希望の日記

2009年04月30日(木) 晴れ

今日は良い天気だった。今日はカメラマンデビューだった。楽しかった。本当に多くの人のサポートがあってのことだ。私もみんなの期待を裏切らないようにがんばって生きたい。こんな私でもサポートしてくれる。ありがたいことだ。



2009年04月29日(水) 晴れ

酒井俊の「満月の夕」は神がかっている。全身鳥肌がたつ。偉大な才能が偉大な歌曲に出会った。ソウルフラワーの歌はもちろんワンアンドオンリーなのだが、それとは別に新たな世界を築いてしまっている。魂が震撼した。都会に生きていて良かった。何十回も聴いてしまった。都会に生きているものの悲しみと喜びを表現している。もう夜遅いというのにまだ飲んでいる。早く寝ないと。
こんな生き方でいいのだろうか。ちょっと急ぎすぎかな。どんだけのんびりしているんだという感じで、急ぎすぎなことはない。昨日はyさんとすこし連休のことについて話した。私に連休のことを聞いてくれる人なんてyさんしかいない。私も少しお話できてよかった。脳がダメージを受けているが、これだけ楽しめるようになった。
女性に嫌われないようにと気を使う。気を使っている自分が好きだったりする。前はこんなことはなかったからな。wさんとしゃべりたい。かわいいし、しっかりものだ。あんな女性に世話されたい。最近ケアされることに暗い喜びを受けるようになった。別に暗くはないか。ケアしたい女性もいるだろう。そういう女性と一緒になりたい。私はケアが必要な存在になってしまった。デイケアとかに行っていた。あそこに行っていた期間は無駄ではなかった。挨拶なんかしなかったのがするようになった。でもおしゃべりしなくても見ているだけで楽しかったりする。wさんは私にとって大事な存在だ。あんまりがんばると逆に評判が悪かったりするので、わけがわからなくなってくる。じっとしているのもつかれてくる。記憶力が衰えてきたので、仕事がうまくいかない。あまりがんばらないようにがんばろう。脱力した方が良い。仕事好きになるのはいいことだが、あんまりがんばりすぎると受けが悪かったりする。ぼちぼち行こう。やっぱりあんまりがんばらないほうが良い。ゆっくり行こう。ぼちぼち行こう。あんまりがんばらないほうが周りの評価はいいようだ。周りの評価が気になる。がんばらないほうが評価がいいのなら、がんばらないほうを選ぶだろう。あまりがんばらないほうが良い。自分を責めないほうが良い。あまりがんばらないほうがいいみたいだ。人の中で生きていくのは難しい。でも自分で稼いで生きていくと宣言したので後には引けない。でもぼちぼちやったほうがいいみたいだ。記憶力がどうとかあまり言わないほうがいいみたいだ。あまり悩まないことにした。ゆっくり生きていこう。ここまで復活できたのだから、大事にいった方が良い。あまりがんばらないほうがいいみたいだ。怪しまれてしまう。私はあまりがんばらないほうがいいみたいだ。それと気にしないほうが良い。できてしまったことは仕方がないといっていた。できることは一生懸命やるができないことは仕方がない。
今日かけた香川のおばちゃんがベストな答えをしてくれたと思う。あまりくよくよ思い悩まぬことだ。そんなことを悩んでいるやつはいない。悩まない。がんばらない。ちょっとスピードが落ちてもいいから、ゆっくり行こう。仕事が好きになるのはいいことだ。でも周りを不安がらせてはいけない。ゆっくり行こう。ゆっくりマイペースで行こう。がんばると体が悲鳴を上げるだろう。周りの人はそんなに記憶力が落ちているとか思っていないんじゃないかと思っている。がんばって生きていこう。写真の仕事がんばろう。面白いじゃないか。がんばって生きていこう。ゆっくりで良い。がんばらなくて良い。あせることはない。順調に回復している。焦ることはない。ゆっくり生きていこう。悪い人はいないのだ。ゆっくりやろう。焦ることはない。がんばることはない。ゆっくりやっていこう。ぼちぼちやっていこう。あんまりがんばらないほうがいいみたいだ。どうもがんばると受けが悪い。がんばって悪ければがんばらないほうが良い。記憶力の問題もあまりがんばって考えないほうがいいだろう。一生懸命仕事をするが、思い悩まないことだ。今日はのんびりしよう。記憶の問題とかあまり考えないようにしよう。ほっとかれても仕方がない。そういう運命だ。あんまりがんばらないほうが良い。のんびりやろう。それが一番だ。のんびりしよう。この連休はのんびりしよう。のんびりやっていこう。気にしないようにしよう。のんびりやっていこう。
性愛について考える。人間はどうしても性愛に左右される。あの婆でさえ、性愛に左右される。性愛から自由な人間はいない。性愛を受け入れることにした。記憶のことは考えすぎで、考えないほうが良い。考えたからといってどうもできない。考えないことにしよう。脳がダメージを受けてしまう。記憶のことは考えないほうが良い。健康食品のことは考えないことにしよう。今度のMRIの検査で異常なければ何も言わないことにしよう。健康食品のことなんかどうでもいいじゃないか。健康食品のことを考えたり、mriなんか撮っている暇があったら、遊びにいった方が良い。健康食品なんか関係ないって。脳がダメージを受けたのならそのことを隠したほうが良い。考えないほうが良い。記憶の問題なんか関係ない。病気のせいで何かおかしなことを言っているくらいにしか思われない。自分を責めないようにしよう。
満月の夕ばかり聴いている。酒井俊のバージョンとソウルフラワーユニオンのバージョン、どちらもよい。ミクシイに書いたのにまったく反応がない。なんか不愉快なことを言っただろうか。公園に行ってきた。カードの請求書が来た。ちょっと使いすぎだ。本なんか買わなくていいのに。記憶のことはもういわないことにした。記憶なんて関係ないのだ。検査の結果、異常ないということがわかった。何が原因かわからない。記憶のことなんか言うのはやめて、前向きに生きていくことにした。生きることはもっとすばらしいことだ。ykさんもkさんも好きだ。脳に障害はないだろう。認知症でもない。字が読めないのは仕方がない。記憶のことなんか言わないことにした。もっと前向きに生きていこう。きっと生きられる。記憶に問題なんかないだろう。物忘れ外来で問題ないといわれた。mriもとった。問題ないだろう。記憶の問題は言わないほうがいいだろう。考えないほうが良い。考えている時間何かほかのことに使ったほうが良い。世の中悪い人はいないのだ。探しても悪い人はいない。
記憶のことは言わないことにした。もっと楽しむことをした方が良い。記憶のことは言わないで、一生懸命仕事を真っ正直にしたほうがいいみたいだ。記憶のことで自分を責めたり、病的になったりしないほうが良い。また被害妄想になったらいけない。性愛というのは人を癒すので、受け入れることにした。悪くはない。自分を責めるようなことは一切言わないことにした。記憶のことは言わないことにした。自分が一生懸命生きて行ったらいいのだ。
生きていることはすばらしいことなのだ。この平凡な日々が続いてくれることを望む。



2009年04月28日(火) 曇り

仕事を好きになるということはいいことだ。責任を持ってやれるというものだ。仕事を好きになるということはいいことだ。すばらしいことだ。仕事を好きになれば誇りというものができる。性愛を受け入れるということは大事なことだ。hkiは私が今まであった中で最悪なやつらだ。こういう場合どうしたら良いのだろうか。逃げようがないじゃないか。こうして書いているのも自分を守る行為である。ykさんもkさんも怖い。怖いのに近づかないでよろしい。マザーテレサにすがって生きていくしかない。のんびりやっていこう。一生懸命やろうと思ってもうまくいかない。何でhkなんかと一緒に仕事しないといけなかったんだろう。記憶力が低下している。脳がダメージを受けている。
今日は平穏な一日だった。お局様もご機嫌麗しく、幸せだった。ルイちゃんのことを思い出して、幸せだった。わたしも良い人になった。世の中悪い人はいない。どんなに必死で探し回っても悪い人はいない。がっかりするくらいだ。wさんという若い派遣の女性がいる。かわいい。性格も抜群だ。結婚したい。何とかならないか。ちょっとだけでも一緒に暮らしたい。もっと働かないとだめか。もっとがんばって働こう。
今日は楽しい一日だった。最後はなんか楽しい会議が目の前で行われて、見ものだった。でも女性は嫌がっていた。今は女性が中心でないといけない。世の中進んでいるのだ。こんな荒くれた職場でも女性は尊重されないといけない。
満月の夕を聞いて震撼した。心の奥底から揺さぶられた。こんな経験は久しぶりだ。なんという歌だ。都会に生きるということをはじめてよかったと思った。自分を大事にしないといけない。満月の夕
、何度聴いても良い。ソウルフラワーユニオンのアルバムを思わず注文してしまった。沖縄のメロディーがすばらしい。伊丹英子というのもすごい。すごい色気を感じる。



2009年04月27日(月) 晴れ

目の動きが悪い。手の動きも悪い。口の動きも悪い。吉田美和の性愛の話を書いたら、疎遠なマイミクさんから書き込みがあった。こんな路線でいいのだろうか。性愛はいいことだと思う。逃げてはいけない。今日は早く目が覚めた。仕事好きになろう。まだ目が回っている感じ。硬い世界からやわらかいほうに移りつつある感じ。あの夜からおかしくなって、元に戻らない。脳にダメージが生じたのだ。
今日は平穏な一日でよかった。お局様も怒りが収まったのだろう。今日は静かだった。やっぱり人に好かれないとやっていけない。じっとしていても好かれないから、やっぱり好感をもたれるような動きをしないといけない。なかなか大変だ。明日はいよいよカメラマンの仕事ができそうだ。やっと単純作業から脱出できる。その代わり、一生懸命やらないといけない。あの席に座っているのはいい加減苦痛なのだ。仕事好きになろう。でもぼちぼちでいいや。大阪弁で一番良い言葉だな。なかなかトップギアで走り出すというのは無理だ。でも怠けているわけにも行かない。ぼちぼちやっていこう。アルコールのせいで脳がダメージを受けたということがわからないやつがいる。この間のわけのわからん京都のおばさん。何を頭ごなしに言っているのだ。私は世間話をしているのではない。隔靴掻痒というか誰もわかってくれない。脳の写真を見ればいっぺんでわかることだ。絶対異常が発見される。前頭葉がおかしな感じがする。病気の後遺症ではない。脳がアルコールでダメージを受けた。どうしてわかってくれないのかわからない。記憶力がおかしいのと、理解力や注意力がおかしい。誰もわかってくれない。会社ではわかっているのに、病院ではわからない。自分でおかしいといっているのに何でわからないのだろう。記憶力が低下していると何度いったらわかるのか。いの伝にかけた。何か馬鹿にしたような言い方だった。人間関係が成り立たない。こちらの言うことを否定しにかかってくる。腹が立つ。どうしてわからないのかわからない。



2009年04月26日(日) 晴れ

デリヘルを呼んでしまった。でも泥酔してしまったのでうまくいかなかった。でもおしゃべりが楽しかった。お笑いと音楽の話が楽しかった。小田さんの話が楽しかった。それだけで2万円の価値がある。
昨日は泥酔してしまって恥ずかしい。デリヘルは楽しい子だった。さわやかで良かった。
昨日のドリカムのセクシーな曲はいったいなんだろう。もう若くないから恥ずかしくもなくそんな歌が歌えるのだろうか。でも悪くなかった。さすが才能がある。
脳がダメージを受けていて、困っている。普通に生活していくのが困難なだけでなく仕事ができなくなるのが困る。人間関係もうまくいかない。でもそういうことがよくわかるようになっただけでよかったかなと思っている。仕事が好きになるというだけで、良くなっていけると信じている。
二日酔いがひどい。しんどい。何もする気がしない。何もできない。仕事を好きになることは間違っていない。周りの人も好きになろう。サンジャポみている。都会人であることはすばらしい。やっぱり、都会の水はおいしい。昨日の子は楽しかった。しんどい。何かぎりぎりのところでがんばっている。もう少し、きちんとしないといけない。マザーテレサの本を読まないといけない。しんどい。回復してきた。心配することなく仕事に打ち込んだらいいのだ。
回復してきた。不安でいっぱいだったのが、回復してきた。真剣に生きることだと思う。ど真剣に生きる。仕事を好きになろう。仕事好きになろう。何を考えているのか。でも病気になったので元気になろう。月曜から、またYKさんと仲良くやろう。きっと仲良くできる。仕事を好きになるのと、人とうまくやっていくことは矛盾しない。むしろ仕事がうまくいくと、人間関係もうまくいく。きっと何もかもうまくいく。ああ、何でうまくいかないのか。これからは人とうまくやるようにしよう。
脳のダメージは今度の検査ではっきりしたことがわかる。これで異常なければもう言うのはやめよう。



2009年04月25日(土) 晴れ

割と最近は好調は好調だ。飛ばしすぎないことだ。ykさんとも何とかやっていけるような気がする。前頭葉が働き始めた。意欲をつかさどる。理性をつかさどる脳の司令塔。ただいっぱいいっぱいなところがあって、必死なところがある。でもそれくらいでないとだめだろう。仕事が好きになるということはやっぱり良いことだ。それ以外生き残る道はないのだ。最初は下手でも良いから愚直にやっていこう。マイペースでいいのだ。mさんは私の変化をいいことのように思ってくれていると思う。できるようになるということはいいことだ。ずっとこのままというわけには行かない。少しずつやっていこう。寝ているわけには行かないので、がんばってやっていこう。仕事が好きになるということはやっぱり良いことだ。落ち着いてゆっくりやっていこう。無理しても周囲との軋轢を生むだけで、焦りから波紋を巻き起こすことになるのだ。焦っても何もならない。
いの伝にかけた。おじさんが出てきて、長い話をされた。まあ仕方がない。人の話を聴くのも良いかもしれない。どこかに行きたい。新潟の温泉にでも行きたい。前は元気だったのに、今は何をするのも億劫だ。でも少し意欲が出てきた。ゆっくりで良いから、少しずつ興味のあることをやってみたら良いのだ。性愛とかはあまり興味がない。でも性愛はあるということを認めざるを得ない。積極的に認めることにした。性愛は良い。
hkとはもう付き合わなくて良いのだ。あの洗練とは程遠い、野蛮極まりない、知的レベルの低い、教養のない、俗物どもと付き合わなくて良いかと思うと、気が楽で良い。あれで性愛に興味があるというのだから、あきれ果てる。私のような洗練された人物が、あんなのと同じ空気を吸わないといけないのが悲劇だ。自分の本来の姿に戻ろう。付き合うことはなくなった。付き合いたくないやつと付き合うことは、誇りをいたく傷つける。仕事を好きになろう。そう書いてあった。あいつと付き合わなくて良くなったことは良かった。すごくうれしい。でも私は大喜びしたりしない。
今日は午前中寝ていた。ずっとわけのわからん夢を見ていた。起きたら寝ぼけて、会社に遅れたと思った。mさんの出てくる夢だった。両mさん。中国の田舎町に迷い込んだ。ワインが出てきた。面白い夢だった。私の記憶力低下は、病気の影響によるものだろうか。だとしたら、回復できるのではないかと思う。
病気のせいでこんなおかしくなっているのだろうか。だとしたら回復する見込みがある。脳の障害があるのだったら、難しい。MRIで脳の障害が発見されなければ良いのに。仕事が好きになると人と軋轢が生じるなんておかしいと思う。仕事うまくいくと良いな。仕事好きになってきちんとできるようになって、かつ周囲との関係もうまくいくようになるといいなと思う。仕事に打ち込んだから周囲と摩擦が生じるなんてありえない。共感の気持ちを持っていれば、ありえない。もっと仕事に打ち込みたい。そして人間関係をきちんとしたい。
公園に行ってきた。寒かった。誰もいなかった。誰もいないということはそれなりの理由がある。



