあえず何でもかんでも手当たりしだいに

BSで録画した映画のビデオのなかの(積読ならぬ積見)

今日は『ゴーストバスターズ』を見ることにした。

・・・と思ったら『ゴーストハンターズ』の(ラベル)見間違えだった。

『ゴーストハンターズ』って何だ? 『ゴーストバスターズ』のばったもん?

再生し始めちゃったから仕方がない。見ることにした。



愛すべきB級香港映画に西洋人が歪んだ価値観を

くっつけちゃいました、という居心地悪〜い気色悪さ。

という以前に、映画の体をなしてないと思う。

終始一貫、嵐のようなおもしろなさだった。

(それはそれで統一感があるってことなのかも。)

久しぶりの出来事で新鮮だった。













2009年03月09日(月) 『リンダ リンダ リンダ』


大好きで何度も見た映画をふたたび。

とは言っても、手元に見たい映画のDVDのストックがなかったので

棚に並んだDVDから半ば消去法で選んだ感じ。


あー、だけど、やっぱりいい。

私にとって『櫻の園』と『リンダ リンダ リンダ』の

リアリティは心に染み、刺さる、揺るぎのない作品。

表現という形に加工された、現実から切り取られたリアリズム。

ラスト、気持ちがぐらぐら揺れて胸に詰まった。

そして、映画を見たあとシナリオを読んでみた。

やっぱり気持ちがぐらぐら揺れて胸が詰まった。















2009年03月07日(土) 橋本忍著「複眼の映像」


黒澤明監督にまつわるエピソードがつづられた本を

昨年一冊図書館で借りてみたのだけど

思いの外下卑た内容で興味が持てず、結局読まずに返却してしまった。

(女優さんとの関係とか、黒澤監督が自らセックスは弱いほうだと

言っていた・・・云々。そんな話はわざわざ読みたくない気分。)



比べるのも失礼なので比べるつもりはないんだけど、

橋本忍さんがお書きになった「複眼の映像」はとても良い本だった。

ただ悲しむべきは、まるで幼稚園のこどもが大学の参考書を

読んでしまったかごとく、初めて見る知るような語句、語彙の

オンパレードで、読んでいる時間より辞書を引いている時間の方が

長かったくらい。簡単な部類で言うと、華燭の典(結婚式)、

亭々(木がまっすぐ伸びている様子)など。

そのうち普段使っている言葉の意味も取り違えていやしないかと

(前後の文脈から推測するにも推測しきれない感を拭うべく)

全行、辞書片手に読んだ。

しかし、上から目線の小難しさや

押し付けがましさの微塵もなく、クールでさわやか、

全てを伝え教えてやろうという熱を感じさせていただいた本だった。

香りを味わうべく、もう一度読み通そうと思う。

あのままじゃあ、つっかえ過ぎだ。










2009年03月06日(金) 『ありふれた奇跡』


山田太一節。良くも悪くも引き込まれる。

このドラマが醸し出す空気感がたまらない。

登場人物ひとりひとりの奥行きの深さ。

仲間由起恵が演じる家族(父、岸辺一徳、母、戸田恵子、

祖母、八千草薫)もそうだけど

井川比佐志と風間杜夫の父息子関係、

そして加瀬亮との関係の微妙な気持ちのひだ

(慈愛、おかしみ、哀しみなど)のグラデーションに感動する。

昨年一年は黒澤作品ばかり見ていたので

井川比佐志さんは初めての感覚じゃなくて(当たり前だけど)

このドラマを見るべくして見てる、というどこか不思議な気分。

そして、このドラマを通しで見続けるだろうと

直ぐ確信させられた第1回放送の加瀬亮のたたずまい。

空気が映画なの。

毎回、加瀬亮の演技にショックを受けている。


『ぐるりのこと』の加瀬亮の演技は

(犯罪異常者役なので語弊のある言い方かもしれないけど)

何とも魅力的でぶっ飛んだ。




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