月に舞う桜

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2012年12月31日(月) 2012年の振り返り

大晦日なので、今年一年を振り返ってみる。
が、1月と2月に何があったのか、さっぱり思い出せないので、3月から……。

■3月
・桜井家、車を買い替える(サニー → タント)。
 車の後ろからスロープが出てきて、車椅子のまま乗車できるようになった。

・職場の同期と食事会
 一年を通して振り返ると、取り立てて書き残しておくほど大きな出来事ではないけれど、なんだか印象に残っているので。
 入社当時、同期は私も含めて13人いた。だけど、どんどん減っていって、この3月の時点では7人(うち1人は休職中で食事会に来られず)になっていた。そして、2012年12月末までに私も入れてさらに4人が退職し、残るは3人となってしまった。頑張れ、私の同期!


■4月
・昇格して、役職が付いた。本来なら喜ぶべきことなのだろうが、この時の会社の対応が納得いくものではなく、前々から事あるごとに湧き起っていた「辞めたい…」という気持ちが増すことに。思えば、この昇格が退職の大きな引き金の一つだったかも。


■5月
・自宅と職場の中間くらいに美味しいイタリアンを発見。同僚と行ったらいっぺんに気に入った。新鮮な野菜やお魚の前菜、ジャコの乗った四角いピザ、具だくさんのパスタやリゾット、ラム酒の効いたアイスとそれを囲むフルーツ、どれもこれも美味しい!しかも、美味しいのにあまり混んでない。


■6月
・32歳になった。

・初めての沖縄旅行。父が12月で定年を迎えたのだが(父の会社は、60歳になった年の12月が定年だ)、勤め先が定年旅行の費用を出してくれる制度があり、それを使って家族で2泊3日で行ってきた。
 肌を刺す日差し、車から眺めた海の色、高速道路で見舞われたスコール、何時間いても飽きない美ら海水族館、広々としたホテルの部屋、野生のハイビスカス、立派な玉座に目を奪われた首里城。
 家族全員、沖縄料理があまり好きではないので(私は豚肉は好きなのだが)、食事だけは沖縄的なものにはあまり触れず。ホテルの中華レストラン、国際通り近くのレッドロブスター、アメリカンヴィレッジのイタリアン。


■7月
・ある日、本当にもう耐えられないくらい会社が嫌になり、たいして悩みもせずに「今年いっぱいでやめる」と決断する。

・何だかんだ言っても特例子会社が働きやすいだろうと思い、ネットで特例子会社の一覧を見て、行けそうな会社はないか探す。結果、勤務場所も仕事内容も自分に合う会社が見つかり、「私、ここで働くわ!」と勝手に決める。

・ハローワークへ行くが、上記の会社の求人は見当たらず。


■8月
・友人に誘われ、TAOという和太鼓集団のライブを見に行く。和太鼓だけじゃなく、三味線や琴や踊りやちょっとした笑いもあり、飽きさせない。


■9月
・7月に見つけた会社が諦められず、ハローワークに求人が出てないなら直接問い合わせるしかない! と、会社のサイトにあった問合せページから「おたくで働いてやろうと思うんだが、求人はないのか、こら!」と問合せる(←そんなことを問合せるための「問合せページ」じゃない)。そしたら、合同面接会に来てください、と返事が来る。

・パソコンを買い替える。ようやくWin7を導入。使いやすくて感激。画面もでかいし。

・本当は11月になってから言おうと思っていたが、言わざるを得ない状況が起こったため、上司に退職の意思を伝える。驚かれる。


■10月
・合同面接会に行く。その後、二次面接に呼ばれ、その場で内定を通達される。あまりのトントン拍子に目が点。何事もタイミングって大事、と実感する。


■11月
・退職願を提出する。

・仕事の引き継ぎ書を作成する(私はこの引き継ぎ書を、ラブレターと呼んでいる)。


■12月
・退職すると思うとルンルン。仕事はほぼやる気がないが、突然残業を頼まれたりして、ちょっとイラッ。この期に及んで、私の意見なんて聞かなくていいっつーの。

・美味しいもの三昧。お寿司、イタリアン(4回くらい行った)、中華。

・会社の忘年会兼送別会。このほかに、個別の送別会を2回ほど開いてもらった。同期会ではすでに退職した人たちも来てくれて、嬉しかった。もう一つの送別会では、用があって来られなかった人からお店に花束が届いて、思いもよらないサプライズに感激。

・12月入社の新人から最後の出勤日にゴディバのチョコをもらった。物自体も嬉しいけれど、社内用のビニールバックにチョコを常備しているのを覚えててくれてチョコを贈ってくれた、その気持ちが嬉しい。私の最後の教え子たち。一人前になる前に去ってしまって、ごめんなさい。