2009年04月24日(金) 晴れ

まあ正直言って、民間人の考えることなんか興味がない。公益的な仕事がしたい。npo法人で働きたい。ぼちぼちクラブで働いてもいいかなと思う。電話相談なんかやったことがない。でも電話以外でも何か仕事があるだろう。賃金が発生しないこともあるだろう。後は生活保護くらいしかない。私は妄想なんかない。野蛮極まりない人間と仲良くするなんてありえない。性愛は社会の原動力でそれなしには人類の繁栄もない。人類手大げさだけど私には見える。性愛を通じて、人間は豊かになっていく。子々孫々反映してゆく。子供を生む人間を国家は全力を挙げてバックアップする。結婚もせず、子も産まない人間を国家は冷遇する。それでも結婚したくない。風俗は行かないが、その自由がほしい。妻ですか。子供ですか。どうも私にはできない。無理だ。
幸せになりたい。私も幸せになりたい。幸せとは何だろうか。結婚して家を持ち、子供を生み育てることだろうか。私には無理だ。でも幸せになれると思う。幸せはひとつではない。私にも幸せはある。お一人様の老後というのもある。何か老後といってもすでに老後のような気もするが、幸せになれるような気がする。
仕事に夢中になると人に嫌われてもいいと思うようになる。でもそういうことはいけない。何をやっても誰からも好かれるということはありえないのだから行動には十分注意しないといけない。でも仕事したいのが本音だ。失敗してもいいから、仕事の真似事をしないと生きてる価値がない。申し訳ない。
私の文章は否定形が多い。こういうところから改めていこう。ポジティブに生きていこう。脳がダメージを受けているとか、否定的なことばかり考えるから、仕事もうまくいかないし、敵を作ってしまう。また否定的か。否定は絶対しちゃだめというのではないが、なるべく肯定したい。ykさんを敵とせずに働いていくことは可能だ。今まで赤ちゃんのように甘えてきたが、自立していくことは可能だと思う。仕事をしだすと競争心とか芽生えるから、それが敵対の元かな。大体今までの経過を観察しているといい人ばかりなんで、解決できると思う。仕事をしながら、仲良くするなんていくらでもできる。ykさんと、kさんも仲良くなんかできないはずなのに女同士で連帯している。それもデリケートな問題を努力してうまくやっているからだ。なかなか私にはできない。私が洗練されていないからではなくて、洗練されすぎて、性愛に臆病になっていたりするからで、性愛を受け入れた今となっては、解決が可能になった。
失われた能力を嘆くよりも、残された能力でがんばっていこう。誰も私の代わりに仕事やってくれないので、自分でやっていくしかない。
こうやって書き継ぎ、書き継いでいるのも、不安で仕方がないからで、書いていると安心するからだ。そんな自分をかわいいと思う。かわいい自分を大事にしよう。ykさんとトラブったりするのもかわいくないからだ。私が関西人の皆さんとコミュニケートするには変換装置が必要で、だいぶ無理して話さないといけない。そうでないと会話にならない。私はいくつになっても田舎ものだ。子供だ。純情だ。性愛を覚えないといけない。性愛にものすごい罪悪感があるが。じゃあ結婚している多くの人々を罪人だと思っているのか。妙な話だ。そのくせ、性に関して退廃のきわみみたいなことをしている。矛盾のきわみだ。言行一致しよう。
若いやつらとか見ていると自由で未来があって、うらやましいと思う。でもこちらには経験と知恵がある。そういうのを若いやつらはうらやましがっている。そういう持ちつ持たれつみたいな関係がいいと思う。でも若いやつらはかわいいと思う。自分が若い頃経験したことを一生懸命やっている。すごくかわいい。
ああ、しんどい。私は若い頃に自殺を図ったことがある。危うく命を取り留めて、病院に担ぎ込まれた。そこで一応目覚しい回復ということになって、社会復帰できた。それ以来症状というのは出てこなかったのだが、今回再発ということで、再び病院の世話になることになった。でも病気は休めというサインだから、結局良かったのではないかと思う。ゆっくり休んでいるうちに芥川のように死ななくてもいいなと思うようになってきた。長生きして、病気を伴走者のように生きていったら良いのだ。今回初めて他人の助けを受けるということを経験した。大人になって初めてだ。若い頃は回りも全力を挙げてサポートしてくれるから、それを当たり前と思ってきたが、大人になって人のサポートを受けるというのは心理的抵抗がある。でもそのハードルを越えてしまうとすごく楽になる。甘美で何もかも正しいと思える。
フロイトの言ったことは正しい。人間が赤ん坊の頃から性的という指摘は世界中の人間を震撼させ、かつ共感させた。性愛は厳としてそこにある。生まれる前からあり、死んだ後もある。人間が生きていく限り、この深遠で甘美な謎は人を捉えて離さない。性愛を受け入れることにした。そうすればうまくいくように思う。脳が病気のせいなのか、薬のせいなのか、アルコールのせいなのか、働かなくなっていることは確かだ。病気は治りつつあるが、そのことが心を捉えて離さない。欲が出てくるのだろう。ここまで良くなったのだから良いじゃないかと思うが、欲が出てくる。
まだ早いのかな。見切り発車的なことはしたくないのだが、いつまでも頭がはっきりしないので、じれてくる。申し訳ないと思う気持ちが出てくる。欲も出てくる。責任感も出てくる。物忘れ外来に行ってみようという気になる。
それよりykさんとの関係が悪化しないことを望むばかりだ。人に好かれようとどれだけ努力しているか。その努力を続けなければいけないようだ。
難しい。この病気はややこしい。われながらややこしいと思う。記憶力が弱まっていることがネックになっている。YKさんのことも気になる。人に好かれるのも大変な努力を要する。自分の仕事に熱中すると人に好かれることなどどうでも良くなって、軋轢を生じる。でもそれでも気を使い続けないといけない。少しペースを落としてみよう。いきなりトップギアに入れて走り出すと倒れてしまう。ゆっくり行こう。昨日は酒を飲んだので記憶力がさらに悪い。今日の診察もなんだか調子が悪かった。ゆっくり休もう。
検査行ってきた。大変なストレスを感じた。狭いところに押し込められて大変な思いをした。トラウマになりそうだ。なんか感じの良くない女の技師で、嫌な思いをした。医師はきわめて感じが良かった。どんな検査結果が出るのだろう。怖い気もするし、楽しみな気もする。
性愛とは何だろう。怖い気がする。何もかも怖い。自分が差別されていることが怖い気もするし、人が怖い気がする。仲良くできない人とは仲良くできない。でもYKさんやKさんとは仲良くしておきたいものだ。無用な争いは避けたい。共感とかが大事だ。共生するとか。仲良くできるやつと仲良くできないやつがいる。仲良くできないやつと仲良くするということはない。人と仲良くしなくて良いんじゃないかと思う。特に海外Gの連中とは仲良くしなくてもいいのだ。ほっとする。どんだけ労力を使っていたと思うのだ。でもYKさんとは仲良くしたほうが良いだろう。
しんどい。人と仲良くするというのは難しいものだ。仲良くしなくても良いんじゃないかと思う。仲良くしなくても良いんじゃないかと思う。自分を大事にしよう。変な連中と付き合ってみたりしてはいけない。HKなんか今まであった中で最高に変なやつらだ。何でそんなものと付き合わないといけないのだ。何で付き合わないといけないのだ。洗練とはかけ離れた粗野で野蛮極まりないやつら。何でそんなものと付き合わないといけないのだ。自分のふさわしい人と付き合おう。あの鶴橋の唄歌いと付き合おうかな。「我が家の母はトーシツです」を読んでいる。結構深刻だ。怖い病気だという考えが強まってしまう。子供を殺そうとするなんてやっぱりおかしいと思う。薬をきちんと飲む環境になかったことが、不幸を深刻にしたと思う。でもよく生き延びたと思う。私も症状としては被害妄想しかない。正常人とあまり変わらない。
やっぱり普通の人と一緒に働きたい。仕事が好きになって、短い人生、がんばって働きたい。何もしなくてもいい世というのはつらい。何かして社会に役立っていると思いたい。何もしないのが社会のためになるというのは悲しい。何かやって社会の役に立ちたい。社会の役にたちたいじゃないか。私は案外好評だ。若いやつらにも注目を浴びてる。若いやつらは枠にとらわれない考えをするので好きだ。



2009年04月23日(木) 曇り

今日もいい天気だ。仕事が好きになって二日目。今日もがんばろう。仕事好きになった。仕事全力でがんばろう。
仕事好きになると何か問題も出てくる。仕事をめぐってライバル関係も出てくる。それが嫌で私は仕事をしなくなった面もある。厄介なことになった。何とか落としどころを見つけて、自分も仕事をやっていこう。仕事しないと申し訳ないし、生きていかれない。仕事していれば、oや課長も見ていてくれるだろう。仕事したい。まだ早いのだろうか。hkは洗練とは程遠い野蛮な人物だ。スポーツなんかやるやつは一部の例外を除いて、野蛮でどうしようもない荒くれものどもだ。矯正しようとしてもどうしようもない。子供をまともに育てたかったら、スポーツなんかやらせないのがいい。私のように洗練された人物からすると、ああいう野蛮な、動物すれすれのような存在は信じられない。スポーツで自分を作ってきたような人間は、人として大事なものが欠けているような気がする。後理系の人間はそう思う。数学で人間の心がわかるか。どうして自分の目をふさぐような真似をするのか。私のように真に洗練された人間はスポーツなんかやらない。私は性愛においても洗練されている。多形倒錯は人間として洗練されるための必須条件だ。だから結婚なんかしてはいけない。少なくとも離婚しないといけない。人間理解とはそういうことだ。一人の異性を愛し続けるなんかできるわけがない。うそをついているか、だまされているか、自分をだましているだけだ。人間は結婚なんかしてはいけない。うそをつかないで真剣に人間と異性と向き合わないといけない。女性アレルギーというのではなく、性愛アレルギーというべきか。性愛のにおいに敏感で無意識に避けてしまう。性愛と無関係に咲く乏しい二番華にあこがれる。大輪の花は苦手だ。あでやかに咲く。多形倒錯であることは濃厚である。知の淫乱だったこともある。退廃的だ。生きるうえで何の役にも立たない。でも今は生きていかないといけない。性愛にさえ救いを求める転落振りだ。私は女の姿に興味がある。心とかあまり興味がない。女遊びもしたことがあるが、のめりこむことはなかった。心は乾いていた。そういう自分に酔っていた。あの職場は荒くれたおんなどもで満ちている。なかなか難しい。でも中にはファンもいるようだ。ファンは大事にしよう。若い女はそれ自体で価値がある。荒くれていようが洗練されていようが同じことだ。価値がある。すべての女はそれを目指している。私のように真に洗練された人物は、異性愛を軽蔑する。同性愛も軽蔑する。多形倒錯は一瞬ごとに欲情する対象を変える。これが真の洗練である。そういう不安定で満たされない気持ちに一生耐え抜くことが真の洗練である。性愛に臆病であることも多形倒錯の特徴である。ykさんは絶対多形倒錯である。同じにおいがする。でも母親に過度にかかわることは勧めない。自分の人生を楽しむことだ。死に行く人のために生きている人が迷惑をこうむってはいけない。自分のためにならない。性愛を受け入れると宣言したのに、忘れている。というか反射的に身を避けている。それが自分を守ることといわんばかりに。性愛を受け入れるというとykさんとの関係もうまくいくと思う。
民間人が嫌いだ。私は5年間国と特別権力関係にあった。そのときのことが忘れられない。その頃が人生の絶頂期で、民間に下ってからはろくなことがない。民間人はろくなことは言わない。ガチャガチャして何を言い出すかわからない。民間人は私を悩ませる。金もらっているんだろうとか。うるさい。下品なことを言うな。金をもらっていようがいまいが、気が乗らなかったら働かないのだ。当社を起こした人間も国立大学を出て、というか東大を出て、砲兵工廠かなんかで技術者をやっていたらしい。まじめなわけだ。どう身をやつしても公務員のdnaは否定できない。私も会社に養ってもらおうと思っている。働かないのが一番会社のためになるとわかっていても、働きたい。脳がダメージを受けていようと、生きている間は奉公したい。
ヘルパーさんだって民間人だからあそこまでやってくれるのだ。公務員はあそこまで働かない。民間人はありがたい。公務員なんて世間知らずで働かないし、働いても見当違いのことばかりしている。民間人が高度経済成長をはじめとして日本の経済社会を支えてきたのだ。



2009年04月22日(水) 曇り

今日はすっきり目が覚めた。よく眠れた。意欲を持って生きていこう。流されるのではなく。三ヶ月間はなれるための時間だったのだ。これからは仕事をきちんとしていこう。
性愛というものはちゃんとある。目に見えなくても必ずある。あるものをないと言い張るからおかしなことになる。おばさんにも性愛はある。人一倍強い。それしか考えていないのかというくらい強い。そのため被害にあうことも多い。でも人のたどる道だ。怒らずに大人の対応をしたい。
あのhというやつは遠ざけたほうがいい。最初から仲良くできるものではないのだ。何で無理して付き合わないといけないのだ。仲良くなんてできるわけがない。私を馬鹿にしているし、目の敵にしている。何でそんなやつと仲良くできるのだ。仕事に恋をしよう。仕事に恋をして夢中になってやっていけば面白いよ。
今日も仕事がんばろう。おとなしくしていても面白くない。仕事を好きになってがんばっていこう。
今日は前半仕事がんばったが、m氏が出張に出てから仕事がなくなって、困ってしまった。それでもアクセスの勉強はやめて、実地の応用に向かおうとしたのがよかった。仕事が好きになるということはいいことだ。無条件にいいことが起こる。ところでhkについて考えた。粗野な人間とは付き合えない。自分を嫌いな人間と付き合うことはできない。嫌いなら嫌ってくれてもかまわない。嫌いな人間にすいてもらおうと努力することは大変な人生の無駄である。自分を好いてくれる人間を相手にして生きよう。hkはとにかくひどかった。スポーツをやるやつは粗野でわけがわからない。維持が悪い。根性が悪い。それで愛とか性とか興味があるというのが笑わせる。興味があるのなら興味があるといえばいいのに。妙に禁欲的だ。性愛は興味深い。戦慄と興味を禁じえない。恐ろしいものであると同時に甘美なものだ。
自分を嫌いな人間に好きになってもらおうとは思わない。無理だし、時間の無駄だ。どうして自分を嫌いな人間に真心を見せるのだ。おかしいじゃないか。嫌っている人間は嫌いでかまわない。無駄な努力はしたくない。ただ向こうもそう思っているかもしれないので、気をつけたほうがいい。hkなんか仲良くしようと思ってもこちらを目の敵にしているのに無理だろう。自分を嫌っている人間に好かれようとするのは疲れる。もうそういうことはやめることにする。普通に付き合おう。好きとか嫌いとか疲れる。仕事を好きになろう。そうすれば人に迷惑をかけることも減ってくる。自分を好きになるんじゃなくて、自分を好きになってもらうんじゃなくて、仕事を好きになろう。仕事を好きになると面白いことが起こる。楽しいことが起こる。とにかくhkみたいなのはこりごりだ。仕事を好きになろう。いいことが起こる。当社をもっと好きになろう。仕事を好きになるとなるほどいいことが起こる。あまり仕事をすると仕事をするのが当たり前になってしまって、サボれなくなる。適当にやっていこう。仕事を好きになるということはいいことだ。人に好かれることは難しいが、仕事を好きになることはできそうだ。人に恩返ししたいと思ったら、仕事を好きになることだ。今まったく、仕事が好きではないが、明日から仕事を好きになろう。仕事を好きになることはいいことだ。今日は教科書を手放して初めて自分で考えてみた。いいことだ。仕事が好きでないとできないことだ。仕事が好きになるのはいいことだ。会社や世話になった人に恩返ししたいと思ったら、仕事を好きになることだ。だいぶ会社に慣れてきた。何とか生きていこう。仕事を好きになると何かいいことが起こると信じて生きていこう。
tさんのアルバムを聴いている。お世辞にも上手とはいえないが、何か味がある。大阪の味か。
仕事が好きになることは大事だ。好きになるということは大事だ。そこがスタートラインだ。あの頃は仕事が好きだった。今でも好きになれる。nさんが仕事ができるようになったのは仕事が好きになったからで、誰かに強いられたからではない。仕事が好きになるときっとうまくいく。性愛の問題を受け入れることにした。性愛を受け入れることは大事だ。性愛を拒むことは困難なことだ。悲しいことだ。性愛は神秘的で、楽しいものだ。性愛を受け入れることにした。いいことだ。私は性愛を受け入れることにした。昨日の電話は難だったのだろう。あいつの言うことはなんとなくおかしい。私が幸福になることを毛嫌いしているようだ。自分は幸せなのに私がちょっとでも幸せになると嫌なのか。しかし短い間にいろんなことがわかるようになった。自分のことも人のこともよくわかるようになった。自分で生きていかないといけないのだ。自分で生きていけそうだ。仕事が好きになってきた。するとうまく回っていくようになった。うまくやっていけそうな気がする。仕事を好きになるということは大事だ。自分がもっとしゃべれたらいいなと思う。yさんが話しかけてくるようになって来た。私が仕事に興味を持ったことに興味を盛ったのではないかと思う。いいことだ。仕事場で仕事に興味を持たなかったら、友達もできないし、仕事もない。することもない。明日からは友達もいるし、仕事もできる。



2009年04月21日(火) 曇り

性愛を必要以上に恐れてはいけない。仕事も同じことだ。m氏は仕事を恐れたりなんかしない。難にでも暗いついていく。私も見習いたい。50にして結婚もした。性愛についても貪欲だ。性愛を必要以上に恐れてはいけない。ネガティブな結論にいつもなってはいけない。時間を有効利用して、勉強の時間にしようか。こんな日記ばかり書くんじゃなくて人の話を聴く時間にしようか。本を読む。新聞を読む。性愛を受け入れるということが大事だ。自分がどんなに弱い存在になっても、性愛は自分のエンパワメントしてくれる。性愛は論じるものじゃなくて、自らかかわるべきものだ。また二次元でなく三次元であるべきものだ。閉ざされたものではなく、開かれたものだ。人と人とを離反させるものではなく、融和するものだ。朝の時間は好きなことをするだけじゃなくて、人の話を聴く時間にしよう。お説教を聴く時間にしよう。そしてその日一日お説教にしたがって、行動する一日にしよう。村上龍と稲盛和夫の本を読んでいるが、いい感じだ。早くも役に立った。ずいぶんよくなったものだ。
今日はよく働いた。村上、稲盛の仕事本のおかげだ。意欲を高める本のほうがいい。小手先のテクニックなんか今の私には必要なくて、意欲を高めるストレートなメッセージがいいと思う。ykさんが近くによってくるような気がするのだが、気のせいだろうか。仮にそうであっても拒否しないことにした。セクハラとかにあわないだろうか。そういうことはないだろう。性的なことはあるのだ。ないと否定してもあるものはある。前回のトラブルでも性愛の問題が一番大きかったのだ。性愛をまったく拒絶するのは得策ではない。婆に性愛があってはいけないだろうか。ないといってもあるものはある。子供にだってある。赤ちゃんにだってある。フロイトが指摘した点は慶弔に値する。例のエディプスコンプレックスを除けば信ずるに足る。
性愛というものを見誤ったばかりにこんなことになった。性愛が悪ければ、結婚している人はみんな悪いことになる。あまりにも幼稚な考えだ。性に先鋭的な部分とまったく晩生な部分が同居している。類まれなケースだ。性愛は重要だ。結婚制度は性愛を安全な形で社会の中に組み込んでいくための装置だ。それはよく機能してきたが、今は結婚しない人も多い。結婚という制度にがんじがらめに縛られてしまうことに恐怖を覚える人々だ。私も性的に一人の女に縛られることに恐怖を覚える。でも性愛に許容的になってきた今となっては、女性を受け入れてもいいと思っている。二次元だけの存在であってはならない。生身の人間が一番いい。女を愛することがどうして悪いのだ。いいことだ。
男と女がいればそこに性愛がある。否定したとしてもあるものはある。あるものをないと言い張ってはいけない。うまく行くものもいかなくなる。あるものをあると認めれば、おのずと畏怖の念が生じて、互いに尊重しあうようになる。あるものをないと言い張るからおかしくなるのだ。あるものはあるのだ。目に見えないからないと思い込むのは動物のようなものだ。動物でさえ知っているのに、賢い人間がどうして見誤ってしまうだろうか。服を着ているからといって、裸がないと思うのはおかしいだろう。性愛というものはある。あるはずがないと思うからおかしなことになる。体臭を性的なシグナルと受け取る人は少なからずいる。それもあるものはあると思わないといけない。あるものはあるのだ。悲しくもうれしくもない、当たり前のことだ。互いに尊重しあうということが大事なのだ。
フロイトが親子間にも性愛があると喝破したように、あるものはあるのだ。最近ykさんが怖い。大丈夫だろうか。トラップにはまっていないだろうか。あるものをないと言い張ると大きな過ちを犯すことになる。私のように。字が読めなくなり、仕事もできなくなる。お互い尊重しあって、楽しくすごそう。性愛というものはある。あるといったらあるので気をつけたほうがいい。今日エレベーターで、あの海外の子と一緒になった。かわいかった。何とかならないだろうか。あのaさんだって、性欲は人一倍強いと私はにらんでいる。尊重しあわないといけない。あるものはあるのに、ないと言い張って失敗を繰り返す。私はでも成長した。チラッと見る一目の中に、恋の芽生えがある。あるものをないと言い張ってはいけない。あるものはあるとした上で懸命に大人の対応をしないといけない。偏見や差別だって、なくならないだろう。私自身の中にもあるのに人を責められるわけもない。あるものを有ると認めたうえで冷静な対処が求められる。
性愛は男女の緩衝材になりうるし、潤滑油になりうる。社会的にも有用なものだ。セックスだけが性愛ではない。男と女の間に必ずあるものを無視することは許されない。性愛は有用なものだ。それ自体甘美なだけでなく、男女間を円滑にいかせるために有用なものだ。私の男色癖も否定しても仕方がない。あるものはある。同性愛ではなくすべての存在に性的な関心が向かう多形倒錯というやつかもしれない。それでもあるがままの自分を認めたほうが害が少ない。男色家は世の中に多い。それを認めたほうがいい。認めたほうが害が少ない。精神医療ユーザーであることを認めたほうがらくだ。たけい倒錯であることを認めよう。性愛は異性間だけでなく同性間にもある。親子間にも兄弟間にもある。あまりにおぞましいので誰も言わないだけだ。でもインセストタブーは人間だけだ。おぞましさの基準は何なのかわからないが、それに異議は申し立てない。おぞましさを共有する。神が母の眼をつぶしたのではないかと思う。あの家が燃えたのも私たちの罪を神は許さなかったのだと思う。私たちは罰せられている。性愛はあることはあるが、認めなければならない。私は十分罰せられている。あの母も罰せられている。余生をゆっくり送りたいのだ。あんな婆みたいな変なやつにかかわってはいけない。性愛は必ずある。それは認めざるを得ない。恐ろしいものだ。甘美でもある。あのおぞましい男。神に罰せられ、障害を精神病院で送ったあの男。あいつさえいなければ、こんなことにはならなかったのだ。あのhさえいなければこんなことにはならなかったのだ。私はこんなことにはならなかったのだ。一生面倒を見てもらおう。こんな精神状態、こんな記憶力になってしまったのに、一人では生きていけない。一生面倒を見てもらおう。こんなことになって生きていけない。あのhさえいなければ。kとhさえいなければ。あの母親には人生を台無しにされた。何だ。あの母親は。信じられない。まともじゃない。最近弱ってきたのと、私がこんな風になってきたので、少しおとなしくなった。あいつこそおかしい。人の人生を台無しにして。幸せになる権利はあるのだ。hも私の人生を台無しにした一人だ。あいつは何で人を眼の敵にするのだ。いつも怒っているみたいな顔して、何を考えているのかわからない。どうしてこんなことになったのかわからない。私と父と母があんなことになってしまったのは病気のせいであって、私のせいではない。私は仕事をがんばる。あの三人と一緒に仕事をしたくなかっただけだ。今は開放されて自由の身になった。今は楽しい。
私も幸せになる権利がある。何で私だけ罰せられているみたいに不幸なのだ。幸せになる権利はあるのだ。性愛というのは楽しいが、怖い側面もある。注意しないといけない。
兄から電話があった。マンションの事を聞いてきた。もう断ったといった。実際断ったし。まだ早い。定着したとは言いがたい。今でも毎日早く帰りたい。電話もない。こんな状態でマンションを買うなんてそれは危惧するだろう。



2009年04月20日(月) 曇り

いいな、生きていることは楽しいな。性的なことを受け入れることにしよう。愛を受け入れることにしよう。エンパワメントだ。あの女の子も性愛でエンパワメンとしたいのだ。性がなければ何者でもない女の子が、性があれば男をお手玉に取れるのだ。性というパワー。性は人間に力を与える。性を受け入れることにした。愛も受け入れることにした。性愛。人間を動かすものだ。しんどい。今日は過ごせるのだろうか。性愛を受け入れれば世の中楽しくなってくる。愛は豊かで無限のものだ。女性を受け入れることは人生を豊かにする第一の方法だ。女性をまったく受け入れないというのはおかしい。女性を受け入れよう。
今日は電車で妙な一群に出会った。新入社員らしいのが、女子高生をナンパしていた。すごくかっこ悪かった。最後は女子高生にたしなめられて電話番号を聞くのを諦めていた。いいことだ。少し成長しただろう。私も記憶の問題を騒いでも仕方がないので、もう騒がないことにしよう。そして努力をしよう。メモを取るとか、メモをよく見直すとか、よく人の話を聴くとか。努力するところはいくらでもある。dhaを飲むとか。後は揉め事を起こさないように社会のルールを守ることだ。今日は放蕩のつけが来て、下半身が痛かった。たんぱく質が無性にほしかった。今日はステーキをして食べた。でもいいことだ。会社にいる間は全身全霊縛られている。それでいいのだ。それになれて、何十年も生きていくのが堅気の世界なのだ。厳しいがそれが現実だ。小さい頃のことを思い出す。学校を抜け出して、怒られたことがあった。劣等生の相手をしていて、自分まで同じ目で見られるようになった。今はずいぶん大人になった。性愛を受け入れるということはいいことだ。性愛を毛嫌いすることは女を毛嫌いするということだ。それはよくない。性愛というのは甘美で滋味豊かなものだ。大事にしないといけない。私は十分豊かな性愛を得ているような気がする。多様な性を楽しんでいる。異性愛、同性愛、幼児愛、sm、どれもそのテイストを理解してしかも深入りしない。私のような性が理想である。性の恐れはいくつになってもある。それは男女間の深い川がそうさせるのであって、正常である。
仕事に本腰を入れてやってみよう。今日は前半よくがんばって、間違いなく、自分で考えた仕事をした。後半アクセスの勉強をしていたら、いい顔をしなかった。自分の心地よい状態というのはどんなのなのか、わかるような気がした。今日は幻聴が聞こえなかった。よかった。精神状態によって幻聴が聞こえたり、聞こえなかったりする。
でも日に日に利口になっていく気がする。努力しないといけない。仕事をうまくいかせようと思ったら、何倍もの努力をしないといけない。努力好きじゃないか。努力をしてみよう。脳のダメージも何とかなる。がんばって努力しよう。努力することが働くことじゃないか。人がお膳立てしてくれることなんて仕事のうちに入らない。がんばって明日から努力しよう。
がんばって努力しよう。明日から努力して、仕事をうまくいかせるようがんばろう。面白く仕事をやっていこう。稲盛の仕事を見ても村上の仕事を見ても面白くやっているようだ。一度仕事にはまってみたら面白い。
脳のダメージは忘れて、努力してみよう。誰かの助けを求めるのもいいが、自助努力も必要だ。鉄なんか飲んでよくなったのは、下半身だけだ。下半身だけ元気になっても仕方がない。脳も元気になろう。スマイルズの自助論でも読もうか。ちょっと積極的かつ自分に厳しく仕事をしてみることにした。失敗して学ぶのだ。失敗を恐れて何もしないのではいけない。また困難を恐れてはいけない。何のためにお金をもらっているのだ。がんばって仕事をしよう。