・父の定年記念に、家族で和食屋さんで食事。美味しかったけれど、コース料理がどんどん運ばれてきて、ちょっとせわしなかった。お店全体の雰囲気がせわしない。

・MOS excEL2010を取得。


■総括
・良かったこと
  ・久しぶりにカラオケに何回も行った。
  ・自分で道を切り開いた。
  ・辞めた職場の仲間と「また遊ぼうね」の約束をして、繋がりを保ったまま別れた。

・残念なこと
  ・XJAPAN関連のイベントが一つもなかった。
  ・ミスチルのライブチケットが当たらなかった。


おおむね、良い年でした。何と言っても、次の仕事を決めたうえで退職できたからね。
2013年も、健康で、良い出会いに恵まれ、充実した年となりますように。


2012年12月30日(日) お久しぶりです。

一年間も日記を放置していた。
特別忙しかったわけでも体調を崩していたわけでもなく、気が付くと一年が経っていた。

まず、今年一番のニュースと言えば、転職したことだ。
ええ、転職しましたとも!
明日12月31日付で今まで勤めていた会社を退職し、来年から新しい職場で働くことになった。

使えない出向社員ばかり来る。
長期的な視点がなく計画が甘いために、大きな業務体制変更時にありえないトラブルがいくつも起きて、対策が後手後手に回る、もしくは何ら対策を打とうとしない。そして、その苦い経験から何ら学ぼうとしない。
その結果、末端オペレーターに多大な負担を強いる。まあ、百歩譲って社員に負担を強いるのは仕方ないとしても、お客様にも大きな迷惑をかける。
話がかみ合わず、部下の動かし方を知らない上司。
社員を、法定雇用率を達成するための駒くらいにしか思っていない(そんなことはないと言うだろうけれど、そう見えてしまう)会社のあり方。

その他諸々、嫌気がさして、「私、ここにいても意味ないなあ。希望が持てないなあ」と思い、辞めてみた。

今までの職場は先週金曜日が最後の出社で、今週一週間は有休を使って休んだ。それでも、有休を30日半も捨てることになってしまった。あぁ、もったいない。
ボーナスをもらってから辞めるために今年いっぱいで退職ということにしたのだが、有休の残り日数を考えると、出社は11月中旬まででもよかった。
でも、仕事の都合上、12月の途中までは何となく行かざるを得なくなってしまった。会社に強制されたのではなく、私自身の判断だけど。
会社に嫌気がさしたとは言え、一緒に仕事している仲間や、育成している新入社員に罪はないので、自分ができることは精いっぱいやって去ろうと思ったのだ。

新しい職場の採用面接のとき、「勤務できるのはどんなに早くても来年の1月からです」と伝えたところ、1月入社になった。もう少し引っ張れば、引っ張れたんだろうか。
何なら4月入社にしてもらって、3ヶ月間はぼーっと暮らしていても良かったんだけど。
ま、いっか。そうしたら、3ヶ月間の国保料とか払わなきゃいけないし、いろいろ手続きが面倒だし、何より、3ヶ月も自堕落な生活をしたら働く気が失せるかもしれないし。


今までの職場は、6年9ヶ月勤めたことになる。
会社には本当にもう嫌気がさして仕方なかったけれど、共に働く仲間には恵まれたなぁと感謝している。
正直、家から近いという理由だけで入社を決めたし、オペレーターなんて言うストレスの溜まる仕事が自分に務まるとは思っていなかったので、そんなに長続きするとは予想していなかった。
入社当初、とりあえず1年は頑張ろうと思っていた私が6年9ヶ月やってこられたのは、仲間の支えがあったからこそだ。

退職のとき、温かく素敵な送別会をやってもらえた。
同僚からのメッセージ、私の好きな色の花束、一緒に撮った数々の写真、あれこれ考えてくれたであろう贈り物。
その気持ちが、嬉しかった。
それに、心のこもった送別会をやってもらえたのは、私なりにこの職場で精いっぱい仕事をし、一定の何かを残せたことの結果なのではないかと、少しうぬぼれてもいる。
そのうぬぼれは、次の職場へ行くときの自信にもつながっている。

今までの職場は、徒歩圏内だった。
次の職場は、約9年ぶりの電車通勤だ。
次もやはり特例子会社だけど、業種も職種も今までとは全く違う。
仕事内容や待遇面はある程度把握しているけれど、人間関係は入ってみないとわからない。
私は、人見知りをするたちで、新しい環境に飛び込むことや初対面の人と積極的に話すことが苦手だ。

それでも、なぜか不思議と不安はあまりない。
職種が違うと言っても、これまでやってきたことは必ず役立つはずだと確信がある。
それに、これまでは自宅からの距離や物理的にバリアフリーかどうかで就職先を決めてきた私が、初めて仕事内容で選んだ会社だ。
だから、絶対、大丈夫。

6年9ヵ月間、いい仕事したよ、私。
そして、これからも、きっとね。


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