2009年04月19日(日) 晴れ

昨日は楽しかった。きらっと生きるの世界が目の前に現れたような気がした。デイケアもこんな世界だったが、もっと華やかな感じがした。バンドとかやって発信できる能力のある人ばかりだった。青春がそこにあった。人と触れ合うようなことがやっぱりいいみたいだ。さびしいんだな。人間が一番面白い。いろんなものを発信している。発信できたらいいなと思う。友達ができたらいいなと思う。愛がやっぱり大事で、人は愛に敏感である。愛に植えている。この人の砂漠で迷いそうだ。やっぱり大阪は大都会だ。冷たい感じがする。その代わり華やかだ。
愛が大事だ。愛を知ることが生きることだ。性を受け入れることにした。誰でも性的であるということに気づいた。性に目覚めた。自分は性にとらわれているとわかった。仕方がないことだ。子供から老人まで性的なものだ。障害者の性とかありうる。
どうも性的なことが私を捉えて離さない。性的なことへの恐れが強いのにもかかわらず、強い興味がある。何か興味が強まっている。
偏見に悩まされている。性の興味が強くなっている。これはいいけど行き過ぎるとよくない。性欲が強まっている。もうこんな年なのに。年は関係ないか。性的なことに恐怖を覚えないようにしよう。
今日はいい日だった。パソコンを買い換えよう。目がかすむ。しんどい。温泉行きたい。温泉行きたい。優しいおじさんがいた。愛を受け入れよう。愛というのはいいものだ。愛を受け入れないというのはいけない。私は愛を受け入れることにした。愛を受け入れないといけない。後何回正月迎えることができるだろうか。盆と正月。



2009年04月18日(土) 晴れ

怖い事件があった。うつ病で通院中の男が妻子を殺した。こういうことで偏見が強まるので困る。実際こういう事件が起こると雰囲気が悪くなる。自分でも嫌になる。自分は関係ないので平静に行動すればいいと思う。
性的に人を受け入れることは、自分の性格や行動と一致するのでいいのではないかと思う。性的に人を受け入れることにしよう。そうするほうが自分の本質と一致して矛盾なく理解されるのではないかと思う。愛を受け入れよう。愛をとめないで。女を性的に受け入れることを恐れまい。性は怖いものじゃないのだ。性を受け入れることができれば、すべてのよきものを受け入れることができる。愛を受け入れることにした。愛を受け入れれば矛盾なく行動できるだろう。愛を受け入れれば女との間もスムーズに行くだろう。女の愛を受け入れるようにしたい。そうすれば女を愛することができるようになるだろう。脳がダメージを受けているが、ゆっくり回復している。あせらずがんばっていくことだ。愛を受け入れよう。愛は満遍なく存在している。通貨のように。愛と平和の使者になろう。私は愛と平和が好きだ。愛を受け入れることにした。性的であっても受け入れることにした。女を性的に受け入れることにした。女を性的に受け入れることはすばらしいことだ。女は楽しいものだ。性的に拒絶してはいけない。女を傷つけることになる。女を性的に受け入れることにした。そうするといろんなことがわかる気がする。性的に女を受け入れてみようという気になった。性的に女を受け入れてもいいなと思う。女と愛し合いたいなと思う。誰でもいい。女なら誰でもいい。
民間企業はあまり好きではない。公務員がよかった。国立大の学生は公務員だったのだ。あの時代が一番よかった。でも法律の勉強が嫌いで、公務員試験は軒並み落ちた。もうそのころは勉強なんかぜんぜんやる気なかった。字が小さい。パソコンを買い換えよう。
今日はある精神科関係の会合に出た。楽しかった。その後の飲み会も楽しかった。面白い人と友達になって、楽しかった。大阪の人は面白い。口が達者だ。面白い。で都会人だ。都会の人だから薄情なところもある。でもそれも美点だ。あまりべたべたするのは嫌だ。私も都会人なのだ。
私みたいに教養のある人はあまりいない。愛というのは大事だ。愛し合うことは大事だ。すばらしいことだ。愛し合うことは大事だ。人から哀れみ絵おもらうことは大事だ。男と女が愛し合うのは互いに哀れみ、愛し合うことだ、癒しあうことだ。世の中よくなったものだ。私みたいな半端者でも生きていける。楽しいといえる。造幣局にもいける。楽しい会合にも出席できる。多少脳がダメージを受けていても病気のせいなのかなと哀れまれる。とても楽しかった。最後までいてしまった。世の中よくなった。こんな精神障害者でもお上が哀れんでくれてお金をくれて、楽しむことができる。楽しかった。しんどい。しんどいけれども楽しい。しんどい。目がぼやけている。



2009年04月17日(金) 曇り

たとえ抑圧してもないことにはならない。性はどんなに抑圧しても、きっと出てくる。そのままの形ではなく、形を変えて。ファッションだったり、スポーツだったり。学問芸術だったり。誰がそれらを性と結びつけたりするだろうか。でも性そのものだといってもいいくらい性的な活動である。何気ない女の会話、おしゃべり、それも性的活動のひとつだ。女のおしゃべりは性的活動だ。何か問題解決しようとしているわけではない。女ほど性的な存在はない。性そのものだ。性を受け入れることだ。お見合いがうまくいかなかったとき、女を性的にまったく受け入れていなかった。まったく潔癖症で生身の女を拒絶していた。今からでも遅くないから受け入れよう。受け入れるシグナルだ。私の腋臭は女を受け入れるサインだ。女を性的に受け入れることが肝心だ。性の少数者などいない。誰でも性の主人公だ。仕事ができない理由も受け入れていないからじゃないか。性を受け入れればすべての仕事は可能になる。あれから遠くに来たもんだ。時間も場所も離れている。性的に受け入れることが他人と仲良くなる方法だ。他人と受け入れないのに仲良くなるなんていう方法はない。字が小さくなって書きにくいし、読みにくい。新しいパソコンに変えようか。
今日課長に呼ばれた。昨日の診察でしゃべりすぎた。ぎりぎりだもんな。でも回りは記憶力のことなんか気にしていないという話だった。それはよかった。ほっとした。仕事がうまくいっていないという話をしたが、結局仕事が増えるということになった。いいんじゃないかと思う。
性の問題を考えるとよくわかる。女や若者の行動を考えるとき、ものすごくよくわかる。スポーツの原動力は性である。間違いない。だからいやらしい感じがするのだ。スポーツがさわやかというのは嘘だ。ただ性をうまくコントロールできるようになる。それが、さわやかな印象を与えるのだ。赤ん坊から老人まで性から自由な人間はいない。
女が性的という話は私も知っている。性的なものを受け入れよう。そうすると世の中はうまくいく。性的なものを受け入れよう。性的なものは悪ではない。受け入れなければいけない。というより、楽しんでいいのだ。性はもっとおおらかなものだ。儒教、仏教、武士道、いずれも禁欲的で性を罪悪視する。でも性は悪ではない。おおらかに楽しむものだ。男と女は自由にしゃべっていいのだ。性はおしゃべりだって挨拶だって性的である。だからそれだけで楽しい。そばにいるだけでうれしいという場合もある。性的なものは楽しい。挨拶だけでも男女間では性的である。男女間でなくても性的な場合がある。私はそういう趣味はないが中にはそういうものもいる。私もそういう気があるかもしれない。女は楽しい。女は楽しいものだ。楽しませるために必死なのだから、楽しいに決まっている。女が性的であることを受け入れよう。前はそういう気持ちにはならなかったが、少しそういう気持ちになった。この年になって性の目覚めか。私に興味を持っているらしい女が少なくとも二人いる。まあだからといって驚くにはあたらない。男と女が同じ部屋で長い時間過ごせば自然とそうなる。記憶力の問題は気にしないようにしよう。自然とよくなるだろう。性的なものを受け入れよう。都会だから性的に活発なんだ。おかしくはない。性に興味を持っても。性的なことに寛容であろう。何か被害を受けたわけでもないのにどうしてそう拒絶的になるんだろう。受け入れようと思う。性的なものを。女がそんなに嫌か。そんなことはない。女は楽しくいいものだ。この年になってそう思う。字が小さくなる。もう買い替え時か。今年のボーナスで買い換えようか。ビスタは重いというがどうか。わからない。接続設定が困難だ。このパソコンは設定自分でやったと思う。こんなことになるなんて。こんなことなら我慢すればよかった。連休は8連休くらいになりそうだ。いい会社だ。会社もいい会社であろうと思っている。それはいい会社の条件だ。性を受け入れよう。女を受け入れよう。郊外の一戸建てがほしい。一戸建てだと高いらしい。なんだかよくわからない。女を受け入れていない。あの時はお見合いしていたころは女を受け入れていなかった。今は女も男も受け入れている。それは当たり前のことだ。現実とフィクションを混同してはいけないが、うまいこと混ぜ合わせて生きていくことは可能だ。みなそれを望んでいるようだ。物語をいきたいと思っているらしい。劇的な人生を生きたいと思っているらしい。ykさんの人生は小説になる。人生はどうなっていくのだろうか。性的なものを受け入れよう。拒否していては生ききれないだろう。性的なことは大事だ。受け入れることにした。子供はかわいいな。子供もちなみに性的だ。老人も性的である。特におばさんは性的である。性の主人公だと思っている。
おばさんは何かめがねのつるで性をアピールしている。おばさんといえども性的である。性的であることを諦めてはいない。絶対一生諦めない。そういうものを受け入れたらどうかといっている。少なくとも拒絶しない。ということは受け入れるということだ。女を受け入れないというわけではない。女性の問題は女を性的に受け入れることによって解決可能になる。今日の電車の中の女たちを見ても乗り物なんかに興味あるわけなくて男にしか興味がないのだ。ぶすでもおばさんでも分け隔てなく性的な存在なのだ。性の主人公なのだ。不思議なようだが、本当だ。女を性的に受け入れるということが肝心だ。性的に受け入れるのでなければ女を受け入れたことにならないから不思議だ。女を人間として受け入れるなんていうことはありえなくて、性的に受け入れることしかない。女を性的に受け入れよう。それは間違いない。今日の婆の行動もよくわからなかった。でも性的に受け入れられたことを知って、ああいう行動に出たのだと思う。性的な事柄が、私の人生を支配しているので、性的に女を受け入れないと話にならない。女は性的である。それを理解しなければならない。性的に女を受け入れなければならない。性的に女を受け入れなければならない。性的に女を受け入れなければならない。女は性的な存在であって、それ以上でも以下でもない。女は性的である。性的な存在である女を受け入れなければならない。性は重要だ。人に優しくするというのは性的であるということだ。性的に優しくするということは重要だ。性的なことに嫌悪感を持たないことにしよう。性的なことを受け入れよう。記憶のことは言わないようにしよう。性的なことを受け入れよう。そうすると矛盾がなくなる。自分は十分性的な存在だ。そういう自分が性的なことを受け入れるというのは自然なことだ。



2009年04月16日(木)

昨日は再インストールで大騒ぎした。疲れたけど目的をやり遂げた満足感がある。性の問題にtづいて持論を展開したら、女性たちに引かれてしまった。文学においては性は完全に自由だし、いくら言っても大丈夫かなと思ったのだ。性は人をひきつけ、まとめる力がある。彼女らも私の性的な力に惹かれて集まっているのだ。こちらからアプローチしたのだが。eさんが特によくコメントをくれる。完全主義なところがある。
今日は眠くて大変だった。一日過ごすのも大変なことだ。カメラマンの仕事はまだ始まらない。mriを撮ることになった。いいことだ。きっと何か発見されるに違いない。脳が萎縮していますといわれたらどうしよう。きっと萎縮している。写真はごまかせない。o大病院にかかりたい。その後リハビリセンターにもかかりたい。人間は性的だという理由ははっきりしている。人は性と権力に左右される。性は人を恐れさせる。でもそれはいいことだ。恐れを知らなければ性の報復を受ける。私はコントロールできる。性は楽しいものだ。美しいし、価値がある。女はいいものだ。あの女性は私に好感を持っている。そこから先に進まないから私らしい。老人や子供も尊重されなければいけないのは性的な存在だからだ。老人も死ぬまで性的な存在だ。女はいつまで女なのか聞かれて、灰になるまでと答えたという。絶対性欲は消えない。私はそれを受け入れると考えた。受け入れることによって、問題は消えてしまう。性的存在を受け入れるとはすべての存在を受け入れるということだ。男女を問わず、受け入れるということだ。そうするとうまくいくような気がする。他者を尊重しようという気持ちになる。おばさんが性的な存在であったとしても、いやらしいと思ってはいけない。そういうものだ。女はいつも性的な存在だ。尊重しないといけない。受け入れなければいけない。性的な存在として受け入れないといけない。すかれなくてもいいから嫌われないようにしないといけない。
女は性的な存在だ。それを受け入れないといけない。それをよく知って、正しく利用しないといけない。性と権力は同じものだ。正しく配分されないといけない。脳が萎縮してますといわれたらどうしよう。そういわれるに決まっている。



2009年04月15日(水) 曇り

私が馬鹿なことをやったかといって、三島由紀夫や太宰治や芥川龍之介や川端康成はもっと馬鹿なことをやっている。私がやったのはそんなに馬鹿なことではない。これから頑張れる。性に生きることにした。性は大事なものだ。大事に生きよう。デイケアに通っていた頃も楽しいとは言いがたかった。今日メールの設定のことを聞いてみよう。再インストールしてもうまくメールが使えるか設定を代わりにやってくれないか。性的なことは大事だ。女にとって性的なことは大事だ。そういうことを大事にすれば自然とうまくいく。字が読めなくなってしまった。こんなのでは仕事もできない。私があの職場にいられるのも長くないかもしれない。脳がダメージを受けているのだから仕方がない。誰もわかってくれない。疲れた。しんどい。うまくいくだろうか。今日も半日で帰りたい。仕事があればいいが、仕事がないので辛い。しんどい。字が読めない。言葉が出ない。言葉が理解できない。三か月経っても理解が進まない。業務に関する知識が進まない。こんなことではいけない。もっと仕事に前向きに取り組もう。でも今日は昼で帰ってよい。仕事がうまくいかない。もっとポジティブにいこう。今日は昼から帰ろうか。脳に疲労がたまっている。ゆっくりしないといけない。何がきっかけか分からないが、疲労がたまっている。疲れがピークに達している。ゆっくり休んだほうが良い。体は丈夫だから、休みたくないという気持ちはわかるが、脳のほうは疲れている。休んだほうが良い。昨日は仕事が全然できなかった。やる気がうせている。今日はひるまでで帰ってwindowsの再インストールをやろう。病院にもいっぱい電話しよう。



2009年04月14日(火)

しんどい。今日は脳はしっかりしているが、体がしんどい。毎日変なことばかり言われて、体が悲鳴を上げているのかもしれない。おかしいって何なんだ。もうその発言はやめろ。はっきり利害が対立する。私は精一杯やっている。周囲は物足りない。
仕事ができない。今日は少し仕事した。回ってきた仕事はミスなくこなしている。でも絶対量が少ない。
女に対してどう接したらいいか。良くわからないが、女性として接したらどうかと思う。性的なことを全く無視することは不可能だし、得策でもない。女性は女性として扱えばいいんじゃないか。女として扱われて悪い気はしないだろう。どんな女でも自分を女と思う。小さい女の子でも同じだ。おばあさんでもそうだ。女として見られて悪い気はしないだろうというのは勘違いだろうか。男のエゴだろうか。まあ常識的な範囲内であればいいんじゃないか。全く拒否すると冷たいという印象を持たれかねない。人間関係、男女関係、微妙なものだ。性を否定するのは実態とかけ離れているし、全く不可能だ。得策でもない。性的に行動することはいいことだ。何もパンツを脱いで暴れろとか、痴漢しろといっているわけではない。常識的に潤滑油として、まあ、笑顔でいるとかそういうことでもいいじゃないか。笑顔がどうして性的だろう。性的なメッセージを受け取るかどうかは人それぞれだ。腋臭を性的なシグナルと受け取る人もいる。だから、拒絶しなくても大丈夫だ。拒絶はいい結果をもたらさない。受け入れることの方が大きな利益をもたらす。性的なことがどうして下品だろう。人は性的なことにひきつけられ、動かされている。それを拒絶したら、世の中回っていかない。女性とうまくいかにのはおそらく性的なことを拒絶するからだろう。そうしなければうまくいくようになる。ブスとかおばさんであっても、性的なものを持っている。性的なものを拒絶したら身もふたもなくなる。世は幻想である。幻想で人は動いている。夢とは幻想に他ならない。人は夢に動かされている。夢と生きることは重なる。同義語といっていいくらい、近いものだ。労働は夢があってこそ、生かされる。夢に向かって生きて行こう。夢は大事なものだ。夢によって生きているのだ。人間は。ものによって生きているのではない。金だ、飯だと下品なことを言うな。下品とは限らないが、それだけではないということだ。幸せは金ではない。心の持ちようだ。 しんどい。明日休みたいのだが。昼まで行って帰ろうか。頑張って生きて行こう。生きるとは何だろうか。そんなこと考えても仕方がない。どこかに引きこもりたい。でも引きこもるのはいつでもできるから、今は何とか生きて行こう。性的なことは必要だということだ。キリストにしても、性的なことを拒絶しているわけではない。処女から生まれたことになっているが、本当だろうか。そんなはずはない。でも性的なことを穢れと思う気持ちはわからないでもない。でもそんなに忌み嫌うべきものだろうか。それによって動かされているのに、何で隠そうとするだろうか。恥ずべきもの、汚いものと考えるからだろうか。そういう考えが、女性蔑視につながる。性を明るく開放的なものと考える社会は解放された自由な社会だ。アメリカのような国は進んでいると思う。でも保守的なところもあるか。ピューリタンのような考えもある。中絶反対といっているグループもあるから、なんでも自由というわけではない。何の話だ。性は汚いもの、恥ずべきものではないということだ。解放された社会を目指そうといっているのだ。うそをついてはいけない。心にみだらな考えを抱いてはいけないという。みだらでなければいいだろう。清らかな性というものがあるのだろうか。純真な性。一人にだけ捧げるのは清らかな性だろうか。国家はそう取り決めている。一夫一婦制を法律で定めている。それだけが唯一の性であると。私はせいはもっと自由であるべきだと思っているがどうか。私は婚姻には向かない。自由と矛盾するからだ。自由。性はもっと自由であるべきだ。性的放縦とは違う。他人の権利を侵害したりしない。自由であるべきである。性的少数者であっても権利を認められるべきだ。尊重されるべきだ。何の話か分からなくなってきたが、私が独身である、本当の理由はそういうことである。性的に縛られたくないのだ。一人の女だけに性的に縛られるというのは私には向かない。5分おきに違う女を愛してもいいのだ。性的夢想の自由といっても良い。性的夢想すら禁じるというのでは、生きてる意味がない。一人であればそういうことは自由だ。五分おきに違う女に恋しても良い。結婚していたらそんなことは許されない。全ての女に情けをかけるくらいのことでもいいのだ。全ての女を愛してもいいのだ。美女も醜女も幼女も老婆も、老若男女愛していいのだ。自由だ。性的自由だ。女を性的に拒むということはその存在を否定するということだ。性はその人の重要な一部だ。性を否定するということはその存在を否定するということだから良くない。たとえブスであっても。否定してはならない。nhkのアナウンサーであっても性的に不活発というわけでもないし、価値がないというわけでもない。逆に価値が高いと思われるのはなぜか。全ての女は性的だからだ。女を差別しているわけではない。女に欲情することはその女を評価し、肯定することではないか。ある理由で性的にその人が価値がないと考えるのは良くないことだ。人妻というと逆に欲情したりする。いかに全ての存在が性的か。禁止がいかに妄想を膨らませるか。禁止する理由なんかないのだ。逃げる理由もない。制的なものを禁止し、逃げようとすると、娘道成寺の坊さんのように不幸なことになる。愛を受け入れるべきだ。簡単なことだ。性を受け入れることはわれわれインテリに取って難しいことだ。だが、今はそういう時代ではない。今そういうことを行っているときではない。より生き易くするには性的なものを受け入れないといけない。当社がより生きやすい会社になったのは硬いイメージを崩して、柔らかいものに訴えかけたからだ。硬いものは人気がない。柔らかいものでやっていきたい。知的だった私が脳にダメージを負ってから、知的なことに興味を持たなくなってきた。代わりに性的なイメージに興味を持つようになった。今日あの女が黒いストッキングをはいて私の前で長く働いていた。何のアピールだろうかと思った。気のせいだろうか。仮にそうだとしても受け入れることにした。ありがたく受け入れることに決めた。だまされているとか、誘惑されているとか思わない。自分の意志で動いているのだ。性的なイメージ。いいじゃないか。結局私もヤンキーなんだろうか。ヤンキーとえらく気が合う。性的なイメージはいいじゃないか。私は低いものとして否定したりしない。食べることも同じだ。より低いものとして否定したりはしない。あの女面白いと思う。私に興味を持ってくれるだけで嬉しい。あんな若い女がどうして私なんかに興味を持つんだろうか。好みのタイプ何だろうか。私もあの女が好みのタイプだ。昔は違ったが、今はああいう性的にアクティブなタイプに惹かれる。清楚な女とかあまり興味がなくなった。でも要するに何でもいいのだ。性的におとなしかろうが、アクティブだろうが、どちらでも良い。私に興味を持ってくれさえすれば排除しないことに決めた。排除されるとすぐ分かる。ykさんも自分が年だからとか、そういう理由で排除されていると感じるから起こっているのではないだろうか。そんなことはない。性的にアクティブになることはいいことだ。私は必死で抑圧してきたが、ここに来てどうでもよくなった。そんな堅苦しいことなんかどうでもいいじゃないか。性的に活発で何が悪いのだ。それは年なんか関係ないし、病気なんか障害にならないし、脳に障害を負っていても問題にならない。私の腋臭も性的なシグナルと受け取る人もいるから、肯定的に考えたほうが良い。嫌な人は嫌だろうが、そうでもない人もいる。気にしないことだ。ネガティブな自己イメージを膨らませるのは病気の元だ。あのババアでも性的に受け入れられないというメッセージをもっとも強烈に嫌うのだ。ババアは確かに性的に受け入れにくい。でもそうは思っていない。本人は自分はれっきとした女で性的魅力があると思っている。つりあいの問題だ。だからあの馬場を性的に受け入れることは重要な第一歩になると思っている。あんなばばあでさえ受け入れることができるということは、全ての女を受け入れることができるということだ。掃除のおばちゃんでも女として受け入れることができるということだ。それで何か損することになるだろうか。氷川清みたいに良い男として人気を博することができるじゃないか。それもこれもあんな若い男でありながら、おばはんを拒絶しないからだ。ヨン様でも同じだ。若い良い男であって、おばさんを拒絶しないのはヨン様と氷川清くらいだ。脳のダメージを受けたからこういうことを考えられるようになったのだ。良い変化といえないことはない。性とは何だろうか。そんなに狭い限られたものではない。性は広く深いものだ。人を受け入れるものだ。子供でさえも性によって動かされている。高齢者であっても同じだ。子供や年寄りが性的に扱われることを汚らわしいと思う人もいるが、受動的でなく能動的に性的に活動することは禁止されることではない。谷崎の鍵は読んだことはないが、老人の性がテーマらしい。老人にも性はある。子供にもある。ただそれは子供だから大事に守られねばならないというのは当然だが。汚らわしいものではないということだ。全ての人間は性的に活発だといってよい。私も病気になって面倒だった頃、性的なことから逃げていたが、逃げてばかりもいられない。黒いストッキングの女とも付き合っていかないといけない。hさんも人妻という性のアウトサイダーだが、今や人妻は性のメインイベンターであって、排除してはならない。人妻であっても本人はやる気満々だ。それを汚らわしいと思ったり、抑圧したり、排除してはいけない。怖がってもいけない。性に対するネガティブなイメージがそういう行動に走らせるのだ。性的少数者などというものは存在しないとさえ思っている。sm愛好者であっても同性愛者であっても日の当たるところに出始めた。smは無理かもしれないが、でも市民権を得ている。にしおかすみこを見よ。ハードゲイを見よ。性的少数者はもはやいないかのようだ。希望が湧いてきただろう。素晴らしいことだ。性自体がすっかり解放されている。われわれの若い頃とえらい違いだ。自由に若者は性を楽しんでいる。抑圧することはひねこびた性を生む。あるいは変態行為に走る。変態であっても異常ではなく日陰者ではない。すっかり日の当たるところに出てきた。精神病者であっても働くことができる。これは実験だ。私は世界最先端の実験を行っているのだ。さすが最先端の企業だ。私には見える。目に見えないものが私には見える。性の問題からえらいところに飛んでしまった。自由とはそういうことだ。自由。自由から価値あるものが生まれてくる。世に誇れる人生でありたい。頑張って生きて行こう。こんな病気と思ったが、克服できる。働くことさえ不可能ではない。これから必死で働こう。仕事がないという問題はあるが、それは病気のせいではない。変といわれるが、それは病気のせいではない。今日はしんどかった。明日は元気になろう。無理なら半日休んだほうがいいかもしれない。



2009年04月13日(月) 晴れ

今日もポジティブな気持ちで生きて行こう。ポジティブとは自分いじめをしないことだ。明るく生きることだ。他人と共感し、共生することだ。ポジティブに生きることだ。昨日は疲れた。今朝はしんどい。良く眠れたのだが、脳がダメージを受けている。自然によくなってくる。それは5年、10年のスパンでよくなってくるのだろう。今iクリニックにかかっているからいいのではないかと思う。mriが受けられる。鉄剤療法はいいんじゃないかと思う。ちょっと体がぽかぽかして、脳が活性化してくる。高次脳機能障害の病院にいって見たい。
派遣の女が私をターゲットにして馬鹿にしてくる。誰かをターゲットにしないといけないその女は私に狙いを定めたらしい。絶対相手にしないほうがいい。絶対だ。トラップなのだ。トラップはどんどん切り離さないといけない。絶対気にしてはいけない。絶対相手にしてはいけない。
少しずつよくなっている。間違いない。周りの反応もよくなっているから間違いない。ネガティブな考えを持たずに前向きにいこう。あんな女なんか誰も相手にしない。いろんな職場を転々としているやくざみたいな女だ。絶対相手にしてはいけない。絶対だ。こちらが羨ましいのだ。身分が保証されていることがねたましくて仕方がないのだ。
絶対相手にしてはいけない。絶対といったら絶対だ。自分にもっと優しくしよう。会社は厳しいところだ。やめたいと思った。続けてはいけない。どうやって生きていったらいいのだ。
おかしいといわれるから病院に行ったら、正常といわれる。どうしたらいいのだ。鉄剤療法で頑張るしかないのか。人に弱みをあまり見せないほうがいい。何で派遣の女のことまで気にしないといけないのだ。絶対に相手にしてはいけない。絶対相手にしてはいけない。絶対といったら絶対だ。絶対相手にしてはいけないのだ。鉄剤療法は効果がある。昨日の今日なのにもう効果が出ている。頭が少しはっきりする。鉄は脳の血行が良くなるのだ。たぶん。dhaと同じだ。それ以上の効果がある。それにしても会社のトラブルは絶えないものだ。まあ気にしないようにしよう。気にしたら負けだ。気にするようなことを言っているのだから。
脳の調子がいいようだ。鉄は脳の状況を改善する。血流が良くなるのだろう。足もぽかぽかする。dhaもアラキドン酸も飲んでいるし、これで改善するだろう。脳のダメージは改善するだろうか。ふわふわしていたのが少し良くなった。今日は仕事は順調だったということは、脳が調子が良かったということだろう。でも無理しないほうがいい。それから女のことなんか絶対に気にしないほうがいい。絶対といったら絶対だ。いつか見返してやる。必ず復活してみせる。鉄でも何でも飲んで回復してみせる。何で鉄がアルツハイマーにいいのかわからないが。脳が萎縮しているのは確かだ。絶対mriで異常が発見されるに違いない。注意力が鈍っている。笑い事ではない。重大なことだ。どうなってしまうのだろうか。私はどこに行くのだろうか。きっと回復する。満足のいくレベルにまで回復する。



2009年04月12日(日) 晴れ

今日は調子がいいようにおもう。脳の調子が。というか、何かが違う。仕事に注意が向くようになったと思う。仕事だけじゃなく、女とか、重要な案件に対して注意が向くようになった。花見も面白かった。ykさんは面白い。私が順調に回復するのを誰もが望んでくれていると思う。確かに今は脳がおかしいけど、戻らないというわけではない。検査では異常は発見されなかった。でもどういう方向に行ったらいいのかわかるようになった。脳の具合も悪くない。意志の力で何とかなる。脳の血流が改善されるようになって来た。DHAのお蔭か。注意力が持続しない。でも改善されてきた。酒を飲むと意識状態が変容する。誰でもそうだ。人との共通点を考えたほうがいい。あの海外の女は私に興味でもあるのだろうか。良くこちらに来ている。いくつになっても女に興味があると言うのはいい事じゃないかと思う。昨日病院に行って女がいっぱいいたので面白かった。一人きれいな女がいてすごいスタイルが良かった。白衣がまぶしかった。あと小さい女の子がいて、あどけなくてかわいかった。ちょっとおしゃまでかわいかった。今ちょっと一時的に脳がダメージを受けているだけで、すぐ回復する。田舎でのんびりしたいものだ。大阪は都会だ。夢が湧いてくる。いくらでも湧いてくる。n君はいいな。かわいいなと思う。面白いことを言うし、かっこいい。
ネガティブな気持ちはどこから湧いてくるのだろう。心配性なんだなと思う。それが高じて妄想にまでなる。弱点となってつけこまれる。
自分を守らないといけない。快楽の気持ちで生きていけばいいのじゃないかと思った。ネガティブな気持ちでは生きてはいけない。ポジティブに生きて行こう。どこまでも前向きに生きて行こう。
今日はいい天気だ。公園まで散歩に行ってくるかなと思う。望み無きにしも非ずと思う。私の脳も回復するのではないかと思う。今まで回復するのに時間がかかったが、これからは急回復するに違いない。広いフィールドに出て行くことが怖くて仕方なかったが、失敗して覚えるということが大事だ。ネガティブな気持ちは自分を傷つけるだけだ。酒を飲むとネガティブな気持ちが消えてよくなってくる。昨日はいい気分だった。このまま回復するのではないかと思う。ポジティブに考えよう。大船に乗った気持ちで行こう。いろんなことが分かるようになった。一年前とはえらい変わりようだ。死は解放で気持ちいいものだ。気持ちいい方向に行こう。ババアと私の違いはネガティブかポジティブかの違いだけだ。私もポジティブに生きて行こう。
今日は元気だ。朝5時前には目が覚めて活動している。頑張って生きて行こう。希望が出てきた。カメラマンの仕事を頑張ろう。デスクワークは少し難しい。自分のことで時間をとられた。これからは時間を取り戻していこう。自分が生きていくにはどうしたらいいか考えていこう。自明性を喪失してしまった。ネガティブな気持ちはなくしていこう。やめとこうとかこれはやめとこうとか言う気持ちはネガティブなのでやめておこう。ってちょっとおかしい。ネガティブなのでやめておこうというより、ポジティブに行こう。ポジティブに行こう。
公園に行ってきた。疲れた。昨日の今日だからすごく疲れる。うまく行かない。疲れやすい。しんどい。
ポジティブに行こう。脳がダメージを受けているのだが、鉄剤療法で回復するぞ。MRI撮るぞ。絶対異常が発見される。そうなったら本格的に治療に入ることができる。脳がダメージを受けてしまった。もう戻らない。世の中はどうなっているのだろう。
ポジティブに行くとうまくいく。ネガティブなためにどれだけ損をしているか。病気のせいで脳がダメージを受けているということを考えている。そうではないのだ。仕事をしよう。きっとうまく行く。脳がダメージを受けている。これは間違いないことだ。定期を洗濯してしまった。こんなことをするだろうか。料理をしなくなった。ポジティブに生きよう。脳が働かなくなった。会社に定着してから、マンションでも買おう。まだ定着してはいない。守衛に回されるかもしれないし、分からない。脳が働かなくなった。脳のダメージは大きい。錠剤ばっかり飲まないといけない。ポジティブに生きようと思ったのが、遅すぎたのか。人生に遅すぎたということはない。人生に遅すぎたということはない。ポジティブに生きて行こう。ポジティブに生きて行こう。脳がダメージを受けていてどうしようもない。ポジティブに生きよう。ポジティブに生きよう。



2009年04月11日(土) 晴れ

昨日は酒を飲んだ。気持ちよかった。昨日もいっぱい失敗したな。失敗しない方法というのはなかなかない。落ち着いてやるしかない。昨日は朝のミーティングで初めて発言して、好評だった。昨日に続き、少し前進したことが認められた模様だ。カメラマンの仕事もありついたし、良かった。リハビリには最適だ。私も冗談でいいから少ししゃべるようにしようかな。雑談て高度な能力を要するらしい。まだ無理なのかな。少しは可能なのかな。昨日の私は好評だった。少しはっきりしてきた。中途半端でいいから、積極的に仕事に取り組んでみたら案外好結果が出るかもしれないじゃないか。親に金を無心したらすんなりと出してくれそうだった。そういうわけで積極的に行くのと、落ち着いてしっかり舞い上がらないようにするというのは大事かもしれない。そうすれば少しは思い出せるようになるし、覚えられるようになると思う。カメラマンの仕事、人に笑われるんじゃないかとか思わずにしっかりやっていこう。これを踏み台にもっと良い仕事にありつけるように頑張ろう。リハビリには最適だ。良い仕事をくれたものだ。自分をもっとレベルアップしていかないといけない。仕事にももっと貪欲に行かないといけない。それと失敗のないようにメモを見ながら正確に行こう。差別発言問題は予想されたことなんで、気にしないようにしよう。あと、女のことなんか気にしないことだ。落ち着いて舞い上がると余計に忘れる。注意力が低下しているので、覚えていないことが多い。明るくやっていこう。明るくやっていこう。きっとうまく行く。西九条って共産党の支部があるけど何かあるんだろうか。いつも変なところに住んでしまう。変なところといっては語弊があるけど。いいところにすみたいと思う。ババアを刺激しないようにしないといけない。同時にババアの言うことなんか気にしない度量も試される。今あることが全てだと思うようにしよう。この世とあの世は意識レベルの違いに過ぎない。生きているか死んでいるか。あまり考えないようにしよう。今を精一杯生きよう。いろいろ言われる。おかしいとか、中途半端とか、あかんようになったとか。言いたい放題だ。人の口に戸を立てることはできない。
西九条見に行ったが、すごいところだ。高校生とか多いし、どぶ川のにおいがするし。やめておいたほうが無難かもしれない。今はじっと我慢だ。定着したとは言いがたいじゃないか。明日をも知れぬわが身だ。我慢というより、節約だ。今ものを買うときではない。政府の口車に乗ってはいけない。頑張って生きて行こう。生きることは楽しい。楽しくないのに生きていても仕方がない。カメラマンの仕事楽しいじゃないか。楽しくなかったら、生きていても仕方がないじゃないか。仕事も楽しくやろう。楽しくなさそうな顔をしているから楽しい仕事をくれたんじゃないかな。とりあえずリハビリに励もう。もう大丈夫だろう。元気な笑顔を見せてあげることが何よりだ。頑張って生きて行こう。人生はどうなるのだろう。頑張って仕事をしよう。いかんなあと思うが仕方がない。頑張って生きて行こう。私がどんなことになっているか分かっただろう。頑張って生きて行こう。
うまく行かない。人生うまく行かない。カメラマンなんてうまくやれるのか。後パソコンで加工するのだって難しいし。いろいろあるなあ。人生は。これだけ評価が低いのだ。私は。そんなことはない。自分があほになったということがばれてしまった。仕方がない。
今日は診察にいって来た。異常ないそうだ。でも今日の日付はわからなかった。今年が平成何年か分からない。絶対おかしいと思う。あの医者は余り良い医者ではない気がする。鉄剤両方とか言って怪しい民間療法みたいだ。自分は飲まない。絶対そんなのでよくならない。でもmri撮ってほしいので、仕方ないので通おう。
今日は大川沿いを歩いた。気持ちが良かった。人が好きになった。子供や若者がかわいかった。若者は元気で美しくてよろしい。性的なものにまたひきつけられるようになった。悪くはない。脳が壊れたからではないだろうか。でもあまり興味を持ちすぎるのもまたやめたほうがいいだろう。脳が壊れてしまった。無我夢中だ。生きているのは大変なことだ。脳がダメージを受けている。もう何度も言っている。脳がダメージを受けている。これは大変なことになった。やめざるをえないんじゃないか。どうしたらいいのかわからない。頑張れると思う。かめらまんの仕事もいいじゃないか。出来る仕事がないからな。仕方がない。今日はぐっすり眠りたい。仕事はしっかりやりたいが、できない。今日のラーメンでもうまかった。うまいラーメンが作れるか。プロの仕事とはそういうことだ。
頑張ってプロになろう。カメラマンでもいいじゃないか。かっこいいじゃないか。その間にリハビリしよう。リハビリして元気になろう。今日は脳がダメージを受けていて、おかしなことになっている。簡単なテストであればパスできるが、厳しい仕事のテストはパスすることができない。
マンションはうまく行かない。買える状況ではないようだ。精神的にも社会的にも買える状態にない。今回は諦めよう。これからは仕事頑張ろう。仕事できるようになった。
うまく行かない。でも頑張っていくんだ。うまく行くこともあるさ。努力することだ。奇跡を可能にするのだ。西尾氏は面白い。私を救ってくれないことか。カメラマンとしてあの職場に定着するのだ。どうしてもうまくいかない。脳がダメージを受けている。もう今日で行かなくてもいいのだ。行ってもいいが、mriだけでも良いかと思う。何か発見されるか分からない。高次脳機能障害かもしれない。検査では発見されないかもしれない。



2009年04月10日(金) 晴れ

こんな脳機能の状態でも古い部品の仲間は相手にしてくれる。昨日、kさんとの受け答えは好評で、普通にしゃべれるんだと安心された。普通にしゃべれるのはいいことだ。イエス様に対する憧れはある。どんな人だったんだろうとか、どんなことを言ったんだろうかとか。皆聖書に書いてある。聖書を読め。
朝の時間は貴重だ。今朝は4時半に目が覚めた。5時前には起き出して、いつもの通り、コーヒーを飲んだり、ネットをやったりした。頑張ってやっていこう。脳がダメージを受けているが、何とかこれでやっていけると信じている。昨日のkさんとの受け答えでも何となく元気になったという印象を与えることができたと思う。まだまだ道半ばだが、どんどん元気になっていく。薄皮をめくるように元気になっていく。おとなしくならなくても元気いっぱいでいいのだ。元気でなかったら、突破していけないだろう。bgでやっていくのはある意味簡単かもしれない。皆が助けてくれるからだ。頑張って生きて行こう。当社がこれまでやってこれたのも互いに助け合い、補い合ってきたからだ。のりのり気分でいつも行けばいいのではないか。抑える必要がどこにあるのだろう。当社はそうして頑張って生きてきたのだ。大船に乗った気持ちでのりのりで行ったらいいだろう。
私は知識の面では若いやつらや女性にも負けるかもしれないが、知恵では負けない。良い会社だ。当社は。絶対に裏切らない。頑張って勤めていく。
今日マンションを見に行った。大阪の都心は怖い。店もあまりないし、いいところとは言いがたい。環境が悪いにもほどがある。ちょっと買う気がうせてきた。ゆっくり探したら良いじゃないか。焦ることは何もない。全てを失った私がそういっているのだから間違いない。友だちのnさんが見に来てくれた。ありがたいことだ。嬉しくなってしまう。頑張るぞという気になってくる。部長が特設ポストという発言をしていた。なるほどそういう感じかと思った。世の中は厳しいのだ。でもこのまま厚意に甘えたいという気にもなってきた。何か役に立つこともあるんではないかと思っている。未婚のまま生きていくのか。それでもいいのではないかと思った。仕事できなくなってしまった。仕事ちゃんとできないといけない。頑張ろう。帰りの電車がなんか辛かった。しんどかった。oは優しいと思う。あれの言うことを聞いていれば大丈夫じゃないかと思う。脳のダメージが回復すればいいと思うがどうなんだろう。どうにかならないか。文書関係のチェックとか仕事にしたらいいんじゃないかともう。良くわからないが。頑張って生きて行こう。変なこと言う奴はいる。部長自らおかしなことを言うし、グループにストレスをかけているのではないかと思う。だとしたら申し訳ないなと思う。でも慣れてくれば私も一個の人間だし、受け入れてくれるのではないかと思う。逆の立場になれば受け入れるのは勇気がいると思う。こうして心配してくれているというのはありがたいと思う。でも普通の人生が良かったと思う。でもこんな人生もありかなと思う。



2009年04月09日(木) 晴れ

今日はカメラマン仕事初日だ。嬉しいな。今まで高度な仕事をやっていたのだなと思う。世の中のことだいぶ分かってきた。自分の状態もだいぶ分かってきた。脳の状態はこれ以上改善しないということも分かってきた。評価は厳しい。でもこれでたのしいお仕事にありつける。昨日脳が少し働いてきたのが少し続いている気がする。時間が経てば少しずつ回復してくるだろう。脳のダメージも回復してくるし、デスクワークもできるようになる。今だってマニュアル作成というデスクワークもくっついている。カメラを取るだけではない。そこが私にしかできない仕事だ。オリジナルな仕事だ。
良い天気だ。花見に行きたいものだ。今日はカメラマン初日だ。わくわくする。慣れるのが仕事と入っても長すぎる。こういう仕事だったらできるだろう。てきぱきとできるだろう。楽しいお仕事だ。嬉しいな仕事があって。脳がダメージを受けていても顔を曇らせることなく、明るく生きていくことができる。きっとできる。
今日はカメラマンの仕事はなかった。準備が肝心だ。マニュアルのメモみたいなものを作った。明日見せてみよう。今日は調子がいいような悪いような不思議な一日だった。まあ良かったんじゃないかと思う。明日は気をつけてykさんを怒らせないようにしよう。やっぱり怒るんだろうか。怒らせる気はないのだが、ゆっくり回復してくれればいいのだが。今日は目がはっきり見えた。このままよくなってくれたらいいのだが。疲れる。毎日疲れるが、周りはもっと疲れるだろう。今日kさんが集金に来たとき、受け答えがきちんとできたので良かったとおもう。今更焦っても仕方がないので、ゆっくり焦らずいこう。今日は少し元気だった。でも怒らせてしまった。元気でしかも怒らせないのがいいのだ。今までも怒らせていたのに気づかなかっただけじゃないのか。気にしなくても自然と怒りは収まるだろう。いつまでも人間というのは怒っていられないものだ。



2009年04月08日(水) 晴れ

今日も春の陽気だろう。最近好天が続く。マンション買うことに決めようかなと思う。ローンもおりそうだし。数ヶ月待ってくれといわれたが。給料明細をためてくれといわれた。会社に定着したかどうか、給与水準が元通りになったかどうかを見るんだろうなと思った。このままで生きていくしかないのだ。めまいがする中で、酔っ払った状態の中で生きていくしかない。すぐ忘れるのは個性だ。忘れないと生きていけない。ふざけているのではないのに、ふざけていると思われるのは困ったものだ。困った。
明日からカメラマンをやることになった。脳がダメージを受けていることから、リハビリのためにという親心だろう。私もあそこに座っているのは正直辛い。変なことを言うおっさんはいるし、本当に辛い。これから数か月はそちらに没頭できる。席を離れても問題がない。堂々とあの部屋を離れられる。嬉しい。無理してあそこにしがみつく必要はないのだ。その間にリハビリをすればいいし、もし治らなくても別の仕事を探してくれるだろう。それはあそこではないかもしれない。それでもいいのだ。マンション買うのはやめておこうか。どこに行くかわからない。若い奴にも馬鹿にされている。しがみつく必要はないのだ。ゆっくり治せば良い。でも三年かかって、治らなかったのだから、これ以上改善することはないだろう。おかしいとか言われているのにしがみつく必要はないのだ。しゃべれないし、パソコンも覚えられない。ミスが多い。悪気がなくても迷惑をかけていることは間違いない。あの場所を離れて過ごせるということは大きなメリットだ。しかも倉庫業務ではないので寒くも暑くもない。しかし孤独な作業で孤独に耐えられるかどうかは難しいところだ。まあ広い意味でマスターの業務なのでよしとしよう。良いリハビリと解放になる。私の業務としてよかったんじゃないかと思う。
今までの苦労が報われたんじゃないかと思う。機械と写真相手の孤独な仕事だが、頑張っていこう。これが一番今の私に向いていると思う。あの頃も運転手の仕事なんかやっていた。それでも失敗ばかりしていた。今のほうが数段上だと思う。おかしいといわれながらも何とかやっている。今日帰りがけに目が少しはっきり見えた。このまま良くなってくれればいいのだが。
これであの空気から逃れられる。私にはもうデスクワークは無理なのだ。といって、危険な仕事は任せられない。ガラス細工のようなバルネラブルな人間なのだ。今でも酔っているような不思議な気分で覚めたことがない。字が読めない。デスクワークは無理だ。簡単な手作業くらいしかできない。こうなることは分かっていた。でもこうなることを望んでもいた。これと守衛の仕事と大差ないような気がする。マスターの大きな戦力になるものと思っていたが、ちょっと無理なようだ。難しいことがさっぱり頭に入らない。簡単なことが覚えられないのになんで難しいことができるのだ。あそこに座っているのが辛いのでそれから解放されるのも嬉しい。良いこと尽くめだ。mさんも辛いのじゃないか。私も頼ってばかりじゃなくて自分ができることを見つけていこう。私は元の自分ではないことは明らかになった。良かったのではないかと思う。
なんか母親に電話したが、電源を切っていた。夜は電源を切っているのだろうか。なんか寂しい。お金をもらう話をしたかったのだが、できない。私も運が向かなくなってきたかもしれない。会社はカメラマンみたいな仕事をあてがわれるし、どうしようもない。仕方がないのだ。これも仕事だ。一生懸命やろう。頭が壊れているのだ。でもマニュアルとはいえ、文章を書くことができるのは嬉しい。見るところは見ているのだ。ぎりぎりの仕事だが頑張ってやっていこう。デスクワークはあまりないようだ。カメラマンの仕事頑張っていこう。自分のカメラ持ち出しでやってもいいか。お金払わないと仕事ないのか。でもこの仕事がうまく行けばマスターのマニュアルを書く仕事ができるかもしれない。次につながるから頑張ってやっていこう。私にぴったりの仕事だ。もう机に座っているのは限界だ。電話もないし、あの変なおじさんに変なことを言われて、黙って座っているのはしんどい。あの席を離れられるのは嬉しい。しゃべれないのは辛い。それはいいけど記憶力、注意力が落ちたのは悲しいことだ。知的能力が落ちたとひとくくりにされて、病気のせいじゃないかといわれ、どうしていいのかわからない。病気のせいといわれれば諦めるしかないが、病気のせいではないと思う。あの医者もいい加減なことを言う。やめたほうがいいかもしれない。前から調子が悪いといっているのに、何で分かってくれないだろうか。意の伝が通じない。母親にも通じず、辛い。仕事がうまく行かないのが何より辛い。私生活がうまく行かなくても仕方がない。



2009年04月07日(火) 晴れ

薬のせいでぼけているのなら、薬を抜いたらよくなるはずだ。昨日は薬を抜いてみたが今日の調子はどうだろう。大して変わっていないように思える。眠気があまりないように思える。昨日は11時過ぎに寝たのに今朝は5時半に目が覚めた。これで頭がさえてくれればいうことはないのだが。記憶が飛んだりするのが、薬のせいだったらどんなにいいか。思い出そうと思えば思い出せるようになって来た。覚えようと思えば、覚えられるようになって来た。これなら仕事を続けられる。コミュニケーションもできるようになって来た。基本的なことができるようになってから、自分で仕事ができるようになるのだ。まず焦らずに人に言われたことだけこなしていこう。今やっているのはイレギュラーな仕事だが、これでも積み重ねていけば何とかなるのではないか。レギュラーなしごともできていくんじゃないか。勤勉に働いていけば何とか成果も出てくるんじゃないか。昨日は薬を抜いたが、特別不都合なことはない。6時間近く寝ているし、いいんじゃないかと思う。朝の時間は楽しいし。記憶のリハビリをやってみた。やっぱり少し記憶や注意力が落ちている。リスパダールはやめてみたい。不都合なことは起こらないだろう。記憶力が高まるだろう。注意力が高まるだろう。目が覚めているのに眠くなることがあるからな。共感を旨として生きて行こう。人と共感したほうが理解力や記憶力も高まる。男女というのは難しいものだ。女というのは難しい。記憶力が落ちている。リスパダールをやめれば記憶力は戻るだろうか。とにかく共感することだ。共感することで能力は高まっていくだろう。
今日は仕事は順調だった。でもmさんの心無い一言が私を傷つけた。こんな思いを毎日しないといけないのかと思うと、辛い。もう少し仕事ができればこんなことは気にならないのだが。気にしないようにしよう。しんどい。生きていくことはしんどいものだ。楽をして生活保護を受けていたほうがいいんじゃないだろうか。というかそれしかないんじゃないかと思う。せっかくマンションを買っても仕事を首になっては仕方がない。どうしたらいいのかわからない。仕事があること。仕事ができること。これが肝心だ。
ああ、何もかも忘れてまた休みたい。今原理上は休めるが、そんなことは口が裂けてもいえない。頑張って生きていくしかないのだ。ちょっと休み休み行こうと思う。昨日はあまり眠れなかった。遅くまで眠れず、朝早く目が覚めた。これではいけない。目が回る気がする。めまいがする。この間は視野にちらちら変な模様が見えた。これはいけないかもしれない。でも世の中のことが分かるようになって来た。良かった。



2009年04月06日(月) 晴れ

今日はいい天気だ。マンションの衝撃。マンションに住みたい。戸建てなんかすめない。鍵一本で都心で出入りできる密閉空間。脳が働き始めた。昨日はふらふらだったのが。西九条はいいぞ。なんばにも近いし、梅田にも近い。職場にも近く、定食屋が多いと聞く。コンビニもある。atmもある。今度探索に行ってみよう。脳が治ってきた。前頭葉が働き始めた。きっとうまく行く。仕事バリバリできるようになる。自己暗示にかけるんだ。きっとうまく行く。全てがうまく行く。人間関係もうまく行く。共感をキーワードに生きていけばきっとうまく行く。思い出せないことも思い出そうと思えば思い出せる。簡単なことだ。
今日は仕事はまあまあ順調だった。mさんと呼吸が合うようになって来た。きちんと対応すれば、仕事のほうからやってきてくれる。今一生懸命できている。これがいい結果につながることを望むばかりだ。思い出そうと思えば思い出せる。忘れまいと思えば忘れないことができる。大丈夫だ。何とかやっていける。少しずつ覚えられるようになって来た。注意力も持続するようになって来た。半年から一年はかかる。三年休んでいたのだから仕方がない。自分を責めてはいけない。自分が心地良いようにしよう。
頭がボーっとする。これでやっていけるだろうか。おかしいといわれている。そんなに何回も言わなくても自分で分かっているって言うんだ。言われるたびに辛い。でも私の力では何ともならないのでどうしたらいいのかわからない。良い薬があるといいのだけど。
今日は仕事がうまく行った。きっと明日もうまく行くだろう。人の心が良くわかるようになって来た。きっと明日もうまく行くだろう。脳力はアップしている。日経平均も回復している。きっと全てうまく行くだろう。こんなに一生懸命生きているのだから、きっといいことがあるだろう。マンションどうしよう。思い切って買うか。踏ん切りがつかない。あんなところに住めるだろうか。生きているだけで精一杯なのに。あんなところは人間の住むところじゃない気がする。町の真ん中じゃないか。今度途中下車して歩いてみようか。薬の影響ということは考えられないだろうか。そんなことは考えられない。西九条で下りて歩いてみよう。買う気があれば見とかないといけない。元気に生きて行こう。脳のダメージも良くなってきた。全てうまく行くようになって来た。
すごい嫌だと思う。n課長の立場に立ってみれば、部下がそんなおかしいといわれることは面子がつぶれると思う。今みたいな幸せなことになってるのもn課長のお蔭だ。あくびなんかしている場合じゃない。頑張って生きて行こう。
何でこう次から次に自分のことで悩まないといけないかなと思う。自分のことはおいておいて、人のため世のために働きたいのだが。かっこよくなくてもいいから、人並みに働きたい。明日はもっと今日より元気にやって行きたい。少し仕事調子が出てきた。この調子でいきたいものだ。自分のことで悩みたくなかったなあと思う。もう悩まないようにしよう。もう老後だ。ゆっくり生きよう。でも一生懸命その日その日の最善を尽くそう。今日は仕事が順調にいってよかった。明日もこの調子だったらいいな。mさんとうまく行くようにしたら全てうまく行くと思う。なかなかうまく行かない。脳のボケがひどい。薬のせいだったらいいのに。薬をやめれば済む話だから。でも違うと思う。本が読めなくなっているからだ。新聞が読めなくてもニュースを聞いて理解できればそれでいいかなと思う。今日は医者に言われたとおり、薬を抜いてみた。明日具合がよければ良いなと思う。ykさんはチャーミングでいい人だと思う。あの人を傷つけないようにしよう。どんなことがあっても。共感をキーワードに生きて行こう。人と共感して生きることは素晴らしいことだ。
生きることは素晴らしい。その素晴らしさをもう一度思い出せる日まで、頑張って生きよう。今でも人生は素晴らしいと思っている。明日駅を途中下車してみようかなと思う。探索してみようかな。西九条が駅前になるならいいことだと思う。良い暮らしがしたいとは思わない。でも悪い暮らしより、良い暮らしのほうが良い。良い暮らしとは何だろうか。些細なことで幸せを感じられることだと思う。金持ちが幸せとは限らない。こんなことが分かるようになったのはごく最近のことだ。



2009年04月05日(日) 晴れ

今日は楽しかった。気分良かったんじゃないかと思う。酒飲んで書き込めない。今朝は二日酔いっぽい感じで、いつもにも増して変だ。共感ということが大事だ。共生ということ。視野にちらちら変なものがちらつくようになって来た。やばいかもしれない。脳の専門家に見てもらう必要がある。あの医者はだめかもしれない。真面目に見てくれない。頭ごなしに否定する。脳のダメージを受けている。頑張って生きて行こう。頑張って生きて行こう。脳のダメージがひどい。今日も昨日の酒のせいか脳がダメージを受けている。ちらちら変なものが映る。頑張って生きて行こう。頑張って生きて行こう。気にしないようにしよう。でも粛々と専門医の診断に向かって近づいていこう。絶対何か問題がある。頑張って生きて行こう。人は皆死んでいくものだ。それでも精一杯生きて生きたい。共感を持って生きて生きたい。人と共生したい。共感をキーワードに生きていきたい。共感をキーワードに生きていきたい。共感をキーワードに生きていきたい。昨日は飲みすぎて頭がボーっとする。体がふわふわする。しんどい。しんどい。マンション買おうかなと思っている。行き当たりばったりにもほどがあるかな。脳がダメージを受けるとこういうことになる。買えるかというと買える。もうラストチャンスかもしれない。t不動産のマンションも見に行ってもいいかなと思う。弁天町も捨てがたい。マンションがいいのか。戸建てがいいのか。戸建てはすみづらいだろう。敷地にスーパーのある大規模マンションのほうがいいのだ。ごっついマンションだ。
あのマンションに住みたいと思う。タワーマンションは住み飽きた。いいマンションに住みたい。



2009年04月04日(土) 晴れ

昨日の出来事というのは、小さなことのようでいて、大きな出来事だったような気がする。距離がぐっと縮まった気がする。共感と共生が病気もよくしてくれる気がする。新しいほうに行こう。いつまでも古いものにこだわっていたら私は救われない。古いものを打ち壊して新しいものを作り出そう。知の体系とかパラダイムの転換とかもそうである。大きな方向さえ指し示せば人はついてくるものだ。これからはこういう方針で行くといえば人はついてくる。人が気持ちよく働ける職場とか、そういう環境づくりをしたいという気持ちは今も変わっていない。これからは共感と共生をキーワードに生きて行きたい。人はついてくるだろう。脳のダメージは返す返すも惜しいが、何とか生きていけそうな気がする。何とか仕事もできそうな気がする。注意を向ければ簡単に記憶することができるし、忘れないことも可能だ。注意を向けないから、記憶できないのだ。精神状態がおかしいのだ。脳の問題ではないのだ。人と共感して生きるということはいいことだ。でもあのzと交流しはじめたのは後悔したが、今はそんなことはない。注意力を保つというのが難しい。維持することが難しいのだ。それが共感性の薄さと関係あるかもしれない。共感、共生して生きよう。高次脳機能障害になってしまった。脳の画像をとってもらおう。そういうことが大事だ。治るかもしれないじゃないか。脳には何も異変は起こっていないとか言われるかもしれないし、何かおかしくなっているとか言われるかもしれないし。どちらか詳しく調べてもらおう。共に悲しみ、共に喜び、共に生きる。これは嬉しいことじゃありませんか。一方的な関係になってはいけない。相互的な関係になりましょう。相互依存といってもいい。共生とはそういうことだ。キリスト教もその一助となるだろう。共感というのが大きなテーマになることだろう。共生。共感。これが大きい。共感というのはいいことだ。これで私のsm構造を破壊して新たな人生を歩みだすことができる。共感の人生に一歩歩みだしたい。革命だ。世間ではやっているらしい。ハンバーガー革命とか。共感。共生。人に優しくすること。
私は日本が好きだ。多彩な職能集団。それぞれが誇りを持って仕事をしている。いい仕事をしている。世界の地表を変えている。素晴らしいことだ。脳がダメージを受けてもそのことは分かる。共感、共生が必要だ。共感が必要だ。共感が必要だ。共感して生きていくことにした。共生ということだ。とにかく頑張って生きて行こう。
医者に行って記憶の問題を話したが、相手にされなかった。これが一番辛い。頭ごなしに否定される。現に問題が発生しているのに。
別の医者のところに行こう。頑張ってこの問題を解決するのだ。kさんのことで結構疲れたかもしれない。あの人は大丈夫じゃないかもしれない。私にはいかんともできないが、共に悲しむことくらいはできる。それでいいじゃないか。いついかなるときもそういう気持ちでいよう。
マンションを見に行った。疲れていたのでネガティブな質問ばかりして、セールスマンを怒らせてしまったかもしれない。あまり怒らせると売ってくれないかもしれない。共に生きる。共感することが大事だ。セールスマンとも共感することが大事だ。今日イズミヤでヘルパーの女の子が挨拶をしてくれた。ちょっぴり嬉しかった。今日はお祝いだ。人と共感できた日として、お祝いをしよう。人と共生するのだ。人と共感できることは嬉しいことだ。
今日は良かった。お祝いした。人と共感した。今日地下鉄で赤ちゃんに絡まれた。赤ちゃんはセクシーだと思った。子供の頃から性的エネルギーの塊だ。フロイトの言ったとおりだ。かわいいと思った。やっぱり赤ちゃんはかわいい。
物忘れ外来のこと、笑われたのはショックだった。もっと大事に考えてほしい。どうしたらいいのだろう。おかしいといわれる。はやっているみたいだ。困ったもんだ。人の口に戸は立てられない。頑張って生きて行こう。oもうるさいやつだ。どうしたらいいのかわからない。頑張って生きて行こう。大阪は都会だ。どうやって生きていったらいいのかわからない。阪神間にすみたい。高いけどな。戸建てがいいなとは思う。マンションを見ていて戸建てがみたくなったことがある。戸建ては見るのが面倒だ。都心のマンション。今のすまいはいまいちだ。しんどい。わかりやすい人間でいたいものだ。しんどい。人に迷惑かけないようしっかり働いていこう。あの紙を書く仕事は面白かった。あんな仕事がまたしたい。まあでも重要視はしていないようだ。でも仕事になってよかった。仕事ができないというのは悲しい。仕事がちゃんとできるようになりたい。後12年間または17年間完全燃焼できるようになりたい。どうしたらいいだろう。今の状態でも何とか生きていけるだろう。無理だろうか。無理なことはないだろう。何とか生きていけるだろう。きちんとしないといけない。共感することだ。人と共感することで何とか生きていける。共感して共に生きる。共感することだ。死ぬときになっても人と共感して死んで行きたい。共感して死んで行きたい。生きることも共感して生きたい。生きることは大事だ。というか今生きていることそのものだし。共感して生きて行こう。共感することがとてもいいことだと思う。共感することが大事だと思う。共感し、共生する。これが大事だ。人生で大事なことはこういうことだ。共感することで人生はイージーなものになっていく。



2009年04月03日(金) 晴れ

今日は会社行きたくない。脳のダメージさえなければと思う。記憶障害、注意力の低下さえなければ人と伍して働いていけるのに。これのお蔭で仕事が回ってこない。いつまであの席にしがみついていられるのか分からなくなってきた。活字が読めないのが辛い。感謝の気持ちを持って生きていけば、何とかなると思う。専門家の治療を受けてみたい。セールスマンにもおかしいといわれている。皆がおかしいという。アルコールの害が及んでいるのだ。専門医の診察が受けられるまでまだ一ヶ月以上かかる。でもほっとかれた頃よりも確実によくなっている。後から今のことをどう思い出すだろう。とことん変わった生涯だな。自分自身を楽しむということができない。自分とは誰だろう。なんか良くわからなくなってきた。字が読めなくなってしまい、楽しみがなくなってしまった。これが戻ることがあるのだろうか。近くであれば焦点が合うようになって来た。これで遠くの焦点が合えば、何とかなる。少しずつ直っていっているような気がする。アルコールによる害だから、治るかどうか分からない。脳外科の手術では治らない。薬でも治らない。リハビリくらいしか直る道はない。注意力が低下している。おかしな人間になってしまった。どうしたらいいのか。道がない。このまま生きていくしかない。自分の脳を使って生きていくのだ。思い出そうと思えば思い出すことができる。忘れまいとすればメモを必死で取る。そうすれば何とか仕事を続けていくことができると思う。思い出そうと思えば思い出せるし、忘れまいと必死になれば忘れないものだ。
今日の女性とのトラブルでも、共に生きることを考えるべきだ。その女性の悲しみを一緒に悲しんであげるくらいの気持ちが大事だ。何でそのことに気づかず、その女性は勝手に大丈夫だと思い込んでしまったのだろう。恥ずかしい限りだ。私は人情家として生きて行こうと思っている。これだけ苦しい思いをしてきたのだから、その資格はあるはずだ。共に生きること。共に生きる感覚を身に付けないと生きていけない。何で自分のことばかり考えるのだろう。自分は散々世話になっておきながら、人のことは何で気にならないのだろう。心が痛まないのだろう。そう考えると全てが納得行く。帰りに挨拶すると小さな声で挨拶してくれた。良かったと思った。かわいそうだ。女性の忍耐強さは無限ではない。優しくしてあげないといけない。今日はykさんも考え事をしていたようだ。私も考え事をしていた。仕事ももちろんやったが、良く考え事をした。これはいい考え事だ。大人の一人前の人間になるための考え事でいいことだ。もっと会社を盛り上げることを考えてもいいのではないかと思う。私はいい気分になることが多いので、そういう方向で会社を盛り上げるとか仲間をつなぐ紐帯になろうとするとか、そういう努力は必要だ。今日も課長は私が元気がないのを見て、仕事が面白くないのかと思って、なんか盛り上げようとしてくれた。えらいものだ。忙しいのに。今日はというより、いつも人の考えることが手に取るように分かるようになって来た。いいことだ。女性はもっと優しく扱わないといけない。気づいたら、近づきすぎているので、気を使わないといけない。でも人の悲しみを共に悲しむことができるということは嬉しいことだ。共に悲しみ、共に喜ぶ。コンパニオンという言葉もある。私もだいぶ成長したものだ。心とは難しいが面白いものだ。さすがにマザーテレサの言葉を味わっているだけのことはある。心は面白い。楽しいものだ。今まで生きたこと、苦しんだことは無駄になっていない。生きることは楽しいものだ。苦しくもあり、楽しくもある。今日はmさんと少し会話した。定額給付金の話をした。面白かった。たくさんしゃべらなくていいのだ。気持ちよく仕事ができるようになればいい。首尾一貫しているようにしよう。心が大事だというのなら、心を大事にしよう。裏切ったりするまい。共に生き、共に食べる仲間は尊い。大事にしなければいけない。思い出そうと思えば思い出すことができる。たとえ、脳に障害を負っていても、簡単に復元することができる。この問題は私の難問を解く鍵になるかもしれない。サドマゾヒズムという恐ろしい謎を解いて、自由になる道はある。これがその鍵だ。共に生きるということ、共に喜び、共に悲しむということが大事だ。これがその鍵だ。サドマゾヒズムという古い革の衣から自分を解き放つチャンスだ。きっと自由になれる。あの女が私を解き放って自由にしてくれるんじゃないかと思う。自由とはそういうことだ。毎日いろんなことが起こるものだ。でも一個一個無駄なことは何もない。どれも自分を成長させる大事なものだ。私は昨日より少し自由になった。共に生きること、共に悲しむということ、共に喜ぶということ。これが大事だ。
送迎のバスを止めたりと笑顔で話す若き社員にわれ言葉少なし。
この事件は私の古い心に巣食っているサドマゾヒズムという自動思考の巨大な塊を溶かしてくれた。きっと私は明日から自由になれる。私も自由になろう。生身の人間を相手に生きて行こう。そう決めたのだから、それでいいのだ。忘れっぽいことなんか理由にならない。私は自由になり始めた。自由に思考し始めた。硬い自動思考の塊を溶かし始めた。サドマゾヒズムと教条的左翼主義。自由になりたい。自由に生きたい。かつ正しく生きたい。私は今のところで満足している。いろいろあるが、結局良かったんじゃないかと思う。共に生きるをキーワードに生きて行きたい。共に悲しみ、共に喜ぶことを今日は学んだ。簡単なことで、目の前にあることだ。書物の中に閉じこもっていたらこんなことは分からなかっただろう。脳のダメージも粋なことをやるものだ。共に生きること。smはもう古い。私の中ではもう死んでいる。死体を引きずって生きていても仕方がない。新しいほうに向かって生きて行こう。私がどんなにこまっているかわからないだろう。だがそれでも生きていかないといけない。思い出そうと思えば思い出せるし、忘れまいとすれば忘れないものだ。新しいものが好きだ。新しい世界で生きて行きたい。自分は壊れてしまった。新しい自分で生きていかないといけない。新しい自分を創っていかないといけない。記憶のほうは専門家に任せるとして、自分はこのまま生きていかないといけない。誰も助けてくれない。悪くはないのではないかと思う。強くないといけないだろうか。弱くても正しく生きていけば生きてはいける。頑張って生きて行こう。共に生きる共生ということを考えて生きて行こう。宗教は楽しい。正しいことしかいっていないし、宗教を信じて生きて行こう。



2009年04月02日(木) 晴れ

目の焦点が合って来た。良かった。このままよくなっていくだろう。絶対うまく行く。脳機能障害の病院に一度行ってみよう。一発で分かるだろう。これだけ困っているのだから。回りも気づいている。気づかれても仕方がない。むしろ気づいてほしい。でも前頭葉が動き出した。不完全ながらも動き出したことは喜ばしい。このまま回復していきそうな気がする。絶対回復する。間違いない。この前、立花隆の論文が美しく見えたものだ。目が治ってきているのだ。焦点が合うようになってきたのだ。目の焦点が合って来た。タイピングもきちんとできるようになって来た。もう治ったんじゃないか。これからどんどん治っていくだろう。近い距離なら焦点が合うようになって来た。前頭葉がついに動き出した。焦点が合うようになって来た。素晴らしい気分だ。女性というのはいいものだ。いつもそこにいる。待機している。優しく扱いたいものだ。わざわざ男の間に出てきているということは相当な根性なのだ。目の焦点が合って来た。前頭葉が動き出したのだ。目の焦点が合って来た。活字が読めるようになって来た。これは大きな進歩だ。もっと進歩するに違いない。前頭葉がフル回転を始めた。元気なときははしゃいでいいのじゃないかと思う。回りに元気を与えられるじゃないか。周りの人はもっと元気だ。元気にやっていこう。今日も気分は上々だ。この調子でやっていこう。目の焦点が合うようになって来た。前頭葉がフル回転を始めた。これが普通だ。この調子で頑張ろう。前頭葉はフル回転を始めたが、まだ満足いく状態ではない。会社の女性とトラぶりそうになった。訳がわかんない。女と仲良くするのは大変だ。ykさんとはうまく行きそうだ。好きになったし、頼りになる。唯一気持ちを分かってくれる女性だ。立派な人だなと思う。かわいいし、優しい。好きになってしまった。尊敬している。味方にするといいかもしれない。この職場はやっぱり、変わった人が多い。だから仲良くしようと思うと大変だ。
高次脳機能障害の施設に電話した。紹介状と脳の画像が必要だそうだ。大変だ。診察にたどり着くまで大変だ。会社で差別発言があって嫌な気持ちになった。嫌な渡世だ。大部分の人は偏見などもっていないが、一部の人は偏見がまだある。注意しないといけない。あのおじさんは要注意だ。前の職場でもよほど嫌がられたのだろう。私も気をつけよう。トラブルは嫌だ。明日は金曜日、明日行けば休める。頑張って生きて行こう。病気より、記憶障害が辛い。早く病院に行きたい。病院てどうしてこう敷居が高いんだろう。電話して診察受けたいといったら紹介状が必要だといわれ、休みも取りづらいので行く暇がない。せっかく行ったら、頭ごなしに怒鳴りつけられ、三分しか診察してもらえない。どうなっているのだろう。分からない。
記憶障害さえよくなれば自力で回復していける。ykさんは本当に良く献身的に頑張っている。本当に心から尊敬している。良く頑張っている。頭が下がる。私のほうは仕事がなくなってしまい、困っている。アクションプランといっても一人では何も考えられない。今任されたものが何もないのだ。脳がダメージを受けている。頭がはっきりしない。すっきりはっきりしてもらいたいものだ。病院に行きたい。診察を受けたい。相談とかじゃなくて診察を受けて治療を受けたい。治療ができるものならば。頑張って生きて行こう。



2009年04月01日(水) 晴れ

昨日は穏やかな日だった。ykさんにも優しくしよう。かわいくて優しい、ykさん、恋愛感情抜きに尊敬の念をもって接しよう。世の中のことはさほど難しくはない。肯定的な感情を持って全ての人に接すれば、揉め事は起きない。仕事のほうは困難を覚える。徐々に慣れていくのではないだろうか。これでやっていくしかないのだから、頑張ってやっていこう。変とか言われるが、仕方がない。人に迷惑をかけてはいない。頑張って生きて行こう。マンション買おう。s水の大規模マンションを買おう。買わなければいつまでたってもローンは減らない。脳がダメージを受けていなければ、もっと頑張れるのに。
今日はちょっと目の焦点が合った。良かった。このまま回復してくれればいいのにと思う。少しずつ回復しているので、いつかは回復するのではないかと思う。前頭葉がはっきりしてきた。もう少しで回復だ。今まで前頭葉が働かなかったのだが、少し働くようになって来た。良かった。このまま順調に回復してくれればいいのにと思う。目の焦点が合ったことが一番嬉しい。このまま回復するんじゃないかと思う。活字もよく読めるようになって来た。このまま回復するだろう。朝から少し調子が良かった。バスで嫌なことがあったが、めげなかった。気分は落ち込まなかったし、前頭葉が活発に動き出した。mさんのお蔭だ。良かった。調子がいいときでもはしゃいだりしないほうがいいと思ったが、そうでもなさそうだ。はしゃいだほうがいいような気がする。少なくとも今日はそういうことを感じた。私は恵まれている。ykさんにも頭が上がらない。一生頭が上がらなくても良いや。仕方がない。
目がはっきりしたような気がする。目の焦点が合ってきた。良かった。目が焦点が合ってきた。前頭葉が活発に動き出した。良かった。これが望んでいたことだ。目の焦点が合ってきた。良かった。このまま回復してくれればいいなと思う。病気のほうは回復した。後は前頭葉が回復してくれたらいいのだが。目の焦点が合ってきた。嬉しい。このまま回復してくれたらいいのだが。目がはっきりしてきた。焦点が合ってきた。このまま治っていくんじゃないか。希望が出てきた。少しずつ治っていくだろう。きっと治っていくだろう。目の焦点が合うようになって来た。このまま治ってくれたらいいのに。前頭葉がはっきりしてきた。きっと良くなるだろう。間違いない。前頭葉が良くなって、目の焦点が合って来た。頑張って生きて行こう。脳機能障害。暗い響きだ。どうやって生きていったらいいのかわからない。でも悲観することはない。少しずつよくなってきている。今日目がはっきり見えたのに驚いた。きっと良くなる。短期間に良くなる。まだまだ忘れっぽいが、きっと良くなる。目の焦点が合って来た。きっと良くなる。前頭葉が回復する。人と同じように働ける。人は私を見て、ほっとかれてると思っているが、仕方がない。自分が頑張らなかったからだ。自分から逃げようとしたからだ。薬による障害。人に相談しよう。専門家に相談しよう。


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